Décision(決断)

「さっさとやちゃいなさいな」


 その物言いは上品な言葉遣いに聞こえるが、その実声音は甲高く耳障りでいて、多分に苛立ちが含まれている。声を発した主は頭よりすっぽりと覆ったローブから、強くウェーブの掛かる美しい金髪と猛禽類の様な瞳を覗かせていた。


「……で……でも、タライア……。作戦実行までにはまだ……時間が……」


 苛立ちをぶつけられた少女はまるで怯える様に、それでもそのタライアと言う女性に異を唱えた。彼女もその女性と同じローブを身に纏っていたが、着こなしていると言うよりも着せられていると言った感が強く、小柄な体にあってはみすぼらしく感じられた。

 反論されたタライアはこの上なく不快であると言う程に顔を歪めて、眼前で小さくなっている少女に更なる言葉を浴びせかけた。


「マウア姉さん!私の言う事が聞けない……と、そうおっしゃるの!?」


 まるで猫科の動物であるようにまなじりをきつく吊り上げ、攻める様な口調でマウアと呼んだ少女を口撃する。それを受けたマウアは更に身を強張らせ先程よりも小さくなっていた。


「……で……でも……ナラク様に……」


「現地では臨機応変が常なのですよっ!?その程度の事、ナラク様ならば解っていただけますっ!そんな事も姉さんには理解出来ないんですかっ!?」


 マウアと呼ばれた少女の正論は、恐らく妹であろうタライアの持論により霧散した。それでも更に反論しようと試み、タライアの眼に自身の瞳を向けたマウアだったが、タライアの肉食獣にも似た眼光に呑み込まれ言葉を発せなかった。

 

「……さぁ、姉さん」


 タライアの大声では無いが強い語気には、マウアの反論を許さない威圧と最後通告であると言う意味が込められていた。

 

「……うん……わかった……」


 到底納得出来る物では無いと解ってはいても、マウアにタライアの言葉を退ける勇気も度胸も無い。結局そう答えて準備に移るマウアだったが、意思に反したその行動は普段よりも更に鈍重どんじゅうだった。


「……まったく……トロいったら……」


 その動きを見たタライアから、追い打ちの如き言葉が投げ掛けられる。妹が口にするさげすみの言葉を背に受けながら、マウアはに取り掛かった。

 元居た位置よりも数歩前に出る。そこはピエナ自治領を眼下に見下ろす丘の上であり、標的はそこに設置されてある、その内の1つだった。

 マウアが精神を集中させていく。彼女の集中力が高まり魔力を徐々に強めて行くと、彼女の足元から緋い色の魔法陣が大きく展開された。

 そこに刻まれている紋様は、現在使われているどの魔法文字や紋様、呪紋とも合致しない、失われた「古代文字」だった。

 現代のそれよりもさらに複雑怪奇な紋様を含んだ魔法陣が、マウアの集中度合いに比例して光を増していく。タライアはその様子を、どこか嗜虐的しぎゃくてきな瞳で見つめていた。


「……太古より受け継がれし魂の輪廻……その摂理から外れし哀れな同胞はらから達よ……我、戒めを解き、本来あるべき姿へと汝らを導かん……」


 マウアは額に玉の様な汗を浮かべ、強く瞼を瞑り熱心に呪文を唱えている。彼女の表情に疲労、苦痛、悲哀と言った感情が浮かぶ度、彼女の足元に展開される魔法陣は更に赤みを増していく。


「……我、求め訴えたりっ!永遠の呪縛より汝らを解き放ち、かくて汝らは喜びの野へと召されるだろうっ!我は求めるっ!汝らは答えよっ!」


 彼女の表情は既に耐え難きに耐えている物であり、額から滴り落ちる汗も尋常では無かった。しかし彼女が魔法を取りやめる気配は見せず、その集中も極限に達していた。そしてそれに呼応しているかの如く、足元の魔法陣は今やその輝きが最高潮に達していた。


「アニマ・サクリフィシオッ!」


 ―――バサッ!


