閃光

「マサトか…すまぬ」


 魔獣プレザティグレの攻撃を数度受け止めた所で、ユファは背後から何かが動き出した気配を感じ、彼女は申し訳なさそうにそう呟いた。


「何、謝る事はないよ」


 その気配の主は屈託ない笑顔を浮かべてユファにそう返した。

 勿論動き出した気配はマサト。眠っていた巨木のうろより起き出して、彼女の横にくつわを並べた。

 先程から頻繁に繰り返される二匹の魔獣による連続攻撃は、甲高い防御障壁への衝突音を周囲へ響かせている。決して静かとは言えないその音が自らの近辺で発せられれば、如何に愚鈍な者でも目を覚ますだろう。

 それにユファは先程から防御を強いられている。番井つがいの魔獣は息の合った連携で途切れる事の無い連続攻撃を繰り返し、彼女が攻撃に転じるタイミングを奪い続けていたのだ。

 魔法を行使し続ければ、その時間だけ魔力を消費する。

 如何に万全とは言えないユファの状態であっても、これぐらいの攻撃ならばちょっとやそっとで魔力を切らす事は無い。しかし得策でない事は明らかだ。

 彼女一人ならば、何かしらの機転を利かせる事で隙を作り攻撃に転じる事が出来たかもしれないが、眠っているマサトを守りながらとなるとそう言う訳にもいかない。

 ここで先程の思案が頭をもたげていたのだ。つまり彼を起こすかどうかと言う事だ。

 結果としては考える事もバカバカしい事である。これほど騒がしくしていれば、遅かれ早かれ彼が目覚める事は自明の理だ。

 だが人間とは特定の条件に置かれれば思考の柔軟性が奪われるのかもしれない。

 ユファはその時、「どうやってマサトの手を借りる事無くこの場を治めるか」と言う事に執着していたのだ。

 それが彼に声を掛けると言う選択肢を塗り潰していた。

 しかし当然彼は目を覚まし、今彼女の隣に立っている。

 目が覚めていささかも時が経っていないと言うのに、彼は万全の臨戦態勢を取っている。彼が日々三日月流剣術の研鑽けんさんを積んだ成果、そして彼の父であるユウジが指導した賜物なのだろう。


「ここじゃあどんな事が起こってもおかしくないしな」


 腰に下げた太刀を抜刀しながらマサトはそう付け加えた。彼はそのまま青眼に構えを取る。


「マサト、問題なのはこやつらだけではない。距離はあったが大型の魔獣が活動している気配が合った。恐らく…いや間違いなく此方の動きに感づいておる」


 ユファは先程聞いた、遠方から響く地鳴りを思い出していた。


「大型…厄介だな。もうこっちに向かって来てるんだろうか?」


 もしそうならば、もう幾らも時間は残されていない。


「それは…我にも断定できぬ。だが楽観出来る状況では無いの」


 ここまでは全てユファの最悪を突いて来た。ならば今回もそう考えていた方が妥当だろう。つまり大型の魔獣はこちらへ向かって来ていると言う認識を採用すると言う事だ。


「そうか、わかった。ユファ、タイミングを見て障壁を解いてくれ。俺が片を付ける」


 そう言ってマサトは、彼女が頷いたのを感じ取ってズイッと一歩進み出た。

 プレザティグレの何度目かに及ぶ突撃攻撃がユファの障壁にぶつかった瞬間、マサトは一気に「剣気」を解放した。気に当てられた魔獣は、ビクッと一瞬動きを止める。すかさずユファは防御障壁を解いた。

 瞬間までユファの障壁に突撃していた魔獣の一方を、マサトは横薙ぎに払った。

 しかし間一髪でその攻撃を避けたプレザティグレは、マサト達から大きく距離を取り合流した。

 マサトの放った「剣気」は別段特別な物では無い。

 所謂武道家の放つ「気」であり、「殺気」や「威圧」と同等の物である。

 だが彼の「剣気」はそれらを更に洗練した物であり、魔獣に少なからずを植え付ける物であった。

 まるで不意の攻撃を受けたかの様に警戒心を露わにした二匹のプレザティグレは、攻めあぐねている様にこちらを窺っている。そちらに向けてマサトはスッと一歩踏み出す。

 踏み出すと言う表現は適当ではないかもしれない。彼の動きは剣術で言う所の「摺り足」そのものだ。まるで足の裏を地面に滑らせる様な動き。音も無く一歩進むその動きは、殆ど隣にいたユファでさえ気付かない程だった。


