行き倒れの魔女

@garo_niki

行き倒れの魔女

 二学期が始まり早一月半。十月に入ったことで気温も景色も冬の影が見え始めていた。中間テストが終わり、一段落ついたところで少し変化を見せていた生活もいつもの形に戻り始めていた。

 放課後、まだ校内が賑わう中一人の少年がまっすぐ駐輪場へ向かう。少年には特に何か用事がある訳でもなかった。高校に入学して半年経つが寄り道をして帰ったことはなく、むしろ如何に早く帰る道を見つけられるかというのが唯一の楽しみだった。そんなことを繰り返す内に彼なりの独自ルートがすっかりできあがっていた。

 今日も例に漏れず自分の編み出した最短ルートを通って帰る。早くなると言っても通常のルートを通っても五分も変わらない。しかしこうした積み重ねで構築された道順が自分の小さな誇りだった。

 丁度学校と家の中間で少し広めの公園と住宅地の間の道を通る。その道は道路が狭く、車もあまり通らない為人気は少ない場所だった。早く帰るという目的ならかえって都合が良い。そして今日もいつも通りこの道を駆け抜けるはずだった。倒れた「人型」を見つけるまでは。

 思わず急ブレーキをかける。はいきなり現れた。決して余所見をしながら自転車を漕いでいた訳ではない。自転車だってぶつかれば立派な凶器になるし、自転車の事故が方々で嘆かれている今そんなヘマをするようなことはしない。しかし不思議なことに今こうして気が付くまで全く視界に入ることがなかった。

 一旦気付いてしまうともう逆に気になって仕方がない。何よりあれはおそらくだ。上から布を被っているせいで判別しづらいがまず間違いない。轢き逃げにでもあったのだろうか。慣れない状況に鼓動も早くなるがとにかく早くなんとかしなければという気持ちに駆られた。

 自転車を停めておそるおそる近づいてみる。近くに血痕や車の破片といった事故の形跡はない。もし事故に遭っていたならば、こういう時揺さぶってはいけないという程度の認識はあったが、とにかく意識の確認をしたかった。

「すみません! 大丈夫ですか!」

 呼びかけるが返事はない。これは自分の手に負えるものじゃない。早急に判断を下し、救急車を呼ぼうと持っていた携帯電話を取り出す。と同時に自分の足を何かが掴んだ。

「!?!?」

 布から手が伸びて足を掴んでいる。声にならない。人はほんとの恐怖に陥ると声が出なくなり、動けなくなるのだと悟った。思考も定まらない自分を無視して布は語りかけきた。

「ご飯……ください」



 公園の隅にあるベンチ。そこでコンビニ弁当を無言でがっつく若い女性とそれを見つめる少年がいる。女性の方は色々とおかしい点があるがまず出で立ちが普通ではない。布だと思っていたものはローブと形容した方が適切であり、ファッションと呼ぶにはあまりにズレている。何よりこんなところで行き倒れていたと言うのだから驚きだ。この日本で、よっぽどのことがない限り行き倒れなんて状態になるはずがない。目の前の女性を分析しているといつの間にか弁当は平らげられ、ペットボトルの水も飲み干していた。

「助かりました。礼を言います」

 平静を取り戻した女性はまず礼を述べる。その顔は先程までとは打って変わって生気に満ち溢れていた。

「いえいえそれほどでも。大したことしてないんで」

 実際少年がしたことと言えば近所のコンビニ弁当と水を買って届けただけだ。本人としてはむしろしない方が後味が悪い一日になっていただろうから当然と言える。

「そんなことありません。当たり前に人助けができるということを誇ってください」

 そこまで言われるとむず痒い気持ちになる。だがここまでストレートな感謝の言葉を貰うのは久しぶりでなんとも悪くない気分だった。

「元気になったようでよかったです。……一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんでしょう」

「どうしてこのような場所でその……行き倒れのような状態でいたのでしょうか」

 失礼なのは承知の上だったが、少年は助けた自分には聞く権利があっても良いと思った。何より若い女性だ。このような生活が日常茶飯事なら助ける必要も出てくるのではないかと感じたのだ。

