Comportement(行動)

 ―――時刻は午後4時

 ユックリと瞼を開けたアイシュは、未だ隣で寝息を立てているマサトを起こさない様に、スルリとベッドから滑り降りた。

 彼女は殆ど物音も経てず、ユックリとマサトの元を離れ、身嗜みを整える為にソッと洗面所へと向かった。

 それと殆ど同時に、僅かに開いていたこの部屋唯一の窓から、淡く光る小さな物体が舞い込み、そのままアイシュの後を追う様に洗面所内へと飛び込んでいった。


「目を覚ました様じゃな、アイシュ」


 ガイスト化し、今はまるで妖精の様な姿形のユファが、鏡に映るアイシュに背後から声を掛けた。アイシュもまた、鏡越しにユファと視線を合わせ、髪をく手を止めずに答える。


「うん、ユファ。待たせちゃったね」


 先程行ったリョーマも交えての打ち合わせでは、行動を開始するのは午後、それも夕刻からと決めていた。それまで何をするかは各個人の自由だ。そう言った意味で、ユファは待った、待たされたと言う気持ちを抱いていなかったのだが、アイシュはマサトに添い寝している間、ユファが気を使い、席を外してくれていた事を言っていたのだ。

 

「よい。我もこの街をユックリと観察する時間が取れた。やはり庶民の織りなす文化と言う物は、非常に興味深い物じゃの」


 ユファの言葉には少しの喜色と多くの興奮が含まれており、それが決して建前でない事を物語っていた。ユファが変に気を使っている事は無いと感じ取ったアイシュは、小さく息を吐き安堵した。


「それで、リョーマ殿は既に出かけておるのか?」


 情報収集の為に行動するのは、アイシュ達だけでなくリョーマも同様であった。彼はこの部屋の隣で休んでいる筈だが、人が動き出す雰囲気は勿論、部屋に居る気配すら感じられない。

 ユファの言葉でアイシュは目を瞑り、隣の部屋の様子を探ってみる。だがやはりそこに、リョーマの存在は感じ取れなかった。


「うん。リョーマ様はもう部屋から出られて、先に行動している思う」


 リョーマが本気で気配を隠せば、アイシュ程度の実力ではそれを探り当てる事等不可能だろう。それ程にリョーマの「隠密」はレベルの高い物だ。

 だがホテルの一室で休息している時に、わざわざ気配を消す様な事はしないだろう。もしそうしていたのなら、逆にそちらの方が怪しまれてしまう。

 人の気配がしない部屋に人影が動いたならば勿論不審だし、ルームメイキングを行うスタッフを驚かせる事にもなり兼ね無いからだ。

 それにリョーマがわざわざ気配を消してまで、アイシュ達に秘密としなければならない事等無い筈である。


「それにしてもあやつ、繁華街の方へ赴くと言っておったが、具体的にどこを見て回るつもりなのじゃ?」


 ユファの言葉はもっともな物ではあるが、同時に考えるだけ無駄と言う物でもあった。


「そこは……ね……。ほら、リョーマ様だから……」


 明確な説明を避けたアイシュの返答は、多分にユファの想像力を期待する物であった。それを察したユファは、大仰に溜息をついて首を左右に振った。


「……力量は目を見張る物を持つと言うに、自身の興味と好奇心を抑制出来ないとはな……」


「あははー……」


 ユファの言い分は的を射過ぎていて、アイシュは苦笑いを返すしか出来なかった。



 簡単に身支度を整えたアイシュは、それまで身に付けていた衣服を、動きやすいパンツスタイルに着替えた。それまでの服装も取り立てて行動に支障をきたす様な物では無かったが、今から行う事を考えれば、よりスポーティな物の方が好ましかったからだ。

