小さな娼婦編 第62話
雷砂が最後に向かったのは、ミカとガッシュが泊まる宿だった。
ミカが雷砂についてくる事を決意している以上、ミカには一座の出立予定を告げ、ガッシュにも色々と事情を話しておかねばならないだろう。
ガッシュは怒るだろうか。
今から雷砂はガッシュに妹を寄越せと言いに行くのだ。嫁に、というわけではまだ無いのだけれど。
宿に入っていくと、以前訪ねたときと同じ女性が受付に座っていた。
部屋にミカとガッシュはいるかと尋ねると、彼女は頷き、何とも言えない訳知り顔でにんまりと笑った。
恐らく、ミカから色々と話を聞いているのだろう。
ミカの奴、と思ったものの、雷砂は素知らぬ顔で礼を述べると、受付の人に捕まらないようそそくさと階上へ移動した。
まずはミカの方からにしようと、軽くノックしてから扉に手をかけると、何故か中から野太い声。
あれ?お取り込み中だったかな、と首を傾げると、扉の内側からガッシュが顔を出した。
「よう、雷砂」
「あれ?こっちの部屋はミカの部屋じゃなかったっけ?」
「まあ、そうなんだけどよ……取りあえず、入ってくれや」
促され、中に入って雷砂は目を丸くする。
何故かと言えば、ミカが床に座らされ、半ベソをかいていたからだ。
口をへの字にして、だだっ子のように床を睨みつけていたミカは、雷砂の姿を見てぱっと顔を輝かせる。
その様子が、飼い主を見つけた犬の様で、ちょっと可愛いなと思いつつ、雷砂は隣に立つガッシュを見上げた。
「兄弟喧嘩?」
「そういうわけじゃあねぇんだが、ミカの奴が訳のわかんねーことをグチグチ言うもんだからよ。ちょっと説教をな?」
「訳の分からない事って?」
小首を傾げて問えば、ガッシュはちらりと雷砂を見て、バツが悪そうに頭をがしがしとかいた。
「うーん。取りあえずこれは、ミカの奴の戯言だから、怒らねぇで聞けよ?なんつーか、雷砂に惚れたから、雷砂の女にして貰う努力をする為に雷砂について行くだの、兄貴は邪魔だからここでお別れだの、別行動だからクランは解散するだの……まあ、とにかく色々とな」
苦虫を噛み潰したような顔で語るガッシュの顔を苦笑混じりに見上げ、ちらりとミカに目をやれば、彼女は申し訳なさそうな顔でしゅんとしている。
彼女は彼女なりにけじめを付けて雷砂の元へ来るつもりだったのだろう。
ただ、言葉を選ぶのが下手なせいできっと上手く伝わらなかったに違いない。
まあ、それはいい。
雷砂は元々自分の口からガッシュに話さなければと思ってここまで来たのだから。
そんなことを考えながら、雷砂はガッシュに改めて向き直る。
だが、意を決して雷砂が口を開く前に、ガッシュは眉尻を下げ、申し訳なさそうに雷砂を見た。
「すまねぇな、雷砂。ミカの奴は元々節操がねぇやつだけど、お前みたいなちいせぇのにまで目を付けるとは流石に思って無かったんだ。まさか、襲われたりはしてねぇよな?もし手遅れになってたらと思うと、俺は死んでも死にきれねぇよ……」
「手遅れって、なにがだよ!クソ兄貴!!」
「ナニがって、ナニに決まってんだろうが!!自分のでけぇ図体省みてみろや。雷砂みたいなちっせぇのが抵抗出来るわけねえだろ!?」
「ナニって……なにいやらしい事考えてやがる!オレと雷砂が、その、そう言うことするだなんて、そんなことあるわけ無いだろ!?ま、まだ、そのぉ、こっこっ恋人にもして貰ってねぇのに」
兄からの濡れ衣に、ミカは顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
そんな妹の、意外に純情な反応に、ガッシュはいぶかしそうな顔をして首を傾げる。
「なんだぁ?まさか初めてって訳でもねぇだろ?」
「初めてじゃ悪いかよ!!」
兄から投げかけられた問いに、やけくその様にミカは涙目で返事を返す。
それを来たガッシュがあんぐりと口を開けて、うろたえたように目を泳がせた。
