2.5hours, and I.
相良あざみ
第三回
金平糖になりたい
第三回にごたん参加作品
お題【ピタゴラスの定理】【勧善懲悪】【砂糖菓子】【必要な犠牲】
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「金平糖のとげとげを溶かしてつるっつるにするのが好きなんですよね」
まじめ腐った顔で言う彼女が好きで、その黒飴みたいな甘そうな瞳に映る為にはどうしたら良いのかと考えるのが僕の日課だった。
とりあえず気を引くこと、まず、僕の存在を認識して貰うこと。
それが最優先課題だと気付いたのは彼女を好きになってからすぐだったけれど、だからといって簡単な話ではなかった。
何せ、彼女は忙しい。
今では仕事も忙しいし、仕事をしていない時も金平糖を食べるのに忙しい。
僕だって、いつだって彼女の側にいられるわけじゃないのだ。
じゃあ、どうするべきか。
「と、いうことで、僕はこの方法を選んだわけなんだ」
「ふざけないで」
間髪入れず返された言葉に、口角が上がったのが分かる。
彼女の黒飴みたいな目が僕を映して、とろけた蜜みたいに艶やかな唇が僕の為の言葉を紡ぐ。
――嗚呼、この瞬間をどれだけ待ち望んだか。
「考えてみればね、君が悪いんだ。君が悪いんだよ」
「人のせいにしないで! こんな、こんなこと、私が何をしたというの!」
かくん、と首を傾げる。
彼女は離れたところで拳銃を構えたまま、脚から血を流しながらも微かに身動ぎをした。
――そんな反応も良い、可愛らしい。
胸が異様に高鳴っている。
「何もしなかったから、なんて、映画の見すぎかな」
「なにを言っ」
「さてここで問題です」
彼女の言葉に被せると、ボウガンを備え付けた台を指先でなぞった。
僕の横にあるその台は、決して彼女の方を向いているわけではない――斜めを向いている。
その先でくぐもった男の声がするのが不愉快だ。
彼女の意識がそちらへ一瞬向かうのも、不愉快だ。
しかし、仕方がない。
彼は僕らの関係のために必要不可欠な犠牲者の、最後のひとりになる予定の人物なのだから、ある程度は寛容になってやるべきなのだ。
「僕から彼まではおよそ五メートル。彼から君まではおよそ八メートル半。彼がいるのは僕らが作る三角形の角のひとつ、直角にあたる位置だ。それじゃあ、僕から入口付近に倒れる君まではおよそ何メートルかな? 求め方は、学校で習ったろう?」
「……約十メートル」
「正解!」
拍手をしても、彼女はどうやらお気に召さなかったらしい。
脂汗を流しながら、それでも真剣に拳銃を構えている。
その様は、実に美しい。
まぁ僕はそんな勇ましい様ではなく、金平糖を食べる彼女が好きだけれど。
「君が持つそのお国から支給された拳銃の初速はおよそ秒速三百メートルだったかな。対して、この台に据えてあるボウガンは約二百メートルだ。君が僕を撃てば、僕のこの留め金に置いたままの手が矢を放つ。飛んで行った矢が辿り着くのは彼の、ここ」
空いている方の手で、喉仏を指差した。
また、男の声がする――全く、少しは静かにしていられないのだろうか。
「どちらが速いかな。彼が死ぬのと、僕が死ぬの。それとも君が、そろそろ失血死でもしてしまうかな。まぁ、零コンマ何秒の世界だけれど」
「っ、ざけんな、クソ野郎……ッ」
「ああ、女性でしかも警官の君が、そんな汚い言葉を使うのは良くないな。僕は君が金平糖を食べている、そんな姿が好きなんだ」
噛み締めた歯の隙間から、息が荒く吐き出される。
鋭く睨み付けて来る黒飴は相変わらず美味しそうで、唇から覗く白い歯もきっと甘いのだろうと思った。
ああ、今すぐ、食べてしまいたい。
「考えてみてもご覧。彼は、君がそうやって苦痛を噛み締めながら救うに足る人間か?」
「っ、うるさい」
「初めの男は婦女暴行の常習犯だ。次の男は少年の頃何人も人を殺したし、その次の女は詐欺師で結果多くの人が自殺したりしている。その次も、その次も、その次も、罰から逃れた悪人達だ。今回のこの男だって、女の子を拉致監禁して薬漬けにしていたような人間なのに、金を積んで罪を免れた。もう一度訊くよ、この男は救うに足る人間か? 救うために君が辛い思いをしなきゃならないような人間?」
