Preparation(用意)
―――翌日。
マサトは未だ、ベッドから起き上がれずにいた。
勿論、昨日よりも随分と回復している。本人の自己申告もそうだが、見るからに顔色も良くなっており、それが無理から来る言葉でない事は一目瞭然だった。
だが、復調……と呼べるほど回復した訳では無い。
彼がその身に掛けた負担は、予想以上に過酷で、想像以上に心身を蝕んでいたのだった。
幸い、昨夜の発熱も、アイシュの献身的な看病により、今は平熱まで下がっている。食欲も旺盛で、今日一日安静にしていれば、明日には行動を開始出来ると思える程だった。
だがここで油断は禁物。折角回復の兆しが見えているのに、ここで無理をしては再び調子を崩しかねない。
「マー坊は今日一日、安静にしときなよ。俺とアイシュで、今日は情報収集に出て来るからさ」
リョーマの年長者らしく、マサトの事を慮った優しい言葉は、至極もっともな物でもあった。だが、その発言をしたのが“リョーマ”であった事が、マサトとアイシュの沈黙を誘ってしまった。
「あ……ああ……」
「あははー……」
どこから来るのか解らない自信を全身に漂わせ、満面の笑みで言い放つリョーマに、マサトとアイシュが口に出来たのは、到底言葉と呼べる物では無かった。
「そ、それで、今日はどの辺りを中心に動くつもりなんだ?」
マサトは、先程アイシュが購入して来た「M.A.P.S」(Magical Address Places Searchsystem)を、ベッドから出る事無く膝の上で展開し、リョーマとアイシュの予定を確認した。
「M.A.P.S」、通称「マップ」は、地図と言う意味そのままであると同時に、若干の魔力を動力にして、立体映像をその場に投影したり、任意の場所を詳細に映し出す事が出来る、街中を歩き回る上での便利グッズである。
自治領の外、非管理エリアは殆どカバー出来ておらず、そこは未だに紙の地図が活躍する場であるのだが、事街中を活動の対象エリアとした場合、これほど有効で役立つアイテムは無い。また、複数台の「マップ」を暗証番号でリンクさせる事が出来、登録した者同士の居場所を表示したり、僅かなメッセージを表示させたり出来るのだ。これほどのアイテムが、子供の小遣い程度で購入可能なのは、偏に魔法科学あっての物種である。
「よし、俺は繁華街の方を回ってみるよ」
中空に投影された地図を見ながら、真っ先に答えたのはリョーマだ。彼は迷う事無く場所を公表したが、その表情は何処か楽しそうだった。いや、楽しみにしている、の間違いだろうか。何処か浮ついた雰囲気が感じられ、心なしかウズウズしている様にも見える。
彼の行先を聞いた瞬間、マサトは即座に納得した。リョーマは賑やかな所が大好きなのだ。
昔から、賑やかな、華やかな場所には目が無く、特にテーマパークは勿論、こじんまりとした近所の祭りにも、自ら率先して参加していた程だった。
そんなリョーマが、恐らくは始めて来るだろうこのピエナ自治領の繁華街に、足を運ばない等と言う事は考え難い。
苦笑を浮かべたマサトは、小さく溜息を一つ吐いた。こうなっては、リョーマを押し留める事は出来そうにないからだ。
―――しかし。
リョーマのその行動に、無条件で許可を出せない、出す筈の無い人物が、その雰囲気を一気に豹変させ、彼に計り知れないプレッシャーを与えだした。
―――ビクッ!
