第8章

第8章 第1話

 祭の前日。

 ぼーっと外を眺めていると雷砂らいさがやってきた。部屋の窓の横の木を、するする~っと登って。

 窓の内側へ飛び込んできた雷砂をびっくりして見つめていると、



 「ミル、久しぶりだな」



 そう言って、いつもの様に綺麗な笑顔を浮かべて、くしゃくしゃっと髪を撫でてくれた。

 くすぐったくて首をすくめ、嬉しくてニコニコしながら雷砂を見上げてしまう。


 こんな風に、何気なく雷砂が訪ねてくれたのは、多分初めてのことだと思う。

 いつもは、ミルファーシカの父親の村長を訪ねるついでか、そうでなければ一生懸命追いかけ回してやっと会えるような感じだった。


 どうしたの?、と尋ねると雷砂はポケットから2枚のコインを取り出して、少女の小さな手に握らせた。

 手を開いて見ると、そのコインはお金とは少し違っていた。

 表面には複雑な文様が刻印され、裏返すと大きく1と2の数字がそれぞれ刻印されていた。



 (綺麗なコインだけど、何に使うものだろう?)



 首を傾げて雷砂を見ると、



 「明日の祭はこれを持って一座の舞台を見においで。そのコインを見せれば一番前に座らせてくれるから」



 そう説明してくれた。

 よく聞いてみると、このコインは20番まで番号が振られたものがあり、特別なお客さんに配ったり、どうしても前で見たい人が余分にお金を出して買ったりするものらしい。



 「いいの?」


 「ああ。明日は、オレも手伝いをしてるから、舞台が終わったら裏へ来るといい。舞姫でも歌姫でも、会いたい人に会わせてあげるから」


 「……最近、雷砂は一座の舞姫様と仲がいいよね?」


 「そう?普通だと思うけどなぁ」



 雷砂は自覚が無いのかもしれないが、村ではすっかり噂になっている。あの綺麗な舞姫は雷砂に夢中だと。

 まあ、噂になるのも仕方がないだろう。

 最近の雷砂は、舞姫と連れだっている事がとても多い。

 しかも、舞姫は必要以上に雷砂にべたべたしている(気がする)し、雷砂もなんだかんだとそれを受け入れている様に見えるのだ。


 ミルファーシカも、一度だけ遠目に2人が歩いているところを見た。とっても仲むつまじく、割り込めない雰囲気だった。

 以前のミルファーシカなら、無理矢理2人の間に割って入ったことだろう。

 だが、最近どうもおかしいのだ。


 雷砂のことは、もちろん変わらず好きだ。会えば嬉しいし、どきどきもする。

 だけど、このところミルファーシカの頭に浮かぶ顔は別の顔。

 お母さんを亡くして、このところずっと沈んだ顔をしている幼なじみの男の子。


 再び、手の中のコインを見た。

 コインはミルファーシカの分と、もう一枚ある。



 「ねえ、キアルも一緒に連れて行ってもいい?」



 顔を上げ、雷砂に尋ねた。すると、年上の綺麗な幼なじみは優しく笑って、もう一度ミルファーシカの頭を撫でてくれた。

 とっても嬉しそうに。



 「うん。オレも、キアルと一緒においでって、言おうと思ってたよ」



 そう、言いながら。



 「じゃ、じゃあ、これから誘ってみる!」



 ぱっと顔を輝かせて、ミルファーシカはドアの方へ向かった。雷砂をそこに残したまま。

 以前なら、考えられないことだった。

 だが、今の彼女は躊躇なくかけていく。雷砂はその背に向かって声をかけた。



 「ミル、キアルによろしくな。気をつけて、行っておいで」



 ミルファーシカはドアを出たところで一度振り返ると、



 「うん!雷砂、ありがと」



 そう言って輝くように笑った。







 祭を明日に控えた日。

 村中の人達がお祭り気分でいる中、キアルは一人、家にいた。

 人気のない、ガランとした家。

 まだ、母親の気配が濃厚に残る家。


 彼女が亡くなってから数日はたつのに、家に帰ってくると母が出迎えてくれるような気持ちになることがある。

 扉を開ければ、そこに母がいる。そんな風に思うことが。

 でも実際には母の姿はなく、キアルは一人、時間を持て余す。


 落ち着くまで仕事は休んで良いと村長にも言われたが、今のキアルは家に一人でいる方が辛かった。

 だから、毎日働きに行っていたのだが、祭の前日である今日と当日の明日は流石に仕事も休みで、キアルは何をするでもなく、ただぼーっと時間を過ごしていた。

 明日も、こんな風に過ごすのだろうと、そう思いながら。



 (どうせミルは、雷砂と一緒に祭に行くんだろうしな)



