Chambre des horreurs Aish(戦慄のアイシュ)

 啖呵を切ってアンドラと対峙したアイシュだが、その雰囲気は明らかに先程までと違っていた。自ら前へと立ち、まるで一騎打ちを挑むかの様なその姿は、今までのアイシュからは到底考えられなかったのだ。

 勿論、今までも前へ出て戦う事は少なくなかった。それはマサトが応用力のある魔法を使えないと言う事から、攻撃と防御の魔法が使えるアイシュやユファが攻撃役を買って出なければならなかったからだった。アイシュの性格から考えれば、決して戦闘を望んで行うタイプではないのだ。

 また彼女のスタイル、特性はアンドラが言った通り防御に特化している。お世辞にも戦闘に向いているとは言い難いのだ。

 如何に彼女が封印を解かれたとはいえやはりアンドラを圧倒するとは言い難く、彼女に啖呵を切ってまで対峙する理由とはならないのだ。

 だが今のアイシュは、アンドラとの戦闘に自信すら覗かせている。その顔には笑みすら浮かべており、自分の負けなど全く考えていないと言った風情だったのだ。


「……そうね……このまま貴女を倒してしまいましょうか……。貴女の国には多くの恨みが募ってるわ……。貴女一人ではそれを到底償う事なんて出来ないし私の気も晴れないけれど、少しでも貸している物を返してもらう事にするわ」


 どこか余裕すら感じられるアイシュの言葉に、相対するアンドラは僅かばかり神経を逆撫でされたのか、その表情に苛立ちめいた物を浮かべた。


「……言わなかったかしら……? 貴女が例えランク7の魔法士であったとしても、私を圧倒する事など絶対に不可能だと説明してあげたわよね?」


 そしてその言葉にも、少なくない怒気が含まれていたのだった。それはアイシュの言葉に余裕と、自分を格下に見て勝利を確信していると感じられたからに他ならなかった。しかしアンドラの言葉を受けてもアイシュの笑みが翳(かげ)る事は無く、それどころか益々その口角が吊り上がっていった。


「……は私達の事を随分と調べていたみたいだけど……どこまで調べる事が出来たのかしらね?」


 そう言ってアイシュは、自身の右手を頭上に掲げた。天へと向けられた掌には、急激に魔力が凝縮されていくのをアンドラも、そしてマサトとユファも見る事が出来たのだった。


「……私が生まれて、マー君のガード候補となった時から、私は『三日月流剣術』の教えを受けて来たの……」


 凄まじい魔力をその右手に凝縮しながら、アイシュはユックリとそう語り出した。集められた膨大な魔力の塊は、その姿を徐々に変形させていった。


「……三日月流剣術、その真髄は強力な武具のマテリアライズ化……。そしてその持続時間の長時間化……」


 ユックリと語るアイシュの掌で、その魔力は一つの形を成してゆく。僅かに反りながら細く両端を伸ばしてゆくその形は、長く美しい弓の様であった。ただ固唾を飲んでその様子を伺うアンドラに、アイシュはその弓をユックリと構えた。今や完全に具現化を果たしたその弓は透き通る様に白く、精緻な意匠が金色に輝いて施されていた。


「……あんたに……これが防げるかしらね?」


 ククク……と喉を鳴らすアイシュは、まるでアンドラを小馬鹿にしているかの様でもあった。だが今やアイシュの異様に呑まれているアンドラは、アイシュの言葉に反感も抱けなかった。しかしそれはアイシュの雰囲気だけでは無く、白弓から発せられる強大な魔力に当てられたせいでもあった。


「……しっかりと……防いでね?」


 右手で弓を構えたアイシュの左手に、急速に魔力が集約されてゆく。アイシュがその左手を弓に張られた光の弦に掛けると、左手の魔力塊は矢の形をとり始めた。そのやじりを明らかにアンドラへ定め、アイシュは弦を引き絞った。

 アイシュが取る一連の所作をただ呆然と見ていたアンドラだったが、アイシュの言葉で我に返ったのか急遽防御障壁を前面へと展開した。分厚く強固であると分かるその障壁は、アイシュの弓矢に只ならぬ気配を感じ取った結果だろう。


 ―――キリキリキリ……チカッ!

 

 ―――ザンッ!


