千年皇国の戦略魔法士(エクストラ)

綾部 響

第一部

第一章 平和

平和の中の戦略魔法士

「ふわぁ~……」


 放課後、下校途中。

 彼は大きな欠伸あくびをし、両手を上に上げて思いっきり伸びをした。彼が欠伸をしたのは、今日だけで数十回を超える。

 しかし彼が、日がな一日寝ているタイプであるとか、何事にも退屈を感じるタイプであるとか、その他の無気力な要素があって気怠そうに欠伸をしていると言う訳では無い。

 今朝の彼は、最悪の寝起きだったのだ。

 睡眠時間も申し分ない程取ったのだが、疲れが取れる所か助長されていた。

 理由は何となく解っていた。

 昨夜見た夢のせいだろう。内容は大した物では無い。いや、今日十八歳になる青年が見るには、少しファンタジー色が強すぎたように思う。


 鎧を身に纏い、剣と楯を持った聖騎士が、悪の帝国を討ち滅ぼす。


 しかしその聖騎士は自分では無かったし、悪の帝国を葬ったにしては何か後味が悪い。そもそも倒すべき敵国と言う物が存在しないこの世界では、設定自体に無理があった。

 だが、そんな現実感皆無な夢だが、何か物悲しい気持ちを感じて目が覚めたのだ。

 寝起きが最悪だと、しっかり睡眠時間を取っていたとしても物足りないと感じてしまう。学校では居眠りする事無く授業を受け終える事が出来た。本当はこのまま家に帰り、昼寝でもしたいところだが、残念ながら今日は予定がある。


「くわぁ~……」


 再び欠伸をして、何かもう全て面倒臭くなって来た気持ちを持て余していた。





 彼、ミカヅキ=マサトは公立アーヴェント高等学校に通う高校三年生だ。本日十八歳を迎える。

 アーヴェント高校は、このイスト自治領に二校ある高等学校の内、主に学力の教育に重点を置く高校だ。対してもう一つの高等学校、アマネセル高等学校は魔法教育に力を注いでいる。


 使のこの世界でも、得手不得手は存在する。


 魔法の使用が得意であったり、潜在的に高い魔法力を有している者はアマネセル高校に、魔法の使用を不得手としているか、将来魔法に頼らない進路を希望している者はアーヴェント高校に進学する。高校進学に受験はないが、進路希望に際しての適性試験は存在し、そこで進路を決定するのだが、マサトにはその権限なくアーヴェント高校進学が決定した。


 何故なら、彼は魔法が使えないのだ。


 魔法を使用する際に必要な魔力は、ある。それも常人を凌駕する程の魔力だ。

 しかし、魔法を行使する事は出来ない。苦手なのではない。使のだ。

 彼はこの自治領で唯一の存在「アクティブガーディアン」になる事が定められているからだ。

 この世界に多数存在する自治領。その各自治領にそれぞれ一人だけ所有が認められている”抑止力””必要悪”と言う名の存在、アクティブガーディアン。

 彼は次代のアクティブガーディアンになる事を定められているのだ。

 一般的な魔法士「レギュラー」と違い、強力過ぎる魔法の行使が可能な「エクストラ」。

 彼は生まれてすぐに、その「エクストラ」に選定された。

 戦中は多数存在した「エクストラ」だが、現在は各自治領に一人しか存在しない。

 戦時下では恐怖の象徴であったエクストラと言う呼称では無くなり、現在ではアクティブガーディアンの名称で呼ばれている。

 しかし、前大戦が終結して千年。

 流石に千年間も争いが起きない世界では、その存在は形式、慣例、象徴となっている。

 強力すぎる存在には当然封印と言う安全装置が施される。

 マサトも生まれてすぐにエクストラ魔法を受け継ぎ、同時に全ての魔法を一切行使出来ない様封印された。

 慣例を途切れさせない為の人柱。次代の人柱はマサトだった。

 そうしてこの時代では世にも珍しい”魔法が使えない人間”が一人誕生したのだった。

 因みに、今代の”人柱”アクティブガーディアンは父のユウジだ。

 マサトの家系、一族は、もう何代もアクティブガーディアンを輩出している。と言うよりも、この制度が行使された時代から、専任していると言っても過言ではないらしい。

 平和な世の人柱を進んで輩出してくれる一族を自治政府は厚遇し、一族もまたそれに応えるべく研鑽を続けた。その結果、一族はアクティブガーディアン輩出を不動の物とし、今回もマサトが選ばれる事となったのだ。





