第8章 第2話

 明日の祭への期待に、村中が盛り上がる中、村唯一の薬師の庵は静かなものだった。

 皆に混じって賑やかに騒ぐほど若くもないし、年寄りは年寄りらしくのんびりと自分で入れた茶をすすっていると、



 「サイ爺、いる?」



 ひょっこりと雷砂らいさが顔を出した。



 「おお、おるぞ。ほれ、さっさと入ってこい」



 良い退屈しのぎが来たとばかりに、相好を崩して雷砂を招き入れる。茶でも入れてやろうと立ち上がろうとすると、



 「いいよ、自分で入れる」



 と雷砂に仕事をとられてしまった。

 雷砂は、勝手知ったる他人の家とばかりに、茶を入れはじめ、



 「お代わりは?」



 そう聞かれたので、サイ・クーは素直に自分の湯飲みを差しだした。

 2人で差し向かいで茶をすすり、ほっと一息。

 それから老人は向かいに座る少女の顔をちらりと見てから、



 「で、今日は何の用じゃ?」



 そう水を向けると、



 「ん?まあ、そんな大した用じゃないんだけど、サイ爺、手を出して?」



 何かをごそごそ探しながらそう言ってきたので、手のひらを上にしわ深い手を素直に差し出すと、雷砂はそこに、小さなコインを一枚乗せた。

 それをつまみ上げ、しげしげと眺める。

 表にはなにやら精緻な刻印があり、裏には数字の3が大きく刻まれていた。

 はて、何に使うものだろうと首を傾げていると、



 「イルサーダが、サイ爺に渡すようにってくれたんだ」



 にこりと笑ってそう言ったので、



 「あの性悪龍が、一体なんの企みじゃ?」



 そう返した。

 その言いようが面白かったのだろう。雷砂はひとしきり笑い、それから説明してくれた。

 このコインをもって舞台の天幕に行けば、一番前で舞台鑑賞が出来るのだ、と。



 「昔のよしみです、私が時間をかけて作り上げた芸術を見て、精々暇つぶしをして下さい……ってさ」


 「ふん。奴が言いそうなセリフじゃの。なんとも嫌みじゃわい」


 「イルサーダとサイ爺は仲がいいんだね」


 「仲がいいなど、やめてくれ。怖気おぞけが走るわい。ま、精々腐れ縁、といったところじゃろうのう」


 「ふうん。昔、一緒に旅をした龍がイルサーダなんでしょ?」



 身を乗り出し、興味津々といった様子の雷砂に、サイ・クーは優しい眼差しを向けた。 



 「旅をしたと言っても、ほんの一時のことじゃ。奴の体の傷が癒え、一人で旅立てるようになるまでの間のな。まあ、あの頃はワシもまだ若かった。今であれば、あんな性悪の手当など御免被るところなんじゃがのぅ」


 「性悪かぁ。まあ、ちょっと性格に癖はあるよね、あの人は。でも、良い人だよ。この村を守ってくれたのもイルサーダだし」


 「まあ、確かにの。奴のおかげで助かったと、素直に認めるのは業腹じゃがの」



 サイ・クーは大きく息をついて、少し冷め始めた茶をすすった。

 雷砂はそんな老人を面白そうに見つめ、それから両手で包み込んだ湯飲みに目を落とした。

 サイ・クーはそんな雷砂を片目で見やり、



 「で、この爺に何か話すことがあるんじゃろ?」



 そう言われて、雷砂ははっと顔を上げた。

 そんな雷砂を、サイ・クーは孫を見つめるような眼差しで見つめる。

 実際、雷砂は天涯孤独のサイ・クーにとって孫の様なものだった。

 雷砂が可愛かったし、飲み込みの早い雷砂に己の持つ薬剤の知識を惜しみなく与えもした。

 週のうちの何度かは雷砂が顔を出し、一緒に茶を飲み、薬のことや日々のこと、色々な話をする。

 そんなかけがえのない時間がもう終わるのかもしれないという予感があった。



 (もう少し先の事だと思っていたが、子供の成長とは早いものだのう。まだ早いと思うし、もう少し手元に置いておきたいとも思うが、それは大人の我が儘なんじゃろうなぁ)



