第五章『魅せられて』
①スウィート・チン・ミュージック
「勉強教えてもらってたら遅くなっちゃって。うん、大丈夫。佳世の家だよ? 独りで帰れるって」
まだ何か言おうとするおばあちゃんに「バイバイ」を押し付け、小春はスマホをポケットにしまった。
今でこそ「大丈夫?」を連呼するおばあちゃんだが、小学生の頃はもう少し物分かりがよかった気がする。子供だけで遊園地に行った時も、クラスメイトと肝試ししたいと言った時も、「いいよ」しか言わなかった。
歳を取って心配性になった?
いや、小春が小学生の時点で、おばあちゃんは
口うるさくなったのは、たぶん、孫娘の興味がおばけからメールやファッションに移りつつあるから。本当は男子と一緒だなんて知ったら、同席せねば! と家を飛び出すかも知れない。
考えてみれば、家族に嘘をついて男子と過ごすなんて、生まれて初めての体験だ。
ネオンがやけに原色で、鼓動が一回一回跳ねるのは昂揚のせい?
馬鹿な。
なぜ男なんかと夜歩きしただけで興奮しなければいけないのか。
これは罪悪感だ。
中学の帰り道、友達に誘われてファミレスに寄り道してしまった時も、この現象が起きた。
大体、相手はあの女と見れば、千葉の遊園地のお姫さまにも手を出すエテ公だ。「男子」ではなく「オス」と呼ぶのが正しい。動物となら、佳世の飼っていたセキセイインコ♂と一緒の部屋で寝た経験がある。
小春は心臓のリズムを整えながら、マイク型の電飾が付いた看板を見送り、店内に戻る。
週末の待合室は、のど自慢の予備軍で溢れかえっていた。
現代日本はストレス社会だ。
スーツ姿の会社員に大学生風の集団、男女の交じったグループ――もう一〇時を回っていると言うのに、高校生っぽい女の子も結構いた。この子たちも家族に嘘をついた? ではなぜ悪びれもせずに男と腕を絡ませ、屈託なく笑うことが出来るのだろう?
答えの出ないまま、小春はまだまだ待たされそうな恨めしげな顔たちを横切り、部屋に戻る。
ドアを開くと同時に溢れ出たのは、ほげぇ~♪ と酒で焼けた毒電波。
「帰って来たヨッパライ」だ。
円形のステージには、歯科検診のごとく口を開き、細い首に血管を浮かせたミケランジェロさんのお姿があった。心なしミラーボールが千鳥足だ。
一方、梅宮改はビロード風のソファに腰掛け、受付で借りたマラカスを振っていた。小春を見た途端、奴は狂おしいシャカシャカを中断し、いけすかない薄ら笑いを浮かべる。
「中学生みたい。制服脱がせて失敗だったりしちゃったかなあ。お巡りさんに見られちゃったら、完全に補導だったり」
「脱ぐ」――。
その言葉を聞いた瞬間、パーカーの下が妙にスースーし始める。
服を引きちぎり、冤罪をちらつかせる――。
追い詰められていたとは言え、大胆な真似をした。父親と医者以外の男に肌を
「せめて髪下ろしてくんない?」
「これは私のトレードマークなの!」
断固拒否すると、小春はゴムで束ねた前髪を撫で、そっぽを向く。
梅宮改が視界から消えると、カッカしていた顔が少し冷めた。
「下ろしたほうがかわいいのに」
スネたように独り言を呟き、奴は子供っぽく唇を尖らせる。三親等以外の異性から始めて「かわいい」と言われた小春は、カッカどころか顔面を沸騰させ、テーブルの上のグラスを曇らせた。
「わ、私の髪型なんてどうでもいいの! 説明してもらうよ、梅宮!」
真っ赤な顔を誤魔化すために怒鳴ると、小春は咳払いし、乱れた呼吸を整える。
「お堅いなあ。もっと気軽に改とかたっちゃんとか呼んじゃってよ」
「う・め・み・や!」
階段状に声量を上げながら、小春は四回テーブルを引っぱたく。
尾行を継続したのは正解だった。
あともう少しでわけの判らない行為をしている男に、佳世をかっ