 脱ぎ去った衣服は光粒とかし中空に解け、昨日購入していた衣服を身に纏う。

 健康的なアイシュの体には、襟付きシャツとデニムパンツのスタイルもまた良く似合っていた。


「ほほう……その服装も、それなりに良い物だな……」


 着替え終えたアイシュの全身を頭の先から爪先まで、食い入る様に見たユファが感想を零した。ユファは皇宮に居た頃は勿論、マサト達と共に生活する様になってからも、パンツスタイルの衣服を着た事が無かったのだ。


「ふふふ……ユファの分も買ってあるから、後で着てみると良いよ」


「なんと!それは誠か!?」


 アイシュの返答に、ユファの顔がパーッと明るくなる、ほのかに頬も上気していた。イスト自治領での生活は短い物であったが、それでもアイシュやノイエと過ごした事により、それまで希薄だったファッションへの意識が高まり、何かにつけて興味を抱く様になったユファは、見た目だけで言えば年相応の女の子に近づいたと言える。

 しかし今回、ユファは表だって行動する事は無い。着替えるのは次回へと持ち越される事となった。


「……それじゃあ、行こっか」


 全ての準備が整ったアイシュはユファに声を掛けて、ユックリ静かに部屋を後にする。ユファも示し合わせた様に、アイシュの胸ポケットへと姿を隠した。

 眠ったままのマサトには、声を掛けずに出発する。休んでいるマサトに気を使ったものだが、それ以前に彼には休養が何よりも必要だったのだ。

 疲労の蓄積と言う物は、一日二日で取り払えるものでは無い。だからと言って無制限に、彼が完全復調するまで休ませ続けると言う事も不可能だ。

 アイシュ達に出来る事は、可能な限り邪魔する事無く休ませる、それしかなかったのだ。

 故に彼女達は、出発する事も告げず部屋を出たのだ。恐らく、本当に恐らくはリョーマも同様だろう。

 


 いよいよ盛夏を迎えようと言うこの季節の太陽は、未だ強い陽射しを大地へと発している。しかし間違いなく西へと傾きだしており、いずれはこの街を夕闇が被うだろう。

 明るい内に外観を把握し、暗くなって本格的な探索を開始すると言う当初の予定通り、アイシュは港湾地区へと歩を向けた。





「お主、中々手慣れた物じゃったのう」

 

 アイシュは港湾地区へ辿り着くと、観光者を装って物珍しそうな風を装い、時には迷ったフリをして、凡そ2時間を掛けこの地区を隈なく歩き回った。

 観光に適している港公園はやや離れた所にあり、余り一般人が徘徊している様な場所では無い事もあって、すれ違う作業者には不審な目を向けられたりもしたが、愛らしいアイシュの容姿と、その度にワタワタと慌てて見せた彼女が微笑ましい物であった為、特に勘ぐられる事も無く港湾地区を見て回る事が出来たのだ。

 だがユファの言葉はその手際を指した物では無かった。

 屈強な海の男達が働く港湾地区には、アイシュの様な可愛らしい女性が訪れる事等少ない。実に二桁に及び、アイシュはそんな男達にモーションを掛けられ、その都度当たり障りのない言葉で回避していった。ユファはその事を言っているのだ。


「あははは……まぁ……ね……」


 実際アイシュは、その手の誘いをすり抜ける事に経験があり、今や得意としていた。

 アイシュ達が通っていたアーベント高校で、彼女はやはり目立っていた。校内屈指の優等生であり、校内有数の美少女であった彼女は、正に学園のアイドル。そんな彼女に声を掛けて来る男子学生が皆無な訳は無かった。

 そしてアイシュは彼等のアプローチを、当たり障りの無い様上手く断りを入れすり抜けて行ったのである。その経験がここでも活かされた訳だが、アイシュにしてみれば複雑な心境に他ならない。



