マジキチ美女の食卓

池崎心渉って書いていけざきあいる☆

第1話

 ポトフを作るときは、野菜を切るついでに指も切る。さぁっと流れ出た血を逃さないように、お鍋の中の水に指を突っ込んでかき混ぜ、なにごともなかった顔で野菜を煮込む。

 隠し味は、細胞。とれたてほやほやの、ゆめの皮膚の一部と血液が、スープになっていく。こうやって自分の身体を食べさせてあげるのは、ゆめの愛情表現だ。「壊れてる」とよく言われるけど、髪や爪を入れないだけ、まだ健康なつもり。

(健全、ではないけどね)

 ゆめは魔女のようにケケケ、と笑う。

 普通なら不気味な顔になるだろうが、ゆめは人並みはずれて美しい。小顔で色白で、ウェーブのかかった砂色の長い髪がよく似合う。囲み目メイクの映える切れ長の瞳に、鼻筋の通った、非現実的な顔だちをしているので、ヤバいことを考えていてもさまになってしまう。ちょっと力を入れて見つめれば、誰でも落ちてくれるのに、悠利にはまったく効かないから不思議だ。 

(おいしいかなぁ、今日の)

 味見もしないで、べつの指を包丁で撫で、血を二、三滴追加する。ときどき指を切りすぎて、何してたかバレちゃうくらい血が出るけど、大丈夫。悠ちゃんは、何作っても食べてくれる。ただ単に、突っ込んだり深く考えたりするのが面倒くさいだけかもしれないけど。

(悠ちゃん、ゆめのこと疑わないもんなぁ)

「何かヘンな味する」と言われたことはあったが、そのときは確か、ゆめでダシをとっていたのだ。ゆめが入った後の浴槽のお湯で作った味噌汁だとネタばらししても、「あ、そう」って感じであんまり気にしてはいなかった。翌日になってから、盛大に吐いていた。ちょっととはいえ、入浴剤が入っていたのがいけなかったのかもしれない。

 ゆめは看病も好きだったので、嬉々としてナース服を着て、ベッドの悠利をぽんぽんしてあげた。「アンタがそばにいるとよけいに具合が悪くなる」と言われたような気がするが、きっと、うわごとに違いない。あのときの悠(ゆう)利(り)には、熱があったから。

(それに、悠ちゃんはゆめのこと好きだから、いやがるはずないもん)

 悠利の中に自分への愛が存在するかどうか、疑いが生じそうになったとき、ゆめは先手を打って思考を停止させ、己の幻想を守るようにしている。

(早く帰ってきてね、悠ちゃん)

 食卓にポトフの入った器を並べて、悠利のティーカップにキスする。口紅がついたのを、バレないように指でぬぐったとき、玄関のほうで音がした。

「ただいま」

 悠利様のお帰りだ。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 ゆめは駆け寄って、エプロンをつまんでうやうやしくポーズをとる。

「はいはい、どいて」

 悠利はいちべつしただけで、脇をすり抜けていった。ふわ、と香って残る香水を、ゆめは胸いっぱい吸い込む。

「つれなぁい」

 せっかくいっしょに暮らしているのに、ちっとも蜜月じゃないのが、ゆめは不満だ。

「女同士でベタベタしてるほうが気持ち悪いでしょ」

 レズビアンでもないのに、と悠利はばっさり切り捨てた。

 二人は、通っている専門学校の近くのアパートでルームシェアをしている。そうしたほうが安い、と悠利が言い出したのだ。ゆめのいろいろやばいところに目をつむってでも家賃を下げることを選べるのは、したたかな悠利くらいしかいないに違いなかった。

 悠利は、ゆめとは系統の違う美人で、赤みの強いブラウンのショートヘアが、気の強そうな顔にマッチしている。眉は細く、瞳は大きく、涙袋がくっきりしていて、つい見てしまうような整った美貌の持ち主だ。

 ゆめと悠利が並んで歩いていたら、興味を持って寄ってくる男は多いけど、みんなすぐに、後ずさりでいなくなってしまう。ゆめにはなぜだか分からなかったが、「用心棒より役に立つわ」と悠利がほめてくれたので、自分は頼られているのだと勝手に思いこんでいた。

