Le déclenchement de guerre(開戦)

 真っ直ぐに上昇していたマサトに、慌てて追いかけて来たアイシュが追いついた。


「ア……アイシュッ! アイシューッ! 止めて……止めてくれーっ!」


 ただひたすらに上昇し止める事の出来ないマサトは、半ばパニック状態でアイシュに懇願した。


「マー君っ! 落ち着いてっ! 精神を落ち着けて自分の体をコントロールする事に神経を傾けてっ!」


 彼と平行に上昇するアイシュはマサトの手を取ってそう言い聞かせた。マサトも懸命となって自身のコントロールに四苦八苦している。しかし「空を飛ぶ」等と言う事は彼にとって生まれて初めての経験であり、必死で平常心を呼び起こそうとしても中々思うようにはいかなかった。それでもマサトは上昇の減速に成功した事を切っ掛けとして、僅かな時間で空中に停止しその場に留まる術を把握するに至った。


「そうっ! その調子よっ!」


 彼の両手を取って、まるで初めて歩く子供を誘導する様にマサトを引くアイシュ。遅れて合流したユファとリョーマも、そんな状況では無いにも拘らずその様子を微笑ましく見つめていたのだった。

 慌てた所でマサトが飛ぶ事も出来なければ意味はない。陸路を行って大騒動に巻き込まれ足止めを食らうよりは、多少の時間ロスは仕方ないと思い至ったのだ。

 それにマサトが急上昇を開始して今に至るまで僅か数分。この様子ならば然程の時間を労せずとも彼は飛行魔法をモノにする事が出来ると思われたのだ。


「よ……よしっ!……な、何とか……いけ……そうだな?」


 その姿は本当に一人で歩き始めた子供の様に覚束おぼつかない物だったが、確かにマサトはアイシュの補助も無しに一人で空中を移動していた。そしてその上達速度は見る間に上がっていく。

 元々勘の鋭いマサトは、僅かな切っ掛けでみるみる上達する事が出来たのだ。程なくして彼は空中を移動する事に何の不自由もなくなっていた。


「よしっ! 行こうっ!」


 そしてマサト本人からその号令が掛けられた。他の3人にもその事に異存は無い様で、力強い頷きが彼へと返された。

 マサトを先頭にしてアイシュ、ユファ、リョーマはピエナ自治領首府ビルへと向かって高速移動を開始した。




 

 ピエナ自治領首府上空へと到達したマサト達は、そこで彼等を待ち受ける様に滞空している2つの影を見止めて停止し対峙した。


「やぁ、初めまして。ミカヅキ=マサト君だよね? そしてそちらはアカツキ=リョーマ君とアイシュ=ノーマン君だね?」


 マサト達がその人物達に問い掛けるよりも早く、二人の内男の方がマサト達へと話しかけて来た。

浮かべている人の良さそうな笑顔はまるでスツルト自治領主、カムラン=エンフィールドを思い起こさせるが、目の前の人物が浮かべる笑顔は余りにも自然であり、カムランよりもだとマサト達に思わせた。


「そしてそちらの御仁は……レサイア皇女様で在らせられますな?」


 まるでマサト達の事を全て把握している様に、一人一人その名前を言い当てて行く。それによりマサト達にも解った事があった。目の前の人物たちは間違いなく帝国に関わる人物であり、ここで遭遇すると言う事は彼等こそがこの自治領に駐屯するガルガントス魔導帝国軍の指揮官であると言う事だった。加えて魔魂石の機能が消失した事を把握しているのは明らかであり、それでなければマサト達を空中で待ち受けるなど出来はしないのだ。

 更にはユファの素性をも知っているのだ。もはや疑う余地など無かった。


「エェーッ!? ユーちゃんって皇女様だったのーっ!? 皇女様って言えば、セントレア魔導皇国の統治者ってことだよねっ!?」


 しかし目の前の男が発した言葉に最も反応したのはリョーマであった。彼はユファの素性に疑念を抱いてはいたものの、まさか彼女が皇女である等とは思いもよらなかったのだ。隣に滞空するユファをマジマジと見るリョーマの好奇心は尽きる事が無さそうであった。


「……子細は後で話す。今は目の前の相手に集中するのじゃ」


 しかし奇異の目を向けられたユファは不機嫌を隠そうともせず、リョーマに目を向けるでもなくそう言い放った。確かに今、彼の好奇心を満たすために割ける時間など無いのが実状なのだ。