「だ、だってよ。お前、あれだけ男をとっかえひっかえしておいて……」
「ばっ!!雷砂の前で人聞きの悪い事いうんじゃねぇよ!!あれは、そのぉ、ただ酒を飲ませてくれるって言うから、一緒に飲みに行ってただけで……兄貴が考えてるようないかがわしい事なんて一切してねぇんだからな!?」
そう言いつつ、兄からぷいっと顔を背け、ミカはすがるように雷砂を見た。兄貴の言う戯言など、信じてくれるな、と。
その視線を受けた雷砂は目を柔らかく細めて頷く。わかっていると言うように。
そしてガッシュを真剣な顔で見上げた。
「ガッシュ」
「なんだ?」
「ミカをオレに預けて貰えないか?」
「なんだと??預けるって、どう言うことだ?」
俺に分かるようにちゃんと説明してくれと、ガッシュが困り顔を雷砂へ向ける。
雷砂は頷きながら、ミカの方をちらりと見て、
「基本的には、ミカがガッシュに言っていた事と同じだよ。ミカに好きだって言われた。オレもミカの事は嫌いじゃないし好きだけど、ミカの好きとオレの好きはちょっと違ってて。ちゃんとそう伝えたんだけど、ミカはそれでも良いからオレについてくるって言うんだ。それで、オレの恋人の所へわざわざ直談判にいって、同行の許可を貰いに行ったのが昨日。で、今日はその事を話しに……」
「ちょ、ちょっとまて!」
「ん?なに?」
「今の話を聞くに、雷砂、お前、恋人がいるのか?」
「うん。いるけど??」
「なんてこった。俺にだって恋人なんざいねぇのに。うらやましすぎる」
ガッシュは天を仰いだ。
それから大きなため息をつき、それからじろりと雷砂をミカを睨むように見つめた。
「だが、まあ、なんとなく話は読めた。こいつぁ、ミカが横恋慕して雷砂に付きまといたいって話なんだな?」
「まあ、端的に言えば。俺はまだミカを恋愛の対象としては見てないし、友達だと思ってる。そこで預かるって表現になるんだけど。貰うって言うのは、ちょっと違う気がするし」
「なるほどなぁ。で、雷砂はそれでいいのか?恋人がいるのに困るんじゃねぇか?修羅場になったり、色々、その、あるだろ?」
「オレの恋人に関しては問題ない。ミカの同行に最終的なOKを出したのは彼女で、オレが同行させて貰ってる旅の一座の座長へ話を通したのも彼女だし」
「彼女って、お前の恋人って女なのか!?」
「そうだけど……なにか変かな??」
「だって、お前も女だろ!?」
「うん。でも、お互いに好きなんだし、いいんじゃない?」
「そ、そうか?そういうもんなのか??」
「まあ、少なくともオレは気にならない、かな。彼女の事が、すごく好きだし」
「なるほど。そういうもんか……」
「オレとしては、別にガッシュが一緒に来ても問題ないとは思うんだけど、ガッシュも来る?来るなら話を通すよ??」
雷砂の言葉にミカががばりと顔を上げる。
そして上目遣いでガッシュの顔を睨んだ。来るって言うなよ!?とでも言うように。
それをみたガッシュが、思わず吹き出してしまうくらいの必死な形相で。
ガッシュはひとしきり笑い、それからがしがしと頭をかきながら考える。
ミカを雷砂に預けることに関しては、双方合意している事の様だから、これ以上とやかく言う気持ちはなくなっていた。
後は自分に向けられた誘いについて検討する。
雷砂と共に行くのも悪くは無いだろう。だが、ミカと離れるのであれば、試してみたい事が実はあった。
「ミカについては納得した。妹はお前に任せるよ、雷砂」
「兄貴!!」
喜色満面で声を上げる妹を軽く一睨みし、
「ミカ、雷砂に迷惑だけはかけんなよ?雷砂、あんまり迷惑をかけるようなら容赦なく放り出してくれていいからな?それでのたれ死ぬほど柔な育て方はしてこなかったつもりだ」
そう言って、ガッシュは雷砂に向かって頭を下げる。
「バカな妹だが、俺にとっちゃあそれなりに可愛い妹でもある。ミカのこと、よろしく頼むな?」
「うん。分かった。それで、ガッシュはどうする?」