 呪文を唱え切ったマウアは、ローブの袖を翻して、まるで羽ばたく様に大きく左右に開いた腕を体の前方へとやった。マウアが眼下にあるピエナ自治領に、まるで突風でも送り込む様な仕草をした直後、彼女の足元に展開されている魔法陣が一際大きく輝いた。

 到底目を開けていられない程の光量を発した後、マウアの足元にあった魔法陣は綺麗に掻き消えていた。同時にマウアの膝が揺れ、ガクリと地面に片膝をついた。


「……さ、帰るわよ、姉さん」


 未だ肩で息を付き呼吸の荒いマウアの右肩に手を置き、タライアは無機質にそう告げた。


「……でも……この後……テディオ様と……合流……しないと……」


 息も絶え絶えに、それでもタライアに異を唱えるマウアに対し、タライアは舌打ちでもしそうな表情で彼女を見下した。


「私達の仕事はこれで終わりよ。テディオ様と合流したって、他にやる事等無いでしょう?特に姉さん、貴女にはね」


 その言葉を受けてマウアはガクリと項垂うなだれた。しかしその表情は辛酸しんさんを舐めていると言った類では無く、彼女の言葉に納得して反論出来ないと言った物だった。タライアの言葉はきつく辛辣しんらつではあったがその実しっかりと的を射ており、事実マウアはこの魔法を使用した後、5日は普通に魔法を使用する事が出来ないのだ。何処の誰と合流した所で、彼女がお荷物と化すのは火を見るよりも明らかだった。

 項垂れ反論を寄越さない姉のマウアに鼻を鳴らして一瞥したタライアは、マウアの同意も得ぬままに、その場から瞬時に消え失せたのだった。





「待てっ!待つのじゃっ、リョーマ殿っ!」


 今にも隣の倉庫へと飛び移ろうかと言うリョーマの背中に、豹変したかのようなユファの声が投げ掛けられた。それは身を潜めるには到底不釣り合いな声量であり、いつものユファらしからぬ物だった。突如呼び止められたリョーマはいささか体勢を崩しながらも踏み止まり、緊張を解かれた表情でユファへと振り返った。


「おい、ユファ!?一体どうしたんだ!?」


 その明らかにいつもと違うユファの行動を、マサトは訝しむ様に尋ねた。しかしユファはすぐに答えようとせず、必死な表情で何かを探っている様だった。


「……まずいぞ……この感覚……マサト、どうやらこの自治領の魔魂石もその機能を停止した様じゃ!」


 先程よりも遥かに声量を落としている物の、それでも緊迫した雰囲気を纏ってユファがマサトにそう告げた。


「なんだって!?」


 今度はマサトが声の大きさを咎められる程の声量で答えた。しかしアイシュもユファでさえその事を気にした様子は無い。一人事態が呑み込めないリョーマは、絶句するマサトを尻目にユファへと話しかけた。


「その……ユーちゃん……?魔魂石が……なんだって?」


 マサトはイスト自治領崩壊時に、ユファから魔魂石の機能を止められたと話された直後に帝国軍の侵攻を受けた経験から、それがどういった事態か察しがついていた。

 アイシュは自身が魔魂石化を果たす程魔魂石に付いて深く精通しており、それがどういった事態なのか把握する事が出来ている。

 そして二人はそれが意図的にもたらされた結果を、身を以て体験していたのだ。

 しかしリョーマは、イスト自治領の崩壊を体験していると言う点で二人と同じだが、その原因や裏事情を知るには至っていない。本来魔魂石で守られた自治領内で何故魔法に依る侵攻を受けたのかと言う経緯や、如何にエクストラ魔法に晒されたとはいえ驚く程簡単にイスト自治領が消滅してしまった理由は知らされていなかったのだ。

 流石にリョーマはマサト程「魔魂石」について知らなかった、と言う事は無かったが、魔魂石の機能が消失したと言う事実を俄かに受け入れる事が出来なかったのだ。


「先程外部の者より、この街の魔魂石が意図的にその機能を停止させられた様なのじゃ」


 そんなリョーマに、ユファは淡々と事実だけを語った。そしてその瞳には疑問質問を受け入れないと言う瞳が湛えられており、それをそのままリョーマへと向けていたのだ。

 リョーマも何か口を開きかけたのだが、ユファの意図を察したのかそれ以上の反問はしなかった。

 ユファにしてみればこの説明で彼が即座に納得できるとは思っていなかった。その事実を知ら無い者からすれば、千年もの間各自治領を守り続けていた魔魂石が突如その機能を停止する、しかもそれが人為的な物だ等と俄かには信じられない事である。

 しかしリョーマはそれでもユファに質問をしなかった。ユファより向けられた視線から色々な物を感じ取ったリョーマは、その言葉の意味を咀嚼そしゃくし自分なりに解釈したのだった。そして一つの仮定に至る。