「あははー……わっかりまーした。お楽しみはこの後に取っておくとしますか」


 その言葉とは裏腹に彼の表情には反省も、強く言われた事への委縮も感じられない。どこかお道化た様にそう言うと、リョーマは再び目の前の相手へと視線を戻した。


「……ああ、自己紹介がまだだったよね? 僕はガルガントス魔導帝国所属、十二聖天が一天、聖山羊座を司っているテディオ=コゼローク。そして彼女は僕の副官でアンドラ=シェキス。短い間だと思うけど覚えておいてくれ」


 テディオの自己紹介を以て、マサト達の目的が彼である事が確定付けられた。イスト自治領を消滅させたのは十二聖天、聖魚座のチェニー=ピクシスであり彼女のエクストラ魔法であった。あの夜と全く同じシチュエーションである事を考えれば、この自治領に最後の止めを刺すのは間違いなく彼のエクストラ魔法なのだ。自然とマサト達の表情は強張り、緊張の度合いが高まっていく。


「……さて、皇女殿下。貴方には我が軍へとご同行願うよう、僕の所にも通知が来ているのですが……大人しく付いて来て下さる訳にはいきません……よね?」


 その物言いですらどこか人を食った物であり、ユファはテディオに向けて更に厳しくした視線を投げ掛けた。


「……お主達は何故、我を求めるのじゃ?」


 帝国がユファを抹殺すると言うのならば話は解るのだ。敵国の統治者なのだから、それは至極当然の事と言える。しかし彼等は執拗にユファを連れ帰ろうと画策している。ユファにはそこがどうにも腑に落ちない事であった。

 例えば人質としたユファを盾に、セントレア皇国へと無血開城を迫る事も出来る。しかしその勧告にセントレア側が必ずしも従うとは言い切れないのだ。ユファは名実ともにセントレア皇国の統治者ではあるが、彼女が居なければ国の施策が立ち行かないと言う事ではない。彼女はあくまでも決定権を持つ者であり、推進者ではないのだ。それを考えた場合、彼女がセントレア皇国側に絶対的な人質となる事は考えられない。動揺を誘う事も出来るし、もしかすれば降伏するかもしれないが確実ではないのだ。それどころか即座に後継者を立てて、ユファを切り捨てに掛かる可能性すらある。そうなれば手間暇をかけてユファの身柄を確保した意味がなくなるのだ。

 そしてそんな事はガルガントス魔導帝国側とて百も承知の事であろう。ならば他にも彼女に同行して貰わなければならない理由がある筈なのだ。


「さぁ……? 僕はただ上からの通達を貴女に伝えているだけなのです。理由までは存じ上げておりません」


 相変わらず笑顔を湛えた表情は崩れる事も無く、さしものユファでもそこから彼の心情を読み取る事は出来なかった。


「それで……ご返答は?」


「否、じゃ」


 テディオの督促に、ユファは間髪入れず拒否の答えを返した。しかしそれすらも彼が予想した範疇の回答であるらしく、やはり彼の表情が崩れる様な事は無かった。

 

「ですよねー……。でも、宿主たるミカヅキ=マサトが死ぬ様な事にでもなれば……如何に貴女と言えどもその体から出て行かざるを得なくなり、へと戻らなければならなくなる……そうですよね?」


 その問いにはユファのみならず、その場にいたマサト達も息を呑んだ。ただ単にユファの素性を知っているだけに留まらず、彼等はユファとマサトの関係までかなり深く精通しているのだ。それだけではなく、ユファの状態まで理解している口振りである。それにはさしものユファも言葉を発せられずにいた。

 ユファから言葉が返ってこない事を肯定と受け取ったのか、テディオは更に言葉を続けていく。


「それならば話は早い。ミカヅキ=マサトに同行願うか……死んでもらえば良いだけの話だからね」


 今度は明らかにテディオの表情が変化した事を、その場にいる者全てが理解した。テディオの笑顔には更に深い邪悪が加えられ、対峙するマサト達に戦慄を与える程であった。


「それを私が許すと思うの?」


 しかし彼の表情と言葉に怯んだ様子もなく、ズイッとマサトの前へと進み出たのはアイシュだった。彼女はまるでマサトを庇うかの様な位置で僅かに両手を広げて立ちはだかった。


「そうだね。僕達がそれを許しはしないよ」


 その後に続きリョーマもマサトの前へと進み出てアイシュの隣へと並び、いつの間にか臨戦態勢が整った状態となっていた。だがそれを見たテディオの方はと言えば、特に気負った様子も慌てた素振りも感じられない。


