小さな娼婦編 第13話

 抜けるような蒼穹の空を滑るように、一羽の小鳥が獣人族の集落に飛来した。

 青い翼の珍しい小鳥は、誰かを捜すように集落の上空を旋回し、その人物を見つけたのか空を切り裂くように急降下していく。


 小鳥が向かう先に居るのは、背の高い黒髪の女性。

 この集落の若頭とも言うべき存在、雷砂らいさの養い親でもあるシンファだ。


 彼女は自分に近づくかすかな気配に気づき、空を仰ぐ。

 そして、見覚えのある小鳥が飛んでくるのを見て目を見開き、それから嬉しそうに微笑んだ。


 彼女は高々と右手を差し上げ、小鳥を招く。

 小鳥は招かれるままにシンファの右腕にとまり、クルルっと少し甘えるような鳴き声をあげた。

 小鳥の何かをねだるような仕草に口元を緩めたシンファは、近くを通りかかった若い獣人に小鳥の食べる物を持ってくるように頼み、自分の天幕へ足早に向かう。

 小鳥の細い足には手紙が巻き付けられていて、シンファは少しでも早くそれを読みたかったのだ。

 この鳥が、雷砂からの文を届けてくれる鳥だと、分かっていたから。


 薄暗い天幕に入り、明かり取りの窓を開けると、シンファは小鳥の足からそっと手紙を外した。

 破かないように丁寧に開くと、そこには決して綺麗とは言い難いが何とも味のある、懐かしい雷砂の文字が書かれていた。


 かつて、幼い雷砂に、シンファが文字を教えたのだ。

 そのことを懐かしく思い出しながら微笑み、目を細めて文字を追う。


 だが、最初は嬉しそうに手紙を呼んでいたシンファの顔が、次第に曇り、最後には苦虫を噛み潰したような表情へ。

 そして、まるでそれを狙い澄ましたかのように、天幕の入り口から1人の女性が入ってきた。


 短く刈った光沢のある白髪に鋭い輝きのアンバーの瞳。

 男性のような鋭さを持った顔立ちだが、性別は間違いようがない。

 少ない布地に覆われた体は明らかに女性特有の曲線を多分に有し、特にその胸元は暴力的なまでのボリュームを持っていた。



 「シン、鳥のメシだ……って、なんだ?その顔は」



 酒焼けをしたような、少しハスキーな声。

 その声に反応したシンファは、声の主をぎろりと睨んだ。

 とても、不機嫌そうに。


 睨まれた相手は、軽く肩をすくめ、シンファの視線を無視して止まり木にとまった小鳥の元へ歩み寄る。

 そしてその喉元を指先で優しく撫でてやりながら、



 「怖い姉さんの相手、ご苦労さん。ほら、メシだぞ~?」



 持ってきた鳥の餌を与える。

 その様子を見ながら唇を尖らせるシンファをおかしそうに見やりながら、



 「なんだよ?何拗ねてんだ?シン。このアリ姉に話してみな?」



 そう言って快活に笑う。

 シンファはジトっとした目で年上の、姉の様にも思っている相手を見上げ、



 「これ、手紙。雷砂から。私じゃなく、アリオスに」



 手に持っていた手紙を、相手へ突きつけた。



 「ライ坊から手紙?それもアタシ宛に?なるほど、それで拗ねてんのかぁ。シンは本当にライ坊が好きなんだなぁ」



 言いながら、アリオスはシンファの差し出す手紙を受け取り素早く目を通す。

 決して綺麗ではないが、一生懸命書いたことが分かる文字に優しく目を細め、



 「あのチビ助が独り立ちして、親離れした挙げ句、こうやってきちんと手紙を書いてよこすようになるたぁなぁ。時がたつのは早いもんだねぇ」



 うんうんと頷く。

 それから改めて内容を確認し、シンファの方を見た。



 「まあ、依頼の内容はアタシに頼みたいとは書いてあるけど、内容はちゃんとあんた宛じゃないか。それなのに、何をそんなに拗ねてんだよ?」


 「……だって、私だって雷砂の頼みなら、それくらいの事、すぐに動いてやるのに」


 「それなのに、雷砂があえてアタシを頼ったことが悔しい、と」



 呆れたようなアリオスの声に、大人げないとは思いつつもそっぽを向いてコクリと頷くシンファ。

 そんな妹分の滅多に見せない感情的な姿が何とも可愛く思えて、アリオスは思わずシンファの肩を抱き寄せ、艶やかな黒髪をわしゃわしゃと撫でる。

 シンファは憮然とした顔で、ほんのちょっぴり恥ずかしそうに頬を赤くし、横目で姉とも思う人物を睨む。



 「アリオス、子供扱いはやめてくれ。流石にいい年をして恥ずかしいぞ」


 「や~、すまん。拗ねるシンがあんまり可愛くてつい、な」



