Le ciel du complot(謀略の空)

 周囲に不機嫌の表情を撒き散らして、ピエナ自治領方面軍司令官室へと足早に歩を進めている女性士官の姿がそこにはあった。その表情に加えて明らかな怒りの雰囲気も纏っており、それは彼女とすれ違う多くの士官が無意識の内に道を譲ってしまう程だった。

 恐れ戦く部下達には目もくれず、自身の上官たる十二聖天が一天、聖山羊座テディオ=コゼロークの元へと向かっているのは彼の副官たるアンドラ=シェキスであった。

 抑えられぬ怒りを一刻も早く上司にぶちまける為なのか、彼女は足早にテディオのいる司令官室へと向かっていた。


 ―――コンコンコンッ!

 

 司令官室入り口に辿り着いたアンドラのノックもどこか忙しなく、彼女は室内からの返事を待つ事無くドアを開けて入室した。もっとも平時であってもテディオから返事が返って来る事は無いので、これはいつも通りの行動と言えたのだが。

 

「テディオ様……お伝えしたい事が」


 入室するなりアンドラは開口一番、そう眼前の人物へ告げた。辛うじて上官に対する礼節こそ弁えてはいる物の、彼女の焦りと苛立ちがその表情と雰囲気に表れている事に間違いはなかった。もっともその美しい立ち姿は、例え彼女が切羽詰まっていても変わらなかった。

 執務机の背後に、壁一面に貼られている窓の方へ体を向けていた彼女の上官が、回転座椅子をユックリと回してアンドラと対峙した。アンドラの上司である十二聖天が一天、聖山羊座テディオ=コゼロークの表情には笑みも怒りも、焦りも悲しみも湛えていなかった。ただその心理が読めない無表情で、焦燥を露わとしている部下が口を開くのを待っていた。

 テディオとアンドラの間で交錯する視線。そこには当然言葉などは介在していない物の、二人はまるでアイコンタクトのみで言葉を交わしている様にも伺えた。アンドラは極力平静を装おうと口を真一文字に引き結びテディオを睨み付ける様に見つめている。しかし正面の彼とは違い平常心には程遠いようで、こめかみからは一筋の汗が流れ落ちた。

 対するテディオは見つめる彼女から何を感じているのか、その表情には一向に変化が訪れない。アンドラが常態には程遠い事を読み取っているにも拘らず、彼女の報告を急かす事もせずにただ自然体で構えているだけだった。


「……どうしたんだい、アンドラ? 随分慌てている様だけど?」


 まるで人を食ったかのような第一声。アンドラを見れば、彼女が持ってきた報告が至急を要する事なのに間違いはなく、それに気付いていないテディオである筈がない。それにも拘らずその問い掛けも全く常時と変わらぬ物であった為、逆にアンドラの方が肩透かしを食った様になり強制的に冷静さを取り戻される形となった。一つ大きく深い溜息をついたアンドラは、常日頃彼女が湛える表情と雰囲気を取り戻していたのだった。

 

「……先程、帝国軍大本営より連絡がありました」


 あれ程焦燥感を湛えて言葉を急いでいた節のあったアンドラであったが、今はその言葉のリズムでさえ平素のそれを取り戻している。テディオの態度と言葉が、彼の最も信頼する副官を取り戻したのだ。

 

「……ああ。恐らくナラク様からだろう? リベントス姉妹が勝手に動いたか?」


 今度は本当に、アンドラは驚く様を隠す事が出来なかった。大きく目と口を開き唖然とした表情を浮かべて言葉を失っている。しかしそれも僅か数秒の間。即座に自身を取り戻した彼女は、鋭すぎる目の前の上官に半ば呆れながらも返答した。


「……まったく、ご存知でしたか……。先程マウア=リベントスにより、ピエナ自治領の魔魂石がその機能を止めました。今はまだ気付かれておりませんが、この自治領内でも制限なく魔法の使用が可能となりました」


 アンドラの返答はテディオの言葉を補完するものであり肯定する物であった。彼女の報告を、眼を瞑り微動だにする事無く聞いていた彼は、僅かな逡巡と思われる時間の後ゆっくりと目を開けた。