「うわ~んっ!」


 バスを降りてすぐにある公園の入り口付近で、大泣きしている幼い女の子がいた。

 迷子なのか怪我でもしたのかと考え足を止めようとしたが、ひょっとしたら近くに保護者がいるかもしれない。そう考えたら、無闇に構うのもどうかと考え、マサトはそのまま通り過ぎようとした。

 しかし大泣きしていた女の子は、マサトが近づいて来るのに気付くと一瞬泣くのを止めてマサトを見上げた。そして改めて大泣きを再開したのだ。

 両手を目に当てて大声で泣いているが、よく見ると涙は出ていない。所謂ウソ泣きと言うやつで、子供には良くある現象だ。


(これは……アレだな。『これだけ幼く可愛い私が、ここまで号泣しているんだから可哀想と思うでしょ?早く私に声を掛けて私の要求に答えなさいよ』ってやつだ)


 そうマサトは的確に理解した。

 彼は小さい溜息と共に彼女の前で歩みを止め、屈んで彼女に視線を合わせ話しかけた。


「どうしたの?怪我でもした?それとも迷子?」


 グスグスと鼻を鳴らしながら(それでも演技臭かったが)彼女はマサトを見て、答える代わりに上方を指差した。

 彼女の指さす先、上方三メートル程の所に、木の枝に上昇を遮られた状態で赤い風船が引っ掛かっている。どうやらそれが原因で大泣きしていた様だ。

 しかし子供と言うのは、何故か風船を手放してしまうようだ。

 あの風船が泣くほど好きで大切な物なら、紐を手首に巻き付けるなりすれば良い物を、何故かそうせずに大空へリリースしてしまう。実際マサトも幼い頃経験がある。確かここまで大泣きしなかった筈だ。しなかったと思う。多分……しなかった。


「あの風船、お嬢ちゃんの?」


 風船を見上げながら女の子に問う。彼女は頷く事で返答した。


「了解。ちょっと待ってな」


 本来魔法が使えれば、例えレベル一までに制限された領地内であっても、木に引っ掛かった風船を取る事ぐらい造作もなく行えただろう。多くの人にとって、魔法とはそれ位身近で自然に行使できる力なのだ。

 しかし魔法が当たり前の世界では、当然犯罪にも魔法が使用される可能性は高い。

 魔法は便利な能力である反面、凶悪な武器にもなるのである。

 例えば火を起こすのに着火する物が不携帯不必要である反面、規模を大きくすれば一瞬で全てを燃やし尽くす業火を発生させる事も可能だ。これでは町中であっても安心して暮らす事は不可能。

 だがこうして平穏に暮らせるのは、全てこの町を取り囲むように設置されている「魔魂石」のお蔭だ。

 イスト自治領全体を覆う様に仕組まれた六芒星魔法陣、その頂点にそれぞれ一つずつ魔魂石が設置されている。

 魔魂石は千年以上前に発見され、その高い効果から今でも使われている魔法石だ。

 効果の高さから乱獲され、今ではもう新たに産出しない貴重な魔石でもある。魔魂石自体には広い範囲に強力な防御壁を展開し続ける能力がある。

 しかし、魔法陣を利用し複数を併用する事で、更に広範囲をその影響下に置く事が出来る。魔魂石の力を取り込んだ魔法陣の効果は、外部よりの攻撃魔法をレベル八まで防ぎ切り、その内側に至っては強制的に使用魔法をレベル一にする。

 これにより、少なくとも魔法陣の内側では魔法を使用しての犯罪が皆無となった。

 もっとも、レベル一の魔法すら使えないマサトにとっては、そんな事すらどうでも良い事だった。

 マサトは幼い頃より、魔法が無い前提で暮らして来た。他の皆が魔法で済ませてしまう様な事も、全て自力で対処して来た。

 スルスルと木を登り、あっという間に引っ掛かった風船の紐を掴み、そのままそこから飛び降りて少女の眼前に着地する。一連の動きが余りに滑らかであった為、少女はそれをポカンとした表情で追う事しか出来なかった。