 そんな事を考えながら、しんみりとした面もちで少女を見守る。



 「……ああ。実は、サイ爺にお願いがあってきたんだ」



 老爺の見守るような眼差しを受けながら、雷砂はゆっくりと語り始めた。







 祭前日の、日が落ちようとしていた。

 草原の西の一角、ライガ族の集落のほぼ中心の族長の為のパロでは、族長・ジルヴァンが一人、なにやら文書に目を通していた。


 文書は2枚あり、1枚は今年15歳になった若者を連れての行商の責任者からのもの。

 行商は特に問題なく、旅も順調との事だった。

 この調子なら、夏を過ぎて秋になる頃には王都に入り、帰路の途中の街で冬を越し、春には予定通りこちらに戻ってこれるだろうとも書かれていた。

 今年の行商にはお調子者が一人紛れ込んでおり、少々心配していたが、それも杞憂だったようだ。

 責任者は彼の名前もあげ、思っていた以上に真面目に取り組んでいるから心配はいらないと書いてきた。それを家族に伝えてやって欲しいとも。

 もちろんそうしてやるつもりだった。

 明日にでも伝えにいってやろうと考えながら、右手で目頭を揉んで疲れを散らすと、もう一枚の文書にも手を伸ばした。


 そちらは春の部族会に、ジルヴァンの名代として出席させたシンファからのものだった。

 部族会は特に難しい問題も持ち上がらず、その行程を半ば終えたとの事だった。



 (問題がないのは重畳。まあ、シンファに任せれば大抵のことはうまく裁いてくれるとは思うが)



 そんな事を考えながら読み進める。

 最初は真面目な報告だったが、だんだんと愚痴めいた内容になってきて思わず口元が綻ぶ。

 どうやら、妙齢の乙女であるシンファに対して、どの部族もとっておきの縁談を持ち寄っていたらしい。

 その上、シンファがどの男を選ぶか、賭けまで持ち上がっているようだ。


 興味がないと片っ端から断っているようだが、相手が引かないのでいい加減うっとおしいし困っている、とそんな内容がつらつらと綴られ、最後は「くれぐれも体を自愛するように。叔父上は無理をするのが得意だから」と説教めいた言葉で締められていた。


 その言葉の選び方が何ともシンファらしいと、思わず笑みが浮かんだ。

 縁談に関しては、早く良い相手が見つかれば良いとも思う。良い男が見つかったなら、嫁にやるのも構わないと思っていた。

 彼女は次期族長候補ではあるが、ジルヴァンに彼女を縛るつもりは毛頭無かった。

 シンファが村を出るなら、別のものを族長とすればいいのだ。

 血筋などは関係なく、部族の者が認める者を族長とすればいいと、常々ジルヴァンは考えていた。


 息子がいたなら、少し考えは違っていたのかもしれない。

 だが、息子はずいぶん前に、愛する妻とともに失われてしまった。


 妻の白銀の毛並みを受け継ぎ、白銀の地毛に黄金色の縞の入った見事な毛皮の美しい獣身を持った子だった。

 そのまま何事もなく成長すれば、さぞ立派な長となったことだろうと思う。


 だが、妻も息子も、息子が3歳の誕生日を迎える前に、何者かにさらわれ、以来行方がしれない。

 出来る限り手を尽くして探して、毎年の行商でも情報を集めてもらっているが、一欠片の情報も入っては来なかった。


 彼らが行方不明になって、もう15年たつ。

 恐らく、もう死んでいるのだろう。

 だが、中々そうとは割り切れずに今日まで来てしまった。

 そろそろ、思い切る時が来ているのかもしれない。己の命すら、後どれだけ続くかも分からないのだから。


 ジルヴァンは再び目元を揉んだ。

 細かい文字をそれなりに読んで、流石に疲れていた。少し早いがもう休むか、と寝床へ向かおうとしたとき、



 「親父殿、いる?オレだよ」



 と、パロの外から声が聞こえた。

 シンファとはまた違うが、彼にとって何よりも大切な存在。そんな愛してやまない者の声に、ジルヴァンは思わず微笑んでいた。



 「雷砂か?遠慮はいらん。入ってこい」



 微笑みを浮かべたまま入室を促すと、入り口の布をかき分けるようにして小さな人影が入ってきた。

 5年前、姪が拾ってきた迷い子。

 あの当時は本当にまだ小さくて、よく肩車をしてやったものだった。



 (あの頃と比べれば、ずいぶん大きくなったな)



