小さな娼婦編 第61話

 昨日アレサを送って行った道をたどり、彼女の家へと向かう。

 この街へ来た日、彼女と偶然で会い、彼女の事情に関わって、自分の望むままに彼女の状況に介入した。

 そんな関係も、昨日で終わった訳だが、何も言わずに街をでてしまうのもどうかと思った。

 昨日は諸々必要なものを置き去りに、何の説明もなく帰ってしまったから、その説明も兼ねてきちんと別れを告げるつもりだった。 


 アレサの家の、扉の前に立つ。

 一枚ドアを挟んだ向こうから、母と娘の楽しそうな話し声が聞こえてきて、雷砂は口元を優しく緩めた。

 そして、ゆっくりと扉を開く。



 「雷砂!!」



 アレサが雷砂の名前を呼んで駆け寄ってくる。



 「昨日はごめんね?雷砂が帰ったの、気がつかなくて」


 「本当、何のおかまいもしないで……」



 親子揃って申し訳なさそうな顔を向けてくるので、雷砂は思わず苦笑し、



 「いいんだよ。わざと黙って帰ったんだから。久々の親子水入らずの時間を邪魔したくなかったしね」



 そう返しながら、一晩で随分と顔色の良くなったアレサの母親に近づいた。



 「体調、良さそうだね。薬は、今朝から?」


 「いえ、昨日の夜ちょっと寝た後に起き出した時に見つけて、昨晩から飲んでるのよ。自分でも、驚くほど体調がいいの」


 「そりゃあ良かった」



 雷砂は微笑み、手早くアレサの母親の診察をしていく。

 薬の効果もあるだろうが、娘が手元に戻って心労が軽くなったおかげでもあるのだろう。

 彼女の体調はかなり上向きになっている様に感じられた。もちろん油断は禁物だし、薬もきちんと飲んで貰う必要はあるだろうが。

 だが、きっと良くなる、そんな手応えを感じながら、雷砂は診察を終える。



 「雷砂、どう?」



 雷砂のやることをじっと見ていたアレサがどこか不安そうに問いかける。



 「いい感じ、じゃないかな。薬は効いてると思う」


 「そっかぁ。よかった!!」



 返された答えにほっと息をつき、アレサは安心したように微笑んで母親を見上げた。母親も、そんな娘を愛おしそうに見つめる。

 暖かく心が通い合うような親子の様子に、雷砂は目を優しく目を細めながら、しっかりと釘をさすことは忘れない。



 「ただし、油断は禁物だよ?薬は朝と夕、ちゃんと飲むこと。それから、ご飯もしっかり食べて栄養をつけなきゃダメだ。睡眠も、しっかりとること」


 「だってよ、お母さん」


 「それから、アレサ……」


 「え?わ、わたし??」



 母親への注意事項だけだと思っていたら自分にも矛先が向き、アレサは目を白黒させた。

 雷砂はそんなアレサに、彼女が心がけるべき事もしっかりと伝える。



 「アレサはお母さんに心配をかけないように気をつけて?心労やストレスだって、病気の大敵なんだからな」


 「う、うん。わかった。気をつける」


 「よし!じゃあ、後は、作り置きした薬が終わった後の事だな。昨日、薬と一緒に残しておいたメモはしまってある?」


 「ええ。大切に保管してあるわ。アレサ?」



 母親に促され、アレサが昨日雷砂が書き残したメモを持って走ってくる。



 「これのこと、よね?」


 「ああ。そのメモは一応今回作った薬の配合比が書いてある。薬はたくさん用意したし、全部飲み終わった時点で体調に問題がなければそれ以上飲む必要はないんだけど、もしまだ不安があるようなら、この街の薬師のところにそのメモを持って行って同じものを作って貰って?お金さえ払えば、同じものを作ってくれるはずだから」