「はい。今度は飛ばさない様に気を付けるんだよ」


 屈んで話し掛けながら、少女に持っている風船を差し出す。


「ありがとう!お兄ちゃん!」


 ここでようやく、少女はマサトに口をきいた。


「どういたしまして」


 立ち上がり、腰を伸ばす様な仕草をしながらマサトは返答した。

 運動不足に陥る事は無いが、流石に木登りは数年ぶりだった。三メートル近い場所から飛び降りるのも随分久しぶりだ。

 普段行わない運動をすると、普段使用しない筋肉や関節に負荷がかかる。今回は腰と太腿に弱い負荷を感じていた。特訓といかなくても、こういった動きも時折取り入れるべきだと考えていると、目の前の少女が再び話しかけて来た。


「お兄ちゃんは魔法士じゃないの?私と一緒だね!」


 子供特有の悪意無い一言。

 この娘の指には制御石が指輪としてはめられている。

 制御石とは、主に子供が魔法を誤って使用してしまわない様に着用を義務付けられている、魔封石だ。この娘は使えないのではなく、使う事を制御されているだけ。マサトは正真正銘使えない。ここに大きな齟齬そごが存在するのだが、子供を相手に否定する事でもない。

 それに、そんな事にはもう慣れてしまっている。マサトは今までにそう言った事を、意図の有無はともかく、物心ついた時から数限りなく言われ続けて来たのだ。だからマサトはその娘に対しても、ただ微笑んで返すだけだった。


「……ちゃ~ん!」


「あ、お母さんだ!お兄ちゃん、ありがとう!またね~!」


 遠くから誰かを探す声に反応した女の子は、お礼を言うと早々に走り去っていった。





「もう。先に帰ったりするから木登りする羽目になるのよ」


 少女の背中を見送っているマサトの背後から声が掛けられた。

 聞き知った声に振り返って真っ先に眼に入ったのは、彼女の成長著しい胸だった。

 所謂巨乳という訳では無い。ただ彼女の身長やスタイルに対して、明らかに強調度合いを増していて正直目のやり場に困る。

 マサトも思春期真っただ中の男の子。当然そういった事に興味がない訳でも無く、どちらかと言うと意識しない様振る舞うのに、多大な理性と精神力を必要としていた。

 だから、彼女の胸に眼が行ったのは一瞬。

 しかし彼女にはマサトの視線がどこを見たか、全てお見通しだった様だ。


「……どこ見てるのよ?」


「グッ……」


 バッチリと図星を刺されて言葉に詰まるマサト。その視線の先には、若干顔を赤らめて、眉をひそめている可愛い顔がある。


 彼女の名前はアイシュ=ノーマン。


 マサトと同じアーヴェント高校に通う十七歳。マサトと同学年であり幼馴染でもある。

家も隣同士と言う絵に書いた様な幼馴染っぷりである彼女は、昔から魔法の使えないマサトに何かと世話を焼いてきた女の子だ。

 可愛い顔と抜群のスタイル、成績優秀でスポーツ万能、性格は男女問わず好かれ、所謂学校で一番の優等生だ。魔法力も優秀で、高校入学時点でランク5相当の実力が確認されている。勿論未だ使える魔法はレベル3程度だが、将来有望の才女として認められている。

 ヒステリックになると”多少”手が付けられないが、そこも含めてマサトから見ても魅力的な女性だと言えた。

 優秀な魔法力があるのに、アマネセル高校ではなくアーヴェント高校を選んだ理由が、


「魔法を使うのって苦手なのよね~」


だったのは、今でも生徒間で語り草となっている。

 高い魔法力を有していても、魔法の行使が得手不得手なのは本人の意見が尊重される。アマネセル高校側から惜しまれつつ、彼女はアーヴェント高校へ進学したのだ。

 そんな彼女と幼馴染で気の置けない仲であると言う事が、一部の男子生徒から嫉妬を買っている事をマサトも知っている。


「も~。男の子ってほんとデリカシーがないよね~」


 彼女は頬を膨らまし、両腕を組み半眼でこちらを睨んでいる。と言うより呆れられている。


「べ、別にどこも見てねえよ。それよりわざわざ追いかけて来たのかよ?」


 確かに家も隣同士なので、帰る方向は同じだ。


「べ、別に~。追いかけて来た訳じゃないわよ。偶々たまたまよ、偶々」


 プイッとそっぽを向いて、アタフタ答えるアイシュは確かに可愛らしい。


「でもマー君は魔法が使えないんだから。さっきの事もそうだし、何か魔法が必要になった時困るでしょ?だから……」


 怒ったり照れたり、本当にアイシュは表情豊かだ。そこも魅力の一つなんだろう。


「不便なのにはもう慣れたよ」


 聞き様によっては突き放す様な物言いだが、長い付き合いの彼女には、マサトがその事について達観しているのだと知っていた。歩き出したマサトの左側に並んで、アイシュも歩き出す。