「うるさいッ! 黙りなさい!」
そう叫んだ彼女が、狙いを改めて僕に定める。
彼女の正義感はどうやら、僕を殺すことを選んだらしい。
それならそれで良い――むしろ、それこそ正解だ。
僕の目的はあくまで彼女の目に映ることで、勧善懲悪を掲げたヒーローでもなければなんでもない。
高校時代からただ彼女を見つめ続けてきただけの、哀れな男なのだから。
留め金を、撫でる。
ぱん。
拳銃の音がして、殺そうという意志よりむしろ反射的に留め金を外した。
次の瞬間には、男の首には矢が突き抜けて、そして、僕の腹からは血が溢れる。
――ああ、痛いな。
呟いたのはそんな間抜けな言葉で、ついつい笑ってしまった。
男は即死ではないだろうけれども、放っておけば間違いなく、死ぬ。
僕もそうだし、彼女もそうだ。
全く、難儀なことだ。
「とま、止まり、なさい」
途端に重く感じる足で一歩を踏み出せば、彼女は震える声で言う。
もしかしたら、いや、間違いなく、彼女が人を撃ったのはこれが初めてだ。
日本ではそうそう、警官と言えども拳銃を使う機会などない。
彼女の初めて。
なんて良い響きだろう。
そんな思考に酔いたいけれど、それよりも動物としての本能が思考を邪魔し、そして、己としての欲望が混じり合う。
――痛い。痛いけれども、死ぬなら彼女の側で。
一歩一歩慎重な足取りで近付けば、彼女は顔を青くして僕を見上げて来る。
心理的なものもあるのだろうけれども恐らく、撃たれたばかりの僕よりずっと血が足りないのだろう。
彼女がここへやってくるなりボウガンでふくらはぎを射抜いたのだから、結構な時間が経っている。
「正義感が、強いのは、良いことであり、君の、短所でもある」
「な、によ……殺人犯に、お説教されるなんて」
「君は、殴られる僕、を、助けて、くれた」
「な」
「一度だけだ。い、ちど……だけ……それが僕に、無駄な希望を、いだ、かせて……あいつら、の、嗜虐心に、火をつけ、た」
「いッ」
手を踏みつけて拳銃を奪い去り、彼女の目の前に崩れ落ちるようにして座り込む。
「君は、なにもしなかった。一度しか、気付かなかったから。金平糖に、夢中で、二度と、僕に、気付かなか、った」
それは、高校時代のこと。
よくあるいじめの風景に、彼女はあまりに鮮烈な印象を刻みつけた。
「どういう……こと……何を言って……」
けれどもどうやら彼女の中には、その一度の記憶すら残っていなかったらしい。
笑ってしまう。
そんな幻想よりも不確かなものに、みっともなく縋っていた僕自身を。
「もう一度、助けて、ほしか、た……もう、一度、君の目に、映り、たかった」
「待っ、て」
「正義感が強い、君は、夢、だった、警官になった。ドラマ、みたいだ。それで、僕は、相変わらず、君を、見つめていて……っは……君の目に映る方法を、考えた」
苦しい。
頭がくらくらする。
興奮のせいで、どくどくと血液が溢れている気がする。
――けれども、だからこそ、僕の口は動き続ける。
「君は、時代劇……勧善懲悪ものが、好き、だから……僕が……っ、く……ぁ……許し、難い、悪になれば……良いと……っ……君に、手紙を、書いて……君に、善である、ように、仕向けた」
「待って、待って、よ、なにを言って……っ、痛いっ、はな、離せ……っ」
混乱する彼女の髪を鷲掴みにして、最後の力で引き上げる。
何本か髪の毛が抜けた気がするけれども、最後だから――最期だから、許して欲しい。
「君が好きだ」
「な……んんッ!?」
金平糖の代わりに、僕の唇を押し付けた。
「甘い」
唇を離して、そう呟く。
理解が追いつかない彼女は、目を丸くして固まっていた。
――うん、可愛い。
拳銃を持ち上げるとさすがに雰囲気ごと――表情が鋭いものに変わる。
変わったけれども、かと言って伸ばした手は届かず、僕は血が足りずに震える手で、銃口を自分のこめかみへ押し付けた。
そうして、精一杯の微笑みを浮かべてみせる。
「次に生まれる時は、僕は、金平糖に、なりたいよ」
「待っ、待ちなさい!」
「サヨウナラ」
ぱん。
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