その五


 ライオットとの騒動があった次の夜、着替え終わったリムは自室の扉の取っ手を握っていた。


 正直に言うと、彼らにあのようなことを言ってしまい、これから会うのは気まずい。

 しかし、このままにしておくわけにもいかないだろうとリムは勇気を振り絞り、扉を開けた。


 すると、彼女の目の前に、ジェンティレスとユーシーが跳び出してきた。


「リムちゃん、おはよう! 今夜は楽しい、大宴会だよ!」

「へ? え? だ、大宴会って、何をするんだ?」


 混乱しているリムの言葉に、ジェンティレスは困ったようにユーシーを見た。


「そういえば、ちゃんと決めてなかった……。どうしよう? リムちゃんの歓迎会? 送別会?」

「それはどっちでもいいだろ。それよりも早く、一階に行こうぜ!」

「そうだね! そうしよう!」


 ずいぶんと気分が高揚しているジェンティレスとにまにまと笑うユーシーに背中を押され、リムはホールへ下りてきた。


「な、何が起きてるんだ!」


 リムが思わず叫んだ通り、ホールの様子は昨晩と全く変わっていた。


 大小さまざまなシャボン玉が、宙に浮かんでいる。床は雲のような霧で覆われて、場所によって色を変えていた。円卓の一つ一つの中心には、色とりどりの花が鮮やかに飾り付けられている。

 下で待っていた者たちはいつもと変わらない服装だったが、レン以外は満面の笑顔で手を振って、リムたちを出迎えてくれた。


 何よりも目を引いたのは、真ん中の円卓の上にそびえ立つ、五段もあるクリームのケーキだった。一段目には棒付きの飴が突き刺さり、二段目は果物、三段目はナッツ、四段目はチョコレート、五段目はクリームで飾り付けられていた。