「そうね~。でも便利な方が良いんだし。面倒見る様に頼まれてるし」


「……父さんか」


「うふふっ。おばさんにもね」


 別にマサトの父母は子離れできない過保護体質と言う訳では無い。

 彼の家は剣術道場を営んでおり、父親はそこで指南役を務めている。

 頑固でもなければエゴイスティックでもなく、思考は柔軟で理解のある愛妻家。マサトと彼の妹、そしてアイシュもこの道場で剣術の稽古をしていた。未だ続けているのはマサトだけだが。

 そんな父親は、今代のアクティブガーディアンである。恐らく彼もまた、幼い頃に不自由した経験があるのかもしれない。その経験上、アイシュにマサトの面倒を頼んだのだろう。

 一方、母親は年齢よりも遥かに若く見える専業主婦。

 昔から今に至るまで、笑顔の表情以外に記憶がない。いつも穏やかにニコニコと笑っている優しい母親。

 そんな母親は、今代のガーディアンガードである。

 ガーディアンガードとは、魔法の使えない”最強兵器”アクティブガーディアンの護衛を務める者の事で、一生をアクティブガーディアンと共に過ごす。その性質上、選ばれるのはアクティブガーディアンの異性と慣例的に決まっている。

 慣例に従って父のガードに選ばれた母は、そのまま結婚したそうだ。

 そして妙に馬が合うのか、隣に住むアイシュとはすこぶる仲が良い。よく妹も含めた三人で、料理やお菓子を作ってはお茶会を開いている。

 母もまた、魔法の使えないマサトを思って、頼みやすいアイシュにお願いしたのだろう。

 マサトはまだ正式な継承を済ませていないのでガードは付いていないが、正式にアクティブガーディアンを継承したならやはり一族からガードが付けられる筈だ。恐らくは異性の。

 それを考えると頭が痛くなった。それも遠い将来の話ではないからだ。

 この事について、アイシュはどう考えているのだろうと思わないでもない。しかし、こればっかりはマサトの考えでどうにかなる事でもない。

 二人の会話にこの話題が出ないのは、恐らく双方がそれを理解しているからだとマサトは思っていた。

 マサトがそんな事を考えていたので出来上がった若干の沈黙を破ったのは、後ろから高速で駆けて来る人影だった。

 魔法による高速移動で走るその影は、マサトの隣まで来ると驚くほど滑らかに急制動をかけてその姿を現し、スルリとマサトの右手を取った。


「おっにーちゃん!今帰り?」


 マサトにしてみれば、突如現れた人影。その正体は彼の妹、ミカヅキ=ノイエだ。


「おう、ノイエ。今帰りか?」


「うん。お兄ちゃんの姿が見えたから急いできちゃったよ」


 ミカヅキ=ノイエ。十四歳。中学三年生だ。

 兄と父に似ず、見事に母親似の彼女は非常に可愛い容姿で、長い亜麻色の髪をポニーテールにしている。

 魔法の才能に恵まれ、中学生にしてランク6の評価を受けている彼女は、将来を有望視されており、マサトにとっても自慢の妹だった。


「あ、アイシュお姉ちゃん。こんにちは~」


「ノイエちゃん、こんにちは。……相変わらずね~……」


 ただ、ノイエとマサトに自覚は薄い様だが、傍から見るとかなりのブラコンだ。幸いアイシュには懐いてくれており、諍いを起こす様な事はないが。

 ちなみにノイエとマサトが出会ったのは偶然ではない。

 アイシュは気付いていたが、ノイエはマサトの帰りを物陰に隠れて待っていたのだ。

 アイシュの”相変わらず”とはそう言う意味だった。


「それよりマー君、今日が『あの日』なんだよね?」


 確認の為の問いかけ。一瞬ノイエがむっとした表情になる。


「ああ……。いよいよだなぁ。気が重いよ」


 ノイエの表情には気を留めず、マサトはアイシュにそう答える。実際気が重い話で、来るものが来たと思わずにはいられない。


「責任重大じゃない!頑張りなさいよ!」


 そういって背中を叩き激励するアイシュ。

 それを溜息で答えるマサト。

 何故かノイエも深いため息をつく。

 今日はマサトの十八歳になる誕生日であり「継承の儀」にて正式にアクティブガーディアンを引き継ぐ儀式を行う日でもあった。

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