 そんな事を考えていると、家の扉を誰かが叩く音がした。

 誰が来たんだろう、と首を傾げながら玄関へ向かう。

 雷砂かな?ーそんな風に思いながら、扉に手をかけた。


 母を亡くした日から、雷砂は何かと理由を付けて様子を見に来てくれる。

 母の事で、雷砂に恨みはない。

 むしろ、雷砂は母を助けてくれたのだと、今はもう理解している。だから、雷砂の訪問は素直にうれしく思った。

 今日も様子を見に来たんだろうと、無造作に扉を開けた。



 「こんにちは、キアル」



 そこに息を弾ませたミルファーシカの姿を認めて、キアルの体が固まる。いきなり好きな女の子が目の前に現れたのだから無理もない。

 ミルファーシカは、今日も可愛かった。



 「こ、こんにちは。ミル、今日はどうしたの?」



 彼女がキアルの家を訪ねたことなど、片手で数えるくらいしかない。

 何か用事だろうか。

 きっと、雷砂関連の用事に違いないと当たりをつけて、過分な期待をしないよう自分に言い聞かせる。

 そんなキアルの目の前で、ミルファーシカは最高に可愛い笑顔で、



 「あのね、明日のお祭りの舞台、キアルと一緒に行けたらいいなぁって」



 そんな爆弾発言。あまりのことに、目の前が真っ白になる。

 しかしすぐに、そんなうまい話がある訳ないと自分を戒め、何とか持ち直して、



 「えっと、雷砂は?」



 そう尋ねると、



 「雷砂は、明日は用事なんだって」



 案の定、そんな答えが返ってくる。

 いつもの事なのでがっかりするわけでもなく、逆にほっとして、



 「えーっと、わかった。雷砂の代わりに一緒に行けばいいんだよね?」



 雷砂に合流できるまでの代役として。

 それはいつもの事だ。不満なんてない。

 むしろ、役得だ。雷砂に合流するまでは、ミルファーシカを独り占めできるのだから。


 そんな風に自分に言い聞かせながらミルファーシカを見ると、彼女は少し不満顔だ。

 ぷくっと頬を膨らませて、上目遣いにキアルを見ている。



 「ミ、ミル?」



 何かいけないことを言ってしまったかと、伺うように名前を呼ぶと、彼女は少し恥ずかしそうに顔を背けた。

 そして、



 「ちがうよ」



 小さな声でそう言った。



 「え?」



 うまく聞き取れなくて、間抜けな声で聞き返すと、



 「だから、ちがうの。雷砂の、代わりなんかじゃなくて……」



 そこまで言って一呼吸。

 心を落ち着けるように大きく息を吸って、それからしっかりとキアルの顔を見上げた。



 「キアルと、一緒に行きたいの」



 雷砂の代わりじゃなく、キアルとーその言葉にドキンと心臓が跳ねる。

 みるみるうちに顔が熱くなって、きっと今のキアルは何とも格好悪く赤面しているに違いない。



 (それって、そういう事だよね?)



 心の中で呟きながら、キアルはぐっと拳を握る。自分を勇気づけるように。

 そして、



 「おれで、いいの?」



 勇気を出して尋ねた。

 ミルファーシカの顔がぱっと輝く。



 「うん。私は、キアルがいい。キアルは、私でいい?」


 「う、うん。おれも、ミルがいいな」



 少し不安そうに問われてキアルは頷く。そして不器用な返事を返した。もっと格好良く返せたらいいのにと、自分を不甲斐なく思いながら。

 だけど、彼女は笑ってくれた。少しはにかんだ笑顔で、とても嬉しそうに。

 薄紅に染まった頬が、ものすごく可愛くて、そしてとても愛おしかった。

 彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて、キアルもおずおずと微笑む。


 「じゃあ、明日ね?」


 「うん。明日、迎えに行くよ」


 そんな約束を交わし、キアルの大好きな少女は再び可愛い笑顔を見せた後、名残惜しそうに帰っていった。何度も何度も、キアルの方を振り向きながら。

 キアルはその背中が小さくなって見えなくなってしまうまで、熱に浮かされたような顔でぼーっと見送ったのだった。



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