 「雷砂は?雷砂が作ってくれるんじゃないの?」



 不安そうに、アレサは雷砂を見つめた。

 雷砂は少しだけ困ったように彼女を見つめ、



 「その薬が終わる頃にはもうこの街にオレはいないんだ。たぶん、今日の夜か明日には、この街を出ると思う」



 申し訳なさそうに、だがきっぱりとそう告げた。



 「うそ……」


 「そう、ですか」



 アレサはショックを受けたように両手で口元を覆い、母親もアレサの気持ちを思ってか、少し沈んだ表情を見せた。



 「そんなわけだから、今日は二人にお別れを言いにきたんだ」


 「お別れ、ですか?」



 至極当然のように別れを告げる雷砂の顔を見ながら、アレサの母親は驚いたような声を上げた。

 そんな驚かれるようなことを言ったかなと、彼女の顔を見上げていると、アレサの手が雷砂の服の裾を控えめに引いた。



 「お別れって……わたしのこと、連れて行くんでしょう?」



 その言葉に、今度は雷砂が驚く番だった。



 「アレサを連れて行く?どうして??」


 「だって、雷砂は、その、わたしを買ったじゃない」



 言いながら、アレサは少しだけ頬を染めた。

 買われると言うことの意味を、それなりに理解していたし、雷砂とならそうなってもいい、そんな思いもあった。ただ、病の母親と離れることにだけは抵抗を覚えないでもなかったが。

 だが、そんな彼女の考えを雷砂は一蹴する。



 「買う……ああ、そうか。そう言うことか」



 アレサの言葉から、アレサとその母親の態度の原因に思い至り、雷砂は思わず破顔する。



 「ちがうよ、アレサをオレのものにしようとか、そう言う意味で買ったんじゃないんだ」


 「え……?じゃあ、どういう……?」



 とまどったようなアレサとその母親の様子を見つめながら、雷砂は微笑む。

 大事な何かを見るように、柔らかく目を細めて。



 「オレは、アレサを、アレサのお母さんに返してあげたかっただけだ。だから、アレサをここから連れて行くつもりなんか無い。安心して。あなたから、アレサを奪うつもりなんて欠片もないんだから」



