ザムたちがファーラと出会ってから五日が過ぎた。

 左右は高い岩山に阻まれ、道は石と岩だらけ。まだ終わりは見えない。

「むーん」

 ファーラはつまらなさそうな顔だ。なにしろ五日間も景色が全く変わらないのだ。数日前までの楽しそうに喋っていた姿は欠片も無い。

「うー」

 ファーラは馬車の屋根の上に座っていた。なぜそんな場所にいるのかといえば、馬車の中にいることに飽きてしまったからだ。

 馬車は箱型なので屋根は平らのため座ることは簡単だった。それでも落下する危険はあるのだが、屋根の端から足を垂らして、それをブラブラと動かしていた。

「ひーまーだーよー」

 ザムは暇なら寝てしまえと思ったが、それを口にすることは無かった。彼もこの変化しない景色に飽き飽きしていたからだ。思わず大声で不満を叫びたくなる。

(駄目だな。俺もかなり精神的に辛くなってきている……)

 道は何度も折れ曲がり、高い岩山が壁となり周囲の様子も見えない。そのため自分がどのあたりの位置にいるかすでに見失っている。道の終わりも見えず、あとどれ程この道を行けばいいのかもわからない。

 ザムの頭がふらりと揺れた。

(と、マズイ。限界が近いか)

 ザムは連日している夜の見張りで睡眠不足だった。仮眠はしているが、熟睡できているわけではない。いつ魔獣が襲ってくるかわからないので神経を使う。幸い頻度は一日一回で、数も一匹ずつだったので対処は楽だった。

 しかしザムの体力は限界に近づいていた。今夜複数の魔獣の襲いかかられたら、死ななくとも大怪我をする可能性がある。そのことをザムは自覚していた。

 小さい窓から馬車の中をうかがう。見えないがカルルの気配は感じられた。

(カルルもマズイかもしれない)

 節約のため食料と水の量をかなり制限している。そのためここ数日は慢性的な飢えと乾きを感じていた。ザムは慣れているのが、王族であるカルルは慣れていない。さらにこんな長く過酷な旅も初体験だ。目に見えてやつれてきていた。

(さらに、食料と水は残り少ない)

 ファーラに宣言したように、あと十日分の分量はある。ただし、一日に使う分量を減らした場合だ。すでに体力を多く失ったカルルでは、それをすると体調を崩してしまう可能性があるとザムは考えていた。薬はあるにはあるが、特に効果がある物は無い。もしも病気になってしまえば命の危険性がある。

(あと一日だ。明日で進展が無ければファーラに飛んでもらうよう交渉しよう)

 ザムは振り返り、屋根の上のファーラを見る。見るからに退屈そうだったが、暴れていないのはザムにとって意外であり幸運だった。

(このまま我がままを言わないでいてくれよ)