「マ…」


 マサト、と声を掛けようと視線を彼の方へ向けたユファの視界がぼやけた。いや、ぼやけたのは彼の輪郭だ。

 先程発した「剣気」とは裏腹に、まるで蝋燭の炎が揺らめく様な酷く存在が希薄になったと思った瞬間、彼の姿は彼女の視界から消え失せた。

 何が起こったのかすぐに理解出来なかったユファだが、反射的に二匹の魔獣が陣取る方へ視線を向けた。


 サンッ…。


 瞬間。ユファが魔獣の方へ視線を向けた瞬間、彼女の隣に人影が出現した。

 まるで舞い降りたかの様にフワリと優しい所作で、そこにマサトが現れたのだ。

 いや、戻って来たと言うべきだろう。

 呆然とするユファ。何が起こったのか全く把握できない。


 キンッ。


 その時、マサトが太刀を鞘に収めた鍔鳴りの音が響いた。

 さして大きくないその澄んだ音色は、何故だか周囲に美しく反響したと彼女は感じた。


 ドササッ…。


 そして何かが倒れる音が聞こえた。その音は、先程ユファが視線を向けようとした方向からの物だ。

 ユックリと意識をそちらに向けるユファ。その視界には月灯りに映し出された、鬱蒼うっそうとした木々のシルエットしか認識できない。

 いや、何かが倒れている。

 それは紛れも無く、先程まで対峙していた二体のプレザティグレだった。

 魔獣達はピクリとも動かない。既に生気すら感じ取れなかった。


「ふぅー…」


 そこでマサトは大きく息を吐いた。それを切っ掛けに、ユファの停まっていた時間も動き出す。


「マ…サト…お主…一体…」


 何をしたのかと問い質したかったが、余りの事にまだ彼女も言葉を紡ぎ出せないでいた。

 目の前の彼は、をする前と同じ立ち位置で同じ様に立っている。

 いや、では無い。先程とは向いている方向が違っていた。今は倒れている魔獣に背を向ける格好で立っている。

 マサトは恐らく攻撃をした。倒れている二体の魔獣がその事実を物語っている。あの二体はマサトによって倒されたのだ。

 だが魔法を発動した様子はない。如何にマサトでも、ユファに一切感じ取らせずに魔法を発動する事等出来ない筈だ。少なくともそうユファは自負していた。


「三日月流剣術『隼返し』。ただの二連撃だよ」


 そう言ってマサトはユファの方を向いてニッコリと微笑んだ。

 だが彼女はその説明だけで納得出来様がない。

 今の攻撃と思われる動きが二連撃な筈がないのだ。

 消えたと見紛う瞬発力、跳躍力。そして断末魔の咆哮をする事さえ許さない攻撃力。どれを取っても常軌を逸していた。


「ユファ?」


 未だに呆けていた彼女にマサトが声を掛ける。ユファはその言葉で漸く意識の手綱を掴む事が出来た。


「あ…ああ…何というか…思っていた以上に凄い事をやってのけるのだな。お主は」


 感心とも畏怖とも取れる言葉が彼女から絞り出された。


「何だよ、それ。凄いのは俺じゃなくて三日月流剣術だよ。それに、本当に凄かったのは父さんと母さんだよ。あの二人の手合わせなんて、さっきの動きとは比較にならないぐらい凄かったんだぜ」


 自慢でも謙遜でも無く、心底尊敬していると言った風に語るマサト。

 記憶の中の憧憬しょうけいとは過大に投影されがちだが、現実でその二人を超える事は残念ながらもう二度と出来ない。


「なる程の…上には上が居ると言う事か…」


 ユファは感慨深げにそう呟いた。


「ハハハ…まあね。それよりもユファ、周囲を警戒していてくれ。俺が『索敵』で探ってみる」


 マサトの言葉に改めてユファは気を引き締める。

 凄まじい彼の剣技に当てられてすっかり思考から零れ落ちていたが、未だ安堵する状況では無い事を思い出したのだ。

 彼女が頷いたと同時に、マサトはスッと目を閉じて集中力を高めた。そして一気に意識を拡大する。

 広域を探るならばユファの魔法探知が効果的だ。魔法力によりその範囲が左右される魔法であり、彼女のランクならばかなりの広範囲が伺える。

 だがそれも今の状況には適さない。周囲には夜行性の魔獣が蔓延はびこっている。

 人間相手に使用するならば、魔法探知が行われた時に魔力検知が行われていなければ、大抵の魔法士はそれに気付かない。

 だが本能で察知する魔獣相手の場合、魔法を使用する事で此方の存在を知らせてしまうのだ。望みは薄いが、もし大型魔獣が此方に気付いていなければ、わざわざ此方からその存在を晒してしまう事になる。

 しかしマサトの「索敵」は魔法では無い。魔獣相手でも此方の所在を知られる可能性は低かったのだ。

 マサトは可能な限り「索敵」範囲を広げた。


「…見つけた!大きな生命力と魔力を持った生物が二体…こっちに向かって来る!」


 すぐにマサトは速度でこちらに近づいて来る生物を感知した。


「二体じゃと!?この周辺で、番井の大型魔獣と言えば…」


 ユファにはその魔獣に思い当たる物があった。あまり歓迎したくない魔獣には違いない。


「…なんだ?このスピード…それにこの距離で音が全く聞こえないぞ!?」


 マサトは驚愕していた。もう随分距離が詰まっているのに、未だ恐らくは魔獣の移動する音も地響きも聞こえないのだ。


「番井の『ガリナセルバン』じゃ!空を飛んで来るぞ!」


 そう叫んだユファは同時に天を仰いだ。釣られる様にマサトも夜空を見る。




 

 見上げた夜空にはやはり星は無く、巨大な月が天空の覇者たらんと光を発している。


 その月光を背に受け、何かがマサト達の元へと急降下して来る。


 彼等の目には、二対の巨大な鳥を模した魔獣が凄まじい勢いで滑空して来るのが見えたのだった。

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