リョーマだけでなく、マサトも殆ど同時に肩を跳ね上げ、そのプレッシャーが発せられている方へと眼をやった。
そこには、俯き加減で無表情に、ただ醸し出す雰囲気で抗議を行っているアイシュの姿があった。
マサトもリョーマもその雰囲気、いやプレッシャーに当てられ、全身から一気に冷汗を噴き出していた。
「……リョーマ様……まさかとは思いますが……その繁華街で……羽目を外される……なんてことは無いですよねー……?」
アイシュの低く、くぐもった声が部屋の中に響く。
彼女は決して怒っていると言う訳では無い……その筈である。アイシュもリョーマの性格と、
厄介な事は、リョーマ自身がその事を気にしているであるとか、それ故に自重していると言う節が感じられない事にあった。彼が単身でそう言った場所へと赴いた時に引き起こされる、信じられない位大きな騒動を、マサトもアイシュも嫌と言う程見てきたのだ。巻き込まれた事も一度や二度では無い。
もっともそれはすでに遠い昔の記憶であり、三人それぞれに成長した事を考えれば、如何なリョーマと言えども、自ら騒動のタネを蒔くとはアイシュも考えてはいない。今やリョーマもりっぱな成人であり、すでに失われたとは言え「アカツキ家」の総領であり、「暁流拳術」正当後継者でもあった身である。
だがそれも、理性の働く範疇であればと言う話。リョーマが一旦羽目を外してしまえば、一体どの様なトラブルを引き起こすのか、到底解った物では無いのだ。
「は……は……羽目なんて、は……外す訳、な……ないじゃないか……は……ははは……」
完全に気圧されているリョーマは、言葉を詰まらせながらも、何とかアイシュの懸念を否定した。しかしどこか動揺している様に見えるのは、少なからずそう言った考えを持っていたのだと、マサトにもアイシュにも察する事が出来、マサトは再び苦笑いを、アイシュは、それはそれは深い深―い溜息をつく事となった。
「……リョーマ様、もう細かい事は言いませんけど、くれぐれも騒動を起こす事だけは自重して下さいね。あくまでもここは敵地なんですから」
アイシュは苦い顔を浮かべながら、渋々と言った体でリョーマの行動を了承した。
そんな事は、例えリョーマでも了解している……筈である。
だがアイシュの浮かべている表情が、どこか諦めにも似ていると言う事は……つまりそう言う事なのだろう。
「も、勿論だよ。冷静に、慎重に、目立たない様行動する事を約束するよ!」
アイシュから了承を得て、途端に喜びの表情となったリョーマは、右手の親指を彼女に立てて見せてそう言った。だが残念ながら、彼が並べた三つの語句、そのどれもが彼の性格と合致していなかった。満面の笑みでそう語ったリョーマに、アイシュは冷めた視線を送っていた。
「それでアーちゃんは、どの辺りに向かうんだい?」
しかしアイシュから了承を獲得したリョーマが、アイシュの冷たい眼差しに気付いた様子は無い。いや、気付いていても、気にした様子は全く感じられなかった。
「私は……港の方を回ってみようと思います」
マサトの方を見ながら、アイシュはリョーマにそう答えた。彼女の視線を受けたマサトは、頷いてそれに答えた。
ガルガントス魔導帝国の思惑を探るならば、帝国兵が多く集まる場所や、今はこの自治領を統治している駐在武官が居るであろう、自治領首府ビル周辺を探るのがベターだ。勿論それだけに危険が増すのだが、ある程度確実な情報を得たいのならば、それなりにリスクは覚悟しなければならない。
しかし彼女達の目的には、帝国の情報を得る事とは別に、この自治領を、オストレサル大陸を出国すると言う事も含まれている。寧ろそちらの方が重要であり、急を要する案件でもあった。
出国手段が船に限られる状況では、港湾地区を回り、出国する船や、そう言った船に潜り込む算段を模索する事が求められていた。
アイシュの判断は正しい。
現在の状況と、それを打開する為に何をすべきか、冷静に判別がついている。しかし本来ならば、港を回るのはリョーマが適任だと言えた。
昨日この街に到着した途端、リョーマが数人の男達に代わる代わる絡まれた事を考えれば、若い女性がウロウロと探索して良い場所とは考え難かった。
絡まれる確率はリョーマが港を探索した時の方が、アイシュがそうした時よりも高いと言える。だが、どれだけ美しい容貌をしているとは言え、リョーマは男で、アイシュは女性だ。屈強な海の男達が働いている港に向かうのは、どう考えてもリョーマの方が適していると言えるのだ。