 もう何度目かわからない曲がり角を曲がる。そこで見えたものに思わずザムは声を出した。

「あれは」

 これまで道の先には荒れた岩肌しか見えなかった。近づけば何かあると期待しては空振りに終わる。しかし、今回はこれまでとは違う景色がそこにあった。

 遠く道の先、縦に走る光。それは岩山を裂く道の印。その裂け目の向こうには、荒れた道とは違う色。目に鮮やかな緑。

「……草だ」

 つぶやいた瞬間、ザムは手綱を強く動かしていた。伝わる意思を正しく感じ取り、馬は力強く走り出す。

「うわっ!」

「な、何ですかっ!」

 急に速度を上げた馬車に驚くファーラとカルルの声。ファーラは落ちないように屋根の端を掴んで御者台へ顔を出し、カルルも慌てて窓へ顔を近づけてザムを見る。

 ザムは興奮気味に叫ぶ。

「見ろ、草だ。草原だ!」

 馬車は小石を車輪で弾き飛ばしながら走る。道は荒れているので体は上下に跳ね回る。しかしザムはスピードを緩めない。

 ついに荒れ果てた道を飛び出す。そこに広がるのは一面の草原。美しい緑色が太陽の光を浴びて風に揺れていた。

 徐々に馬車の速度は緩やかになり、停止する。

「凄すぎる……」

 ザムは絶句して呆けたように周囲を見回す。視界の果てまで草原は広がっていた。遠くにいくつかの丘が見え、さらに向こうには木々の姿もある。

 馬車の扉が開き、カルルがゆっくりと頭を出す。そしてこの光景に同じく言葉を無くした。夢遊病者のような足取りで草原へ下りる。

「……ここが、神の園、なのでしょうか……」

 ベレロ国には古くから伝わる神話。神は人々に試練を与え、そのためこの国は周囲を山で覆われた。この場所で試練を終えれば山の向こうにある神の園へ行ける。そこは飢えも争いもない場所。神の庇護の元、幸せを得られる。

 これはベレロ国の住人全てが信じていた。もちろんカルルも。

「神よ……」

 カルルは草原へ跪き祈りを捧げる。ザムは祈ることも忘れてただ放心していた。そんな二人を気にするでもなく、馬は美味しそうに草を食べている。

「どうしたのー?」

 どうれほど意識を飛ばしていたのだろう。ファーラのその声でザムは意識を取り戻す。

「あ、ああ……ここは、何なんだ……」

「なにって、ただの草原でしょ?」

 ザムたちにとって、これがただの草原とは思えなかった。なぜならベレロ国には草原と言える場所は少なく、あってもこれほどの大きさのものは存在しないからだ。その原因は草が生えるほど肥沃な土地が少なく、そういった場所は畑に開墾されてしまうからだ。草原は美しいかもしれないが、それで腹は膨れない。

「ファーラはここがどこかわかるか」

「うーんと」

 腕を組んで首を傾けるファーラ。そのまま固まる。わからないようだ。それも当然、彼女は長年この土地に住みながら地理を全く覚えていなかった。

「そうか。近くの村か、せめて川の位置でもわかればと思ったんだが」

「それならわかるよー」

 ザムが目を驚きに開く。

「何だって」

「においがするもん。あっちから人のにおいがするー」

「川のにおいはするのか?」

「えっと、同じ方向からするよー」

「距離は?」

「ほとんどいっしょだよー」

 ザムは一度頷くと、まだ祈っているカルルへ声をかける。

「カルル、行くぞ」

「えっ! ど、どこに?」

「ファーラの鼻によると、近くに川か村があるらしい。そこまで行けば水浴びができるぞ」

「行こう、すぐ行こう」

 もう何日も水浴びどころか体を拭くことすらできていなかった。髪から艶が消え、肌も服も垢じみてしまっている。少し体臭も臭い。それは常に清潔な生活をしていたカルルにとって、何よりも耐え難いことであった。

 太陽が中天に達したころに川へ到着した。それは二つの丘の間に隠れるようにして流れていた。川幅はそれなりにあり、水深は膝ほどで流れは緩やかだ。

「ふう……」

 カルルは川で水浴びをしていた。下着は着けたままだ。ここは丘に隠れているとはいえ、草原の一部だ。川の上流や下流から人が来る可能性があるし、丘も簡単に登ってこれる。なので人に見られる可能性があった。

 裸で水浴びができないのは残念だったが、カルルにとって久しぶりの心の洗濯だ。心置きなくサッパリしたい。

 桶に貯めた水を頭からかぶる。冷たい水が心地よい。

「……」

 カルルは髪の毛を指でつまみ、憂いを帯びた表情が浮かぶ。短い髪から水の雫が落ちた。

 川の中に不自然な影が揺れる。そのことにカルルは気付かない。

 ザムはカルルが水浴びをしている間に昼食の準備をしていた。火にかけた鍋の中に塩漬け肉を入れて煮る。

 場所は川を隠す丘のふもと。本当は丘の上がよかったのだが、カルルに反対された。

 高さのある丘の上なら見晴らしが良いから危険を察知しやすいし、カルルが川で水浴びするときも監視できる。そうザムが言うと、カルルは真っ赤になって怒りだした。困惑したが、その剣幕に負けてザムは丘のふもとで準備することにした。