 質問に対し女性は悩む素振りを見せた後、意を決したように話始めた。

「おそらく君にとっては荒唐無稽な話になると思います。しかし決して冗談で話す訳ではありません。どうか私の話を信じてもらえるでしょうか?」

 少しの事では驚かない自信があった。何せ出会いが出会いだったのだから。

「自信はないです。でも聞かせてください」

「……私は魔女です」

 かなり予想外だった。



「驚かれましたか?」

 改めて魔女を名乗る女性を見る。外見は若い女性。黒い髪に整った顔立ちをしているがローブ以外にこれと言って特筆すべき特徴はなかった。ただ見つけた時のことを思い出す。あの発見した時の感覚は確かに普通ではないと思った。倒れている人影が突然視界に現れたのだから。とはいえそれだけだ。信用するには足らない。

「にわかには信じ難いですが、信じます」

 でも信じた方が面白い。それだけで少年の心は十分だった。

「君はつくづく不思議な人ですね。こんなこと言うからにはおかしい人と思われるのも覚悟していました」

 少し微笑みながら魔女は言う。

「正直に言えばそういう部分が全く無い訳ではないです。でも僕の中に引っ掛かりはありましたし、信じたところで損する訳でもありませんから」

「引っ掛かり?」

「ええ、あなたを見つけた時のことです。なんというか僕は確かに前を見ていたはずなのに突然あなたは現れましたから」

 彼女は得心がいったという様な顔になる。

「魔女のローブには人の目につきにくくする作用があるのです。でも私自信の生命力の低下でその効果も薄くなってしまっていたのかもしれません」

「結構曖昧なんですね」

「何分あのような飢餓状態になったのは初めてで」

 少年は安堵した。どうやら日常茶飯事では無いらしい。

「そういえば最初の質問を忘れていました。一体どうして?」

 話を振り出しに戻す。

「理由は二つあります。一つは私がまだ独り立ちしたばかり、つまり未熟であるということ、そしてもう一つは今が十月であるということです」

 その二つがどう関係するのか全く理解できなかった。

「詳しくお願いします」

「はい。そもそも魔女というのは基本的に隔絶された土地で人知れず暮らしているのが大半です。しかし科学の発展に伴いそういった土地は減りつつあります。故に俗世に紛れ暮らしていくことを修業の一環として行う魔女たちが増えてきました。私の一族も祖母の代から習わしとし、二十歳を迎えた時に独り立ちをして俗世のしきたりを学ぶということを行ってきたのです」

 気合いの入った顔で自称魔女は語る。

 つまり彼女は二十歳を迎えたばかりの箱入り娘ということらしい。しかしそうでもなければこのご時世に行き倒れになんてなるはずがないとも思った。

「なるほど。ということは魔女さん以外の魔女が気付かない内に身近にいてもありえない話ではないということですね」

「勿論修業の末にそのまま俗世に住み着く者もいます。ですからこの街にだって居てもおかしくはないでしょう。また修業の内容も時期も全て一族ごとに異なるものなので一概にどうとは言えません」

 少年は未だ半信半疑ではあるが、胸に少しの高ぶりを感じていた。早くこの疑心を確信に変えて欲しかった。

「そういうのに疎い僕にとっては確かにスケールの大きい話です。でもどうしても魔女さんがこうなっていた理由まで辿り着きません。どういうことなんでしょうか? そもそも生活するだけなら街の方がむしろ便利だとすら思えます」

 そう言われた彼女は沈んだ顔でぼそりと呟く。

「……えないんです」

「え? 何ですか」

「き……機械というものが使えないんです。使い方がわからないんです。も使い方がわからないんです」

 少年は面食らう。浪漫を感じるような世界の住人がコンビニ一つ利用できないとは思わなかった。少年はこの時何故この文化レベルでこんな修業を行うのだろうと思ったが口に出せなかった。

