SS 雷砂とシンファ
ある日、いつものように草原の巡回をしていたら、思いがけず小さな生き物を拾った。
それは人族の子供。
まだいとけないその子供は、草原にただ一人、取り残されていた。
周囲に両親の姿はなく、また、両親の残骸もなく。
それは、その子供が親から見放された子供だと言うことを優に語っていた。
その子に残されたのはただ一つ、子供を主と仰ぐ忠実なる友。
白銀の毛皮の美しい獣は、吹けば飛ぶような子供を守って、草原の猛獣と相対していた。
猛獣の一撃に、白銀の獣が倒れる。
主である子供を案じる、その一瞬の隙を狙われたのだ。
終わりだなーそう思った。
子供はきっと、白銀の獣を見捨てて逃げ出すに違いない、と。
だが、その予想は覆された。
子供は逃げなかった。
逃げずに猛獣の前に立ちふさがる。震える手で、猛獣の牙の前ではなんの役にも立たないであろう、木の枝を構えて。
唯一の友を……銀色の獣を守るために。
その姿を見た瞬間、気がつけば体が動いていた。
死なせるには惜しいと、死なせたくないと思ってしまったのだ。
猛獣を追い払い、振り向いた瞬間、幼子の瞳にわずかな怯えが走ったのがわかった。
そうして気づく。
そうか。今の自分の姿は、あの子供にとってはさっきの猛獣と何ら変わらないものなのだ、と。
その事を残念に思っている事に気がついて、思わず苦笑が漏れた。
どうやら自分は、目の前の小さな子供に怖がられたくないと、そう思っているらしい。
(……なら、誤解を解かねばならないな)
彼女は思い、その誤解を解くために口を開いた。
「この姿は恐ろしいか?」
と。
幼子の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
まあるく見開かれた色違いの瞳が可愛らしくて、思わず口元に笑みが浮かんだ。
そうして言葉を交わし、その子供がただの迷子では無いことに気づくまでにそう時間はかからなかった。
子供の名前は雷砂。
異国の響きを伝える変わった名前は、不思議とその子供に似合っていた。
雷砂と銀色の獣を連れて、草原を走る。
己の集落に戻り、物知りな叔父に雷砂の事を訪ねるために。
湿った空気と、遠くでかすかに聞こえる遠雷。
もうすぐ、嵐になりそうなそんな夜に。
雷砂とシンファはこうして出会ったのだった。
夜遅くに博識な叔父を叩き起こし、雷砂と対面させ、色々と新事実が判明した後、早々に叔父の
一応、銀色の獣も招いたのだが、彼は遠慮したのか中へは入らず、入り口の外に陣取った。
どうやら、そこで見張りをしてくれるつもりらしい。
そんなわけで、シンファはさほど広くはない一人住まいの住居に、雷砂と二人でいる。
さすがに疲れがでたのか、眠そうに目をしょぼしょぼさせる雷砂を腕に抱いたまま、シンファは別れ際の叔父との会話を思い出していた。
「で?雷砂はお前が育てるってことでいいな?」
「……やはり、そうなるか」
「まあ、順当にいけばそうなるだろう?雷砂も、お前に懐いているみたいだしな」
そう言ってからかうように見つめてくる叔父の視線の先には、それだけが頼りとばかりにぎゅっとシンファの胸にしがみついている雷砂の姿がある。
その姿を見下ろしていると、なんだか胸の奥がふわりと暖かになる。
出会ってからまだ大して時間もたっていないのに、もうすでに腕の中の幼子に対する情のようなものが芽生えはじめていた。
だが、自分に出産の経験はなく、従って子育ての経験ももちろんない。
そんな経験不足な若輩の自分に、こんな小さくて頼りない存在を育てることは出来るのだろうか。
そんな不安はあった。
その気持ちが、顔に出ていたのだろう。
叔父のジルヴァンは、ふむ、と少し思案顔をして、
「お前が面倒を見れないなら、同じ年頃の子供のいる女に預けてみるか?」
そんな提案をしてきた。
問われて想像してみる。
自分ではない誰かに面倒を見てもらい、その相手に懐く雷砂の姿を。
今の自分にしているように、他の誰かの胸にぎゅっとしがみつく、その姿を。
なんだか、少しいらっとした。
どうやら自分は、己以外の誰かに雷砂を任せたいとは思っていないらしい。
その事を素直に叔父に伝えると、彼は心底可笑しそうに朗らかな笑顔を見せた。
そして、微笑ましそうに己の姪とその胸にしがみつく幼い子供を見つめ、言った。
お前の望むようにすればいい、と。
きっとお前と一緒にいることを、雷砂も望んでいると思うぞ?、そう言って、彼はシンファと雷砂を己の天幕から追い出したのだった。
そんな回想から現実へと戻り、シンファは思う。
さて、どうしようか、と。
腕の中の雷砂は、いつの間にか寝息をたてていて。
遅い時間ではあるが、少し何か腹に入れさせようと思っていたシンファは、食事は明日に持ち越しだな、と考えつつ、片腕で器用に雷砂を支えたまま、もう片方の手で
寂しい一人住まいだ。
当然の事ながら寝具は一人分しか無く、今日はそこで一緒に眠るしかないだろう。
とはいえ、雷砂は一人分というには小さすぎるから、一緒に寝ても大して邪魔にはならないだろうが。
そんなことを思いながら、シンファは雷砂を抱き抱えたまま、寝具の中に潜り込む。
体勢が変わったことで、ほんの少し雷砂がもぞもぞとしたが、シンファが優しくその背中を叩いてやると、また大人しく寝息を立て始めた。
(……子供というのは、暖かいものだな)
自身も眠ろうと目を閉じながらそう思う。
明日から、この子と一緒に生きていくのだ。この小さな子供が独り立ち出来るようになるまで。
親の代わりに、自分がこの子を教え導く。
上手くできるだろうか……そんな不安は勿論ある。
だが、それでも雷砂を手放そうとは思わなかった。
柔らかな金色の髪を撫で、シンファは目を閉じたまま、その口元に笑みを浮かべる。
さて、明日、雷砂にまず何をしてやるべきか、とそんなことを考えながら、シンファはゆっくりと眠りの淵へと落ちていった。
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