首を傾げて問う雷砂の頭を少し乱暴に撫でながら、
「俺は、一緒に行くのはやめておく。しばらくはソロで冒険者を続けるつもりだ。まあ、場合によっちゃあ他のクランに期間限定で世話になるのもいいしな。とにかく、俺は俺で腕を磨くつもりだ。せめて、冒険者としてお前のランクに追いつく位には頑張ってみようかってな」
ガッシュが男臭くニヤリと笑うと、それを見ていたミカがまなじりをつり上げた。
そして腕を伸ばして雷砂の体を自分の胸の中へと抱き寄せる。
「いくら兄貴でも、雷砂はやんねーからな!?」
がるるっと威嚇する妹に、ガッシュはがっくりと肩を落とす。
自分の決意表明を格好良く決めたのに、なんかもう、色々と台無しだ、と。
「へー、へー。俺の好みはおっぱいのドデカい、色気むんむんのねーちゃんだっつぅの。雷砂みたいなガキんちょは問題外だから安心しろや。それより……」
ガッシュはため息混じりに妹の疑念を払拭し、それからちょいとまじめな顔でいつの間にか一丁前に女の顔をするようになった妹をじっと見つめた。
「俺は兄貴だからな。一応お前を応援してやる。まあ、なんだ。お前はバカだが、バカなりに可愛い所もある。身内の贔屓目はあるにしても、それほど悪くないし、どっちかっつーといい女、だと思う」
「……急に誉めて気持ち悪ぃな。誉めても何もでねーぞ?」
「ったく、いちいち可愛げがねぇなぁ。雷砂に愛想つかされんぞ?」
「うっせぇ。バカ兄貴……」
唇を尖らせる妹の頭に手を伸ばし、くしゃくしゃにかき混ぜる。妹がもっと子供だった頃、よくしてやったように。
そうしてミカの頭に手を置いたまま、その瞳をのぞき込んでにっと笑う。
「ま、身内の情けで骨は拾ってやる。だから、お前らしく力一杯ぶつかってみろ。あんまりごちゃごちゃ考えんな。お前は多分、あんまり考えねぇほうが上手く転がる。なんつっても、野生の本能で生きてるような奴だからな」
素直な思いをまっすぐに告げ、ガッシュは雷砂に目を向けた。
自分の目標とも言うべき相手をじっと見て、
「じゃあな、雷砂。次に会ったら、今度は手合わせをしてくれや」
「いいよ。次に会うときが楽しみだな?」
「おうよ。こてんぱんにしてやる」
「それはこっちのセリフだって」
そうやって言葉を交わし、別れを告げあう。
「で、いつ、行くんだ?」
「早ければ今晩。遅くとも、明日中に」
「そうか。じゃあ、このままミカも連れて行け。どうせ大した荷物もねぇし、準備に時間がかかることもねぇだろうしな」
ガッシュはそう言い、再び妹を見る。
「そんじゃあな。気をつけて行くんだぞ?」
「……わかってるよ」
「そっか。ならいい」
妹のぶっきらぼうな返事に軽く笑い、ガッシュは二人に背を向けて部屋の外へと向かう。
ドアの外に出て、扉を閉める寸前、その言葉はガッシュの広い背中越しにミカの耳へと届いた。
「ほんとにほんとに困ったら、迷わず兄ちゃんを頼れよ?俺だけは絶対にお前を見捨てたりしないからな」
ミカが目を見開いて口を開こうとした瞬間には、もう部屋の扉は閉まっていた。
ミカは、その扉を睨むように見つめて唇を震わせる。
「ちくしょう。兄貴のくせに、泣かせるようなことを言いやがって……」
ミカはちょっぴり目を赤くして、それを隠すように顔を俯かせた。
だが、彼女より目線の低い雷砂からは丸見えで、雷砂は優しく目を細めて彼女の頭をそっと撫でる。
それに気づいたミカは、一筋こぼれた涙を指先でそっと拭って少し照れくさそうに笑った。
それから雷砂の手を遠慮がちにそっと握り、もう一度だけ、兄の背中が消えた扉に目を向ける。
だが、それはほんの一瞬の事。
ミカはすぐに自分の荷物が入った収納に歩み寄り、それほど多くはない荷物を吟味して手早く旅の準備を始めるのだった。
兄の言葉通り、自分の全てを雷砂にぶつける、その為に。
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