[4] 独裁者
1941年6月のドイツ軍ほど、有利な立場を享受した攻撃側はない。前線の状況に関する詳細な情報の欠如が防御側―ソ連軍に一層の困難を経験させることになった。緒戦の数日間、ソ連の各戦線は大混乱に陥っていた。各軍司令部は次々と新しい指令や命令を出したが、どの命令も刻々と変化する情勢に立ち遅れたものばかりだった。
6月23日、クレムリンに最初の戦争指導部として「総司令部(スタフカGK)」が設立された。「総司令部」の議長には国防相ティモシェンコ元帥が就任した。スターリンは突然の開戦を受けても、クレムリンで通常の公務を続けた。やがて赤軍の反撃が始まり、戦線を西へと押し返すであろうと考えていた。
西部正面軍の現状を明らかにすべく、スターリンは国防人民委員部の副委員であるシャポーシニコフとクリークを現地に派遣したが、2人とも正確な戦状を把握できなかった。西部正面軍司令官パヴロフ上級大将は所在が不明で、同正面軍参謀長クリモフスキフ少将は何度も同じ答え―「司令官は前線で奮戦中」を繰り返した。
6月28日、スターリンの下に衝撃的な報告がなされた。西部正面軍が壊滅し、白ロシアの首都ミンスクがドイツ軍によって占領されたという。激高したスターリンは「わしは指導部から手を引く」と言い残して、モスクワ郊外の別荘に引きこもった。
6月29日、スターリンは突然、モロトフをはじめとする共産党幹部を引き連れて国防人民委員部に姿を現した。まっすぐティモシェンコ国防相の執務室に押し入ったスターリンは部屋にいたティモシェンコやジューコフをはじめとする大勢の参謀将校に向かって怒鳴った。
「前線の状況はどうなっておる?」
ティモシェンコが答えた。
「現在、前線からの報告を分析中ですが、確認する点がいくつかありますので、今すぐには報告できる状態にはありません」
スターリンは怒りを爆発させた。
「おまえは単に、本当の事をわしに報告することが怖いだけだろうが!おまえらは白ロシアを失った!そしてまた失敗をしでかして、わしを驚かそうというのか!ウクライナはどうなっている?バルト方面は?いったいおまえらは前線を指揮しているのか、それとも単に自軍の損害を数えて記録しているだけなのか?」
ジューコフが口を挟んだ。
「どうか私たちに仕事を続けさせてください、同志スターリン。私たちの任務は、まず前線の指揮官を助けることであって、それから状況の報告を・・・」
「何が参謀本部だ!何が参謀総長だ!初日から慌てふためきやがって!何も把握できておらんじゃないか!ここは誰が指揮しているんだ!この負け犬どもめが!」
執務室は絶望的な空気で満たされた。理不尽な叱責を浴びせられたジューコフは別室に引きこもってしまった。スターリンは別荘に戻る車中で、こう呟いた。
「我々はレーニンが残した偉大な遺産を、すべて台無しにしてしまった・・・」
この期に及んで、スターリンは「虚脱状態」に陥ってしまったようだった。しかし非情な措置が抗戦を喚起して、戦況を変えるのではないかという望みは捨ててはいなかった。そこで、スターリンはいつもながらの残忍な「強権」を発動した。
7月1日、ミンスク陥落の責任を取る形で西部正面軍司令官を解任されたパヴロフは同正面軍参謀長クリモスキフ少将、第10軍司令官ゴルベフ少将ら6名の将官とともに反逆罪で逮捕された。軍籍と全ての勲章を剥奪された上で開戦から1か月後の7月22日、銃殺刑に処されたのである。
しかしスターリンはこのとき、ある事実を見逃していた。緒戦におけるソ連軍の混乱の原因は、まさしくスターリン自身にあったのである。独裁者が持つ偏執と妄想癖、かつて自身が軽視されたことに対する復讐心が、1930年代にロシアを覆った悪夢の日々の引き金となったのである。
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