 いいながら反省した様子もなく、シンファに抱きついたまま離れる様子の無いアリオスに、シンファはあきらめ混じりの吐息を漏らした。

 幼い頃からのつきあいだ。

 言っても聞かないアリオスの性格はよく分かっていた。



 「まぁ、でも、今回のライ坊の頼みごとは、アタシの方が適任かな。シンでもこなせるけど、空を飛べる分、アタシの方が早く動ける」


 「それは分かる。だが、理屈じゃないんだ。雷砂が頼るのは、私であって欲しい。ま、ただの我が儘なんだけどな」


 己の理不尽な感情の動きに苦笑を漏らすシンファの横顔を見ながら、その顔が親の顔ではなく女の顔をしていることに、アリオスは軽く目を見張った。


 シンファが雷砂に懸想をしている。

 集落の皆がしている噂は本当だったらしい。


 男にも恋愛ごとにも興味がなく、色気のいの字も無かったシンファに艶やかな色がつき始めたことを感じて、アリオスは感慨深くも少し寂しく年下の幼なじみを見つめた。


 雷砂は今年で確か10歳になったはずだ。

 アリオスの知る雷砂はもう少し小さかった頃の姿。

 最近は集落を離れて飛び回っていることも多く、雷砂が他に居を移したこともあってほとんど会うことも無かったのだ。


 この数年の間に、あの子はどれだけ成長したと言うのだろうか。

 今回の雷砂の依頼は、いい機会だと思った。

 雷砂の器量を見極め、それによってシンファの後押しをするか引き留めるか決めなければならないだろう。


 雷砂が素直ないい子なのは知っているが、それだけではシンファを託すに足るとは言えないだろう。

 それなりの男気(女気?)を見せてもらわなければ。

 アリオスとて雷砂は可愛いが、シンファとはそれ以上の長いつきあいなのだ。

 彼女には、幸せになってもらいたかった。



 「ま、今回はアタシに任せな。シンに代わってあの子の様子もしっかり見てくるよ」



 アリオスは笑ってシンファの肩を叩く。



 「うん。わかった」



 シンファは、素直に頷いた。

 いつもは凛々しいシンファが、自分の前では存外子供っぽい話し方や様子を見せるのを微笑ましく思いながら、アリオスはもう一度シンファの肩を叩き、彼女の天幕を後にした。


 次に向かうのは自分の天幕だ。

 雷砂の元へ向かうにしろ、色々と準備が必要だったから。


 天幕に入ったアリオスは、まず仕事道具をおいている一画に向かうと、比較的大きなかごを引っ張り出した。

 きちんと蓋をして運べるタイプの物だ。

 これだったら、雷砂の手紙に会った頼まれ物を落とすことなくきちんと運ぶことが出来るだろう。


 その籠を、まずは天幕の外に運んでおき、それから再び天幕の中に戻ると彼女は手早く衣類を脱いでいった。

 あっという間に一糸纏わぬ白い裸体を空気にさらし、乱れた白髪をかきあげた彼女は、次の瞬間には見事な白い羽毛に包まれた、大きなフクロウの姿に変わっていた。

 アリオスはくちばしで羽を整え、以外と長い足で器用に歩き、天幕の外へと向かう。


 彼女は、最近は随分と数を減らしてしまった鳥系獣人の1人だった。

 昔は各集落に数人は姿が見られた様だが、近頃はそれぞれの集落に1人居ればいい方だった。


 鳥系の獣人族は、他の獣人の血が混じると、相手の血に負けることが多い。

 故に、鳥系同士で子作りをしない限り、鳥系の子供が生まれる事はほとんどと言って良い程無かった。

 そんな理由もあって、鳥系の獣人はどんどんその数を減らしつつあった。


 空を飛ぶことの出来る鳥系獣人は、どの集落でも重宝され、仕事は事欠かない。

 アリオスも例外ではなく、彼女はいつも色々な届け物や頼まれ事を抱えて空を飛び回っていた。


 そういう意味では、今回の雷砂の頼みごとはタイミングが良かった。

 ちょうど先日、仕事を終えて集落へ戻り、しばらく羽を休めていたところだったのだ。

 雷砂の手紙があと数日遅ければ、おそらくアリオスは次の仕事に出てしまっていた事だろう。


 まあ、シンファとしてはきっと、その方が都合が良かったに違いないが。

 あの愛すべき幼なじみは、用事にかこつけて雷砂の元へ馳せ参じ、行ったが最後、押し掛け女房の様に雷砂の側に居着いてしまってもおかしくなかったと思う。


 それはそれで悪いとは言わないが、そうなる前に今の雷砂の様子を自分の目で見て、シンファを任せられるか確かめる事が出来るのは僥倖だったと、アリオスは胸の内で小さく微笑んだ。