 感慨深くそんな事を思いながら目を細める。

 同じ年の獣人族の子供と比べれば、上背も体の厚みもまだまだ頼りないが、それでも大きくなった。

 それに、体の大きさこそは負けていても、内に秘めた力は同じ年代の子供どころか、壮年の獣人族すらも凌駕りょうがしているだろう。

 本人はなるべく、周りにそう悟らせないようにしているが、ジルヴァンから見れば丸わかりだった。

 ライガ族の者で雷砂を何とか押さえ込める者がいるとすれば、それはジルヴァン本人かシンファくらいしかいないに違いない。

 いや、その2人ですら、今は押さえ込めるか分からない。

 雷砂は、この数日の間にまた強くなったようだった。



 「今日は、どうした?」


 「親父殿の様子を見に来たんだ」



 そう言って、雷砂は不安そうにジルヴァンの顔を見つめた。

 病の影響が顔にでているのだろうか。だが、最近は先日雷砂が持ってきてくれた薬もちゃんと飲んでいるし、それなりに体調もいい。

 心配させる兆候は無いはずだ。



 「なんだ、そんなに食い入るように見て。それほど悪くないだろう?お前の持ってきてくれた薬のお陰で体調はかなりいい」



 そう言って、雷砂の頭を撫でた。

 雷砂は少しだけ笑い、



 「うん。そうだね。思っていたより、顔色も悪くない」



 そう答えた。

 思っていたより、ということは雷砂の予想よりは悪くなっていないが、やはりそれなりに病人っぽい顔になっていると言う事なのだろう。

 ジルヴァンは苦笑した。



 「まあ、仕方ないだろう。病人は病人だからな。だが、ちゃんと養生はしている。そんなに心配はするな」


 「うん。わかってはいるんだけど。……ねえ、もうちょっと、側に行っても良い?」



 雷砂も苦笑をもらし、それから珍しく甘えるようにそう言った。

 構わないと頷くと、雷砂は嬉しそうな顔をして、あぐらをかいたジルヴァンの片方の腿にちょこんと座った。


 思った以上に近づいてきた雷砂にジルヴァンはまたまた驚き、懐かしい温もりに昔の事を思い出す。

 雷砂が小さな頃は、よくこうやって座らせながら仕事をしたりもしたものだった。

 草原の巡回にも、背に乗せて連れて行ったりもしたし、よく考えれば結構子煩悩な行動をとっていたなと今更ながら思う。

 ここ最近はそんな事も滅多になくなってしまったが。



 「これ、親父殿に」



 そう言いながら、雷砂がきらりと光るコインを差し出す。思わずといった感じに受け取ってまじまじと見た。

 人族の使う通貨に似ているがそうではない。表面には精緻な模様が刻印され、裏面には大きく4の数字が刻まれている。



 「なんだ?これは」


 「明日の祭、広場で旅芸人の一座の舞台があるんだ。ちょっと頼まれてオレも手伝うから、それを持って見に来てよ。それがあれば一番前の席で見れるから」


 「旅芸人の一座の舞台か。もしかして、お前も出るのか?」


 「う……まあ、ちょっとだけ」



 困ったような、少し照れたような顔。

 ジルヴァンは金色の髪を昔の様に撫でた。



 「そうか。お前が出るなら、見に行かんとな」


 「……無理そうなら来なくてもいいんだからね?」


 「無理なんかするものか。わしが行きたいから行くんだ」


 「うん……」



 雷砂ははにかむように笑って、その頭をジルヴァンの肩に預けてきた。

 他にも何か言いたいことがあるのだろう。

 タイミングを計るように、ジルヴァンの顔をちらちらと見ている。



 「なんだ。おねだりか?」



 言い出しやすいようにそう問いかけてやると、雷砂ははっとしたようにジルヴァンの顔を見て、



 「おねだりじゃないよ。……いや、おねだりになるのかな」



 そんな風に独り言の様に呟き、それからまっすぐにジルヴァンの顔を見た。

 とても、真剣な表情をして。



 「親父殿……父さん。オレ、旅に出るよ」



 半ば、予感していたような気がした。雷砂がそう言い出す事は。

 出来ればもっと先、雷砂がもう少し大きくなってからと思っていたが、思っていたよりも早く、その時は来てしまったらしい。



 「まだ早いって言われるかもしれないけど、オレ……」


 「いいぞ、行ってこい」



 迷わず、そう答えた。

 その言葉を聞いた雷砂がはっと顔を上げる。



 「なんだ?その顔は。反対されるとでも思っていたか?」



 驚いたような顔をしてこちらをみる雷砂に微笑みかける。



 「もとよりお前を縛り付けていられるとは思ってないさ。いつかはそう言い出すと思っていた。流石に、これほど早くとは思っていなかったがな」



 苦く笑い、雷砂を抱き寄せた。

 小さな体だ。まだ頼りなく、守ってやらねばと思う。だが、そんな思いは雷砂の重石になるだけだ。



 「行ってこい。自分の為すべき事を為すために。そうしてもし疲れたらここに帰ってくればいい。ここはお前の故郷なんだからな」


 「ありがとう……父さん。きっと、そうするよ。オレが帰れる場所は、ここだけなんだから」



 ぎゅっと養父の大きな体を抱きしめ、それから体を離して彼の目を見つめた。

 すると、彼は雷砂の瞳をのぞき返し、悪戯っぽく笑う。



 「しかし、やっと父さんと呼んだな?親父殿は固すぎると、常々思ってたんだ」



 だが、雷砂も負けじとにやりと笑う。



 「そう?なら言ってくれればよかったのに。父さんって呼んで欲しいって」



 そう言ってやると、ジルヴァンは少しひるんだ顔をして、


 「う……流石にそれは……少し照れくさくてな」



 照れたように斜め上に視線を逃すその様子が何とも言えず愛しくて、雷砂は微笑み、再び彼の首に抱きつくのだった。



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