「ふんふん、そうか。それじゃあ、手分けして探ろう」
しかしリョーマに、それを気に掛けている様子は感じられない。
致命的に彼には「思慮」「深慮」と言う物が欠けているのだ。
リーダーシップやカリスマ、統率力、決断力、行動力には目を見張る物があり、マサト達もそうだが、アカツキ一門にも絶大な信頼と人気を誇っていたリョーマだが、浅慮な面は玉に瑕だった。そして問題なのは、彼がそれを気にした事が無いと言う事だった。
リョーマは、何か問題や困難に行き詰っても、力ずくで解決して来た。
それがリョーマの性格であったし、それだけの力が彼には備わっているのだが、当然当初よりも事が大きくなるケースは多々あった。
だが元々、問題や困難を解決した手法に固執しないリョーマは、解決してしまえばその事について思い至る事は無い。つまり反省しないのだ。
それが彼の「浅慮」を助長し、今に至っている。臨機応変と言えば聞こえは良いが、とどのつまりは“行き当たりばったり”なのだ。
今もアイシュが「何故」自分もリョーマに同行するのではなく、別行動で「港」をチョイスしたのか、心此処に非ずなリョーマには気付くべくもない。
「それじゃあ、行動は午後から開始するとして、それぞれ休息と準備を済ませるとしよう。マー坊、アーちゃん、「伝心」を開いておこう」
そう言ってリョーマは、右手をマサトに、左手をアイシュへと向けて差し出した。
マサトはリョーマに左手を向けて、五本の指先だけを合わせる。右手はアイシュに向け、同じ様に指と指を合わせた。アイシュも、マサトとリョーマに倣い同様に指を合わせる。
―――三日月流心術「伝心」
暁流、宵闇流も同様である、離れた相手と会話をする事が出来る「念話」に近い技術であるが、当然魔法では無い。
魔法にも遠方の相手と会話をする「魔通信」と言う物があり、相互に「魔力回路」を開いていれば、離れた相手と話す事が可能と言う物だ。しかしこの魔法はレベル1と言う事もあり、通信距離が短い。
それでも自治領内の隅から隅をカバー出来るので、それ自体に不都合は無い。もっともこの技術のお蔭で、機材に頼った通信機器は発達する事無く、携帯通信機器を持つ者は殆どいないのだが。
三日月流心術「伝心」は、体内で魔力を活性化させるが、表に向かって放つ物では無い。互いに接触し、互いの「魔力」を擦り合わせて認識し通話に使用するのだが、ここで重要なのは「血族である」と言う事。DNAを利用して相互認識を行い、その繋がりで会話を行うので、全くの他人とは通話する事が出来ない。また、効果が持続するのは数日程度なので、それも「魔通信」と比べれば大きく劣る部分でもある。
しかし通話距離に制限は無く、魔法では無い為、魔力の発動を感知される事は無い。魔法が当たり前の世界では、隠密行動を行う際には非常に有効な連絡手段なのだ。
リョーマ、マサト、アイシュをそれぞれ繋げた指先が淡い光を放つ。相互認識が完了した合図だ。
「それじゃあ俺は、一旦部屋に戻って休むよ。行動は夕方からにするからね」
クルリと踵を返し、早々に部屋を出ようとドアに向かうリョーマ。
「リョー兄ちゃん、大丈夫とは思うけど、気を付けてな」
その背中に向けて、マサトは声を掛けた。今回動く事が無いマサトは、内心ではもどかしく思っているのかもしれない。その声にリョーマは振り返る事無く、右手を上げただけで答え部屋を出て行った。
「アイシュ、一人で港方面何て、大丈夫か?」
リョーマの気配が、完全にこの部屋周辺から感じられなくなったのを確認して、マサトがアイシュに声を掛けた。リョーマの言葉には、午前中からの表立った行動が目立つと言う理由から、探索や情報収集は午後、それも夕暮れ時から行うと言う意味合いが含まれていた。とは言え、流石に女性一人で暗がりの港地区を歩き回らせる事に、マサトは少なからず不安を感じていたのだ。だがそれは殆ど杞憂でしかない。
冷静に考えれば、アイシュは今や聖霊体であり、現実的な実体を持たない。万一、彼女の手に余る様な事態に遭遇したなら、すぐに実体化を解除して、マサトの持つ魔魂石に戻って来れば良いだけの話だ。それにマサトやリョーマ程で無いにしろ、アイシュも三日月流を深く学んでいる。しかも彼女自身、高ランクの魔法士でもある。
汎用的な魔法が使えないマサトよりも、街の内外問わず頼りになるのはアイシュの方かも知れなかったのだ。
