小さな娼婦編 第33話

 冒険者ギルドの地下から、歓声が響く。試験の合否が決したのだろう。

 間に合わなかった、そんな思いに唇を噛みしめ、アレサは地下へと続く通路を駆け下りた。

 冒険者ギルドの地下に設置された闘技場の中は、人、人、人で溢れていた。

 その隙間を縫うように、アレサは前へと進む。



 「すみません、通して下さい。お願い、通して!」



 少しずつ、少しずつ、興奮した人々の身体にもみくちゃにされながら。

 どれだけそうしていたか。不意に人垣の圧迫感から解放されたアレサは思わずたたらを踏む。

 気がつけば人垣の一番前を通り抜け、アレサは戦いの為に空けられていた広い空間へとたどり着いていた。


 開けた視界に映るのは、地べたに座り込んでいる小さな姿。

 その正面には背の高い女性がいて、二人は何かを話しているようだった。

 なんとなく親密そうな雰囲気に近寄りがたく立ちすくんでいると、そんなアレサの姿に気づいたのか、背の高い女性が二言三言、雷砂に向かって話しかける。

 雷砂が、振り向いた。

 その色違いの瞳がアレサの姿を認め、驚いたように丸くなる。



 「あれ?アレサ??」



 その唇がアレサの名前を紡いだ瞬間、彼女の身体の金縛りは解けていた。

 アレサは解き放たれたように駆けだして、座り込んだままの雷砂にその勢いのまま抱きつく。

 雷砂は危なげなく、自分よりもやや大きな彼女の身体を抱き留めて、



 「どうしたんだ?どうして、ここへ?」



 少し困惑したように、そう尋ねた。

 自分の肩口に顔を埋めたままの彼女の髪を、そっと撫でてやりながら。



 「マダムが教えてくれたの。雷砂が、私の為に無茶をするって」


 「マダムって・・・・・・ああ、イーリンか。無茶って程の事もないのに、おおげさだなぁ。ごめんな。心配させたか?」



 優しく話しかけながら、アレサの頬を撫でて顔を上げさせると、その瞳をそっと下からのぞき込む。

 目の縁は少しだけ赤くなっていたけれど、涙はたまっておらず、雷砂はほっとしたように口元をゆるめた。

 アレサも改めて雷砂の顔をしっかりと見つめ、その顔に残る戦いの残滓に胸を痛めた。



 「ごめんね、雷砂。私の為に。私がバカだったから、迷惑をかけて」



 彼女の唇からそんな言葉がこぼれ、その瞳にみるみるうちに涙がたまるのを見て雷砂は困ったように笑い、それから彼女の頭を再び抱き寄せた。



 「迷惑だなんて思ってない。オレが勝手に、オレのやりたいようにやってるだけだよ。放っておいた方がいいっていう人の方が多いんだろうけど、そっちの方がよっぽどオレにとっては痛いし苦しい。だから、謝るな。オレにとっては、アレサを助けてやれる方が楽なんだ。自分が楽になるために、やりたいようにやってるだけなんだからさ」


 「でも、でもっ」


 「ん?それじゃあ気がすまないか?じゃあさ・・・・・・」



 言い募るアレサの顔を両手で包み、その涙を拭ってやりながら、雷砂は微笑む。



 「じゃあ、泣くんじゃなくて笑ってくれ。オレはその方が嬉しい」



 言いながらアレサの頬をうにうにといじり、彼女の笑いを誘うようにニカリと笑う。

 それにつられた訳ではないが、雷砂が望むのであればとおずおずとアレサが微笑もうとした瞬間、それは起こった。


 なんだか鼻の奥がむずむずすると、手の甲で鼻をこすった雷砂は、鼻腔をなま暖かい何かが滑り落ちていくのを感じた。

 あれ?と思った時には、雷砂の形いい鼻から、赤い液体がこぼれ落ちていた。

 それを見ていたアレサの顔がさっと青ざめ、こぼれて服にシミを作った血を見た雷砂が、

 「ああ、鼻血か」

 と呟き鼻をつまんで上を向くより先に、その体は仰向けに転がされていた。頭の下には暖かくて柔らかな感触。自分の真上に見えるアレサの顔を見上げて、雷砂は首を傾げる。

 あまりにスピーディーに事は為され、思考が付いていかなかった。



 「んん??」


 「どうしよう。えーっと、布か何か・・・・・・」


 それをやった本人は、さっきまで泣いていたことも忘れて慌てている。

 わたわたと懐を探るも、着の身着のまま慌ててこの場にやってきた身。余分な物など何一つ持っていない。

 きょとんとした雷砂の頭を己の膝に乗せたままのアレサが、仕方がないから自分の服で拭こうと、服に手をかけようとした時、



 「まぁまぁ、落ち着いて。そんな高い服を汚しちゃもったいない。はい、これ」



 そんな声と共に、脇から白い手巾が差し出された。

 反射的にそれを受け取り、いそいそと雷砂の鼻に当てるアレサ。

 ほーっと息をつき、それから改めて傍らの人物を見上げた。



 「あの、親切にありがとうございました」


 「いえいえ~。それ、ちょーっと鼻をコツンとぶつけただけですから、心配いらないと思いますよ~」



 頭を下げるアレサに、よそ行きの口調で答えたのはさっき雷砂と話していた背の高い女性。

 彼女はアレサににっこりと微笑みかけ、それからにまぁっと笑って雷砂を見た。

 自分を見つめてくるアリオスの、妙にキラキラしたアンバーの目をイヤそうに見返し、



 「何がコツンだよ。あの頭突きはそんなかわいらしいもんじゃなかっただろ」



 そう返す雷砂。



 「まさかぁ。アタシが可愛い可愛い雷砂にそんな酷いことをするはずないじゃん?ねぇ」


 「ったく、大猫かぶって。アレサ、信じちゃダメだぞ?」


 「えっ?えっ??」



 二人から水を向けられて、アレサは混乱したように二人の顔を交互に見る。

 そんな彼女の前にしゃがみ込み、正面からその瞳を覗き込んでアリオスが笑う。

 胡散臭いまでのにっこり笑顔で。



 「で、お二人はどんなご関係?おねーさんにも分かりやすいように、ちょーっと説明してくんない?」


 「はい?」



 アレサは首を傾げ、雷砂は面倒くさいことになったと片手で目元を覆う。

 そんな二人を見つめるアリオスの顔は興味津々で、どうあっても事情を聞かずには逃がすまいとする気配が丸わかりだ。

 アレサと雷砂が上手く逃げる逃げ道など、どこにも残されてはおらず、諦めた雷砂が事情を話し始めるのは、もう時間の問題だった。



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