第6章 第14話

 「雷砂らいさ、来てたんですか?」



 声をかけられ振り向くと、そこには柔らかく笑う青年がいた。



 「イルサーダ」



 昼に会った時に教わった彼の名を呟くように口にする。すると、彼は嬉しそうに笑みを深めた。



 「覚えていてくれたんですね」


 「座長の仕事、しなくていいのか?」



 急増で誂えられた舞台の方を示す。そこでは、舞台の準備を整える為、一座の者が動き回っていた。

 もうじき、酒宴が始まるのだ。

 セイラもリインも、その時の為に裏で控えている。



 「座長の仕事、ですか?さっき村長と最後の打ち合わせをしてきましたけど、やらなきゃいけないのはそのくらいでしょうか。私に出来ることなんて、そんなに多くないんですよ。特にうちは、優秀な子達が揃ってますからね」



 少しだけ、誇らしそうな彼の声。

 その言葉にふうんと小さく頷きながら、雷砂は再び舞台に目線を戻した。

 もうすぐ時間だからだろう。

 舞台上から、さっきまで動き回っていた影が消えている。


 客席はまだざわついていたが、酒宴に呼ばれた者はほぼ集まりつつあるようだった。

 各々空いている卓につき、隣り合った者と話をしている様子が見える。すでに酒を飲み始めている者もいるようだ。

 みながそれぞれに時間を過ごしながら、演じ手が舞台上に現れるのを待っている。


 会場にはもちろん顔見知りの村人達もいて、雷砂を見つけると嬉しそうに手を振ってくる。

 雷砂がここに入れば、騒ぎが起こっても安心だといわんばかりに。


 彼女を良く知らない外部の商人などは、時折不審そうに目を向けてくるものの、舞台脇に控えている為、一座の一員とでも思われているのだろう。

 特に文句を言ってくる者もいなかった。

 入口の近くに村長の姿が見えたので目を向けると、彼も雷砂の姿に気が付いたようだ。人の間を縫うようにしながら近づいてくる。



 「雷砂、こんな所にどうしたんだ?」


 「演者が知り合いなんだ。酒が入ると見境がなくなる奴もいるから、念の為見張りに来た」


 「そうか。一応言っておくが、酒はダメだぞ?」


 「分かってる。それに、あんな美味しくない飲み物、オレはいらないよ」



 一応大人らしく、娘の友人に注意してみたものの、雷砂がまるで酒に興味を示さない為、何となく反論してみたくなったらしい。



 「そうか?結構うまいものだがな。特に、今日は質の良い酒を揃えて……」


 「飲んじゃダメなんでしょ?飲んじゃダメなのに、すすめないでよ」



 今日揃えた酒の質自慢を始めた村長を、雷砂は苦笑いを浮かべてたしなめる。

 それもそうだった、と我に返り、更に雷砂の隣に立つ人物に気づいて目を見張る。



 「おお、イルサーダ殿。あなたも雷砂とお知り合いですか」


 「ええ。仲良くしてもらってますよ」



 村長と目を合わせ、にっこり笑う。それから、ついと舞台へ目線を流し、



 「そろそろ時間ですね。打ち合わせ通り、最初はあなたの挨拶からでよろしかったですか?」



 さりげなく、促す。



 「おっと、そうでしたな。では、私はこれで。……雷砂も酒以外は好きに楽しむといい。ではな」



 促された村長は、少し慌てた様子で舞台へ向かう。イルサーダとついでに雷砂への辞去の挨拶も忘れずに告げてから。


 そして。


 舞台上に上がった村長が、宴の始まりを告げる。

 にぎやかさを増す会場の中、雷砂は静かに舞台を見つめる。

 もうすぐ、歌と舞い、最高の演じ手達の競演が始まろうとしていた。








 涼やかな鈴の音と共に空気が動いた。

 その音色はセイラの手足に巻いたアクセサリーのもの。

 音楽が奏でられるよりも先に、舞台に飛び出してきたセイラが会場を見渡し、優雅に一礼をする。


 いつの間にか舞台後方の袖の近くに、リインやそれぞれに楽器を抱えた少女達が出てきていて、同じく一礼。

 セイラは彼女達の様子をまなざしで確認し、開始を促すように小さく頷いた。


 その合図を受けて、演奏が始まる。

 弦楽器や笛や打楽器の合奏はそれほど上手いわけではないけど、耳に心地よく響いた。


 最初はゆっくりと、セイラの手足がリズムを刻むように動き始める。

 音楽と同調するように、彼女の手足の鈴が音を奏で、人々を惹きこんでいく。

 そんなセイラの影から現れたかのように、いつの間にかリインが少し前に出てきていた。


 彼女は大きく息を吸い込み、そして。

 天上の音楽を奏で始めた。

 普段の彼女からは想像できないくらいの声量と奇跡の様な歌声。

 声が綺麗なのは分かっていたが、歌う彼女の声はそれと比べものにならない程に豊かで多様な麗しい響きを持っていた。


 高く低く、歌姫の歌が響く。

 その中を、まるで水を得た魚のように舞姫が動き回る。

 時に可憐に軽やかに、時に妖艶に華やかに。


 美しい声と絡み合う様に、ほっそりとした、だが豊かな肢体が舞を舞う。

 雷砂は夢中になってリインの歌を聴き、セイラの舞を見ていた。

 一時も目を離すことなく。


 それは至福の時間だった。

 だが、時間は止まることなく過ぎていく。


 リインが最後の音を奏で、その余韻を惜しむようにセイラの舞もゆっくりと速度を落とし、そして最後にはその動きを止めた。

 舞台の中央で、最後のポーズのまま、しばし息を整えた後、ゆっくりと立ち上がり、彼女は鮮やかに笑った。


 一瞬の沈黙。次いでわき上がる歓声と拍手。

 セイラは後ろにいた妹や少女達を前に呼び、全員で深く一礼。顔を上げ、会場を見渡した後、ゆっくりと舞台袖に消えていった。


 鳴り止まぬ歓声。

 再びの登場を望む声も多かったが、彼女達が再度姿を現すことはなかった。

 新たな酒と料理が運び込まれ、一座のメンバーと見られる女達が酒瓶を手に男達の酌を務め始めると、彼らもやっと諦めたのか各々酒と会話を楽しみ始めた。



 「あれも仕事の内ってことでいいの?」



 油断無く会場内を見回しながら、イルサーダへ問う。

 彼は肩をすくめ苦笑して、



 「まあ、酒宴の仕事だから仕方ないでしょう。不埒な真似はさせないようにしっかり見張っておくつもりですよ」



 そう答えた。

 雷砂も小さく頷き、再び周囲へ目を配る。宴はまだ始まったばかり。まだ目に余る乱れは無いようだった。



 「ここは私がみていますから、裏のセイラ達の所へ行ってらっしゃい。セイラ達も喜びます」



 にこにこしながらの提案に、雷砂は小さく頷くと、



 「じゃあ、ちょっとだけ。すぐ戻ってくるよ」



 そう言って、足早に舞台裏の方へと向かった。




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