「……あ……?」


 アイシュが矢を放つ動作をした瞬間、彼女の左手が大きく煌めきそこに携えられていた矢が消え失せた。いや、消えたと思わされるほどの速さで放たれたのだった。

 

「う……うあ……うわぁ―――っ!」

 

 その矢は、その場にいる誰も認識する事が出来ない程の速さで飛翔し、対峙するアンドラの展開していた防御障壁を物ともせず、彼女の肩へと突き刺さったのだ。……いや、吹き飛ばしていたのだった。

 

「あら……運が良かったわね? 初めてでは狙いも定まらない……か……。でも、次はどうかしらね?」


 アンドラの姿を見たアイシュはどこか楽しそうな、クスクスと笑っているかのような声音でそうアンドラに告げ、再び左手に魔力を凝縮しだした。

 明らかに二の矢を放とうとしているアイシュを前にして、アンドラはただその動作を見ているだけしか出来ないでいたのだった。

 アンドラは既に理解していたのだった。アイシュの矢を防ぐ手立てが自分にはないと言う事に。皮肉にもそれは、先程彼女がアイシュ達に言った言葉そのままだった。

 その場で成り行きを見守っているマサトとユファも、アイシュがマテリアライズ化した武具の圧倒的な威力と、何よりも明らかに変貌している彼女の異様に声を出す事も出来ずにいたのだった。

 そうしている間にもアイシュは二の矢を放つ準備を済ませ、大きく弓矢を構えてアンドラへと標的を付けていた。


「……本当は……もう少しんだけど……いるんだもの……。あんたはこれで楽にしてあげるわ」


 これ以上ないと言った楽し気な声音がその場に響き渡る。彼女の言葉だけでは無く、その目にも今や狂喜とも取れる光が湛えられていた。そしてそれは、彼女の口をついて高笑いとなり表現される。


「あは……あはは……あははははっ! ……さよなら」


「灰燼の炎を撒き散らせっ! ファイヤーボムッ!」


 今まさにアイシュが矢を放とうとした瞬間、魔法を詠唱する声が彼女の声に被せられた。何処いずこよりか放たれた幾つもの火球が、後方で待機するマサトとユファへ向かったのだった。アイシュの意識も瞬時にマサト達へと向けられ、光矢が放たれる事は無かった。


「聖御布よっ、我等を守らんっ! ライトベールッ!」


 その火球へと真っ先に反応したユファは、即座に防御魔法を唱えた。彼女が魔法を唱え前方の空間を掌でなぞると、それに沿って光の膜が展開されて行った。火球はその防御膜に触れると、次々に爆発を起こし大きな爆炎となった。だがユファの防御魔法は一切の影響を通す事無く、全て防ぎきっていたのだった。

 完全に意表を突いた攻撃に意識を取られマサトやユファ、アイシュでさえもアンドラから注意が逸れてしまっていた。


「アンドラッ!」


 その間隙をついて、二手に分かれていたテディオがアンドラへと飛び寄り合流を果たしていた。今にも崩れ落下しそうなアンドラの体を支えたテディオが、心配そうに彼女の身を案じた。


「……も……申し……訳……。ゆ……油断を……」


 肩を吹き飛ばされておびただしい出血を起こしているアンドラは、テディオの姿を見止めて気が抜けたのかガックリと脱力して彼へともたれ掛かった。


「いや……油断じゃあないよ。少なくともアイシュ=ノーマンの力を見誤ったのは僕達の失態だった」


 謝罪の言葉を告げたアンドラを、テディオは優しい言葉で遮りそう言った。その言葉に普段ならば反論の一つもしようアンドラも、今の状況では項垂れるしか出来なかった。


「……はい……」


「……作戦を早めよう……アレを発動させる」


 アンドラに優しい眼差しを向けていたテディオは、次には鋭く厳しい眼差しとなってそう告げた。


「……っ!? そ……それではっ!?」


 テディオの漏らした言葉に、アンドラは気力を振り絞り反論を試みようとした。だがその行為をテディオは首を左右に振って制止させたのだった。


「……しょうがないよ……」





「アイシュッ!? アイシュッ!」


 突如力を失い落下を始めたアイシュを、即座に飛び寄ったマサトが受け止めた。まるで糸の切れた人形の様にぐったりとしているアイシュに、マサトの言葉に反応するだけの気力も残されていない様であった。


「わた……私……」


 ただ意識を失っている訳ではない様で、マサトによって抱き留められたアイシュは譫言うわごとの様にそう繰り返していた。


「私……私……酷い事を……」


 全身を震わせ、何かに怯えている様にしてアイシュはそう呟いた。そんな彼女を安心させるかの様に、マサトは確りと彼女を抱きしめた。


「アイシュ、大丈夫だ。お前は何も酷い事なんてしてないよ」


 優しい微笑を向けてマサトはアイシュにそう答えた。安心させる為と言う事もあるが、マサトの言葉には決して嘘は含まれていなかった。彼女がアンドラを退けなければ、彼等には他に手の打ちようがなかったのだ。

