小さな娼婦編

小さな娼婦編 第1話

 アルレービオは街道沿いにあり、それなりの規模を持つ町だった。

 交通の便がいいこの町は、商人の出入りも多くそれなりに賑わっていたのだが、その賑わいにここ最近、影が差し始めていた。


 異形が出るのだ。

 昼と言わず夜と言わず。アルレービオと他の町をつなぐ街道で。

 そのせいで、街道を行く旅人もすっかり減り、商人も滅多に足を運ばなくなった。


 幸い、近くの鉱山は以前と変わらず操業しており、鉱山で働く者達がお金を落としていってはくれるが、入ってくる物資が足りないせいで、物価は高騰した。

 アルレービオの町長はもちろん領主に救援を要請したが、対策は遅々として進まなかった。

 領主から派遣された騎士の小隊がアルレービオに駐留し、街道の異形の掃討にあたったが、倒しても倒しても異形はまた現れた。

 まるで無限にわき出るかのように。


 そんな事が数ヶ月続き、町の住民も駐留する騎士達も疲弊しきった頃、なにも知らない旅の一座が町を訪れた。

 普段であれば町へやってくる者も出て行く者も容赦なく襲いかかる異形が、なぜかこの時だけはなりを潜めたのだった。





 アルレービオの町中。商店の並ぶ通りの端にある小さな飲食店の前に、ちょっと腹の出た壮年の男と、まだ年若い少女が向かい合うようにして立っていた。



 「悪いな。うちの店も色々厳しくてな」



 人の良さそうな店主はそう言って頭を下げる。



 「そんな……ここを首になったら、私……」



 少女は青ざめた顔で、店主の顔を縋る様に見上げた。

 今までも何度か暇を出されそうになった時はあった。

 だが、いつもこうして人のいい店主の仏心に縋って何とか乗り切ってきたのだが、今回はいつものようには行かなかった。

 店主は気の毒そうな顔をしたものの、今回は首を縦には振ってくれなかった。



 「本当にすまないな。お前さんの母親の病気は気の毒だと思うし、余裕があるうちは何とか力になってやりたいと思っていたが、その余裕がもうないんだよ。うちも店を畳むか畳まないかの瀬戸際なんだ。さ、これが最後の給金だ。ほんの少しだけど色を付けておいたから」