「……まったく、やってくれるね……どうせタライアの暴走……なんだろうけどね」


 その後に彼の呟いた言葉は、呆れ果てた物と諦めた物が入り混じった溜息と共に吐き出された。だがしかし、その言葉ほど彼の表情は軽い物ではない。


「……恐らくは……。しかしこれにより、我々の計画に依る行動には大きな支障が生じてしまいます……。如何なさいますか?」


 テディオの冗談にも似た言葉に表情を崩す事も無く、アンドラは努めて冷静に彼の指示を待った。テディオに質問を投げ掛けているアンドラであったが、実のところ取り得る手段は多くなく、それは彼も承知する所であった。


「……時間は?」


 テディオの方もそれを承知しているのだろう、細かい部分を全て端折はしょって彼女にはそれだけを質問で返した。


「完了まで、後3時間は……」


 アンドラも彼の言葉は予測の範疇であった様であり、特に思い悩む事も無くノータイムで答えを返した。だがその表情に今度は苦渋の色が僅かに表れている。


「……間に合わない……かな?」


 彼女の表情を気にした様子もなく、テディオは諦め口調でそう呟いた。頭の後ろで両腕を組み、回転座椅子でクルクルと自転している様はまるで本当に子供の様だ。

 

「……しょうがない。1時間後に作戦を決行しよう」


 子供が椅子で遊んでいる様な行動をとりながら、子供が仕方なく呟く様な口調で、彼はアッサリとを決定した。直後にはその意味を理解出来なかったアンドラは、僅かな間を空けた後に自己を取り戻した。


「お……お、お待ち下さいっ! それでは……っ!?」


 そして慌てた口調となり上官に異議を申し立てたのだ。しかしテディオは言葉半ばであった彼女を、右掌を向けて強制的に制止させた。彼の仕草に、アンドラは口から零れかけた言葉を呑み込み閉口した。


「時間がない。この街をそのまま放棄する事も出来ないし、を放置して行く事も出来ない。彼等を足止めする為の手段をみすみす逃す事にもなり兼ねないんだ」


 彼の口にしたその理由はアンドラも承知する所だった。しかし彼の下した決定は到底看過出来る物では無かったのだ。

 だが彼女に上官の決定をくつがえす様な権限は持ち合わせていない。それどころかテディオの決定に対する代案も提示する事が出来ずにいた。アンドラの立場、何よりも所属している組織の性質上、彼女が上官の決定に否と意思表示する事は出来ないのだ。

彼女は改めて、軍と言う組織いては戦争と言う物が如何に残酷な物であるかを痛感していた。作戦の為ならばのだから。


「……それで……彼等にも動きはあるのだろう?」


 その話はそれで終了、決定であると言わんばかりにテディオは話題を変えてアンドラへと質問した。到底承服出来ない思いではあっても、彼女は上官の決定に異を唱える事の出来る立場ではない。何よりも飄々としているテディオであったが、その内心は苦虫を噛み潰した様になっていると容易に想像出来たアンドラは留飲を下げて彼の問いに答えた。


「……皇女はこの事態に気付いていると考えるべきです。彼等の動きは当初この街からの脱出と思われましたが、恐らくは目的地を変えて来る物かと」


 ミカヅキ=マサト達に張り付いている間者からの報告は未だに届いていないが、常に最悪のケースを想定するならばそろそろ彼等に動きがあると考えてもおかしくはなかった。


「……その目的地は?」


 まるで予定調和で形式上の問答を行っている様に、テディオ達の会話には澱みがなかった。彼等にしてみれば話さなくとも解っている事ではあるものの、そこは組織人としての常識であり、僅かな齟齬そごも起こさない為のやり取りであった。


「ここ、ピエナ自治領首府ビルである公算が高いと思われます」


 だからアンドラも、自身の考えを明確に余す所なく言葉にして伝えるのだ。


「狙いは当然……僕だね。此方の作戦を明確に読み取っての行動だろう……。ここをイストの二の舞にしない様に動くだろうね……。特にミカヅキ=マサトやアカツキ=リョーマには到底見過ごせないだろうからね」


