ホラー

山道にて

 秋に、女一人で山を登った時の話です。


 長い坂道を歩いた末に、狭いながらも平坦な場所へ出ました。


 腕時計を見ると、午後四時を過ぎており、日が傾きはじめていましたので、私はそこで、一夜を過ごすことに決めました。


 まず、片付けなければならなかったのが、テントの設営です。

 慣れた手つきで寝床の確保をすませると、私は枝を集めました。

 着火剤に使える松ぼっくりと一緒に。

 それから、集めた枝を組んで火を起こし、レトルト食品を温めました。

 焚き火というものは実によいもので、食品や体だけでなく、心も温めてくれます。

 食事を終えたころには、辺りを薄闇が覆っていました。


 食事で出たゴミをしまう代わりに、私はリュックからウイスキーを取り出しました。

 焚き火越しに山道をながめながら、ちびちびと飲むウイスキーは格別でした。

 なぜ山道などを見ながら?

 そう思われたかもしれませんが、他の三方が雑木林でしたので、消去法で選んだだけです。

 耳に入ってくるのは、虫の弱い鳴き声と焚き火の爆ぜる音だけでした。

 私がほどよく酔いはじめたころには、まわりはすっかり闇に包まれていました。



 ザッザ……。

 ザッザ……。

 あれこれ考えながら、焚き火に目を落としていると、山道の方から、足音が聞こえてきました。

 登山者だろうか?

 そのように考えて、私が焚き火越しに注視していますと、視界の左手から、細身の男が山道を下って来ました。

 服装は、半そでのホワイトシャツにスラックス。

 登山にはふさわしくない服装です。

 リュックも背負っておらず、荷物といえば、右手に握っている大きななただけでした。


 ザッザ……。

 ザッザ……。

 焚き火の明かりを鉈に反射させながら、男は引きずるように足を動かして、山道を、左から右へ下りて行きました。

 こちらを見ることもなく。

 私は、近くにあったソフトボール大の石を、坐ったまま手元に引き寄せました。

 音を立てないように。


 二人の距離は十分にあり、また、私は柔道と空手の有段者でしたので、男に襲われるという意味では、さほど恐怖心はわきませんでした。

 もちろん、鉈は怖かったですが。

 ただ、直感的に、男が生きている人間とは思えず、こういう場合にどうすればよいのか分かりませんでしたので、心臓は高鳴りつづけました。

 それを打ち消すために、私が頼りにしたのはウイスキーです。

 あやかしを見つめながら、私は何度も、瓶に口をつけました。

 男が消えるまで。


 それまで山には何度も登っていましたが、このような経験は初めてでした。

 周りから、山にまつわる怖い体験談をよく聞かされていたので、私もようやく仲間に入れたと、バカなことを考えました。

 しかし、その矢先です。

 また、山道の方から音がしました。

 私はもう一口、ウイスキーを口に含みました。


 ザッザ……。

 ザッザ……。

 先ほどの男が、焚き火を受けてきらめく鉈を片手に、また、ゆっくりと山道を下って行きました。

 そして、しばらくすると、再度、男は山道の上の方から現れては、前と同じように、私の前から消えて行きました。


 何度も、何度も。

 繰り返し、繰り返し。


 私はウイスキーを片手に、その光景を眺めつづけました。

 しかし、ウイスキーが空になったところで飽きてしまい、テントの中へ入りました。



 次の日の朝。

 テントの中で目を覚ますと、お酒のせいで少し頭痛はしましたが、とくに体の異変はありませんでした。

 あれは結局、何だったのだろう?

 そう思いながら外に出て、山道を見てみましたが、男の痕跡は残っていませんでした。



 この話を警察署の同僚に話したところ、その男よりも、おまえの肝の太さの方が怖いよと、笑われました。

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