「悠ちゃん、晩ご飯ポトフだよ。うれしい?」

 ゆめは、彼女のためにいそいそと食事の用意を進めながら、上目遣いに尋ねる。

「ヘンなもの入ってなかったらね」

 悠利はおおかた、気がついているようだった。それでも、自分が料理するとか、買ってくるとかせずにゆめの手料理を食べるのは、やっぱり愛してくれているからかもしれない。

(やったぁ)

 ゆめは、愛されている自分を発見するとゾクゾクして、着ているものをすべて脱ぎ捨てて外へ飛び出したいような衝動に駆られる。実際にやったら悠利に絶縁されそうだから、いつも必死に我慢しているけれど。

 悠利が細胞入りポトフを食べ終わるのを、雑誌を読むふりをしながら見届けたゆめは、絆創膏を貼った自分の指にそっとキスした。これでまた少し、悠利に自分の想いが伝わったはずだ。今は気づいていなくたって、何事もなく排泄されてしまったとしたって。いつか、蓄積したゆめの邪悪な愛が、悠利の中で育って、子どもでも生まれるんじゃないかという気がする。勝手な妄想だけど、ゆめの中ではすでに、事実に近いストーリーになっているのだ。

「げほ、げほっ……」

 妄想を楽しんでいたら、ふいに悠利がせき込んだ。

「悠ちゃん?」

 トイレに駆け込んだ彼女の後を、ゆめは目だけで追う。吐いているような音が聞こえた。やっぱり、血液型が違うから合わなかったのだろうか。それとも……

「悠ちゃん、妊娠した?」

「……そうかもね」

 冗談のきらいな悠利が、意外にあっさりうなずいた。

「ゆめの子?」

 念のために、ありえないことを訊くと、さげすんだ目で見られた。

「坂井さんの子だと思う」

 続いて吐き出されたのは、ゆめにとって、衝撃的なひとことだった。

「なんで? なんで坂井さんなの! 見られただけで妊娠したの? 目で犯されたの?」

 ゆめは悠利の胸ぐらを掴むようにして問い詰める。小さな拳でポカポカ殴っても、悠利には大したダメージを与えられないことはすでに知っていた。

「悠ちゃんのバカ、ビッチ!」

 せめて、と怒りをこめて口撃するが、悠利は平然としている。

「何とでも言いなさい。私もう、産むって決めてるから」

 あっさり言い捨てて、「もう寝る」と自室に戻ってしまう。

「悠ちゃん……」

 テーブルの上に残された悠利の使用済みスプーンを舐めながら、ゆめは、溢れてくる涙を子どものような仕草で拭っていた。

 美人の悠利がモテるのは知っている。自分と違って繕うのがうまいから、性格でドン引きされることもなく、関係を維持できるのも分かっていた。でも、彼女の交際はたいがいが、金を引き出すための遊びであって、裏では相手のことをボロクソに言っているのを聞いていたから、安心しきっていたのだ。

(そういえば、坂井さんのことは、優しい、としか言ってなかったな)

 上場企業に勤めるエリートサラリーマンでありながら、温厚で口べたで、損をしがちな坂井さん。三十二歳、A型。したたかで計算ばかりしている悠利とは正反対のような気がしたけど、だからこそうまく噛み合ったのかもしれない。

(きっと、アソコもぴったりはまって相性ばっちしだったんだ……)

 ゆめの想像は、えげつない方向へばかり転がる。昔から想像力豊かで、しかもそれを絵に描いたりして具現化する力に長けていた。

 恋人の浮気を察知すると必ず、わずかな証拠品から、相手の姿の「想像図」を描きだして、恋人の枕の下にそっと置いておく。たいていの男は気味悪がって、ゆめに別れを切り出した。

 ゆめは、男を一度も本気で好きになったことはなかったので、悲しいとも思わなかったが、一大イベントを盛り上げるために、大げさに泣いてすがったり刃物を持ち出したりした。

最初は演技でやっているのに、佳境に入るうちに本当に涙が出てくるから不思議だ。何度か警察が出動して、気づいたら年輩の警察官に諭されていたこともあり、「ドラマみたいだな」と密かに楽しんでいる。おかげで、ゆめの美貌に惹かれてつきあった男たちの間では、「美人だけどヤバイ」という認識が共有され、今では、身近な男は誰もゆめに交際を申し込んではこない。

 悠利も本気で恋したことはなさそうだったけど、ゆめのように騒ぎを起こしたりはしないので、いろんな人と順調につきあっていた。坂井さんは中でも最も安全で、将来も安泰そうなヒトだったのだ。だから、性悪で淫乱の悠利も、しおらしい態度をとってちゃっかり妊娠までこぎつけたのだろう。