「お金はあるんですよね」

 彼女は無言のままはを縦に勢いよく振る。

「コンビニやスーパーに関しては商品を持って行ってお金を払うだけなんですが」

「そもそも気付いてもらえないんです」

「まさかローブ着たままとかではないですよね」

「……着てます」

「無理に決まってるじゃないですか……」

 どんどんイメージが崩れていく。疑心は疑心のままであっても良いかと思い始めていた。

「あまり他人の視線の慣れないんです。知っている人は身内だけという環境で育ってきたので」

「修業が見切り発車の極みですね」

「何も言い返せません」

「その調子でよく今まで無事でしたね」

 魔女はさらに落胆する様子を見せる。

「持ってきた自分の道具で不便なところは多少あるものの生活はこなせていました。でも十月だけはダメなんです」

「もう一つの理由ですね」

 魔女はこくりと頷く。少年は全く理由が推察できずにいた。お金は持ち腐れているとはいえあって魔法の道具もある。一体何がダメなのだろうかと。

「はい。東洋の……日本に住んでいる魔女は神の力を借りてその力を行使しています」

「神様ですか」

「神様です。日本はたくさんの神様がいますから」

「八百万の神ってやつですよね」

 日本には自然のもの全てに神様が宿っているという信仰がある。使い続けたもの命が宿るなどと言われているのも

「はい。神はその信仰により力を得ます。その信仰で得た力を自分たちの為に利用しているのです。日本は神の力を借りて生きるには十分なほどの神がいますから」

 魔女は淡々と言葉を紡ぐ。神が存在することがさも当然かのように。

「魔女というより陰陽師みたいですね」

 突拍子もない話の連続だが何とか自分の知っている知識で食らいつく。

「自分の為に使うか、他人の為に使うかの違いだけです。私たち魔女は元来世の中に左右されず、生きていくことだけを目的として魔法を行使しているに過ぎませんから彼らは彼らなりの理由があって力を行使しています」

「その口ぶりから察するに陰陽師も実在するんですか?」

「私は直接会ったことはありませんがいます。そちらの世界で一般的になっている方々が本物かまではわかりませんが」

 冬を間近に迎えた公園でとてつもなくシュールな話が展開されている。少年は長丁場を覚悟した。

「少し寒いですね。そこの自販機で暖かい飲み物でも買ってきます」

 近くにある自動販売機に向かって歩きだすと魔女も後ろからついてきた。

「リクエストでもありますか?」

 そう聞くと恥ずかしそうに魔女は答える。

「いえ……使い方を学ぼうと思って」

 少年は苦笑いを浮かべながら歩くしかなかった。



「それでですね」

 暖かいお茶をすすりながら魔女はしゃべり始める。自動販売機の利用方法を理解してご満悦の表情だった。

「神の力、というのは身近にいて初めて活用できるんです。十月は神無月。神様はみなこの月だけ宴を催しているため存在しなくなってしまうのです」

 神無月の由来は諸説ある。今の話に類似する出雲へ宴に行くため神がいなくなるというのは有力な説の一つであった。だがどれも決定的な根拠として乏しく、結局のところ現代においても由来はわからず仕舞いで放置されている。この話から察するに宴の説が当たっていたということだろう。

「とりあえず十月は魔法が使えない、ということで良いんですか?」

「はい。全く」

 あっけらかんと答える魔女。少年は額に手をを当てながらうなる。

「一応備えはしていたんですよ。でも見積もりが少々甘かったみたいです」

 生死に関係することで少々甘いとかそれはどうかと少年は思った。

「下手したら死んでましたね」

「ええ。君は命の恩人です。ありがとう」

 まだ温かいままのお茶を啜りながら彼女は笑顔を浮かべた。

「私に話せることはこれぐらいです。次は私から質問してもいいですか?」

 魔女の眼は何かを楽しみにしているような感情が込められていた。

「? はい。答えられる範疇で」

「君について教えてください!」



「僕について、とは一体」

 あまりに具体性のない質問に少年は答えが出せずにいる。質問の範囲が広すぎたのだ。

「失礼しました。その恰好は中学校、若しくは高等学校に通っている生徒と見受けます。ある程度こっちの世界についての知識は得ていますのでそれぐらいはわかるんですよ。ぜひ学校について私に話を聞かせてください」

