夏の彼方

言の葉

夏の彼方

 祖母の元へ仲間と泊まりに来ている。

「あんた達、スイカ切ったから、食べろお」祖母が台所から呼ぶ。

「縁側で食おうぜ」桑田孝夫が提案した。

「あたし、持ってくる」そう言うと、中谷美枝子が台所に向かう。

「都会を離れ、こうしてのんびりとするのもいいものですね、むぅにぃ君」すり切れたうちわで、パタパタと仰ぐ志茂田ともる。「わたしのところなど、親戚がみな都内ですので、こういった日本の原風景というものに、ずっと憧れていたのですよ」

 中谷が、スイカの載ったお盆を持ってやって来た。「こんなに切ってもらったよ。頑張って、みんなで食べなきゃね」

 縁側に並んで腰を下ろし、それぞれがスイカに手を伸ばす。


「やっぱ、畑から拾ってきたばかりのスイカは違うね」シャクシャクとほおばりながら、わたしは知ったようなことを言う。

「だな。スーパーのは実が詰まってて甘いんだが、あんまり完成しすぎていて、どこか工業製品みてえだもんな」と桑田。

「ほう、桑田君にしてはなかなかの観察眼」志茂田は塩の入ったビンを、スイカにまんべんなくふりかけた。「確かに、筋っぽくてスカスカしてますね、このスイカ。ですが、断言しますよ。今までに食べた、どのスイカよりもおいしい、と」

「見てっ」中谷がはしゃいだ声を出す。ほっぺたを膨らませて、プププッ、と種を飛ばした。飛距離は2メートルといったところか。庭先で誇らしげに咲くヒマワリに、あとちょっとで届きそうだった。


「種飛ばしなら負けられねえっ」桑田が対抗心を燃やす。口を尖らせ、勢いよく吐き出したのはいいが、食べかけのスイカまでも撒き散らす。

「きったなーい」中谷は顔をしかめた。

「桑田君、はい、失格。種とは、こう飛ばすのですよ」

 志茂田は口をもごもごとさせ、吹き矢でも吹くように、プッと飛ばす。

 少なく見積もっても、3メートルは行った。

「来年は、あの辺り一面にスイカ畑ができるかもしれないね」わたしは言う。


 スイカを食べ終わって一息ついていると、桑田が口を開いた。

「なあ、あそこに見える林に行ってみねえ? カブトとかクワガタなんかがいそうな気がする」

「けっこうあるよ、あそこまで」わたしは面倒臭そうに言う。焙られるようなこの青空のもと、つらい行程になりそうだ。

「虫なんか見たってしょうがないでしょ」中谷も、わたしと同じ思いらしい。

 そこへ、志茂田が意見を挟む。

「自然のままの姿を見るのもいいかもしれません。カブトムシがメイド・イン・デパートじゃないということを、後々の世代に伝えるためにも、今のわたし達がしっかり目に焼きつけておくべきではないでしょうか」

 もっともらしい論説をぶちながらも、その瞳に少年のきらめきを宿していることを、彼以外の全員が気がついていた。

「行くよ、行きますよ。日焼け止めと帽子を持ってくるね」わたしはあきらめて立ち上がった。


 林に着いた頃には、すっかり汗だくだった。麦藁帽子の中から、むっとした熱気が降りてくる。

「木陰に入れば、だいぶ涼しくなりますよ、みなさん」いつの間にか先頭を率いる志茂田。言い出しっぺの桑田よりも張り切っている。

 林の中はひんやりとして気持ちが良かった。草の香りに混ざって、樹木から滲み出す汁の、甘酸っぱい匂いが立ち込める。

「思った通りだ。ここら辺のは、みんなクヌギとナラだぜ。きっと、カブトがわんさかいるぞ」桑田は木の1本、1本を舐めるように目で追った。

 中谷が近くの木を前に声を出す。

「あ、いた。ほら、大きなカブトムシ。へー、こうして見てみると、案外かわいいじゃない」

「どれどれ……」と桑田がつまもうとする。

「そっとしておいてやりなさい、桑田君。われわれ、今日は自然観察に来たのですから」

 志茂田にたしなめられて、しぶしぶと手を引っ込める桑田。


 小一時間ばかり歩き回って得た収穫は、ツノまで真っ赤に染まったノコギリクワガタ、朽ち木の中でじっと身を潜めるタマムシ、そして、思いがけず遭遇した真っ黒な艶のゴキブリだった。

「キャーッ!」中谷はまっ先に叫び声を発し、わたし、桑田、志茂田の隊列となって、林から逃げ走る。

「いやあ、都会で見慣れているとは言っても、いきなりはドキッとしますねえ」志茂田が言った。

 緊張が解けてくると、何だか無性におかしくてたまらなくなってきた。

「あの時の中谷の顔」わたしは思い出し笑いをする。

「そういうあんただって、まるで鳩が豆鉄砲を喰らったみたいだったよ」

「桑田君のリアクションも相当でしたね。そのまま腰を抜かしてしまうのでは、と本気で心配しました」志茂田も笑い出す。

「ゴキブリめ、あいつはほんとにどこでも顔を出しやがる」そう繰り言を洩らした後、堪らなくなったのか、くっくっと笑い、やがて腹の底から大笑いを始めた。


 さっきまで明るかった空は、今や灰色の雲にすっかり覆われていた。

「これはひと雨来ますね」志茂田は空を見上げながら言う。「みなさん、急いで帰りましょう」

 湿った空気が重くのしかかる中、わたし達は帰路につく。

 半分まで来たところで、突然、空が暗くなって、あっという間に雨が落ちてきた。

 どのみちびしょ濡れになってしまうとわかっていながらも、みんなして駆け出す。

 雨に打たれて走りながら、わたしは思った。

 あれも夏、これも夏。長いようで短い、それが夏、と。

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夏の彼方 言の葉 @Kotono-ha

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