 ケーキの前で立ち止まったリムは、思わず呟いていた。


「これも、魔法なのか?」

「違うよ!」「残念!」「はずれ!」


 ケーキの後ろから、ギギとググとゲゲが顔を出した。

「これもお前たちが作ったのか!」

「その通り!」「正解!」「大当たり!」

「とてもうまそうだが……何故、一段目には飴が刺さっているんだ?」

「え? これ、おかしいのか?」


 驚きの声を発したのは、ケーキの隣に立つクレセンチだった。


「やはり死神の仕業か……」

「でも、リムも飴が好きなんだろ? 本当は嬉しいんじゃないの?」

「確かに飴は好きだが、ケーキに刺さっていればいいという訳じゃない」


 リムの一言にざっくりと斬られたクレセンチは、分かりやすいほど項垂れた。


「さ、リムちゃん、主役の席はこっちだよ」

「切っておくから!」「取り分けるから!」「運んでくるから!」


 ジェンティレスがユーシーとともに再びリムを押し始め、ギギとググとゲゲは慌ててそう言って見送った。


 ケーキの置かれた円卓のすぐ前にある円卓に、リムが腰かけた。その左右に、ジェンティレスとユーシーが座る。


 リムの背後に、ぬっと巨大な陰が現れた。振り返ると、申し訳なさそうな顔でライオットが立っていた。


「リム、昨日は、ごめん、なさい。怖かった、でしょ?」

「あ、いや、私の方こそ、すまなかった。怖い思いをさせてしまって……」


 リムが罪悪感から目を逸らすと、ユーシーがその背中をトントンと優しくたたいた。 


「そんな辛気臭い顔するなって。今日は大宴会だぜ? 嫌なことを忘れて楽しもう!」

「そうだよ、リムちゃんも、ライオットも、ちゃんと謝ったんだから、もう仲直りできてるよ!」


 ジェンティレスの言葉にライオットははにかんだように笑うと、「おいら、準備が、あるから」と言って去っていった。

 三人の前に、おもむろにメデューサが現れた。ユーシーが楽しそうに言う。


「まずは、メデューサの歌だな」

「何? あいつ、歌うのか!」

「最初は渋っていたが、今回はリムのために一肌脱ぐそうだ」

「でも、ぼくはよく子守唄を歌ってもらったよ! とっても、気持ちのいい歌声なんだ」


 彼らの言葉通り、メデューサはある歌劇の一曲を歌いだした。高音は透明で澄んだような声で、低音はどっしりと構えた声で、美しい旋律を生み出している。

 リムは最後まで聞き惚れていた。


 次に、大玉に乗ったウルルが現れた。彼女は動きにくそうなメイド服で、絶えず玉を転がしているが、まるで地面を歩いているかのように涼しい顔をしている。

 さらにウルルは、逆立ちをしたり、宙返りをしたりして、リムを驚かせた。


 彼らは、私に特技を見せているらしいと、リムが理解した時、今度はライオットが現れた。ライオットはリムの胴回りほどありそうな薪で、軽々とお手玉をして見せた。


 クレセンチは目隠しをして、……と言っても、見た目では分かりにくいが、ギギ達が投げてくるジャガイモを、大鎌で真っ二つにした。


 レンは階段の一番上に立ち、そこからホール入口の前に置いたたくさんの小さな蝋燭に、正確に次々と火を灯した。


「次は俺たちの番だな」

「うん! がんばる!」


 ユーシーは催眠術で、リムを椅子から立てなくさせたり、座れなくさせたり、食べたくて食べたくてたまらないはずのケーキにフォークが刺さらないようにさせた。


 ジェンティエスは拙い進行でトランプのマジックを行い、リムが弾いたカードを当ててみせた。


 イノンは犬と猫と兎のぬいぐるみを魔法で操り、短い手足をぴょこぴょこと動かす可愛らしい踊りを見せた。


 途中でルージクトも加わり、ぴょんぴょんと飛び跳ねるぬいぐるみたちの真ん中で優雅に舞った。

 リムは感心して、ため息をもらしていた。


「お前たちは意外と芸達者だな」

「そう見えるけど、実際には大宴会の時に、酔っ払ったり、すごく興奮したりしてる奴が、勝手に芸を始めるんだよな」

「こういう大宴会は、よく開かれるのか?」

「うん。大きい行事とか、誰かの誕生日とかにやってるよ」

「全く、ここは怪物のホテルとは思えないほど、平和だな」


 ユーシーとジェンティレスの説明を聞いて、リムは口では呆れたように言っていたが、心の中では懐かしさを感じていた。

 そしてふと、幼いころに村にやって来たサーカスを、両親と共に見たことを思い出した。


 あの時、どんな演目を見たのかをリムはほとんど覚えていない。

 しかし、ずっとハラハラしていたこと、立ち上がって大きな拍手をしていたこと、帰り道に両親にサーカスの凄さを語りながらずっと笑っていたことは、はっきりと覚えていた。


 リムはあの日、自分が村中の人間から嫌われていたことを、すっかり忘れて楽しんでいた。今もその時の気持ちと似て、退魔師としての任務や責任などを置き去りにして、童心に戻っている。

 ただ一つ大きく違うのは、彼女の隣には、あの誰よりも優しかった両親がいないことだった。


 ルージクトとぬいぐるみの踊りが終わり、一人感傷に浸るリムの前に、すっとクレセンチが現れた。彼は、かしこまったように咳ばらいをした。


「えー、ここでリムさんに、我々から素敵なプレゼントがあります」

「なんだ? 聖剣を返してくれるのか?」

「たぶん、聖剣より素敵なものだと思います。こちらをどうぞ」


 クレセンチは身を乗り出して、一通の白い封筒をリムに差し出した。リムは怪訝そうにそれを見下ろして……「アレクサンダー・サクラメント」「ミラノ・サクラメント」と書いてあるのに気付くと、ひったくるように手紙を受け取った。


「どうしたんだ、これは!」

「知ってるか分かんないけど、死神は天国に行けるんだよな。で、ジェンからリムの両親のことを聞いていたから、探し出して手紙を書いてもらった。大変だったんだぞ~。探すのもそうだけど、あの世の物をこっちに持ってくるためには厳重な審査をな……」