「鍋は久しぶりだねー」

「ああ」

 大喜びのファーラに短い返事を返す。しかしそのザムの口元も笑っていた。

 この五日間、節約のため水を使う煮込み料理は禁止していた。また塩漬け肉も毎回一切れ程度で、肉の厚切りなど問題外。しかしこの鍋には肉の塊が入れられていた。

「もう節約しなくていいからな」

 ファーラの嗅覚によると、ここから人がいる場所まではかなり近いらしい。そこは何十人も人間の臭いがしてるという。ならばそれなりの大きさの村か何かだ。食料は手に入る。

 そこでザムは大盤振る舞いすることにした。塩漬け肉も保存が永遠にできるわけでもない。多少は残しているが、大半の肉を鍋に投入した。

「もう食べていいー?」

「待て。もうちょっと煮てから……」

 その時、丘の向こうからカルルの悲鳴が聞こえた。

「カルル!」

 ザムは剣を掴むと、弾かれたように走りだす。足は地面を抉り、一瞬のうちに丘を登りきる。そこで見えたのは川の中で座り込むカルル。そして、それに今にも襲い掛かろうとしている魔獣。

 魔獣は平たい魚だった。押しつぶされたような体は小さい鱗が並び、水に濡れたそれが太陽で輝いている。大きさは両手ほど。それだけなら普通の魚だが、見ただけで魔獣とわかる特徴があった。

「うわわわわ」

 川底に尻をつけたカルルの顔は水面より上を向いている。魚は水の中に住む生物だ。それなのになぜ川ではなく空中を見るのか。それは魚の姿がそこにあるから。

 平たい魚の体の下には、何本もの細長い触手が生えていた。それを足の代わりにして川底に立ち、高い位置から魔獣はカルルを見下ろしていた。噛み鳴らす歯は小さいながら鋭い。人間の肉なら簡単に噛み千切れそうだ。