 なるほど、と少年は納得した。察するにどうやら魔女というのは学校に通うものではないらしい。それは確かに興味も湧くだろう。

「わかりました。僕は一応高校に通っています。一年目です。見方を変えれば魔女さんと同じ……なのかな」

 魔女は眼を輝かせている。きっと先ほどまでの自分がしていたような眼も同じだろうと少年は感じていた。

「たくさんの人が通うんですよねえ。友達もさぞたくさんいるのでは?」

 その言葉を聞いた途端少年はピクりと反応して俯く。魔女は何も気付かない様子で言葉を続ける。

「友達ってどういうものなんですか? 私にもできますか?」

 目の輝きは一向に失われない。代わりに少年の眼から光が失われていた。

「……んです」

 ぼそりと少年は呟く。

「はい?」

 何を聞かせてくれるのかと楽しみにしているような魔女の反応。

「僕……友達いないんです」

 魔女の眼から光が消えた。

「あの……すみません」

「いいんです」

 公園にどんよりとした空気が流れる。風はただ冷たかった。

「君のように優しい人ならばたくさんの友達がいるものだとばかり思っていました。世の中上手くいかないものなのですね」

「一応弁明すると中学ではそれなりにいたんです。むしろ多かったって言っていいのかな。その中でも特別仲の良い奴らがいて楽しくやってたんですよ」

「その方たちはどうしたのでしょうか」

「みんなバラバラになりました。高校っていうのは学力や自分のやりたいことでそれぞれ行く場所も変わりますから」

 魔女は真剣な面持で話を聞いている。少年は立ちながら、

「僕は中学校で色々満足しすぎたせいで高校に何しに行くのとかはあまり考えてませんでした。今通っている高校だって試験に落ちる心配がないからという理由だけで受けたところです。でも他の奴はみんなやりたいことがあって勉強もできて……。だから高校に入っても僕だけ置いてけぼりになってしまった様な気持ちになって、何もないと思ってしまって……心に穴が空いたように毎日過ごしてました。新しく人間関係始めるのがこんなに大変だなんてこんなに自分を出せないのが辛いなんて思いませんでした」

 寂しげな背中を見せて語る。

 一度高水準の生活を体験するとその生活水準を落とせないように、知らず知らずの内に相手に良き理解者である関係を求めてしまう。それが恵まれた学校生活を送ってきた反動だった。

「私はこの街にきてからずっと不安でした。何もわからない知らない人ばかり。でも今日君に助けられて自分から一歩踏み出そうと思えました。君が私を救ってくれたおかげです。何もないなんてとんでもない。君にはその優しさがあります。そしてその優しさは必ずあなたの居場所を作ってくれる筈です」

 魔女の言葉は一言一言暖かさに溢れていた。同時に少年は自分の中に何か満たされていくものがあることを感じた。

「本当に魔女だったんですね……」

 ベンチに座り微笑みながら少年は呟く。

「言葉は誰にでも使える魔法なんですよ」

「そりゃあいいや。僕も使えたんだな……魔法」

 天を仰ぐ。それからしばらくの間。お互いに無言で空を眺めていた。



「じゃあ行きます」

 無言の時間を経て少年は席を立つ。空はすっかり夕焼けで赤く染まっていた。

「そうですか」

 すっかり温くなったお茶をすすり魔女は見送りながら、

「カレンです」

 少年に名前を告げた。

「へ?」

「名前を知っていればその存在は確固たるものになります。そしてまた次の縁を繋いでくれます。名を明かすということは魔女の信愛の証です。どうか私の名前を憶えていてください」

「僕は……シゲルです」

「ありがとうシゲル。また会いましょう」

 冬の影がちらつく十月。少年は行き倒れの魔女に出会った。

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