 クレセンチの苦労話を最後まで訊かずに、リムは封筒を開けて、便箋を開いていた。


 一行目の『私たちの小さなリムへ』という言葉だけで、リムの目から涙が溢れだしていた。リムのことをそう呼んでくれたのは、彼女の両親だけだった。

 母の字で書かれた一通目にはリムの体を心配する言葉が、父の字で書かれた二通目には天国での二人の暮しが、それぞれ綴られていた。


 そして最後の便箋には、リムに伝えたいことが数多くあったのだろう、二人の字が順番など関係なしに並んでいた。



『……クレセンチさんから聞いたよ。あなたは、退魔師として独り立ちして、怪物たちに立ち向かおうとしたのね』

『だけど、母さんが何度も言ったように、無茶はしないでほしい。僕たちは、リムが生きていてくれれば、それだけで幸せだから』

『私たちの小さなリムへ。もう、小さなと言える歳ではないけれど。』

『あなたが大人になっても、ずっと変わらない、君は僕たちの、誇りだよ』



 最後の行を読んでも、リムはしばらく涙を流していた。

 ホテルのみんなはそんなリムを、静かに見守っていた。


 涙を拭いたリムは便箋を丁寧に畳んで封筒にしまうと、深々と頭を下げた。

 まさかリムがそのような行動をするとは思いもよらなかったホテルの面々は、ざわめき始めた。


 顔をあげたリムは、クレセンチを正面から見据えた。


「クレセンチ、わざわざ手紙をありがとう」

「えっ!」


 その日一番の衝撃が、ホールに走った。


「リムちゃん、今名前で呼んだよね?」

「俺の名前、言ったよな?」

「しかも、ちょっと、笑ってるぞ」

「熱でもあるんじゃあ……」

「失礼だな、イノン。私は至って、健康だぞ」


 ジェンティレス、クレセンチ、ウルルが驚きを口にすると、むっとしたリムは、イノンに向かってそう言い返した。

 名前を呼ばれたイノンは、ポカンと口を開けている。


 すると、今度はユーシーが大声で笑いだした。あまりに唐突だったため、皆彼の方を見た。ユーシーは椅子に座って、天井を仰いで笑いすぎて出てきた涙をぬぐった。


「あー、やっぱりすごいよな、親の力って。あんなに頑なだったリムの心を、一瞬で変えちまった」

「ユーシー、何を言ってるんだ? 私は思ったことを口にしているだけだぞ?」

「それが出来るようになったからすごいんだって。なあ、リム、手紙を読んだ後、どう思った?」

「……父と母が、今もありのままの私を愛してくれているのなら、私はこれからもありのままでいたいと……」

「それだよ。その気持ちが、リムの本心を固く閉じ込めていた氷を溶かしたんだ」


 ユーシーはリムの胸を指差して、真剣な表情でそう言った。しかし、周りからはぷっという笑いが漏れた。


「こ、氷、だってさ」

「すごいわァ。お芝居をたくさん見たら、そういうセリフも平気で言えるのねェ」

「そこお! 笑うな!」


 くすくすと笑い合っているウルルとメデューサを、ユーシーは真っ赤な顔で指差した。

 それでも、まだにやにやと笑っているものがいる。ユーシーは体裁が戻らずに、頭を掻きながらそっぽを向いて、何気ない口調で言いだした。


「なあリム、いいこと教えようか?」

「なんだ?」

「お前、俺に噛まれたけど、吸血鬼にはならないぞ」

「……えっ?」


 リムは訳が分からず訊き返した。

 イノンが慌てて、ユーシーの元へ駆け寄った。


「ユーシー! やめろ!」

「確かに噛まれれば吸血鬼になるよ? でもそれは、ゲネラルローベの血を引き継ぐ、ほんの一部だけだ。リムの親戚に、ゲネラルローベという苗字はいないだろ? なら大丈夫だ」

「おい!」

「しかし、吸血鬼にするのは保留にしていると……」

「それはただの脅し。そんなこと器用なこと、できる訳ないだろ」

「全部言うなあ~!」


 イノンはユーシーの襟首を掴んで大きく揺らしだしたか、途中ではっとしてその手を止めた。

 ユーシーは意地悪く笑いながら、イノンを見上げた。


「今ので、全部本当だって裏付けたな」

「うぐう……」

「あ、あと聖剣は、クレセの部屋にあるから」

「それも言うのか!」


 思わぬ飛び火を受けて、クレセンチは叫んだ。鋭くリムに睨まれて、彼は後退りしながら、両手を振った。


「あ、ちゃんと返すから、返すから、な? 暴力はいけない、いけないよ?」

「レイジアは、本当に子どもには弱いな」


 レンが一人冷静に、分析している。


「全く、無茶苦茶だ……。伝説の中で見せていた威厳など、どこにもない」


 リムは大きなため息をついた。そんなリムに、メデューサが不安そうに尋ねた。


「リム、本当にワタシたちの退治を諦めたのォ?」

「メデューサ、何度も言わせるな。もう、お前たちを退治しようなどと、これっぽちも思っていない。ここでの潜入調査の結果、お前たちが人に害をなす怪物ではないということが分かったからな」

「リム、調査、して、いない。ただ、遊んで、いた、だけ」

「おいしいもの食べた」「やわらかいベットで寝た」「みんなの芸を見た」


 ライオットと、ギギとググとゲゲにそう指摘されると、リムはぎろりと彼らを睨んだ。

 すると、祝杯だと言ってラム酒を開けていたウルルが、楽しそうに提案した。


「それなら、リムもこっちで暮らせばいい!」

「そうしようよ、リムちゃん!」


 ジェンティレスもすかさずそう言って、ルージクトも頷いている。

 しかしリムは、申し訳なさそうに首を横に振った。


「ウルル、ジェン、ルージクトには悪いが、私は明日の朝、ここを出ていく。そして、外で退魔師の仕事を続ける」


 え~、と真っ先にがっかりしたのはジェンティレスだった。

 すると、リムはおもむろに椅子の上に立ち上がり、腕を組んで皆を見回した。


「しかし! 私は外に出ても、無闇に怪物を退治する退魔師にはならない! 人間と怪物の中間に立ち、二つの共生を一番に考え、弱きを助け強きを挫く、そのような退魔師になることをここに宣言する!」


 わああああああと、ホールの怪物たちは歓声を響かした。


「噛まれたせいなのか、サクラメントもゲネラルプローベの影響を受けているな……」


 皆が盛り上がっている中で、レンの呟きは誰にも聞こえていなかった。


「あ、そうだ、リム」

「ん? どうした、クレセ?」

「きゅ、急に愛称だな。……えーと、特にお前の両親は言っていなかったけど、返事書いたら、渡しに行くぞ」

「ああ、書くぞ。この宴会が終わったらな。伝えたいことが、山ほどある」


 リムは両親への手紙には、最初にこのホテルのことを書こうと決めた。自分のことを思いやってくれた、たくさんの初めてできた友達を、二人に自慢したかった。







 翌朝、ホテルと町とをつなぐ道には、この日の天気のように晴れ晴れとした顔で、腰に聖剣をさして歩く、リムの姿があった。

















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