「うん、大丈夫。ユファも付いて来てくれるって言うし……それに……」
ここで彼女は言い淀んで言葉を濁した。表情に赤みが差し、どこか照れたようにモジモジと落ち着かない。
「……何かあったら……マー君が助けに来てくれるでしょ……?」
顔を真っ赤にしたまま、上目遣いにマサトへ問いかけるアイシュの表情には、凄まじい破壊力があった。その攻撃をまともに受けたマサトにも、アイシュの赤面が見る間に伝染する。
「お……おぅ……な、何かあったら、すぐに『伝心』で伝えてくれれば、すぐに駆け付けるよ……」
マサト自身は力強く言い切ったつもりだったが、やはり照れが含まれており、後半は尻すぼみに声が小さくなってしまった。そして二人の間に、何ともむず痒い空気が流れ出した。
「お主達は、時折我の存在を完全に忘れてしまう様じゃな……」
マサトから出現した光球が、ユファのガイストを形取り、出現一番、溜息交じりに苦情を口にした。
「な……何言ってんだよ!そ……そんな事ある訳、な……ないだろ!」
「そ……そうよ、ユファ!貴女も頼りにしてるんだからね!」
照れ隠しなのか、二人とも普段よりかなり大きく声を出して抗議する。
それを呆れた表情で、白けた視線を送りながらユファは聴いていた。
「まぁ……別に良いのじゃがな……それよりもアイシュ、お主も少し休んでおいた方が良いの。こやつの看病で、また無理をしておったじゃろう?今夜は遅くなるやも知れぬし、下手をすれば徹夜となるやもしれぬ。基本的にはお主が動く事となるのじゃから、出来る限り魔力と精神力を回復しておくのが得策じゃ」
彼等の抗議を軽く受け流し、ユファはアイシュに休むよう提案した。基本的に、港湾施設は昼夜問わず稼働している。夜の闇に溶け込んで利点があるとすれば、一般人に気付かれ難いと言う点と、離れた場所からでは顔を見られても、ハッキリと認識され難いと言う点があるだけで、関係者でない者が港地区で行動していれば、不審に思われるのは間違いないのである。アイシュには「隠密」の技能の他、ガイスト化と言う特殊な能力もある。闇に紛れての行動は、マサトに負けず劣らず高い適性があると言って差し支えないが、それでもどこに目が光っているか、それは誰にも解らないのだ。
「そう……ね……じゃあ……私も少し、休ませてもらうわね」
そう呟いてアイシュは、
「ちょ、ア、アイシュ!何するんだよ!?」
突然自分のベッドで隣に寝そべられて、マサトは飛び上がって驚いた。自分のすぐ隣には、彼の使っていた枕に顔を埋めてうつ伏しているアイシュがいるのだ。幼い子供の頃ならまだしも、思春期を迎えた彼等が取って良い行動では(一般道徳に照らし合わせ)無い筈だった。
「なんじゃアイシュ、そこで休むのじゃな?」
今更感を醸し出しているユファが、事も無げにそう言った。
「なっ……!」
それを聞いてマサトは絶句した。それだけに留まらず、彼の体は石の様に固まってしまったのだ。
「……うん……そうする……ちょっと、マー君、私も寝るからマー君も寝なさいよ!あんたも病人なんだからね!」
そう言って俯せ状態のまま、マサトの右肩を掴んだアイシュは、彼を強引に自分の横へと寝かせ、そのままシーツを二人の頭から被せた。もし子供がはしゃぐ様に布団へと潜り込み、二人してシーツを頭から被ったのであれば、その後にはシーツの中でキャアキャアとはしゃぐ声や動作があってもおかしくは無い。しかしユファの目の前にある、シーツが作り出した二つのコブは微動だにせず、中にいる二人の緊張感すら伝わってきそうな雰囲気だった。
(……やれやれ、羞恥に
ユファは二人の行動に溜息を小さく一つ吐き、この部屋に一つだけある窓から飛び出して行った。彼女は、アイシュの取ったああいう行為が、ストレス発散の手助けとなっているのだろうと、知識レベルで理解していたのだ。
常に冷静沈着を旨として、膨大な知識から深慮に長けるユファは、言うなればリョーマと対極の位置に居る。もしくは、その考え方や行動原理においては水と油だ。
だが彼女とて、いつも必ず的確な判断が下せるとは限らない。
如何にマサトとアイシュが信頼を置き、自身もその能力を認めているリョーマとは言え、もう少し客観的に考える事が出来たならば、彼を一人で行動させると言う下策を採用する事は無かったはずであった―――。
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