夜の墓場で水牛の頭蓋骨を振り回す――。
文章にしてみると、本当にわけが判らない。
女を縛ったりすることくらいはしていると思ったが、またベクトルの違うわけの判らなさだ。世界観が
「オマエが何者で何してたか、納得いくように説明しろ」
「知っちゃうと危ないかも知れないけど、いい?」
ミケランジェロさんが置いたばかりのマイクを取り、梅宮改は小春にインタビューする。
「危ない?」
小春は首を傾げるばかりだ。
まさかアフリカ的な呪術で、覗き見ると災いが降り掛かるとか? 少し違うかも知れないが、わら人形で有名な
「あのねえ……」
きょとんとする小春を見た梅宮改は、落胆の溜息をマイクに乗せる。
「小指のないオジサマたちが銃撃戦してる現場に遭遇したら、張本人に事情訊く?」
「次の日の朝刊を待つ」
小春は即答する。
ドンパチの直後で気の立っているオジサマたちに、仁義なき戦いの理由を訊く? コンクリの湯船に浸かり、東京湾へ入浴するのと同じだ。
「でしょお?」
クドく聞き返した奴は、鉄砲の形にした手を小春に向ける。
「小春ちゃんがやってるのは、まさにオジサマたちへのカウンセリングなわけ」
「オマエが
梅宮改の大袈裟さに小春は苦笑してしまう。そりゃ「梅宮」で自称「たっちゃん」だが。
「だ・か・ら・さ・あ……」
一音ずつ強調した声に合わせ、梅宮改は小春の鼻先をマイクで叩く。小春は一打に付き一段階背中をリクライニングし、ついにはソファに沈んだ。
「水牛の鼻は何を噴き出しちゃった? ピーナッツ? 鼻くそ?」
「串」
「その串は何しちゃった?」
「墓石を豆腐みたいにブッ飛ばして、鐘にヒビ入れた」
「オジサマたちが小一時間ピストルごっこしたとして、同じことが出来る?」
「出来……ない」
状況を理解するに従って声が
組員総出で撃ち合っても、せいぜい墓石が水玉模様になる程度だ。
本堂を倒壊させ、鐘を砕く?
バンダイ臭が強すぎて見失いがちだが、広島的抗争より遥かにヤバい。
「小春ちゃんのお見立て通り、あれは日曜朝八時の撮影じゃない。現実の戦闘、殺し合いだ。俺の射線に小春ちゃんが割り込んじゃってたら? 今頃、高い時給のバイトさんたちにマグロ拾いされちゃってたよ、小春ちゃん」
奴の発言に誇張はない。
実際、金串を喰らった怪人は、電車を
ネギトロ状態の肉片を自分に置き換えようとしても、小春の脳内にはモザイクが広がるばかり。無加工で見せるには刺激の強すぎる映像に、自主規制が掛かっている。
「確かに俺と小春ちゃんはクラスメイト。けどノートを集める時くらいしかお話ししたことがない。俺が危害を加えないって、どうして言い切れちゃうの?」
冷たい口調で訊くと、梅宮改は
悔しいが、小春には沈黙しか返せない。
奴に付いて断言出来るのは、女の尻をホーミングしていることくらい。何に怒り、何を憎み、何に喜ぶのか、記憶を証人喚問しても「?」以外は出て来ない。
考えてみれば、のこのこ奴に付いて来ていい理由は一つもない。
メタリックな仮面と未確認生命体を見た小春は、東映の流儀に従って前者をヒーローと決め付けた。
だが「平成」の善悪は複雑だ。
仮面の中にもやたらイライラする凶悪犯や、思い通りにならない邪魔者を排除しようとする913がいる。そもそも、あんなわけの判らない戦いに善悪があるかも怪しい。
墓石を砕く仮面とバズーカ抱えたテロリスト、どこが違う? 外見で判断していいなら、カバは温厚な動物だ。だが現実には、アフリカで一番多く天国直通の片道切符を発行している。
ここは逃げ場のない「密室」だぞ!
小春が自分の
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