 自嘲気味な薄笑いを浮かべてテディオがそう呟いた。突如魔魂石の効果が切れれば、想定されるのはイスト自治領を襲った恐るべき魔法、それによる大破壊だ。テディオ達にマサト達がその事を知っているかどうか判別は付かない物の、彼等と行動を共にする「皇女レサイア」は人知を超える魔法や技術を有していると報告を受けていた。当然イスト自治領が消滅したカラクリも、その原因となる魔魂石機能停止も彼女の知り得る事だと想像出来たのだ。既に魔魂石の機能は停止してしまっている状況となっては、最終的な破壊をもたらす「エクストラ魔法の使い手」を止める以外に方法はない。マサト達もそう考えて動き出す事は容易に考えられる事なのだ。

 暫しの黙考の後、テディオは瞑っていた目を開けてアンドラを見た。彼女の顔にはもう迷いが感じられず、全く常時の彼女であった。


「それじゃあ、準備を進めよう。時間は1時間。1時間逃げ切れれば僕たちの勝ちだ」


 その言葉にアンドラも力強く頷き同意を示した。

 その時室内に小さなアラーム音が鳴り響き、それと同時に本棚の前面へと天井から巨大なモニターが降りて来た。普段は収納されているがデータや資料、地図などを大きく表示するモニターであり会議などに用いられる物だ。

 設置され起動したモニターには、この街の地図がモノクロームに表示されており、そこには4つの光点が表示されている。光点は港湾地区の一角に位置しており、それがマサト達を示していると説明を受けなくとも二人は理解していた。

 それは常に動向を注視していた彼等に動きがあった事を知らせる物だった。今はまだ港湾地区より動いていないが、魔法が解禁となっている現状では飛行魔法を使用して瞬く間に自治領首府ビルへと接近する事も可能だった。


「向こうも動き出した様だ。此方に来るのも時間の問題だね。出迎えの準備をしよう」


 モニターの光点を見ながらそう零すテディオの顔は、アンドラには何処か見えた。これから行う事を考えれば陰鬱いんうつな気持ちとなってもおかしくない状況であるにも拘らず、どこか期待に満ちた瞳を宿している彼女の上官にアンドラは怪訝な表情を向けた。


「……アンドラ、君も良いね? 君には負担の掛かる作戦だけど……」


 その視線に気づいたテディオは、少し身を正す様にして彼女に問いかけた。


「はい、お任せください」


 何を考えているのか底の知れない上官の深慮を探る事に早々の見切りをつけて彼女は簡潔にそう答えた。その返答に頷いたテディオは部屋のバルコニーへと歩を向け、幾つかの指示を無線で行った後副官たるアンドラもそれに続いた。共に室外へと出た事を見計らって殆ど同時に二人の身体は宙へと浮き上がり、そのまま上昇を速め瞬く間に自治領首府ビルの上空50mの所にまで到達した。


「……アンドラ、死ぬんじゃないぞ?」


 恐らくマサト達が来るであろう方向に視線を遣りながら、テディオは彼の副官にそう言葉を掛けた。


「……テディオ様、私のランクをお忘れですか? 例えエクストラ魔法でも、私を一撃で倒す事等出来ません」


 彼の言葉に、アンドラはきっぱりとした口調でそう答えた。

 彼女のランクは7であり、現在確認されているレギュラーとしては最高ランクだった。その魔法力を以てすれば、例えレベル9のエクストラ魔法であっても彼女は防ぎきる事が出来るのだ。更にアンドラは所謂「バランス型」と称される、攻防に均整の取れた能力を有する稀なタイプである。高いレベルで攻撃も防御もこなせる彼女は、盾魔法だけでなく剣魔法も得意としている。例え同等ランクの魔法士が相手であっても、決して後れを取る様な事は無い。

 

「そうだったね。それじゃー僕の方が気を付けないといけないね」


 テディオが可笑しそうに笑いながらそう答えると、表情を改めて海の方へと体を向けて精神を集中しだした。顔を曇らせるアンドラを尻目に、彼は額に汗する程の集中力を引き出した後、大きく息を付いて脱力した。

 それと時を同じくして遥か遠方に4つの影が確認出来、それは急速に彼等の元へと向かっている事がテディオ達には理解出来たのだった。


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