「くっ!」

 ザムの眉間に深い溝が刻まれる。

 魚の魔獣は小さく、簡単に倒せそうだ。しかし数が問題だった。おそらく二十匹はいるだろう。しかもカルルを囲んでいる。

 ザムはとにかく早くカルルの元へ行こうと丘を駆け下りる。しかしまだ距離があり間に合わない。最悪の想像をしてしまい、奥歯を強く噛みしめる。

 何かが空を切る音がした。高速で飛来したそれは、一体の魔獣へ突き刺さった。

 魔獣たちに動揺が走る。動きが止まったその間に、ザムは川へと足を踏み入れていた。

「シッ」

 水の抵抗をものともせず、魔獣へ肉薄すると剣で両断する。その魔獣が黒い霧となるより早く、二匹目の魔獣を斬っていた。動きは止まらず三匹目。次々と魔獣を屠る。

 その間も空を裂く何かが魔獣へ突き立つ。ザムは気にせず動く。そのれには自分に対して殺意を感じなかったからだ。魔獣はあっという間に全滅する。

「大丈夫かー?」

 ザムが来たのとは逆方向の丘の上に男が立っていた。

 ザムは問題ないことを示すため、手をあげて軽く振る。

「カルル、怪我はないか?」

 川へ座り込んだカルルへザムは手をのばす。しかしそれを掴もうとはせず、カルルはただ呆然と彼の顔を見上げていた。

「どうした?」

「ギャアアアア!」

 大きく振りかぶられたカルルの手が、勢いよくザムの顔に叩きつけられた。盛大な音が響く。

「ううう……」

 カルルは服に顔を埋めるようにして、ザムたちに背を向けて座り込んでいる。

「なんで俺が叩かれなきゃいけないんだ……」

 不満をこぼしながらザムは叩かれた頬を押さえている。かなり強く叩かれたらしく、顔が痛みで歪んでいた。

「こっちを見るな!」

「もう服着てるだろ。男同士なのに何で裸を恥ずかしがるんだ」

 ザムの顔を叩いた後、カルルは大慌てで川のそばに置いていた服を着た。そして真っ赤な顔で一度ザムを睨んだが、すぐに背中を向けた。

「それに裸は見てないって言っただろ」

 カルルは下着を着ていたため、全裸をザムに見られることはなかった。しかし全裸でなくとも下着姿を見られるのは、カルルにとって非常に恥ずかしいことだった。

「うるさい! バカ!」

 カルルは肩をすくめる。

「どうも、どうも。危なかったですねえ」

 丘から男が近づいてきた。その姿を見てザムは驚愕する。これまで見たことが無い外見をしていたからだ。

 黒色の短くクセが強い髪の毛に、浅黒い肌。ザムたちの国の住人は、全て金色の髪の毛に白い肌だった。それ以外の色を持つ人間など存在しない。

「……ここは、本当に神の園だっていうのか? いや、それだと魔獣がいるのはおかしい……」

「どうしたんで?」

 男はザムの態度に不思議そうな顔になる。

 ザムとの距離が近くなると、男の驚きの顔になる。

「あれ? 子供じゃん」

「子供?」

 ザムはそれが自分を指した言葉だと、一瞬気付くことができなった。これまで年上に見られることはあっても、子供に見間違えられることは無かったのだ。

 若干腹を立てながら言い返す。

「俺は子供じゃない。とっくに成人してる」

「うそだろ。それにしちゃあ小さすぎないか?」

「俺は普通だ。お前が大きすぎるんだ」

 ザムはベレロ国では平均の身長だ。しかし男の身長と比べると、かなり低い。なにしろ男の腹までしかないのだから。

「いやいや。そっちが小さすぎるんだって。子供の身長じゃん」

(たしかに、そっちと比べたら大人と子供ほどの違いだな)

 ザムは男に気付かれないように剣を握りなおし、いつでも動けるように準備する。男は魔獣を攻撃したが、ザムたちに敵意が無いとも限らない。

 目だけで男を観察する。腕も足もザムとは比べ物にならないほど太い。筋肉質な体は熊のようだ。服はくたびれていながらも仕立てが良い。さらに革製の胸当てを装着している。

 視線を動かすと、ザムの目が剣呑に光った。男の腰には細長い物が吊るしてあり、形状から剣だとザムは判断した。

(しかし、見たことが無い剣だ。刃の根元部分から突起が出ている。しかも刃の部分を何かで覆っている。保護のためかもしれないが、それでは戦闘で咄嗟に構えられないはずなのに)

 次にザムの視線は、男が手に持つ奇妙な形をした物体へ向けられる。湾曲した棒のようで、端と端を細い紐のようなものが繋いでいる。紐に緩みは無く、真っ直ぐに張られていた。

(魔獣との戦闘の時、たしかあれを構えていた)

 ザムは川へ視線を向ける。そこには男が魔獣へ放ったであろう物がいくつか落ちていた。

 細長い木の棒の先端に、小さいが鋭く尖った物が装着されていた。その反対側には、なぜか鳥の羽が三枚ある。

(たぶんあれが飛んできて魔獣に刺さった物だ。短い投げ槍みたいなものか? しかし、それにしては小さすぎるし、鳥の羽がついている意味がわからない。それに、手で投げてあれほどの速さがでるものなのか……)

 再び男を見る。背中に筒状のものを背負っていて、そこから鳥の羽をつけた棒がいくつも飛び出しているのが見えた。

(手に持ったあれで小さい投げ槍をどうにかするのだろうか? まったく見当もつかない……)