 夜の7時ともなると、流石に周囲は薄暗く、巨大な貨物が高く積み上げられているエリア等は、闇を作り出している部分が殆どであった。

 日中は多くの作業者が目に付くこの港湾地区も、この時間ともなれば夜間作業員しか滞在しておらず、その数は流石に少ない。

 秘密裏に行動するには打って付けだが、逆に見つかれば怪しい等と言うレベルでは無いのだ。更に慎重な行動が要求されるし、目的をハッキリと持ち、無駄な動きは避ける必要があった。

 当面の目標についてユファと相談する為、アイシュは一際闇が濃い場所に身を寄せた。それを見計らって、ユファも彼女の胸元から飛び出した。


「アイシュ、気付いたか?」


 出て来るなりそう言ったユファの表情は、先程までと違い真剣そのものだ。


「うん。あの船の事だよね?」


 夜になり、夜間作業の殆どは、港湾地区に積み込まれたコンテナや荷物の整理となる。一部の船舶に荷物の積載が行われているが、殆どの船は係留所で停泊しており、船の数は数える程しか見て取れない。

 そんな中、沖合に停泊している大型貨物船へ、小型船舶が頻繁に行き来しているのを確認していたのだ。

 夜の積み込み作業は、接岸していても尚危険が生じる。それにも拘らず、あえて沖合に停泊させ、そこで荷物の積み込みを行う理由それは……。


「うむ。余程おおやけに作業出来ない事情がある……と考えるのが妥当じゃな」


 ユファの言葉に視線を交わし、二人は頷き合った。沖合に停泊する船舶に乗船する事は難しい。ならばその船の素性を調べる事が目的の第一だ、と彼女達の見解は一致したのだ。


「ところであれから、リョーマ殿より連絡は入ったのか?」


 ユファは三日月流心術「伝心」の相互確認を行っていない。もっとももしその場にユファが居たとしても、彼女に「伝心」を使う事は出来ないのだが。

 「伝心」は「深淵の御三家」に連なる血縁関係を持つ者同士でなければ使う事が出来ない。当然血縁関係に無いユファには「伝心」を使用して「念話」を行う事が出来ない。


「そう言えば連絡が無いわね……」


 そう言ってアイシュは静かに目を閉じた。恐らくは「伝心」を使用してリョーマに語りかけているのだろう。暫くしてアイシュは目を開いた。


「……だめ。返事が返ってこないわ」


 携帯端末機器然り、魔法を使用した「魔通信」然り、この三日月流心術「伝心」然り。

 此方からアクセスしても、相手が応答しなければ話し様がない。この時代、この世界に措いても「居留守」を使われればお手上げなのである。


「まったく……何をやっておるのじゃ……」


 なまじ高評価を与えるに足る人物であるが故に、その自由奔放で楽天的、つまり「いい加減さ」が目につき、周囲を落胆させる。もっともリョーマの場合は、そう言った事も折り込まれて考えられており、案の定と言った度合いが強いのだが。


(アイシュ、大丈夫か?今は話しても問題ないか?)


 リョーマの代わりに応答が返ってきたのは、ホテルで待機しているだろうマサトからだった。


「あ、マー君からだ。ユファ、ちょっと待ってね」


 会話を聞く事の出来ないユファに断りを入れて、アイシュはマサトに返答した。


(マー君、起きてたんだね。今は大丈夫だよ)


(そうか、良かった。俺の体調も随分戻ったし、今からそっちに合流しようと思うんだが……)


 今日一日は休んでいる様にと言われたマサトだったが、流石に2日続けてベッドの上では退屈なのだろう。彼の声は要望と言うよりも願望に近かった。


(もー……休んでればいいのに。ちょっと待ってね)


 マサトの心情が解らないでも無いアイシュは、マサトにそう言って一旦意識をユファに向けた。


「マー君がこっちに合流したいんだって」


 ユファにそう告げたアイシュの顔は、どこか嬉しそうでもあった。慣れない探索行動で、彼女の神経も少なからずすり減っていたのかもしれない。


「全く……『深淵の御三家』に連なる男児は、一所に留まり続ける事が苦手と見えるの……」


 大きく溜息をついたユファの言葉を、彼への回答と受け取ったアイシュは、再び「伝心」を使用した。


(マー君、ユファが来て良いって。……でも、本当に大丈夫なの?)