 天幕の外へでたアリオスは、大きな羽を広げて早速大空へと舞い上がる。

 忘れることなく大きな籠の取っ手を両足でしっかりと掴んで。

 そしてそのまま彼女は、集落を抜けて雷砂に頼まれた物を手に入れるために、ある人物を訪ねてサライの村へと向かうのだった。






 雷砂が旅に出てからめっきり人が来ることの減った店先で、薬師のサイ・クーはうつらうつらとまどろみの中にあった。

 そんな彼の耳に、コンコンと、入り口のドアを叩く音が聞こえた。


 客が来たかと目を開けたサイ・クーは、薄目をあけて入り口を見る。

 だが、いつまでも入ってこない客に首を傾げ、気のせいだったかなと思い始めた頃、再びドアを叩く音がした。


 どうやら、空耳ではなかったらしい。

 サイ・クーはどっこらせと立ち上がり、年の割には軽やかな足取りでドアの元へと向かった。

 内開きのドアを大きく開くと、そこには立派な羽毛と体躯の、真っ白なフクロウがいた。

 その貫禄のある姿に思わず見とれるサイ・クー。

 そんな老人を、アリオスは美しい琥珀の瞳で見上げ、



 「獣人族のアリオスだ。あんたがサイ・クーさんかい?」



 ざっくばらんに自己紹介をし、そう尋ねた。

 フクロウの口から響く流暢な言葉に目をぱちくりしたものの、すぐに破顔し、



 「おお、獣人族の方かね。いかにも、わしがサイ・クーじゃ。今日は、族長の薬を取りにきたのかの?シンファさんは用事かな?」



 言いながら、店の中へアリオスを招こうとした。

 だが、アリオスは首を振って辞退する。そして、傍らの籠を翼で示した。



 「いや、今日はそっちの用事じゃないんだ。雷砂からの頼まれごとでね」


 「おお、雷砂の。あの子は元気にしとるのかのう?」


 「手紙の様子じゃ元気そうだけど。取り敢えずその籠の中に雷砂が送ってきたリストがあるから、揃えてもらえるかな。代金はアタシが立て替える」



 アリオスの言葉に頷き、サイ・クーは雷砂のメモを片手に店に戻っていく。

 そして手早く依頼の品をかき集めると、外に戻って籠の中へ納めた。



 「なかなか手に入りにくい品が多かったから、手元にあって運が良かったわい」



 そういってニコニコ笑う老人に、



 「ありがとう。助かるよ。で、いくらだい?」



 単刀直入にアリオスが問う。

 サイ・クーは微笑んで首を振り、



 「いや、金はいらんから、雷砂に伝えてくれんかのう?薬草の対価は薬草で。そう伝えれば、雷砂には伝わるはずじゃ」


 「いいのかい?ま、あんたがいいならアタシには異存は無いけど。薬草の対価は薬草で、だね?ちゃんと雷砂にそう伝えるよ」



 答えて羽を広げたフクロウは、籠をがっしりつかむと空へ舞い上がる。

 その姿を見上げ、サイ・クーは声を張った。



 「この爺が生きている内にもう一度くらいは顔を見せに来いと、ついでに雷砂に伝えてもらえるかの?」



 その言葉に、アリオスは頷く。



 「わかった。ちゃんと伝えるよ。じゃあ、爺さん。また」



 真白の翼が、力強く羽ばたく。

 サイ・クーが見つめるその前で、アリオスの姿はあっという間に空の彼方へと見えなくなった。


 アリオスの白く美しい姿が見えなくなってなお、しばらくその場で見送っていたサイ・クーは、久々に聞いた雷砂という名前の響きに口元を綻ばせたまま、閑散とした己の城へ戻っていく。


 薬草の対価は薬草で。

 それに応えた雷砂がどんな薬草を見繕い、どんな処理を施した上であの白いフクロウに託すのかと考えると、サイ・クーは久々にわくわくした気持ちになるのだった。

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