水魔の村編 第12話
朝食後の一休みを挟んで、
イルサーダの指示で、結界をはる準備をするためだ。
手の中にはイルサーダに託された彼の髪の毛の束がある。
これを村の周りを囲むように10カ所に埋め、それを触媒として結界を張るのだという。
走りながら時々足を止めては、地面を軽く掘り返す。後はそこに髪の毛を投げ入れ、土をかぶせるのだ。
そうすると、それが結界の基点の1つになるらしい。
ちょうど今埋めたもので5カ所目。やっと半分折り返し、雷砂は少し休憩を挟むことにした。
近くにあった切り株に腰を下ろして小さく息をつく。
今のところ、なり損ないの襲撃はない。この調子なら昼までに結界を張る準備は整うだろう。
一度結界を張れば、そう簡単に破られることはないとイルサーダが言っていた。それくらい念入りに張っておくつもりだと。
結界が機能し、村の中だけでも安全に過ごせるようになれば、家の中に隠れている人達も安心して家の外に出ることが出来るに違いない。
閉じこもりっぱなしの子供達も、元気に外で遊べるようになるだろう。
やはり子供は元気に外で遊ぶのが一番だと、そんな事を考えながら口元を綻ばせた時、小さな悲鳴が聞こえた。
か弱く甲高い悲鳴。
女性の声の高さとはまた違った音域のそれを聞いて、子供の声だと瞬時に断じた雷砂は、声の聞こえた方向へ駆けだした。
「ロウ、おいで」
走りながら、頼りになる相棒を呼び寄せる。
進行方向に、凶悪な気配が複数感じられた。気配の感じからすると恐らくなり損ない達の様だ。
奴らは皆、同じ方向に向かって走っているようだ。多分、同じ獲物を追っている。
「ロウ、お前の方が足が速い。先に行って子供を守れ。頼んだぞ」
銀色の狼は金色の瞳で雷砂を見つめてクゥと鼻を鳴らすと、一気に走る速度を速め、あっという間に見えなくなった。
それを見送り、雷砂は腰にさした小さなナイフを手に取る。
以前のナイフが使い物にならなくなり、旅立つ前に急遽あつらえたものだった。
「なり損ない相手には少々頼りない牙かもしれないが、まあなんとかなるだろ」
ナイフを握ったまま、雷砂もまた足を早める。
再び子供の悲鳴。争乱の気配が、近くなってきていた。
少女は森で薬草を探していた。
数日前から母が体調を崩し、どうしてもその薬草が必要だったのだ。
家の外が危険なことは、分かっていた。森の中は更に危険だということも。
だが、苦しむ母を見ていられなかったのだ。
その病気は珍しいものではなく、森の中の特定の場所に生える薬草を煎じて飲みさえすれば、すぐに治ることは分かっていた。
最初は順調だった。
怖い獣も、化け物も、気配すら感じさせなかった。
だが、夢中になって薬草を摘んでいるうちに、いつの間にか囲まれていた。
異形の、気持ち悪い格好をした化け物達に。
大人達は、そいつ等をなり損ないと呼んでいた。人を食べるのが大好きな怖い化け物なのだと。
声の限りに悲鳴をあげた。
気がついた時にはもう走り出していた。なり損ないと呼ばれる化け物達に背を向けて、力の限り、懸命に。
だが、どれだけ走っても奴らの息づかいが追ってくる。引き離せない。
もうだめだと思ったとき、ぐいっと服の背中が引っ張られた。
捕まったと思い、悲鳴をあげた。もう、食べられてしまうのだと。
しかし、覚悟した痛みは一向に訪れず、少女の体はものすごいスピードでどこかへ運ばれているようだった。
しばらくそうして運ばれ、ふいに思いの外優しく地面へと降ろされた。
恐ろしさのあまり閉じていた目を、恐る恐る開く。
目の前にいたのは、醜い異形などでは無かった。
そこにいたのは輝くように美しい、銀色の毛皮の大きな獣。
それはびっくりするくらい澄んだ金色の瞳で少女を見つめていた。
自分が彼女を怖がらせてしまうことを恐れているのだろう。
少し距離を置いて、彼女の様子を伺っている。ふさふさのしっぽを緩やかに揺らしながら。
不思議と恐ろしいとは感じなかった。
むしろ、胸に安心感が満ちてくる。もう、大丈夫だと。
少女は座り込んだまま、背中に当たった固いものにその身を預けた。
ちらりと後ろを見ると、切り立った岩肌が壁の様になっており、斜め後ろに小さな洞穴がぽっかりと口を開けている。
のぞいてみると、中はそれ程広くないようだ。
子供1人くらいなら、なんとか入り込める程度の広さ。
それを確認していると、後ろからお尻を押された。
見ると銀の獣が、中に入れというように鼻面で少女を後ろから押していた。
(ここに隠れろって、そう言ってるのかな?)
銀の獣の言いたいことは分からないが、何となくそう推測して、少女は素直に穴の中に体を押し込めて、膝を抱えて座る。
そうすると、銀の獣が満足したように目を細めるのが分かった。
(まちがって、なかったみたい。良かった)
少女はほっと息をつく。
それから、手に握ったままの薬草を見て、思わず泣きそうになった。
一生懸命たくさん摘んだのに、逃げるうちにほとんど落としてしまった。
手の中に2本ほど残っているが、量が足りない。
でも、もしこのまま何とか助かったとして、もう一度薬草を摘みに行くことは怖くて出来そうになかった。
涙がこぼれて、鼻水をすすると、暖かく湿った何かが少女の顔を舐めた。
びっくりして瞬きをする。
すぐ近くに銀の獣の鼻先があり、再びべろんと舐められた。優しく、慰めるように。
金色の目が優しくこちらを見つめていて、少女は涙を拭い、微笑んだ。
その時、不気味なうなり声と足下の草を踏み荒らす音が聞こえてきた。
追跡者が、追いついてきたのだ。
恐怖に体を固くする少女を安心させるようにもう一度その頬を舐めてから、銀の獣が向きを変える。
そんな銀色の大きな体を見ていると、不思議と怖いと言う気持ちが薄らいでいくのだった。
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