(ああ!正直もうジッとしてる事の方が辛いよ)


 ユファの了承を聞いたマサトは、居ても立っても居られないと言った雰囲気だ。彼の物言いが、熱を出して寝ていた幼子が外で遊びたがるのに似ていて、アイシュには何処か微笑ましい物に感じ、自然と表情が緩んだ。


(わかった。じゃあ待ってるね。場所はマップで解るよね?)


(ああ、確認した。すぐに向かうよ。ところで……リョー兄ちゃんは……)


(……想像通りよ)


(ははは……)


 先程から「伝心」に入って来ないリョーマに怪訝を抱いたマサトだったが、アイシュの言葉に全てを察し、乾いた笑いを口にした。

 リョーマの事だから、例え問題が起きても危険に陥ると言う事は考え難いが、それよりも目的自体を忘れている可能性が高いと想像……いや、確信出来、マサトにしても彼を弁護する言葉が浮かばなかったのだ。

 こう言ってしまえばやや酷い物言いだが、マサトもアイシュも、そしてユファも、リョーマに過度な期待を掛けておらず、自分達で状況を打開するつもりで行動していたのだった。



 それから僅か十分も掛かる事無く、マサトはアイシュ達と合流を果たした。この数日使い続けた三日月流体術「飛影」は彼の中で練度を増し、より洗練された物へとなっていたのだ。


「よし、ここからは俺の『隠密』で行動しよう」


 状況の説明を簡潔に聞き、マサトはそう判断してアイシュ達に告げた。

 アイシュやユファにしてみれば、折角回復したと言うのに、何故自ら苦労を買って出るのかと言う思いだったが、マサトの方は行動したくてウズウズしている様であり、虚勢を張っている様にも見えなかったので、特に反論する事も無く承諾した。

 それにマサトの「隠密」は逸品である。それはここに到着するまで、何度も目にした事実であった。

 沖合に停泊する船舶に忍び込む事が不可能である以上、その船の素性を知る為には「港湾管理センター」へ忍び込む必要があったのだ。

 如何に夜間勤務の者しかおらず、日中よりも人の出入りが少ないとは言え、作業者が全く居ない訳では無い。ここはマサトの技術が効果的なのは言うまでもない事であった。

 影のように素早く、闇の様に気配を感じさせる事の無いマサトは、誰からも見咎められる事無く、目的のビルが見える位置まで移動していた。

 

「あそこが『港湾管理センター』の入り口だな」


「そうじゃ……が、嫌に人の出入りが頻繁じゃな」


 マサトの右胸ポケットに納まったユファが、高くそびえるビルの入り口を、多数の人影が頻繁に出入りする様を見てそう漏らした。


「あの船に関する仕事をしている人達なのかな?」


 今度はマサトの左胸ポケットから様子を伺っていたアイシュが呟いた。

 行動をマサトに一任したアイシュはガイストと化し、ユファと同じ様にポケットの中で身を潜めていたのだ。


「どちらにせよ、何か理由がありそうだな。早速中に忍び込むぞ」


 二人にそう告げたマサトの気配は、そこに居ながら気付けない程、希薄な物となっていった。

 “堂々と”正面玄関からビルの中へと足を踏み入れたマサトは、周囲を気にしながら案内板の前に立っていた。今のマサトは例え目の前に位置していたとしても、それと気付くことは困難だ。それが肉眼であろうと魔法探知であろうと同様であった。