「おい、どうした?」

 黙ってしまったザムを不思議に思い、男は話しかける。

「いや、なんでもない」

 ザムが首を振る。

「ふうん。しかしさっきのアンタはすごかったなあ。あっという間に魔獣を真っ二つにするなんて。ん? ちょっとその剣を見せてくれないか」

 男が剣へ手をのばすと、ザムは素早く距離を取る。剣を構えると、険しい顔で男を睨んだ。

 それに男は慌てて体の前で掌を振る。

「ちょ、待ってくれ。別に盗もうとしたんじゃねえって。ただ気になったんだ」

「気になるって、何がだ? どう見ても普通の剣だろ」

 ザムは柄を握る両手に力を込め、わずかに腰を落とす。今にも飛び掛りそうなザムを見て、男はさらに慌てる。

「いやっ、だから、見たことも無い剣だから」

「嘘をつくな」

「待て。わかった。俺の剣を見せる。そうすればわかるから」

 男は腰に差した剣へ手をのばす。ザムの顔がさらに険しくなり、全身から威圧感が放出される。それに冷や汗を浮かべながら、男はゆっくりと剣を抜いた。

「……なんだそれは」

 こちらを攻撃する動きを見せたら斬りつけようと思っていたザムは、その剣の姿を見て言葉を失った。

 鞘から抜け出た刃は、銀色に光っていた。そんな色に光る剣をザムは見たことが無かった。それは美しく磨かれ、薄くてもその刃が簡単に折れない物であることが誰でも窺える。

「どうだ。こいつはなかなかの業物なんだぜ」

 男は笑顔で剣を掲げる。その顔から、この剣をかなり自慢に思っている事がわかった。

「……どうすればそんな剣を作れるんだ? どの石を使えばいい?」

 思わず勢い込んでザムは言う。戦士であるザムにとって、武器は自分の商売道具であり相棒だ。優秀な剣に目を奪われるのも仕方がない。

「やっぱりそれ、石なのか……」

 目を輝かせるザムとは逆に、男はなんとも言えない表情となる。それは呆れと同情が混じった奇妙な顔だった。

「っていうか、よく石の剣なんかで魔獣と戦ったなあ……」

 可哀想なものを見る目でザムが持つ剣を見る。

 ザムの剣は黒い石でできていた。少し艶があり光を反射しているが、銀色に光る剣と比べればあまりにも貧相だ。先端は尖っているが、刃は何とか刃物に近い程度の鋭さで、なまくら以下の切れ味しか無いだろう。さらに剣の表面は磨かれておらず、岩そのままの状態だ。言ってしまえば石の剣ではなく、石の棍棒と呼べる代物だった。

「その剣も石だろう?」

「違えよ。これは鉄製だ」

「鉄って何だ?」

「鉄は……山で掘った石を溶かして……あれ? そうなると、これも石製の剣になるのか?」

 男が首をひねると、丘の上から声が聞こえた。

「どーしたのー?」

 ザムが振り返ると、ファーラが丘の上に立って見下ろしていた。

 男もその方向へ目を向け、驚いた顔になる。

「ええっ? ファーラさん!」

 パクパクと口を開け閉めして絶句する男。ファーラは男へ近づくと、目を細めてその顔をじっと見ると、誰なのか思い出したようで、驚いた顔になる。

「あれー。ニドレフじゃん。何してんのー?」

「何してんの、じゃないですよ! 俺がどんなに探したかっ!」

 大声で叫ぶニドレフという男。その顔は今にも泣き出しそうな表情をしていた。

「ファーラさんが逃げてから、何日たったと思ってるんすか。そのせいでオルラドさんがどれだけ怒ったか……」

 ニドレフはそのこと思い出し、全身を襲う寒気に体を震わせた。

 オルラドの名前を聞いて、ファーラもわずかに顔が青くなる。

(そうだったー。絶対怒ってるよなー。でもなー、どっちにしたって怒られるし……)