 それにこれは戦争とも言える。相手が自分達を殺す気で襲って来ているのだから、こちらも相応の対応を取らねばならず、決してアイシュの行為が非道とは言えないのだ。

 ただアイシュの言った意味は僅かに違う意味だったのだが、それでもマサトの想いを感じ取ったアイシュはそれ以上言葉を出す事はせず、そのまま意識を失い光粒となってマサトの中へと戻っていったのだった。


「マー坊っ! ユーちゃんっ! どうなったんだっ!?」


 そこへ遅れて来たリョーマが合流を果たした。距離を置いて互いに対峙している筈であるマサト達とテディオ達だが、それぞれに戦闘継続の意思を示しておらず、その状況が読み込めないリョーマが確認の意味で問うて来たのだった。


「アイシュが魔法でアンドラを撃退したのじゃが、その後意識を失っての。今はマサトの中で休んでおる」


 ユファは飛んで来たリョーマへと簡潔に状況を説明した。アイシュの見せた魔法「マテリアライズ化」が強力な物だった事は彼女にも分かっている。それにそれが「三日月流剣術」の秘伝に関わると言う事も理解していた。しかしそれだけでランク7の魔法士が作り出した魔法障壁を物ともしない魔法が使用可能なのか、ユファには到底説明がつかなかったのだ。そして当然、それをリョーマに説明する手段も持ち得なかった。


「大いなる命の源を守る海龍神っ! あらゆる命を育む水龍神っ! 全ての命を繋ぎ止める真龍神に申し上げるっ! 我が呼び掛けに答え、その力を逆転させよっ!」


 その時、彼等と距離を取るテディオから魔法詠唱の声が聞こえたのだった。だがそこに殆ど魔力を感じる事が出来なかったユファとリョーマには、テディオが大きな魔法を使うとは到底思えなかったのだった。


 ―――それ故に油断したと言っても過言では無かった。


「海を巻き上げっ! 大地を巻き上げっ! 全ての命を吸い尽くせっ! トランスフィクスツイスターッ!」


 印を結び、詠唱を完了させたテディオの遥か、遥か前方、街が面する海の遥か海上に、突如巨大な竜巻が出現したのだった。一目見てこの街を一飲み出来る程巨大な竜巻は、海水を巻き上げながら決して遅くない速度で街へと移動を開始していた。


「テディオッ! 貴様っ!」


 即座に振り返ったリョーマだったが、既にテディオとアンドラは更にリョーマ達から距離を取った位置にまで移動を済ませていたのだった。


「それじゃあ、僕達はこのままこの場を失礼するよ。一度発動したエクトラ魔法は、僕がいなくても例え僕を殺そうが止める事は出来ないからね」


 リョーマの言葉に、テディオはそう言って答えとした。


「……くっ!」


 そしてその言葉に、リョーマは言葉としての何かを返す事は出来ないでいたのだった。

 魔力を供給し続ける事でその効力を具現化させ、魔力が切れればその具現する力を失うレギュラー魔法とは違い、エクストラ魔法は先に必要な魔力を込めて発動させる。故に術者の存在や生死などは関係なく、一度発動すれば蓄えられた魔力が消費されるまで消える事は無いのだ。


「アンドラにはもう時間がないんでね。早々に退場させてもらうとするよ。……マウアッ!」


 そう捨て台詞を吐いたテディオが最期に一際大きな声で叫ぶと、彼等の姿は即座にその場より消え失せてしまったのだった。


「またパーティキュラドローか……。きやつらは良く古き魔法を使いこなせておるの」


 ユファが感心した様にそう呟いた。一度殆ど廃れた筈の魔法をここまで使いこなすともなれば、修練の時間もさることながら術者のセンスも問われるのだが、使用者は余程魔法の才能に恵まれているのだろうとユファは思わずにいられなかったのだった。


「ユファッ! 今は感心している場合じゃないっ! リョー兄ちゃん、あれを止めるぞっ!」


 この場でエクストラ魔法に、それもあれ程広範囲に展開している魔法に対する事が出来るのは、マサトが持つエクストラ魔法のみであった。


「うむっ!」


「そうだなっ!」


 それが分かっている彼等だから、マサトの言葉に力強く頷き、三人は海へと向かい高速で飛行を開始したのだった。

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