 しかしマサトに、自身の能力に対する過信はない。

 魔法にせよ、三日月流剣術にせよ、常に自分では無い誰かが先を行っている状況だった彼に、自分の能力に対する過信、慢心はない。

 結果としては彼の前を数人が通り過ぎ、やはり彼を認識するには及ばなかったのだが、それでもマサトは警戒心を解く事は無かった。


「あの船に関する情報は……どこで得られるんだろう?」


 案内板に表示されている、各階毎に設置された多くの部署名。そのどれもが情報を管理していそうであり、また違う様な気がしていた。

 例え日中の喧騒であっても、マサトの技術ならば忍び込む事が可能ではあるのだが、リスクは低いに越した事は無い。出来るならば場所を絞り、短時間で、夜の内に目的を達したいと思っていたのだ。


「そうじゃの……19階『港湾管理室』……27階『オペレーションセンター』……そして30階『役員執務室』。あえて絞り込むならばこの三箇所じゃな」


 案内板を彼の胸ポケットから覗き見ていたユファが、当たりを付けた場所をマサトに告げた。

 マサトもアイシュも「港湾管理センター」に訪れるのは初めてだ。そしてユファも直接訪れた事は無かった。だが、僅かでも情報の流れにさといのは間違いなくユファであった。

 マサトは疑問に感じる事も反論も無く、ユファの言葉に頷いて即座に移動を開始した。



 最初に訪れた「港湾管理室」そして次に向かった「オペレーションセンター」では収穫を得る事が出来なかった。

 19階「港湾管理室」には誰も常駐しておらず、灯りも落とされていた。人が訪れる気配も無く、比較的ユックリ調べる事が出来たのだが、沖合に停泊する船舶の情報らしいものを見つける事が出来なかったのだ。ただ、各フロアーのマスターキーを見つける事が出来、彼等はそれを拝借してその場を後にしたのだった。

 そして次に向かった27階「オペレーションセンター」には、先程と違い人の出入りが頻繁に行われ、何処か喧騒な雰囲気があり、逆に腰を据えて探索する事が出来なかった。

 この場所に必要な情報がある可能性が無かった訳では無いが、人の混雑する場所では流石にマサトの「隠密」を使用しても、接触と言う形で存在がバレてしまうかもしれない。それ程のリスクを今すぐ侵す愚を避け、先に「役員執務室」のあるフロアーを探索する事としたのだ。

 30階へと降り立ったマサトは、エレベーターホールから続く通路沿いにずらりと並んだ扉に唖然とした。彼のイメージとしては、1フロアーを無駄に広く使った大きな部屋が一つか二つある程度だと考えていた。しかし目の前には、まるで学生寮か安価なアパートの様に、無数のドアが連なっていたのだった。


「……手当たり次第に調べるしかない……か……」


 溜息を混ぜ込み、マサトはそう呟いた。これでは一体、全部屋調べ終わるのにどれ程の時間を要するか、想像もつかなかったのだ。幸い、このフロア―で灯りの灯されている部屋は無い。つまり誰もこのフロア―に滞在していないと言う事なのだろうが、時間を掛ければ一体いつ、誰がここを訪れるか知れたものでは無い。

 それに「港湾管理室」から持ち出したマスターキーの所在が、いつ問題になるかも知れないのだ。一部屋辺りに割ける時間はそう多くなかった。


「いや待て、マサトよ。この通路奥から調べるのが良さそうだ」


 マサトの胸ポケットから飛び出し、扉の一つを凝視していたユファが、通路の奥を指さしそうマサトに提言した。


「なんでそう思うんだ?」


 マサトの目には、どれも同じ様な扉にしか見えない。それでもユファが奥を指差すには、相応の理由があると考えての事に違いなかった。


「この手前にある扉に掲げられておるネームプレートには“港湾管理係長”とある。この階には多くの役職者が部屋を構えていると考えれば、出口に当たるエレベーターホール側は役職の低い者が使う部屋だと推測出来、逆に奥手は高い地位の役職者が使用している部屋なのだろう。事が帝国の管理下で行われておると想像すれば、その事を上役が関知しない等考えられぬ。だとするならば、奥手にある高官の執務室から探す方が効率も良かろう」