 ―――ピエナ自治領が消滅の危機に瀕している……と。


 魔魂石がその効力を失っていると仮定し、それが人為的に行われている物だと想定して結び付けた結論は、このピエナ自治領もイスト自治領と同じ結果に向かっていると言う事だった。

 だがそれらはすべて仮定でしかなく、だからこそユファはそこまで言及しなかったのだとも解釈したのだ。

 

「……奴らの狙いは……これだって言うのか……?」


 絶句していたマサトが再起動を果たし、絞り出すような声でそう呟いた。このピエナ自治領でイスト自治領の再現をしようとしている、言外に彼はそう言いたかったのだ。そしてその想いはアイシュも同様だった。


「……狙いは解らぬ。しかしその可能性は決して低くないと思うの。一度の成功は、再びの成功を求める物じゃからな」


 断定する愚を避けたユファだったが、その言葉は概ねその考えが間違っていないと言っていた。それを踏まえて、リョーマとユファの視線は再びマサトへと注がれていた。昨夜から数えて三度方針の変更を余儀なくされているのだ。そしてその決定を行うのはやはりマサトに他ならない。


「……なぁ、リョー兄ちゃん、ユファ。この街に駐留している帝国軍の司令官を退ける事が出来れば、この街で行われる帝国の作戦を止める事が出来ると思うか?」


 そしてやはり、マサトは帝国の暴挙を看過する事は出来ない様であった。

 リョーマとユファは互いに顔を見合わせている。そのアイコンタクトは、互いの意見が一致している事を確認する物であった。

 

「……わからないよ、マー坊。この街にまだ帝国軍司令官が居ると言う確認も取れてない。それに居たとしても、最悪は司令官ごとこの街を消滅させる手段を取るかもしれないしね」


 今までの話も、あくまでも彼等の想像であり確認した事ではない。彼等はあくまでも「最悪の事態」を想定して論じている訳なのだ。仮定の上に仮定を重ねても、それはあまり意味の無い事でもある。


「しかし現状取れる手はそれしかないの。それに我らが動く事で、敵に動きが見て取れるやも知れぬ。情報の乏しい現在では、これ以上的確な方針を立てようがあるまい。ならば勢いのままに行動する事も一興と言う物じゃ」


 リョーマの言葉を継いだユファは、それでもマサトの案に賛同を示した。その思案が結果的に無意味な事ではあっても、最悪の事態を想定して動く事は無駄とは言えない。特に情報の乏しい今の様な状況では「大胆な行動をとる事で考えられる最悪のケース」と言った相反する事柄を考える必要があるのだ。

 

「じゃあ行こう!目的地はピエナ自治領首府ビルだ!」


 ユファの了承を得てマサトはそう声にした。それを受けてその場の三人もマサトに頷き返す。


「……あー……でもこの包囲網をどうやって抜けるんだ?イチイチ倒してたら、それこそいつ辿り着くのか見当もつかないぞ?」


 しかしここでリョーマが水を注す一言を漏らした。普通に考えれば、港湾地区からピエナ自治領首府ビルまでを陸路で突き進まなければならず、その間に待ち構える多くのピエナ自治領警備部隊をなぎ倒して行かなければならないのだ。


「……どうやってって……空を飛んで……だよな?」


 だがマサトの答えはリョーマの意表を突くには十分な物だった。一つには「魔魂石の効力が切れた街中」と言う物を経験した事の無い彼にとって、今現在魔魂石がその効力を失していると失念してしまっていたのだ。そして事情を知らないリョーマには、まさかマサトの口から「空を飛ぶ」と言う言葉が出て来るとは思いもよらなかったのであった。

 呆気にとられた表情を見せるリョーマを見て事情を察したマサトが、まりの悪そうな顔で事情を説明しだした。


「リョー兄ちゃん……俺、昨日アウトランクになったんだ。ランクは低いけど飛行魔法も使える様になったんだよ」


 それを聞いたリョーマは瞬間、怪訝な顔を浮かべたが直後には妙に得心した様に考え込んだ。リョーマは「アウトランク」と言う言葉を聞いた事が無い筈であり、マサトの説明からそれがどういった物か知る術は無い。だがリョーマの態度はマサトが何を話しているのかある程度理解している様だった。