 最後の台詞をアレサの母親に向けて放ち、雷砂は言いたいことは全て言ったとばかりに座っていたいすから立ち上がった。

 そんな雷砂に、アレサの母親がとりすがる。



 「そんな。それじゃあ、余りに申し訳ないわ……せめて、お金だけは何年かかっても……」


 「お金は、いらないよ。返さなくていい」



 自分にすがる女性を、雷砂は優しく引きはがした。

 そして告げる。



 「オレがやりたくてやったことだ。申し訳ないと思うのなら、病気をしっかり治して、元気になって?オレは、あなたとアレサが幸せそうに笑う姿が見たかっただけなんだから」



 そんな雷砂の言葉に、なんと答えを返したらいいか戸惑うアレサの母親に微笑みかけ、それからアレサにも笑みを向ける。



 「じゃあな、アレサ。お母さんを、大事にしろよ?」



 そう言って、雷砂は二人の家を後にした。

 だが、いくらも進まないうちに、後ろからあわただしい足音が追いかけてきた。



 「雷砂、待って!!!」



 足を止めて振り向くと、アレサが必死になって追いかけてくるのが見えた。

 その腕に、見覚えのある皮袋を重そうに抱えたまま。



 「雷砂、せめてこれだけは、持って行って」



 差し出される皮袋を、だが雷砂は受け取ろうとしない。

 アレサは困ったように雷砂を見つめた。


 雷砂が自分を連れていかない事は、少しがっかりしたが理解はした。

 それに、ちょっぴりほっとしてもいる。

 雷砂の事は好きだったが、病気の母を置いてまでついていけるはずもなかった。

 アレサは良くも悪くもまだ子供で、女手一つで自分を育ててくれた母親を、心から愛していたから。


 だが、自分の身代として支払われた金をすぐに返すことは難しいが、今手の中に持っているものは違う。

 皮袋の中に納められているのは雷砂が頑張って稼いだお金だ。

 自分たちが気軽に受け取っていいものではない。


 昨日の夜、薬の傍らに見つけた皮袋の中身を見た時、母親とも話をしたのだ。

 このお金は、雷砂に返そう、と。


 それなのに、雷砂はどうしても皮袋を受け取ってくれようとしない。

 ずっしりと重いそれを両手で支えたまま、アレサは途方に暮れた顔をした。

 そんな彼女の顔をじっと見つめた雷砂の手が皮袋に伸び、ほっとしたのも束の間、その手は皮袋を彼女の胸元へ押し返しただけだった。



 「それは、アレサとお母さんがこれから生活していくのに役立てて貰うために置いていったんだ。それはもう、二人のお金だよ」


 「でも!」


 「さっきも言ったけど、これはオレのわがままなんだ。オレがしたくてそうしてるだけなんだから、気にしなくていいんだよ」


 「でも、やっぱり気になるよ。わたしは雷砂に迷惑をかけただけで、何も返せないのに。雷砂について行くことだって、出来ないし」


 「お金を受け取るのに、理由が必要?」



 雷砂の言葉に頷く。

 お金を貰うなら、せめてそれを受け取れるだけの理由が欲しい。それすらも我が儘だと、わかっていたけど。


 そんなアレサを見つめて、雷砂はしばし考える。

 それから何かを思いついたように目を瞬かせ、口の端をかすかにつり上げた。

 手を伸ばし、一度アレサの手から重たい皮袋を取り上げて、それから再び彼女の両手にそれを乗せる。そして、



 「じゃあこの金で、これから先のアレサの夜をオレが買う事にする」



 まっすぐな声音でそう告げた。

 思わせぶりなその言葉に、アレサの頬が赤く色づく。

 雷砂は手のひらでそっとその頬を撫で、



 「期限は、そうだな。アレサが誰かに恋をして、その人と結婚する日まで、でどう?」



 にこりと笑う。

 アレサはそんな雷砂の顔を、再び困ったように見つめた。

 そして問う。それじゃあ、やっぱり雷砂が損をするだけだと思うんだけど、と。


 そんなことはないと雷砂が答えれば、じゃあ、どんな得があるのかと、更なる問いを放つ。

 そうだなぁと雷砂は考え、



 「そうしてアレサの夜を買えば、オレはいつでもアレサに会いに来れる、だろ?誰に気兼ねすることなく、さ」



 そう答えて、悪戯っぽく笑った。

 また、会いに来てくれるの?ーそう問うアレサに、雷砂は頷いた。



 「オレは、アレサとお母さんが、幸せそうに笑って暮らす姿が見たくて頑張ったんだ。だから、いつかオレが会いに来たときに、そんな姿をみせてほしい」



 出来れば、アレサの赤ちゃんも見てみたいな、と、そんな余分な言葉を付け加えた雷砂を見つめて、アレサは少しだけ切なそうに微笑む。

 自分と雷砂は女同士で、雷砂の目に、自分が恋の対象として映らないことなど、分かり切っていたことだ。

 だが、それを突きつけられるのは、やっぱりちょっと辛かった。


 だが、その辛さを飲み込み、頷く。

 自分は雷砂に買われたのだ。ならば、雷砂の望むように生きてみよう、と。


 いつか赤ちゃんが産まれたら、雷砂に名前を考えて欲しいーそう告げて、両手に抱えた皮袋の重みを感じながら、アレサは微笑む。

 それを受けた雷砂は一瞬面食らった顔をし、それから妙にまじめな顔でアレサの提案を受け入れた。

 今からきちんと考えておく、と神妙な表情で返す雷砂を見つめながらアレサは返す。

 赤ちゃんが産まれちゃった後だと遅いから、なるべく早めに決まった名前を伝えに来て欲しい、と。

 わかったと頷く雷砂を、アレサは心の底から嬉しそうに見つめた。


 雷砂はアレサのものにはならないし、同じ時間を過ごす事も出来ない。

 だが、少なくとも再会の約束を取り付けることは出来た。

 今はそれでいい、とそんな風に思いながら、別れを告げて去っていく雷砂の背中をじっと見送る。

 初恋の終わりを迎えた少し大人びた眼差しで、アレサはその背中が小さくなって見えなくなるまで、身じろぎ一つすることなく見つめ続けたのだった。


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