 会社のシステムや、役職者の動向等は、学生であったマサト達が思いつく様な事では無い。まさにユファならではの発想であり、今はその考えに従う以外、彼等には他に代案等浮かばなかった。

 通路を突きあたった左が「President’s Office」、その正面の部屋が「Vice-President’s Office」、つまり社長室と副社長室とあった。流石に他の部屋よりも大きく造られている様だが、それでもイメージに対して随分質素で小さい。

社長や副社長が、指示書や計画書をいつまでも保有し、直接指揮を取っているとは思えないと言うユファの考えもあり、マサト達はその両隣に在る部屋から見て回る事とした。

「Executive Director Office」とは常務取締役室。社長とまではいかなくても、それに近い決裁権を有している筈だ。そしてユファの考えが正しかったと証明される事になる。

マスターキーを使い中に入り、真っ先に目を向けた執務机の上にそれはあった。

「大陸侵攻における物資、兵員輸送指示計画書」

その表題を見ただけで内容が即座に想像出来た。そして沖合に停泊している貨物船が何を目的とした物かも。

この指示書が届いたのは二日前だが、出向予定は今から三日後。作業をするには日数が少なく、夜を徹しての作業に追われるのも無理からぬことだと理解出来た。


「当たり……じゃな」


「ああ、間違いなくガルガントス魔導帝国が他大陸に侵攻する為に、必要な物資の準備に対する指示書だ」


 A4用紙十数枚からなるその指示書は、用紙の右上でクリップ止めされており、マサトはそれをペラペラとめくりながらユファの呟きに答えた。


「でも、大陸としか書いてないね……。の事を言ってるのかな?」


 アイシュが当然と言うべき疑問を口にした。このオストレサル大陸から、殆ど同じ距離に二つの大陸が存在している。

 北西にノルテパナギア大陸、南西にスルフェスト大陸。

 最西端の大陸、ザバトソリア大陸にある皇都セントレアを目指すならば、北ルート、南ルートのどちらでも同程度の距離を有する事になる。そして今の帝国に、二正面作戦を展開出来るほどの余力は無い筈である。つまりここからどちらかの大陸に侵攻すると言う事だった。

 

「どちらも同じだけの距離があるのだ。今の段階で決めておらずとも、準備を進めておけばどちらにも進行が可能じゃろう?」


 アイシュの疑問にはユファが答えた。ガルガントス魔導帝国にとって、如何に「戦争」と言う物が手探りで行われる行為であったとしても、流石に行き先を決めず準備をしているとは考えられない。恐らくこの指示書に記載されていないだけで、帝国内ではすでに侵攻先が決定しており、その為に準備を進めているのだろう。ユファの言う通り、どちらの大陸へ向かうにも同程度の燃料物資が必要なのだ。作戦内容まで明確に知らせる必要はなかったと言う事だった。


「しかし随分と拙速じゃな。確かに“兵は神速を貴ぶ”と言うが……」


 すでに帝国は、セントレア魔導皇国へ宣戦布告を行っている。戦争状態にある以上、進行を行う事自体は不思議では無い。しかしユファの見立てでは、帝国もこのオストレサル大陸を完全に掌握した様には見えなかった。足元が安定しない内に、長躯侵攻となると不安や問題も多くなるだろう。


「兎に角あの船に乗り込む事が出来れば、この大陸から出る事が出来るって事だな。猶予は三日か……」


 熟考しだしたユファを引き戻す様に、マサトは少し大きめの声で独り言ちた。その言葉にハッと意識を戻すユファ。


「そうじゃな、兎も角……」


 ―――ッチュッドーン!


 ユファが何事かを言い掛けたその時、窓の外が真っ赤に染まり、爆発音がやや遠方から鳴り響いた。


 その方角に繁華街がある事を、マサトもアイシュも、そしてユファも知っていた。

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