 ファーラがドラゴンに変化して空を飛んで行かなかったのは、オルラドと会う時をただ引き伸ばしたかっただけだった。打算や計算といったものは存在せず、彼女は面倒くさかったのだ。

「やっぱり、怒ってた?」

「そりゃあもう」

 ファーラとニドレフは顔を見合わせると、深いため息をはいた。

「お前たち、知り合いなのか?」

 まだ剣を構えながらザムはニドレフを見る。

「うん、そうだよ。ニドレフっていって、ボクの……下僕?」

「下僕ってヒドイっす!」

「じゃあ、ザコ?」

「それもヒドイ! できれば手下ぐらいにしてくださいよ」

「じゃ、それで」

 笑顔で言うファーラに、ニドレフは大きく肩を落とす。

「ファーラの手下ってことは、お前もドラゴンなのか……?」

 ザムは険しい顔でニドレフを睨む。

(二人目のドラゴンだとしたら最悪だな。それにファーラと違って人間を攻撃してくるかもしれない)

 ニドレフは人間に似ているが、それはドラゴンが変化したものかもしれない。髪と肌の色は自分たち人間とは全く違っている。顔の造形も体つきもだ。ファーラも髪の毛は赤い色をしている。ドラゴンは人間に変化すると体の一部の色が変化するのかもしれない。ザムはそう考えていた。

 しかしニドレフは意表を突かれた顔になり、そして腹を押さえて笑いはじめた。

「ブ、ハハハハ! 俺がドラゴンだって。馬鹿言っちゃあいけねえよ。俺は人間さ」

 ファーラは唇を尖らせて不満そうな表情になる。

「えー。こんなのドラゴンに見えないよー。ドラゴンだったとしても、トカゲより弱いよ」

「俺のことどう思ってたんですか、ファーラさん……」

「んーとね、秘書のパシリ」

「ひでえっ!」

 ザムは混乱する。二人のやり取りから、お互いに気心の知れた相手だとわかる。しかしニドレフは言葉通りなら人間だ。ドラゴンの足元にも及ばない存在。それなのに、まるで対等の相手であるかのように接している。それは信じられないことだった。

「……それはともかく、どうしてファーラさんは何日も帰ってこなかったんですか? しかもこんな場所にいるし」

「それはね、ザムとカルルを見つけたからだよ」

「それは、このお二人ですかね?」

「うん」

 ニドレフは今も剣を構えたザムと、背中を向けて座り込んだままのカルルを見る。

(どういうこった?)

 ニドレフは首をひねる。

 ザムとカルルの服装は見慣れないものだ。というか、粗末過ぎた。カルルのほうはまだましだが、ザムはあまりにもひどすぎる。

 着ている服は何年も着古されているのがわかるほど汚れ、そして破れている。補修された部分は服全体にあり、縫い目も粗くほつれがひどい。さらに髪の毛は伸び放題で手入れはされた形跡が無く、肌も土と垢で汚れ放題。まるで浮浪者のようだ。

(それはよしとしても、あの剣は何だ……)

 ニドレフはもう一度ザムが持つ剣を観察する。それはどう見ても細長く割れた石の棒にしか見えない。柄には植物の蔓を巻き、先端は尖らせ刃の部分もそれらしく見せているが、ただそれだけである。誰が見ても剣とは呼べない代物だ。

(石器なんて、一体いつの時代っすか)

 およそ数千年前、人間は石を武器や道具として使っていた。それは世界各地の遺跡や残された文献から推察されている。

 そして現在、石器は廃絶された。金属の発見と研究によって。鉄は石よりも硬く、しかも加工しやすい。特に武器にすれば石製の武器などより何倍もの威力を発揮した。さらには盾や鎧などの防具、農具や鍋といった日用品なども鉄で作られるようになっている。