 そう言って、店主は皮の小袋を少女の手の中にねじ込んで、逃げるように店の中へ戻っていった。

 残された少女は、ただ呆然と、その背中を見送るしかなかったのだった。





 薄暗い家の中、血の気のない母親の顔を、少女は静かに見下ろしていた。

 母親が病に倒れて半年ほど。少女は必死になって働いた。

 だが、どれだけ働いてもその給金は母親の薬代に消えていき、家計は苦しくなる一方だった。

 家の蓄えを切り崩しながら何とかごまかしてきたが、その蓄えももうじき底をつくことだろう。仕事の当ても、もうない。


 首にした店主を、少女は恨んでいなかった。

 あの店主が本当にぎりぎりまで少女を雇ってくれていたことは、何となく気づいていたのだ。

 だが、それでもどうにもならなくなり、彼は顔見知りの少女ではなく己の家族を選んだ。

 それだけのことだ。それは仕方のないことだし、当然のことだと少女も分かっていた。



 「私が、頑張らないと」



 小さな小さな声で、少女は呟く。

 黒い瞳が、心細げに揺れていた。



 「もう、いいのよ。アレサ。もう、私の薬は買わないで、お金はあなたのために使いなさい」



 か細い声が響いた。母親の声だ。

 アレサと呼ばれた少女は、弾かれたように顔を上げた。眠っているとばかり思っていた母親はいつの間にか目を開けていて、その妙に澄んだ眼差しで己の娘を見上げていた。



 「私はもう十分生きたわ。だから……」


 「だめよ!私はお母さんを見捨てたりなんかしない!!」



 アレサは思わず叫んでいた。

 それからはっとしたように、ぎこちなく母親に笑いかけ、



 「お、大きな声を出してごめんね、お母さん。私、仕事を探しに行ってくるから。お薬、ちゃんと飲んでね?」



 そう言い置いて、何かを言おうとする母親から目を背けて、逃げるように家を飛び出していった。






 夜の町を、アレサは一人歩いていた。

 あの後何件かの店を訪ね歩いてみたが、新しい従業員を雇う余裕のある店はなく、全てすげなく断られてしまった。


 今居るのは町の中でも比較的大きな酒場の前。

 酒場は、大口の客が入っているのか、たいそう賑わっていた。

 どうやら、今日外から来たばかりの客らしい。

 客をねらって店の外で待つ商売女達がそんな噂話をしていた。何でも、旅芸人の一座なのだそうだ。

 男も多く、娼婦達にとってはいい稼ぎどころなのだろう。彼女達はみんな身綺麗にして宴の終わりを待っていた。


 客を待つ娼婦達を見回し、それから賑わいを見せる酒場の明かりを見つめ、アレサはため息を漏らす。

 いっそのこと、私も身売りをしてみようかーそんなことを思うくらい追いつめられていた。

 何しろ、金がないのだ。

 貰った給金は、母の薬代にほとんど消えてしまった。家に残っている食料だって心許ない。


 何とかしてお金を稼がなければならないのに、単純な労働力としてのアレサを求めてくれる雇い主はどこにもいない。

 今の彼女が売れるもの、それは己の体しかありはしなかった。


 初めてだし、少しは高く買ってもらえるかもしれないーそんなことを考えながらぼんやり酒場の入り口を見ていると、数人の男がその入り口から外に出てきた。

 宴はまだ続いているようだが、酒ではない、他のものを求めて出てきたのだろう。

 夜の町へ消えていこうとするその集団を夜の女達が追っていく。

 アレサは何気なくその集団を目で追って、そして目を見開いた。


 その人は屈強で背も高い男達の中で、少し困ったような顔をしていた。

 まだ、年若いのだろう。

 背も小さく、体つきも華奢だが、周りの男達の誰よりも目立っていた。


 美しい金色の髪が暗闇の中で輝いている。

 まだ、幼さの残る顔立ちは、可愛いと言うよりは凛々しく整っていて、素直に綺麗だと思った。


 あの人も、女を買いにいくのだろうか?ーアレサは、気がつけば男達の集団を追うように動きだしていた足を必死に動かしながら、そんなことを思う。

 女を買うーそんな生臭い行為は、彼には似合わないように感じた。

 だが、そんなアレサの考えなど関係なく、商売女達は男達に追いつき群がっていく。

 彼らはみな、まんざらでもない顔だ。やはり、女を求めているのだろう。でも、彼は?

