小さな娼婦編 第35話
「エメル、大丈夫ですの?」
「結構だるいけど、何とか大丈夫にゃ。そっちはどうにゃ?ヴェネッサ」
「私もまあまあと言ったところですわね。魔力はほぼ底をついてる感じですけれど」
「それはしょうがにゃいにゃ。魔力を食べさせとかにゃいと、頭からバリバリ食べられかねにゃいにゃ」
「そう、ですわね。あの蜘蛛に知性があったのは不幸中の幸いですわ。なんとか隙をついて逃げられればいいんですけれど」
「それは無理な相談だにゃ~。この状態で、どう逃げるにゃ?」
「ですわよねぇ~」
そんなのんきな会話を交わしながら、エメルとヴェネッサは顔を見合わせため息をつく。
大蜘蛛の化け物に捕らえられた二人は、奇跡的にも五体満足の状態でピンピンしていた。
場所は坑道の奥深く。
どうやらあの大蜘蛛が住処としている場所に、二人は蜘蛛の糸で顔以外をぐるぐる巻きにされて地面へ転がされている。
正に手も足も出ないとはこの事である。
新たなエサを探しに出たのか蜘蛛の姿が見えないこの好機。
それなのに身動き一つできない自分たちの状況に、それなりに経験を積んでいる冒険者である二人は歯噛みをする。
何とか糸を緩めようと動き続けていたが、流石に疲れてしまった。
魔法を使おうにも魔力はあの大蜘蛛のエサにされて空っけつ。
小さな炎一つ作れそうもない。
とはいえ、今、糸でぐるぐる巻きになっている状態で火をつけようものなら、それはそれで大惨事になりそうではあるが。
「でも、まあ、生きているだけでも御の字ですわよ。大丈夫、きっと助けは来ますわ」
無駄な努力をする事を諦めたヴェネッサが、地面にことんと頭を落として自分に言い聞かせるように呟く。
「そんなうまくいくかにゃあ?A級のアゴルの旦那もかにゃわにゃかったのに」
「あ、あれは、きっと不意をつかれたせいですわ。・・・・・・きっと」
あの時、蜘蛛の一撃から庇って貰った事を思い出し、一応そんな風にフォローしておく。
だが、ヴェネッサも、アゴルがあの蜘蛛に勝てるとは思っていなかった。
アゴルを庇うヴェネッサの顔を珍しそうに見つめ、それからにやぁっとエメルが笑う。
「ヴェネッサが他人を庇うのは珍しいのにゃ。さては、惚れたにゃ?」
「なっ!!!」
エメルの言葉に思わず絶句するヴェネッサ。
「まぁ、アゴルの旦那は色男じゃにゃいけど、男らしい感じは悪くにゃいとは思うにゃ。ヴェネッサのタイプがああいう感じとは、思ってにゃかったから、意外にゃけど」
「ち、ちちち、違いますわ!!誤解です、誤解!!!」
ニヤニヤとからかうようなエメルの責めに、ヴェネッサは顔を真っ赤にして否定する。
だが、顔を赤くしているせいで、本気で否定しているというのに照れているようにしか見えない。
「照れてるにゃ?」
「だから、違うんです~~!!!私のタイプは、あんなごついのじゃなくて、どっちかというと儚げな美少年タイプですのよ!!男臭いのは趣味じゃないんですの~~!!!!」
暗闇の中、ヴェネッサの叫びがむなしく響いた。
彼女たちはまだ知らない。
救いの手がもうすぐそこまで来ていることを。
そしてその救い手が、性別を別にすればヴェネッサの好みのタイプど真ん中だと言うことも。
二人がその事を知るのは、もう少し後のことになる。
暗闇の中を黙々と歩く。特に明かりは無い。
雷砂は夜目が効くし、アリオスも夜に活動できる梟の獣人である。
二人とも、暗闇は得意だった。
ふと、何かを感じたように雷砂が足を止める。そして、片手でアリオスを制し、坑道の先へと探るような視線を向けた。
耳を澄まして、空気の臭いを嗅ぐ。
かすかではあるが、人ではないモノの臭いがした。それも複数の。
「少し先に、恐らく開けた場所がある。そこに、何かがいるみたいだ。注意して進もう」
雷砂の言葉に、アリオスも頷く。
彼女もまた、空気中に漂う異様な気配のようなモノを感じていた。
二人はゆっくりと、進み始める。
今までよりも更に注意深く、緊張を伴って。
待ち受けるモノとの出会いは、もう間もなくだった。
ほの暗い空間に、白い少女がいた。
か弱げな、1人の少女が。
