どーでもいい知識その⑧ 21世紀の大衆は人を信じる心を失っている

「クラークさん、オキシジェンデストロイヤー作れるかなあ」

 真剣な表情でざれ言を吐くと、ハイネは最後に残ったパスタを口に押し込む。咀嚼そしゃくを終えた彼女は、テーブルの端から紙ナプキンを取り、唇のケチャップを丁寧に拭った。

「姫君、お弁当付いちゃってます」

 子供っぽい拭き残しを見付けた改は、ハイネの顔に手を伸ばしていく。

 彼女の頬からピーマンの切れ端を引き取り、そのまま自分の口に運ぶ。


 イィィヤァァァ!


 前触れもなく鼓膜を突き刺す高音が鳴り響き、窓もろともハイネの背中を震わせる。火災報知器? いや、学食中の女子がゴスペル歌手のように口を開いている。学園のアイドルとしたことが、一人の女子を特別扱いしすぎたらしい。

 三年二組の佐田さださんが、一年二組の野辺のべさんが、嫉妬と羨望のあまりパニックに陥ったファンの皆さんが、失神し、失神し、失神していく。なんか新手のフラッシュモブみたい。


 昼下がりの平和な学食は、またたく間に恋の最前線(?)と化した。

 衛生兵を呼ぶ怒号が、ノルマンディー上陸作戦のように飛び交う。スプーンをくわえたままの保健委員が、担架でドアをぶち抜いていく。顔面を蒼白にした保険医は、スマホ片手にメーデーを連呼していた。近隣の学校に応援を要請しているらしい。

 倒れる誰かがぶつかったのか、派手に揺れたテーブルからお冷やが転げ落ちる。

 野戦病院を彷彿とさせる喧騒に、ガッシャーン! とグラスの割れる音が混ざる。瞬間、保健室からとんぼ返りしてきた保健委員が、ハイネの背後に担架を置いた。


 ナポリタンの残り香を立ち退かせていくモツ鍋の臭い……。


 ガラガラヘビに睨まれたような寒気が全身の毛穴を開かせ、改の頭の中に「着信アリ」のあの着メロが鳴り響く。幾度となく挫傷ざしょうの危機に瀕してきた脳が、現状にピッタリのBGMをチョイスしたらしい。

 こともあろうに背中を取られてしまったハイネは、床にドロップキックを食らわせる。一刻も早く死の射程から逃れんと、ロイター板のような音を轟かせながら立ち上がる。

 遅い。

 不沈艦ふちんかんは地面を蹴る音を目覚まし代わりにし、担架からむくっと起き上がる。浮こうとするハイネの肩を力任せに押し込み、離れたばかりの椅子に強制送還していく。無慈悲にもハイネのデカ尻……ゴホン、安産型の臀部でんぶが座面に激突すると、ギロチンに似た金属音が蛍光灯を震わせた。


「……いちゃいちゃしてんじゃねぇぞ♪」

 百合っぽく耳打ちし、不沈艦ふちんかんはギュッ♪ とハイネの太ももをつねる。ココナッツの皮を容易たやすく引き剥がす怪力にさらされたハイネは、有刺鉄線にファイヤーされた大仁田おおにたのように顔面を歪ませた。

「……気持ち悪ぃ♪」

 風紀を乱す行為への制裁を終えた途端、ミケランジェロさんは脇腹を押さえながらうずくまる。どうも二日酔いの身体に無理をさせすぎたらしい。

 お得意のラリアットをかまさなかったのも、激しい動きで胃液が氾濫はんらんするのを恐れたからだろう。不沈艦ふちんかんが昨夜の晩酌ばんしゃく第三艦橋だいさんかんきょうを大破させられていなかったら、ハイネの頭は最寄り駅まですっ飛んでいた。


「ほら、保健室に戻りましょう」

 太ももの青アザをさすったハイネは、ぐったりしたミケランジェロさんに肩を貸してやる。

「……そしてそのまま永遠に戻って来ないで下さい」

 ボソッと呟くと、ハイネはポケットからハンカチを出し、ミケランジェロさんの口にあてがった。若干、押し付け方が強い。介抱していると言うより、呼吸器を塞いでいるような……。

「ミケランジェロでん三章一六せつ曰く、恋なんて幻想だ♪」

 力なく中指を立てたミケランジェロさんが、のそのそと退場していく。床を研磨するように足を引きずる姿は、激戦を終えたレスラーに他ならない。

「青白い顔で気持ち悪そうに口を押さえる」彼女を見た学食の人々は、水が高い場所から低い場所へ流れるがごとく、改に目を向けた。そう、「片故辺かたこべの種牛」で鳴らす改に。

 改の想像以上に、二一世紀の大衆は人を信じる心を失ってしまっていたのか。

「……いつかはやらかすと思ってた」

「……お祝いは涎掛よだれかけでいいよな?」

 ――と、厨房のおばちゃんまでもがひそひそ話を始める。

 おい、定食用のサンマが焦げてるぞ。


「誤解だよ? 俺、確かめちゃうからね、基礎体温とか」

 いわれのない疑いを掛けられた改は、席を立ち、声高に冤罪を訴える。

 ――が、避妊……ゴホン、否認するだけ推定無罪をガン無視した視線が増えていく。

 つくづくヒーローって孤独だ。何か換気扇の音が、サイボーグ009の主題歌「誰がために」に聞こえてきた。


「梅宮ぁ! てんめぇ、なんてことしやがる! 俺の勤務査定が……じゃねぇ、さっさと職員室に来い!」

 それまでのほほんと「第三の男」を垂れ流していたスピーカーから、担任の雷が落ちる。噂って本当に足が速い。何たって音速だもの。大気中で時速一二二五㌔だもの。

 公平な目を忘れてはならない教師ですら、誤解されがちな優等生を腐ったミカン扱い――改の心が海のように広くなければ、「世情せじょう」が掛かる事態になっているところだ。

 このまま悪意と偏見に満ちた国を捨て、ジャマイカ辺りに旅立ってしまおうか?

 成田or職員室――。

 二秒熟考すると、改は渋々現実に足を向けた。

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