 アレサは人の波に飲まれた小柄な姿を必死に探す。



 「あらぁ。ずいぶんと可愛い子がいるんだねぇ。坊やも、女をお探しかい?」



 婀娜っぽい女の声の方へと目を向ければ、それなりに美しい年増女に腕を取られる優しげな姿。



 「いや、オレは」



 苦笑混じりの涼しげな声が耳に届いた瞬間、アレサは走り出していた。

 そして走る勢いのまま、年上の女性に腕を取られた少年の胸の中に飛び込んだ。


 間近に見える色違いの瞳。

 片方は髪と同じ黄金で、もう片方はアレサの瞳の色と良く似ている。

 彼は、急に腕の中に飛び込んで来たアレサを驚いたように見つめ、目を丸くしていた。

 その様子が、なんだか妙に可愛らしかった。

 体も思っていたより細くて、遠目で見て予想したより年若いのかもしれない。


 でもアレサだってまだ若い。

 この間やっと15歳になったばかりなのだから。

 彼がどれだけ若いにしろ、年増の商売女より自分の方が彼に似合いのはずだ。

 だから。

 アレサは潤んだ瞳で、まるで宝石のように美しい色違いの瞳を見つめた。



 「あ、あの」


 「ん?」



 口ごもるアレサを、少年が優しく促してくれる。

 それに勇気を貰って、アレサは思い切って口を開いた。



 「私を、一晩買ってくれませんか?」



 ぎゅっと目を閉じ、少年の返事を待つ。

 困っている様な、そんな気配が伝わってくるのを感じて、アレサは泣きたいような気持ちになる。



 「おお?雷砂らいさ、やるじゃねぇか。どうする?セイラにはうまいこと言っておいてやるぞ?」



 少年の仲間らしい、男の言葉。

 彼の名前は雷砂というらしい。ちょっと変わった響きだが、彼には良く似合っているように思えた。

 セイラというのは、彼の恋人の名前だろうか。そう考えたら、さらに泣きたくなった。



 「ジェド、うるさいよ。セイラにはよけいなこと言うなよ?」



 少しぶっきらぼうな少年の、雷砂の声。

 それから彼は、そっと優しくアレサの手を握り、



 「まあ、あんたを買うかどうかは兎も角、ここじゃ外野がうるさい。ちょっと場所を移すからついてきて?」



 言うが早いか、アレサの手を引いて夜の町に駆けだした。目を白黒させながら、アレサは素直に足を動かす。

 そうして走って、気がつけば、2人は人気の少ない路地裏に来ていた。

 弾む息を整えながら、わずかに自分より下にある雷砂の瞳を見つめる。走ったせいだけではなく、胸がドキドキしていた。



 「何で、自分を売ろうとしたんだ?」


 「お金が、必要なの」



 不意に問われ、アレサは思わず素直に返事を返していた。



 「お金かぁ。今、あんまり持ち合わせてないんだよなぁ。ジェドの奴にいきなり連れ出されたから……えっと、あんた、名前は?」


 「アレサ」


 「アレサか。良い名前だ。オレは雷砂。なあ、アレサ。宿まで一緒に来てくれれば、少しは渡せると思うんだけど、一緒に来る?」


 「えっと、あなたの泊まってる宿で、その、するの?」



 妙にあっさりとした雷砂の口調に、思わず問い返す。

 彼の泊まる宿なら恋人もそこに泊まってるはず。

 そんな場所で、その、いたすのは少々落ち着かない気がしたのだ。

 しかし、



 「いや、しないけど?」



 雷砂はさらっと答える。



 「じゃあ、何でお金を?」


 「アレサは、困ってるんでしょ?」


 「困ってるけど、なにもしてないのに恵んで貰うわけには」



 言い募るアレサを見上げ、首を傾げてしばし考えた後、雷砂ははっとしたような顔をした。

 そして、少し困ったようにアレサを見つめ、



 「あ~、もしかして、アレサは勘違いをしてる、かもしれない」



 歯切れ悪く、そう言った。アレサは首を傾げる。



 「勘違い?」


 「その、オレにはアレサを一晩買う必要がないんだよ」



 その言葉に、アレサは泣きそうになった。



 「恋人が、いるから?それとも、私に魅力がないせい?」



 泣きそうなアレサの顔を見て、雷砂が心底慌てたように声を上げる。



 「や、そうじゃなくてだな。アレサは魅力的だよ。可愛い。その、アレサに魅力がないとか、オレに恋人がいるとかは関係なくて、その、アレサはきっと、オレの性別を勘違いしてる」


 「え?だって、雷砂、さんは、男の子でしょ?」


 「呼び捨てで良いよ。オレもアレサを呼び捨てにしてるんだから。やっぱりな。勘違いしてた」


 「え?え?」



 混乱するアレサの手を取って雷砂はその手を導いた。己の、やっと少し膨らみ始めた胸の上へと。



 「ほら、ちょっとだけど膨らんできてるだろ?」


 「え、まさか、雷砂って、お、女の子、なの!?」


 「ん。まあね」



 信じられない思いで叫ぶと、彼……いや、彼女は短く答えると、綺麗な顔でにっこりと笑った。

 その笑顔があまりに綺麗で、相手が女の子とわかってもなお、アレサは己の胸が高鳴るのを止めることが出来なかった。

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