その髪は艶やかな光沢を放つ白。肌も、身につけている服も白く、ただその瞳だけが、禍々しいまでに紅い。
彼女の周りを囲むのは複数の魔物。
元々この鉱山に生息していたが、ここ最近は息を潜めていた。
自分達よりも遙かに強い別の魔物に補食されるのを恐れて。
その強者の気配がふいに消えた。
代わりに現れたのは、ひ弱な獲物。
魔物達は喜び勇んで飛び出してきた。
ここ数日は縮こまっていて、まともな食餌すらとっていない。
目の前にぶら下げられた人参に釣られ、彼らは続々と用意されたエサの前に集まって来たのだった。
小さくて喰いではなさそうだが、柔らかくて美味そうにみえた。
魔物達は互いに牽制しながら、ジリジリと包囲の輪を縮めていく。
少女は悲鳴を上げることもなく、ただ、その場に佇む。
命運はすでに決していた。
少女の、ではなく、魔物達の命運が。
少女のやけに紅い唇がにぃとつり上がる。
彼女の瞳には、隠しきれぬ愉悦の輝きが浮かんでいた。
しばらく進むと、雷砂の予想通りに広い空間に出た。
通路から慎重に様子を伺った二人は小さく息をのむ。
人がいたのだ。
小さな、少女が。
しかも複数の魔物らしき異形に囲まれている。
2人の目から見て、その命は風前の灯火に見えた。
反射的に飛び出しそうになった体を、雷砂は理性で押さえる。
同じように飛び出そうとしたアリオスの肩をぐっと掴み、慎重に様子を伺った。
何かがおかしいと、本能が警鐘を鳴らしていた。
「雷砂!?」
「何かがおかしい。あの子は冒険者に見えない。なのになぜこんな場所にいる?魔物がいて、危険な場所へ、たった1人、怪我をしている様子も、疲れている様子もなく」
問うように名を呼ばれ、雷砂は答える。
そう。おかしいのだ。
冒険者でも鉱山夫でも無い者が何故ここにいるのか?
もし迷い込んだにしても、この場所は入り口からは遠い。
普通の人間なら、たとえ大人であっても、疲れ果ててもっとボロボロになっているはず。
少女のたたずまいはあまりに綺麗すぎた。
まるでついさっき身支度を整えて家から出てきたばかりのように。
そして最大の違和感は、少女が魔物に囲まれて悲鳴一つ上げていないこと。
怯えて声が出ないようには見えなかった。
事実、彼女は震えてすらいない。
「もう少し、様子をみよう」
呟くようにそう言って、ほんの少し身を乗り出す。
そんな雷砂の目の前で事態は動き出した。
ふわり、と白い何かが空を舞う。
白い少女を取り巻くように。少女の周囲に散らばる魔物達へ絡みつくように。
それは糸だった。
細く儚い真白なそれに動きを封じられた異形達が、1匹また1匹と動きを止めて地に伏していく。
少女の紅い唇が笑みを刻み、小さな舌がちろりとその唇を舐めた。
まるで舌なめずりをするように。
静かで一方的な補食はあっという間に終わりを告げ、糸が少女の中へと消えてしまえば、その場に残るものは何も無かった。
背中を冷たい汗が伝うのを感じながら、雷砂はじっと少女を見つめたままアリオスの耳に唇を寄せた。
「オレが戦う。アリオスは、手を出さないで。出来たら、捕らえられているはずの冒険者二人を捜しておいてくれると助かる」
その言葉に、反論したい気持ちももちろんあった。
だが、そうはせずにただ頷く。
もしかしたら、自分の手に余るかもしれない、そんな気持ちがどこかにあったからだ。
目の前の、異形を一瞬で平らげた存在は、さっきまでの儚さが嘘であったかのように、得体の知れない威圧感を発していた。
恐怖を煽り、人の動きをからめとるような威圧感を。
「わかった。でも、危なくなったら迷わずアタシを呼びなよ?何をしてでも助ける」
その為に己の命が必要なら迷わず投げだす覚悟でそう告げると、その決意を感じたのだろう。
雷砂は嬉しそうに笑い、
「ありがとう。そうならないように努力する。でも、頼りにしてるよ、アリ姉」
そう言いおいて立ち上がる。
あの怪物を倒すのは、己のすべき事と、心に定めて。
雷砂はぐっと拳を握りしめ、そしてゆっくりと、白い少女の背中へ向かって足を踏み出した。
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