「……リョーマ殿、もしや『アウトランク』と言う物に心当たりがあるのか?」


 だがこれはユファにしてみれば驚くべき事だった。アウトランクは千年前の大戦以降秘匿技術として取り扱われ、歴史の表舞台から姿を消した筈であったのだ。そしてその手配を細部まで指示したのは誰あろうユファ本人であった。


「……いや、今初めて聞いた言葉だよ。……だけど歴史上、ちょっと説明のつかない事象が幾つもあって不思議だったんだけど、マー坊の言葉で納得がいったと言うか理解出来たと言うか……」


 しかしリョーマの言葉でユファは再び驚かされる事となった。「アウトランク」と言う文言を始め、それを連想させる表現や使用された描写には全てプロテクトを施した筈だったのだ。だがリョーマの様に戦史を学ぶ者に対して、例えそれが少数派とは言え違和感を与えていたと言う事は、ユファをして驚愕すべき事実だったのだ。


「……まったく……恐るべき御仁じゃの……リョーマ殿は……」


 この姿だけを見れば、リョーマは間違いなく観察眼と洞察力に優れた一流の参謀資質を持っていると言っても過言では無い。だが残念ながら、リョーマの性格が彼を「参謀」の枠に収める事は不可だと明言していた。彼は間違いなく実戦派であり、大人しく参謀本部で指示だけを行っていられる性格では無いのだ。


(……正しく、天は二物を与えずとはよく言った物じゃ……)


 やや自嘲気味の笑みを浮かべたユファがその様に考えても、それは仕方のない事だったのかも知れなかった。


「それで……アウトランク……だっけ?そのお蔭でマー坊はレギュラー魔法も使える様になったって事だよな?ランクは幾つなんだ?」


 当然その様な話となる。マサトが飛行魔法を使用可能だと知ったリョーマは、彼がエクストラでありながらレギュラー魔法も使用出来ると正確に理解していたのだ。その流れから、マサトが身に付けたレギュラー魔法のランクに注意が行く事は自然な事だった。


「……え……と……」


 しかしマサトは即答出来ないでいた。自治領最強の魔法を有するエクストラ魔法士が、アウトランクとなって身に付けた魔法がランク2だ等と、彼にしてみれば何処か恥ずかしい事の様に感じられたのだ。

 言い淀むマサトの様子に、アイシュがススッとリョーマの隣まですり寄り耳打ちした。


「……あ……そう……ま、まぁ、マー坊はエクストラ魔法士なんだからさ。レギュラー魔法が強力じゃなくても問題ないし、何かあればアーちゃんに頼れば良いんだしね。はは……ははは……」


 ヘタクソな。実に下手くそなリョーマのフォローに、それを受けたマサトは再び居た堪れなくなってしまった。昨晩自分自身で納得した筈ではあるが、改めて憐れむ様な、慰めの様な言葉を掛けられれば、まるで自分が失敗をしてしまった感がどうしても否めないのである。


「あーっ、もうっ!俺はこれで良いんだよっ!もう行くぞっ!」


 そして何かを吹っ切る様にそう叫び、真っ先に飛行魔法を使用する態勢に入った。今にも飛び出して行きそうなマサトにリョーマが声を掛けた。


「マー坊、もう飛行魔法はテストしてみたのか?」


 その言葉にマサト、アイシュ、ユファが同時に「あっ……」と言う表情を浮かべた。昨晩アウトランクとなったばかりのマサトは、飛行魔法は勿論その他の魔法さえ使用していなかったのだ。

 だが既に全てが手遅れだった。

 アイシュとユファが動きを止めてしまった眼前で、マサトは恐るべき勢いで上昇して行ったのだ。


「うっ……うわぁ―――――――っ!」


 瞬く間に上昇して行くマサトの声は、みるみる小さくなっていった。


「マッ、マー君っ!」


 慌てたアイシュがマサトを追いかけて飛んでいく。幸いだったのは真っ直ぐに上昇したお蔭で、周囲を取り巻くピエナ自治領警備部隊に彼等の居場所を気付かれていないと言う事だった。


「ぷっ……あっはははははっ!まるでロケットだな!」

 

 その様子を見ていたリョーマが、文字通り腹を抱えて大笑いしだした。その姿を呆れた表情を浮かべてユファが見つめる。


「……笑っている場合では無かろう。我等も後を追うぞ」


 そう言い残したユファは、リョーマを置いて空へと飛びあがった。

 彼女の下方では、未だにリョーマの笑い声が響いていた。


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