④ガチンコ! ファイトクラブ
「ホント!? 改、もう『ポーラーシュテルン』行ったの!?」
北山さんの口から教室中に響いた声は、発情したチンパンジーのように甲高かった。
「ポーラーシュテルン」と言えば、この間、「王様のブランチ」で取り上げられていたケーキ屋だ。つい先日、表参道だか代官山だかに日本一号店がオープンしたらしい。
「知り合いのツテでプレオープンに呼ばれちゃったり」
へらへらと答える梅宮改の声は、相変わらず寝起きっぽい。
声の高さとしては男子の中でも低い部類に入るのだが、何と言うか気が抜けている。クラス替えの直後は、プーさんのモノマネをしているのかと思った。
「どうだった!? どうだった!?」
今野さんのテンション、完全に
「有名なだけはあるかな。アイアシェッケはなかなかだったり」
「……あいあしぇっけ?」
ウルトラセブンに出て来た軍艦ロボットか?
いや、あれはアイアンロックスだ。
「……ドイツのチーズケーキだよ、春ちゃん」
未知の横文字に「?」を浮かべる小春に、すかさず佳世が耳打ちする。
「いいなあ~、私も行きたい~」
「無理だって、先週の日曜なんか四時間待ちだったらし~よ」
甘い声を漏らす今野さんに、北山さんはスマホの画面を見せ付ける。ツイッターかブログか、夢見る今野さんに現実を伝える情報が表示されているのは間違いない。
「あ~、やっぱムリか~。まだ出来たばっかだもんね~」
落胆した今野さんは
「入れちゃうよ、個室でよければ」
梅宮改の口振りは、近所の駄菓子屋にでも行くようだった。
まさか奴には、今までのやり取りが聞こえていなかったのだろうか。
「マジ!?」と驚きのあまり声を裏返し、北山さんは梅宮改に突進する。
「権力者だったりしちゃうの、改ちゃん」
茶目っ気たっぷりに笑い、奴は北山さんの額をツンとする。八〇年代の少女マンガ的映像をお見舞いされた小春は、胃壁まで鳥肌が立った。
にしても寒空の下、四時間待つパンピーを尻目に個室へ案内されるとは……。
とても一高校生の権力とは思えない。さては金持ちの後家さんと寝たな。
「やったー! 改、だいすきー!」
恥ずかしげもなく叫び、興奮した今野さんが梅宮改に抱き付く。
豊満な胸が奴の肘に触れた瞬間、ぎちぃ……! と悲しい金属音が教室中に響き渡る。終身刑に処された囚人が、檻に掴み掛かるような音が。
野郎だけで弁当を喰らっているグループが、震える手でフォークを握り締めている。自らの境遇に絶望しきった瞳は死んだ魚のようだが、一方で包丁を取りそうな気配もあった。
爆発しろ爆発しろ爆発しろ……。
耳を澄ませば、エロイムエッサイムっぽい呪詛が聞こえる。
そうか、これが格差社会か。
「ちょっとカズミ! 改にベタベタしないでよ!」
「そーだよ! 改はみんなのものだって決めたじゃん!」
過剰なスキンシップに怒りを爆発させ、
「あ、あいつがみんなのもの……?」
一体いつの間にそんな紳士協定――いや婦人協定が締結されたのか、小春は首を傾げるばかりだ。少なくとも、自分や佳世には何の相談もなかった。
「まあまあ、たっちゃんのためにケンカしちゃわないでよ」
ちょっとした修羅場に置かれた奴は、わざとらしく目を擦り、嘘泣きを始める。え~んと女々しい声を聞いている内に、小春の手は自然と拳を形作っていく。仮に奴が身内なら、奥歯の一本くらい頂戴しているところだ。
「カズミとミホが抜け駆けするから!」
綺麗に声をハモらせた吉沢さんと新田さんは、充血した目で二匹の泥棒猫を睨み付ける。
破裂寸前の青筋を目の当たりにした奴は、だが臆することなく新田さんと吉沢さんに歩み寄っていく。程なく二人の前に立った奴は、ダンスにでも誘うように手を差し伸べた。
「よかったら、リカとケーコもどう?」
「いい、の……?」
思わぬお誘いを受けた新田さんと吉沢さんは、信じられないとばかりに口を覆う。
つい一秒前まで
「大勢のほうが楽しかったりしちゃうじゃない。ほら、みんな仲良く仲良く」
しれっと言ってのけた奴は、新田さんの手を取り、今野さんと握手させる。
ああもさらりと女の手を握る男を信用出来る? 出来ない?
小春は奴を眺めながら、心の中の自分にジャッジを委ねてみる。
返って来たのは、「ひょうきん
「ドタキャンしないでよ!」
「そーだよ! 改、すぐすっぽかすんだから!」
念を押す北山さんに、ついさっきまで抗争していたはずの吉沢さんが続く。
女子とプロレスラーほど、一分後の関係性が判らないものはない。
利害が一致すれば、
「……あいつ、女との約束すっぽかすんだって」
「……俺、ばあちゃんとのとげぬき地蔵参りだって断ったことねぇよ」
自嘲気味な独白を披露したのは、二月一四日には「ダイハード5」一択な男子たち。重苦しく机に
人としての信義<<<肉欲な梅宮改のことだ。もっと簡単に抱かせそうな女に声を掛けられたら、先約など脳味噌の外に出てしまうのだろう。
「しちゃわないしちゃわない。世界一一途な男子だもの、改ちゃんって」
軽薄な笑みで追求を受け流し、奴は今野さんと北山さんにスマホを見せる。
「んじゃあ、詳細は後で連絡しちゃうから、メアド教えてくれちゃわない?」
「え~、まだ知らなかったの~」
半笑いで不満を表明し、二人はスマホを
小春は嘆かずにいられない。
嫁入り前の娘が男に連絡先を教えるとは、日の本の貞操観念はどうなってしまったのか。そうまでして少子化に歯止めを
「あいつ、天性のスケコマシだ」
的確に奴の本性を言い表し、小春は吠える。
「大体、女々しく髪伸ばしてる野郎なんかロクなもんじゃねぇ! 男は黙って角刈り!」
「今時普通だと思うけど」
佳世は控え目に反論し、男子の席に置かれた整髪剤を垣間見る。
「いーや、あいつはナルシスト!」
純然たる事実を口にした小春は、バンッ! と両手を机に叩き付ける。
前の席の男子が、カエルのオモチャみたいに飛び跳ねた。
「見なよ、あの眉毛! 女みたいに手入れして、髪と合わせて脱色して、あー、いやらしい!」
「春ちゃん、
見事に矛盾を指摘された小春は、ぐぬ……! と声を詰まらせるしかなかった。
ここまで佳世に食い下がられるなんて、初めての経験かも知れない。
自由研究の題材を決める時にも、修学旅行の見学先を選ぶ時にも、素直に頷いてくれた佳世ちゃんはどこに行ってしまったのか。やはり男は女を狂わせる。佳世が預金通帳を持ち出す日も遠くない。
恋する乙女の能力は、普段の一〇倍増しになる。
誰も言っていないが、醒ヶ井小春が言っていた。
そうでなくとも、成績は佳世のほうが上だ。
まともにやり合っても勝ち目はない。
これはもう、とっておきの情報を出すしかないだろう。
残酷な現実は、間違いなく佳世の胸を引き裂く。
悲嘆に暮れる親友を想像すると、小春の気持ちは際限なく重くなっていった。
……お互い辛抱するしかない。
今、目先の痛みを味わわせないように口を
決意を固めた小春は、佳世から目を背ける。
目を合わせたままでは、口を開けなかった。
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