[3] 防衛線の突破

 モスクワの「総司令部」は西部正面軍に対して、今度はベレジナ河上流のレペリからボリソフを経てボブルイスクに至る線で反撃を実施するよう命じた。反撃の主点は、中央軍集団のドニエプル河進出を防ぐことであった。

 7月6日、第20軍(クロチュキン中将)は反撃を開始した。同軍麾下の第5機械化軍団(アクレセーエンコ少将)はボリソフ周辺、第7機械化軍団(ヴィノグラードフ少将)はヴィデブスク西方から反撃に転じた。この反撃に、約2000両の旧式の戦車が投入された。

 ドイツ空軍による連続的な爆撃と湿地帯に行動を制限されてしまい、第20軍の反攻は思うように進展しなかった。第47装甲軍団と第39装甲軍団が迎撃に乗り出すと、5日間にわたる激戦の末、第20軍は約830両の戦車を喪失して東方に撤退した。

 7月8日、東プロイセンの総統大本営で中央軍集団の作戦会議が開かれた。この時の検討では、中央軍集団の正面に展開する敵兵力を11個師団と見積もっていた。しかし、西部正面軍が西ドヴィナ河とドニエプル河に沿って構築した防衛線には、6個軍(北から第22軍・第19軍・第20軍・第13軍・第21軍、後方に第16軍)の下に39個師団が配備されており、その6割に当たる24個師団が前線に展開していた。

 西部正面軍には新たに、第16軍(ルーキン中将)と第19軍(コーネフ中将)が配属されていた。この2個軍は戦略予備から一旦は南西部正面軍に回されたが、スモレンスク周辺の危機に対応するために移動してきた部隊だった。しかし、各軍の所属師団は兵員数も練度も兵器もバラバラで、連携の取れた防衛作戦を実施することは不可能に近かった。

 7月10日、第3装甲集団は第39装甲軍団の第20装甲師団(シュトゥンプ中将)が西ドヴィナ河を渡り、交通の要衝ヴィデブスクを占領した。

 第3装甲集団はこの時点で、西ドヴィナ河の両岸に麾下の装甲部隊が分離されていた。未だ西岸にいる第57装甲軍団はポロツクから北方軍集団と対峙する第22軍(エルシャコフ中将)と第27軍(ベルザーリン少将)の背後を衝くべく、はるか北方のヴェリキエ・ルーキを占領するよう、中央軍集団司令部から命じられていた。

 そのため、第3装甲集団は1個装甲軍団のみでドニエプル河を進撃せざるを得なくなり、第3装甲集団司令官ホト上級大将は第39装甲軍団に対し、スモレンスクの背後まで突進するよう命じた。ドニエプル河の南から進撃してくるはずの第2装甲集団とスモレンスク東方で連結し、ミンスクと同様に包囲網を完成させるという趣旨だった。

 このホトの構想は、「バルバロッサ」作戦の第1目標である「白ロシアとドニエプル河以西でのソ連軍の殲滅」に基づいたものであった。

 7月10日、第2装甲集団の先鋒部隊は敵の部隊が少ないスタールイ・ブイホフ、シュクロフ、コプイシの3か所からドニエプル河を渡り、モスクワ街道上の2番目の都市であるスモレンスクへ突進した。

 グデーリアンは手持ちの3個装甲軍団(第47・第46・第24)をすべてドニエプル河の東岸に進出させた上で、スモレンスクからはるか東方のエリニャとドロゴブジを占領するよう命じた。この2つの街はドニエプル河の重要な渡河点であり、「赤い首都」モスクワの占領には当然の布石であった。

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