「……だろうね。本当は今すぐこの場で殺してしまいたいんだけど……僕達にも君達を倒すだけの決定打が無い。何せ君達の登場は、僕達にとって予定外だったからね」


 そう言ったテディオは、ヤレヤレと両手を広げて肩口にまで上げ僅かに持ち上げるポーズでお道化て見せた。

 周囲の緊張は高まる一方の中で、マサトは不思議な違和感が気になっていた。今すぐにでも戦闘を初めておかしくない状況にも拘わらず、テディオには一向に戦端を開こうとする意欲が感じられないのだ。どう考えても彼は喋り過ぎている。

 その疑問を口にしようとしたマサトを遮って、更にテディオが言葉を続けた。


「……だから僕達は策をろうする事にしたよ。君達には……この街ごと消えてもらう事にする」


 その瞬間テディオの表情からは笑顔が消え失せた。彼から感じる事の出来る雰囲気にはお道化た物も軽薄な物すらなく、もう殺気以外にはなかった。

 直後にテディオ達に向けて鋭い氷弾が無数に襲い掛かる。だがその氷弾も彼等の眼前で見えない防壁に阻まれて霧散してしまった。

 アイシュが目にも止まらぬ速さで氷弾を作り上げて放ち、恐らくはアンドラが防御障壁を即座に築いてこれを防いだのだ。


「だからそんなことさせないって言ってるでしょっ!」


 更に一歩進んだアイシュが見事な啖呵を切った。彼女が構築し放った氷弾の威力もさることながら、それをアッサリと防いで見せたアンドラの技量も侮れない。互いに高いレベルで拮抗する事を物語っているかのようであった。


「おおー、怖い怖い」


「……ならば貴女達は、私達を止めなければならない」


 テディオがさらにふざけた様な台詞を吐き、アンドラはアイシュの啖呵を真っ向から受け止めてそう言い返した。

 しかしテディオ達はその言葉を後に、スーッとマサト達から距離を取るかのように後退して行く。まるで逃げるかのような動きに、アイシュとリョーマがその距離を積めようと前進した瞬間、


 ―――ゴウッ!


 中空で留まる彼等の巨大な火柱が巻き起こりアイシュとリョーマの行く手を遮った。即座にアイシュの張った防御障壁が4人を包み込み、その炎に彼女達が巻き込まれる事は無くダメージは受けなかった物の、完全にテディオ達との間を遮られてしまった。


「しまったっ!」


 思わずそう零したリョーマであったが、全ては手遅れとなっていた。

 テディオ達が余りにも自然体で行動しており、また長く自分達に注意を引き付ける会話を施した事により、マサト達の意識から罠の存在が完全に排除されてしまっていたのだ。

 未だ燃え盛る炎に対して防御障壁内に居るアイシュ達にはすぐに打てる手はなく、更に距離を取るテディオ達を追う事は出来なかった。

 十分に距離を開けられた先で、テディオとアンドラは二手に分かれて別の方角へと移動を開始した。


「何じゃと!? 二手に分かれるじゃと!?」


 この行動にはユファも思わずそう声を漏らした。例えアウトランクとなったエクストラであろうとその汎用性が低い事に変わりはなく、やはり護衛と呼べるガードと行動を共にする事が考えられた。事実先程アイシュが繰り出した攻撃は、例えテディオが高ランクのアウトランクであっても到底防げるものではないだろう。実際彼女の攻撃を防いだのは彼の副官であるアンドラであったのだ。

 それをわざわざ見える位置で二手に分かれて行動する等とは、考えられる事は一つしかなかった。


「常識的に考えてこれは罠じゃ。どういった物かは想像もつかないが、危険な魔法を持つエクストラが囮となり我らが気を取られておる隙に、もう片方が罠の仕掛けを発動すると言う事が考えられるの」


 彼女の口にした事はあくまでも状況から考えられる在り来たりな過程に過ぎず、よもや明らかに策士然としたテディオがその様な策を採用するとは誰も思っていなかった。


「でもそれが考えすぎ、と言う事もあり得るな」


 マサトの言葉はユファの言葉を補完する物であった。しかし何も決定打を出す意見では無く、それもまた一可能性に過ぎない。


「動かないってのは最も下策だね。僕があの男を追うよ。マー坊達は女性の方を宜しく頼む」


 言うが早いかリョーマは火勢が収まったことを確認して防御障壁を飛び出し、一気に加速してテディオの追跡を開始した。テディオ達にどの様な策があるのかマサト達にも見当はつかないが、今はその策へと乗るような行動を取る以外になかった。

 リョーマの後へと続く様にマサト、アイシュ、ユファはアンドラの行方を追った。


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