A Story's Role —日常の中のワンシーン—

村乃

日常の中のワンシーン

 満員電車に、押し潰されて通勤していたある日の事だ。少し面白い事があった。

 伊月は電車が好きだった。角ばった構造体が格好良く見えた。動いてる時の窓から見る景色が好きだった。

 小さいの頃、隣の電車と自分の乗っている電車が同じ方向で走っている時、競争している気分になって興奮した。

 そんな気持ちを抱く事は滅多にない。満員電車では楽しい事や面白い事など全くない。辛いだけだった。


 彼はいつもの電車に乗る。同じ車両に乗車して通勤する。降りる時に真っ先に降りれるドア正面。降りた時に改札へ一番近い場所。目線はドア枠の外に外し、景色を何も感じずに、ぼーっと眺める。

 すると少し遠い車線に、同じ方向に向かって走っている電車が見える。双方とも近づいて十秒ほど並走すると、離れて違う駅に到着する。

 並走する時間は、お互いの車両の中が見えるのだが、あちらもすし詰め状態だ。ドアにへばりついているOLの女性もいる。

 かわいそうに……。よく見れば身体が仰け反っているじゃないか。後ろのおっさんに全体重を掛けられても尚、両手を窓にへばりつけて踏ん張る姿、無性に切なくなる。見てられない。

 まあ、俺も同じような体勢をしているけれど。

 と思いながら覗いていると、なんと、その女性と目が合ってしまった。五秒ほどお互いを見ていた。すると彼女は目線を少しずらしたと思うと、さりげなく窓に張り付いていた右手がピースの形をしていた。


 もしかすると違う人に向けられたのかも知れない。などと考えたが、伊月は自分に向けられたものだと思うと少し嬉しくなった。

 面白い事もあるもんだ。

 電車はそのまま別れて各々の駅へと到着する。


   ■


——また彼女に会えるかもしれない。

——もう一度会えないだろうか。

 伊月は次の日、昨日と同じ時間の満員電車、同じ車両のドア付近に立った。そして窓の外を眺める。

 昨日のピースは勘違いかもしれない。でも、もし本当に自分にピースしていたのならば、今度はやり返してあげたい。

 窓の外の走る電線を眺めながら、頭の中でシミュレーションをする。

 がたんごとん。

 がたんごとん。

 がたんごとん。


 この駅を越えたらあの場所だ。まず、丁度、対面して電車が出て来なければならない。何せ通勤ラッシュだ。三分に一本走っている電車は気分屋で、一分前後の遅れなんて日常茶飯事である。大半は電車のドアに人が挟まったり入りきらなくて閉められず、出発時刻に間に合わない事が原因だったりするわけだが、今日は遅れることはどうでもいい。電車が同時刻に走ってくれば良い。もはや運を頼るしかない。

 とかく、電車はあの場所に差し掛かった。丁度、運良く、昨日と同じように例の電車も並走し始めた。あとは彼女が昨日と同じ位置にいて、へばり付いて居てくれればいい。

 期待が一気に高まった。気持ちを高揚させながら対面する電車の窓を見通していた。


   ■


 そんな伊月の気持ちとは裏腹に、私は合わせる事を辞めた。そもそも今日は電車に彼女は乗っていなかった。伊月が乗っていた電車と彼女が乗っていない電車は、各々別れて違った駅に着く。伊月の期待を裏切ってしまったが、今回はそういう物語なのだと思い、諦めて欲しい。

 作者によって容易くハッピーエンドに変えられ、バッドエンドを迎える物語。その結末になった『理由』はきっと何処かに隠されていて、散りばめられているのかもしれない。『理由』の欠片を掻き集めて進むと、少しずつ物語の完成に近づいていく。そうやって作られた作品は、一つ、またはたくさんの『役割』を持ってきっと存在している。

 今回は短編作品。

 一つ一つに様々な想いが詰められたストーリー。


   ■


 さて、余談になってしまうのだけれど、この後伊月は三日後に電車越しに彼女と出会い、見事にピースを仕返している。

 これが『日常』の中のワンシーン。

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