「あーぁ、眠れないな……」

 夕食の後片づけを終えて深夜になっても、ゆめの心は晴れないままだった。

 自分の部屋の壁際のベッドで寝返りを打っていると、隣の部屋の住人がたてる物音が聞こえてきた。壁が薄いので、隣人の生活が、知りたくなくてもこちらへ筒抜けになってしまう。

 隣室の住人は、女を連れ込んで、楽しい夜を満喫中のようだった。

(幸ちゃん、またあのおねーさんにお金もらうんだろうなぁ)

 いいなぁ、気持ちよくて簡単なお仕事、とゆめは聞こえるように言う。

 一瞬、隣室が静かになったが、行為はすぐに再開された。隣に住んでいる高森(たかもり)幸児(こうじ)は、ゆめと悠利の一学年先輩だ。専門学校を卒業後も、就職せずに、女のヒモみたいな生活をしている。

「就活、しなかったの?」

 悠利は呆れていたが、「こっちのほうがいい暮らしできるから」とあっさりかわされていた。

 何かを提供することで定期的にお金が入ってくるなら、それは立派な職業だとゆめは思う。幸ちゃんの場合、それはセックスだったというわけだ。ヘアメイク科にいて、美容師の資格もとったけれど、幸ちゃんにとっては、「ヒモ」のほうが魅力的だったのだろう。

「私も就職できなかったらそうしようかな」

『死霊のはらわた』とか猫の死体とか、ドン引きさせるような話しかできないので、キャバクラとかは向いていないだろうけど、ヒモみたいな役割ならやっていけるかもしれない。

 ゆめは、特殊メイク学科で本物そっくりの傷メイクを作る勉強をしていたけれど、その分野で就職できそうな気はしていなかった。個性的(アーティスティック)で押しの強い子に囲まれて、マジキチだけどおっとりした性格のゆめは、「ここじゃ生きていけないかも」と感じ始めていたのだ。

(本当は悠ちゃんのお嫁さんがよかったんだけどなぁ)

 ファッションデザイナー科にいる悠利は、コンテストなどで優秀な成績を修めているし、センスもあるから卒業後も活躍するだろう。坂井なんかに種つけされてママなんかになるのは、もったいないような気がした。

(女同士は結婚できないけど、あと何年かしたら変わるかもしれないし)

 ゆめには悠利しかいない。

 子どもが生まれて坂井さんと悠利が結婚したりしたら、ここも追い出されてしまう。そうしたら、どうやって生きていけばいいんだろう。仕送りしてもらっているから一人でも暮らせるし、実家に戻ることだってできるけど、精神的に、悠利といっしょじゃないと落ち着かないのだ。

(ワラ人形でも作って、坂井さんが死ぬように呪いかけようかなぁ)

 自分の髪をむしりながら考えていたら、ドアの開閉の音がして、隣室の女が出ていったのが分かった。

 幸児はこれから、一人の部屋で煙草を吸ったり、女に生活費として渡された金を数えたりするのだろう。

「遊びに行こ」

 ゆめは寝つけなかったので、クローゼットから赤ずきんのコスプレセットを出してまとい、カゴバッグに持ち物を適当に詰めて、部屋を出た。

 ピンポーン。

 インターホンを鳴らすと、殺した足音がドアに近づいてくる。ゆめは、覗けないようにドアののぞき穴を塞いだ。幸児は用心しているのか、ドアを開けてくれない。過去に、女の旦那に乗り込まれて、ボコボコにされたことがあるからだろう。

「幸ちゃーん」

 ゆめは、ドア越しに呼ぶ。

「いるの分かってるよー。さっき、セックスしてたの聞こえたもん」

 手で筒を作って、向こう側に伝える。

 ちっと舌打ちの音が聞こえて、ドアが開いた。

「またおまえか。こんな夜中に」

 文句を言いながら、中に入れてくれる。

 幸児は、ゆめの顔が好みだから、冷たくできないのだ。ゆめがこんな電波じゃなかったら、告ってカノジョにしていたかもしれない。けれど、面倒くさい女は苦手なので、今は、ちょっと距離を置いた普通の友人でいようと努めているのだ。……たぶん。

