水魔の村編
水魔の村編 第1話
その日、いつものように野営地を定め、旅芸人の一座の面々は野営の設営と食事の準備に追われていた。
今日は天気が悪く、空が雲に覆われていたせいか、暗くなるのが速かった。
男達は手分けして火をおこし、まずは明かりの確保を優先する。
炎が燃え上がるとみんな何となくほっと息をつき、またそれぞれ自分に割り当てられた仕事に戻っていく。
今回の旅から同行させて貰うことになった一座の新入り、
短い黄金色の髪に色違いの瞳の少女は、黄金と濃紺の瞳を油断なく周囲に向けている。
整った顔を凛々しく引き締めて、雷砂は暗くなり始めた獣道を危なげなく歩いた。
5歳の年から獣人族と共に草原に暮らした為か、元々の体質のせいか、雷砂の五感は人のものとは思えないほど鋭い。
薄暗くて、普通の人なら明かりがなければ歩けないような道でも、雷砂にとっては何の苦労もなく歩ける。
両手に木のバケツを持ち、雷砂が急ぎ足で向かうのは近くにあるはずの水場だ。
この先にあることは、何となく分かっていた。
昔から、雷砂は水場を探すのが得意なのだ。近ければ水の匂いで分かるし、遠くてもなんというか気配の様なものを感じる事が出来る。
そろそろ水場が近いのだろう。雷砂ははっきりと、清浄な水の匂いを感じることが出来た。
それからすぐに目の前が開け、さらさらと流れる小川に行き当たった。
小さいけれど、きれいな川だ。
川を泳ぐ数匹の魚が目に入ったので、足下の石を何個か拾って無造作に投じた。
直後、水面に魚が浮かび上がり、雷砂は手際よく拾い上げて持っていた皮袋に納めると、それを腰紐にくくりつけた。
次いで持っていたバケツに水をたっぷり汲み上げ、さて戻ろうかと体を起こした時、何だかおかしな感じを受けて雷砂は周囲を見回した。
はっきりした気配ではないが、何だかおかしい。
その感じは、川の上流の方から感じられた。
だが、それ以上嫌な感じが膨れ上がることはなく、雷砂はとりあえず野営地に戻ろうと歩き始める。
野営地に戻ってから一座の座長であるイルサーダにそれとなく進言しようと考えながら。
そうして歩きながら、雷砂はふと、霧が出始めているのを感じた。
最初はうっすらとした霧だったのに、雷砂が野営地に戻る頃には数メートル先を見るのにも困るような、濃い霧に変わっていた。
なんだか、嫌な感じのする霧だった。
持ち帰ったバケツを魚を調理班に渡して、雷砂は座長のイルサーダの姿を探す。
急に周囲を覆い尽くした、この霧が何だか気になっていた。
きょろきょろと彼の姿を探し、少し先で数人の座員と立ち話をしているひょろりと細身の、優しげな青年の姿を見つけて駆け寄る。
「イルサーダ、ちょっといいか?」
青年は雷砂に声をかけられる前から彼女に気づいていたようだ。
蒼い瞳を優しく細めて微笑み、一緒にいた他の面々に断って、彼の方から雷砂に近づいてきた。
「どうしました?雷砂」
「この霧のことだ」
「ああ。雷砂も気がつきましたか。流石ですね」
なるべく周りの目に留まりにくい場所へ向かいながら小声で話す。
イルサーダは出来のいい生徒を褒めるように、雷砂の頭をそっと撫でた。
「この霧、何かがおかしいよな?なんていうか、なにか混ざってる?」
「そうですね。違和感に気づけたのは良いことです。本当はもう少しつっこんで感じ取って欲しいところですが、まあ、そっちの教育は追々やっていきましょう。……この霧、濃いと思いませんか?雷砂」
言われて雷砂はもっとよく感じるためにそっと目を閉じる。
息を吸う度に感じる息苦しいほどの密度。水よりももっと濃い何か。
「……魔素か?霧に、魔素が混じってる?」
「よろしい。正解です。この霧にはびっくりするくらいの濃度の魔素が感じられます。抵抗力の弱い人間なら、魔素酔いを起こしてしまうくらいには」
「それ、大変じゃないか。みんなは、大丈夫なのか?」
「まあ、うちの一座は私の独断と偏見で、なるべく綺麗な存在を集めてますからね。玉に例外はいますが、みんなそれなりに魔素には強いと思います。でもまあ、危険は遠ざけるに越したことはないので、水の結界を張っておきますか」
一般的に、綺麗な心の持ち主は魔素への抵抗が強いらしい。
もちろん、限度を超えて魔素を受け続けたら、どんなに崇高な精神の持ち主であろうと、魔に落ちることをは否めないが。
魔への抵抗力は、人の精神に左右される。
誘惑に弱いもの、憎しみを持つもの、嫉妬心の強いものーそんな性質を持つ者は比較的魔への親和性が強く、魔鬼に落ちやすいのだ。
イルサーダが言う綺麗な存在とは、魔との親和性が低い精神を持つ人達の事。
優しい心を持つもの、愛する心を持つもの、正直な心を持つものーそんな人達のことを言うのだろう。
イルサーダは、結界を張る為に精神を集中している。
彼は人の姿をしているが龍神族という種族で、人の姿の他に龍の姿を持っている。
強大な能力を持っているが、その能力は人の姿では扱いづらいらしい。
イルサーダ曰く、人の器には大きすぎる力なのだそうだ。
彼はしばらくうんうん唸り、口の中でなにかぶつぶつと呟いた後、ふーっと額の汗を拭ってからいい笑顔で雷砂の方を見た。
上手にできました、褒めて下さいと言わんばかりに。
そんなイルサーダの様子に苦笑しながら、雷砂は自分より遙かに上にある青年の頭を、一生懸命背伸びしてよしよしと撫でる。
だが、イルサーダは少し不満顔だ。
「それだけだと私の労力に見合いません。ハグをっ、ハグを要求します!!」
さあ、どうぞと両手を広げるイルサーダを軽く無視し、雷砂は彼の張った結界の外へ意識を向ける。
獣というには歪な何かが、結界の外を囲みつつあった。
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