 つまり石でできた剣など持つ者は、世界に存在しない。それがニドレフの常識だった。

(だけど、目の前にいるしなあ……)

 とんでもない事態に巻き込まれてしまったことをニドレフは確信した。

「これは、確かに後回しにしたくなるっすねえ」

「そうでしょー」

 ニドレフは突かれた顔でファーラへ言う。すると彼女は、本当にわかっているかと言ってしまいそうな笑顔で頷いた。

「でも、オルラドさんに報告しないわけにもいきませんしねえ……」

「……だよねー」

 二人はこの世の終わりのような顔で肩を落とす。それほどまでにオルラドは、ニドレフとファーラにとって苦手な人物だった。

 ぐう、という音がした。それはファーラの腹の音。

「そうだ。ごはんがまだだったー!」

 振り向くとすごい勢いで丘の向こうへ消えていくファーラ。それを呆然と見送るザムたち。

 ザムはニドレフへ顔を戻すと、放出していた気迫をおさめる。瞳から鋭さが消え、眠たげな通常状態へ戻った。

「お前は、敵ってわけじゃないんだな」

「あー、わからん事だらけだが、とりあえず俺はファーラさんの仲間だ。何もしねえよ」

「そうか」

 二人は同時に武器を納める。

「俺もメシにする。お前もくるか?」

「そうするよ。向こうに馬を置いてるんだ。そっちに戻ってから行くわ」

「俺たちはこの丘の向こうにいる」

「わかった」

 ニドレフは背中を向けて丘を上っていった。

 ザムは座り込んだままのカルルへ体を向ける。あれだけ喋っていたのに、カルルは体勢を変えず黙ったままだった。

「いいかげん立ち直れ」

「……」

「そんなに裸を見られるのが嫌だったのか? でも下着つけてただろ」

「……」

 カルルは動かない。ザムは小さくため息をこぼす。

「いつまでネソ曲げてるつもりだ。大体、お前みたいな貧相な体見て誰が欲情するかよ」

 カルルの耳がピクリと動く。

「それにお前は男だろ。男が男に裸見られたって問題ないじゃないか」

 さらに言葉を続けようとしてザムは口を閉じる。カルルが立ち上がったからだ。しかしその動きは幽鬼じみた立ち上がり方で、なぜか背筋に冷たいものを感じた。

「……ザム」

「なんだ」

「……覚えてろ」

 カルルは俯き加減で歩き出す。表情は見えないが、わずかに見える口元には奇妙な笑みが浮かんでいた。

 ザムは意味がわからず、後頭部を手で掻きながらカルルの後を追うのだった。

 丘のふもとでは、ファーラがよだれを垂らさんばかりに鍋をのぞきこんでいた。

「ねえ。もう食べていい?」

「待て待て」

 ザムは苦笑しながら器へ鍋の中身をよそう。汁の色は薄い。ダシが塩漬け肉と山羊の肉しかないからだ。しかし肉の量だけは多い。

「いただきまーす」

 ファーラは一番大きい肉を一口で食べる。嬉しそうに口を動かす。

「ほら。カルルのぶんだ」

 ザムはカルルへ器を手渡す。その間、じっとカルルはザムの目を睨んでいた。

「どうした?」

「なんでもないです」

 乱暴に受け取ると、横を向いて食事を始める。ザムは肩をすくめると自分の器へよそう。

 馬の蹄の音が近づいてきた。ニドレフがやってきたのだ。彼は馬には乗らず、手綱を引いて歩いていた。

「来たぜ」

「ああ。悪いがお前の分は無い」

「わかってる。自分の分を食うって」

 ニドレフは馬に縛り付けた荷物から小さい袋を取り出すと、ザムたちが食事している場所へ来る。

「ファーラさんってば、そんなにがっついちゃって。何食べてんすかー、って? ええっ?」

 突然ニドレフは驚愕の叫びをあげる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る