「ねぇねぇ、赤ずきんちゃん、可愛いですよ」

 ゆめは、幸児が突っ込んでくれないので、自分からずきんの裾をつまんでみせる。

「その格好で外出るなよ。不審者だと思われるから」

 幸児はちらっと見ただけで、あたりまえのことを言った。

 通された部屋は、煙草の匂いがうっすら残っていて、注意深く探せば情事の痕も見つけられる。

「今、さっきのヒトが帰ってきて私を見たら、修羅場になるね」

 ゆめは想像して、くすくす笑った。

「怖いこと言うんじゃねーよ」

 幸児は本気でいやがっていた。

 彼は、そういう面倒くさい事態がいちばんきらいなのだ。そのくせ、既婚の女のヒモなんかやっているんだから、結局はスリリングなのが好きなのだろう。

「ねぇ、幸ちゃんって、なんか、泣ける名前だよね」

 ゆめは部屋を見回して、ふいに言った。前から思っていたことだ。「幸福に、児童の児」、きっと、幸せな子になるように、と名付けられたのだろう。

そういう願いを込める親の姿を想像すると、ゆめはいくらでも涙が流せた。幸児が実際に幸せな子どもだったか、親がどんなヒトかは聞いたことがないが、知らないほうが想像を楽しめるのでよかった。これからも語らないでいてほしいと、密かに願っている。

「いきなり、気持ち悪ィな」

 幸児はやっぱり、迷惑そうな顔をしていた。いやがっている彼の顔は、人間にかまわれて不快そうな反応を示す猫に似ている。

 ゆめはますます気持ち悪いことをいい連ねたくなったけれど、相手が先に、話を変えた。

「ところで今夜は、何があったんだよ」

 ゆめが突然押し掛けるのは、何かあったときだと知っているからだろう。

「悠ちゃんがはらまされた」

 ゆめはふてくされたように、単刀直入に答える。

 幸児も驚いた顔をしたが、すぐに「はっ」と笑って、「もっとましな言い方できねーのかよ」と言った。

「ましな言い方なんてないよ。サイアクなんだもん」

 ゆめは政治家じゃないので、物事をオブラートに包んだりはしない。

「誰の子?」

「坂井」

 ゆめは憎悪を込めて呼び捨てにした。

 お金がいっぱいあるから、エリート会社員だからってなんだっていうんだ、悠ちゃんはゆめのなのに。

「おめでたい話じゃん。悠利の奴も、これでおまえみたいなんから解放されてひと安心だろ」

 幸児は悠利の味方のようだった。

「もう、キライ、幸ちゃん」

 赤ずきんの衣装のまま、ゆめは子どものようにすねる。

「キライでけっこ」

 幸児は取り合わずに、欠伸をした。

 眠くなってきたのだろう。

 ゆめもそろそろ、眠たくなってきている。

「帰るよ」

 短く一方的に宣言して、すぐ隣のドアを開け、自分の部屋に戻った。

 布団にくるまって、寝る前の妄想に身をゆだねていたら、一年ほど前の記憶が蘇ってきた。ゆめが悠利に、告白したときのことだ。

「愛してる」と言ったら、悠利は心底イヤそうな顔をして、首を振った。

「レズはぜったいイヤ」

 彼女は、恋人の性別にこだわるほうだった。ゆめは、愛があるなら狼でもかまわないと思っているくらいなのに。

「ゆめが好みじゃないから?」

 美貌には自信があったけれど、悠ちゃんはB専かもしれないので一応訊いた。

「きれいだと思ってるけど、でもダメ」

 ちらりと見ただけの悠利は冷たかった。

「死んでやるって言ったら?」

「勝手に死ねば。あとで、ぜったい見つからないとこに死体埋めておく」

 ゆめの脅しにもまったく屈しないところが、悠ちゃんらしかった。

(やっぱり、寂しいなぁ)

 明日、というか今日のあと数時間後も学校だけど、悠利は出産の時期が迫るまで学び続けるつもりだろうか。

 他のコにはまだしばらくナイショにしておくんだろうから、教えてくれただけでも、ゆめは特別なのかもしれない。

 無理やりそう思いこんで目を閉じたら、夢の中の食卓に、坂井氏のお頭つきステーキが出てきた。どうせまずいに決まっているけど、白無垢を着たゆめと紋付き袴姿の悠利の結婚式の席のようだったから、にこにこしながら一口食べた。

「イタッ」

 指先に痛みが走って目をあけると、歯形がついた指先から血が滲み出しているのが見えた。

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