Chapter7 ④
時は少しだけ前に戻る。
レイとカルネが石室につながる穴を下りていたちょうどその頃、アデルは一騎のカカシ騎士こと、機装ナウ・ティと対峙していた。
「回り込まれたか、予想よりは早いな。……だが」
白壁の狭い街路、アデルを乗せた白馬の前に立ちふさがる異様な姿。
細長い手足を揺らし、カカシ騎士は自らの身の丈ほどもある
しかしアデルは絶体絶命の状況に動じもせず、それどころか口を曲げてほくそ笑んだ。
「おいカカシ、私の連れはどこへ行ったと思う?」
「?」
彼女の不意の問いかけに、カカシ騎士がほんの一瞬固まる。
刹那、横殴りに飛来した10ポンドの鉄塊が鉄騎士の細長い足を捉えた。鉄と鉄が正面からぶつかり、火花と衝撃音を咲かせて仲違いする。
「いっ、たぁぃ……もう!」
細いと言えども丸太ほどもある左足が途中から無惨にひしゃげ、支えを失ったカカシ騎士は剣を振り上げた格好のまま、無様に石畳へとひっくり返る。
馬から下りて素速くその股間、カルネの言うカンヌキへと手を伸ばしたアデルに対し、鉄騎士はそれを守るようにデタラメに手足を振り回した。
「くそっ、まだ動くか!」
「アデル様! それの足!」
シンディの指摘にアデルが目を向ければ、今しがたハンマーによって手ひどくやられたはずの左足が、まるで内側に板金工でもいるように、ひとりでに形を戻していくのがわかる。再生しているのだ。
「面妖な!」
このままでは時を置かずに立ち上がられてしまう。アデルが内心歯がみをしたその瞬間。
「お二人とも離れるですの!」
頭上から降ってきた声に、アデルとシンディは素速くカカシ騎士から飛び退った。
そこへ間髪入れず、炎の滝が降りそそぐ。
狭い路地に張り出したバルコニーから身を乗り出し、ニカが種火ランタンと
薄赤い火がまるで水のように蕩々と流れ落ち、カカシ騎士の全身をくまなく炙り焼きにする。鉄の内側から人間の悲鳴が聞こえるが、それも数秒とたたずにふつっと途絶えた。
「焼け死んだのか?」
焦がされてまだチリチリと音を立てるカカシ騎士に、恐る恐る歩み寄るアデル。
その横にバルコニーから駆け下りてきたニカが合流する。
「空気を火に変えたので、息ができなくなって気を失っただけですの」
ニカが手にしたランタンからはまだ火の粉が上がり続け、細かな火花が彼女の周りで円舞を踊っている。
精霊が見えるレイだったら、今のニカにいったい何を見るのだろう。アデルは自分より遙かに若いニカの、想像を絶する魔法の才に舌を巻かざるを得なかった。
「カンヌキ、カンヌキは……これですね」
焼けた鉄に触れないようにハンマーの柄で黒騎士を探っていたシンディが、カカシ騎士のカンヌキを探り当てた。カコンという軽い音と共にカカシ騎士の鎧が開く。
以前のカカシ騎士は無人だったが、今度は違った。
展開されたカカシの内側からは、鉄のはりつけ台に縛られた男が姿を現した。肌はゆでダコよろしく真っ赤に炙られていたが、息はまだある。
驚くべきことに、男は鎧下でも軍服でもなく、ごく普通の市民の服である上着とタイツを着ていた。
「なんで町の人が?」
服装を見て首を傾げるシンディに、アデルは男の顔をのぞき込んで首を振る。
「この顔つきはロマヌス人でもガリア人でもないな。
市民とは思えん、おそらくは間者だろう。どうりで道を知ってるはずだ」
アデルは不愉快な気持ちで歯を鳴らした。
予想より早く回り込まれた理由はわかった。
たぶん敵は〈学校〉に間者、俗にいうスパイを送り込んでいたのだ。
諜報のことは詳しくないが、市民のフリをして情報を集め、場合によっては破壊工作を手助けする者がいるのは知っている。
「アデル先生!」
いかつい顔に汗を散らして、路地にバルトロが走り込んでくる。
「アデル先生、西の大通りで兵隊とカカシがぶつかってる。
兵隊たち押され気味、って先生たちコイツやっつけたんですか!?」
「ようやく一体だ。どれ、兵隊どもの加勢に行かんとな
……そうだバルトロ、コイツを縛ってそこらの柱にでも繋いでおけ、今は引っ張っていく時間も惜しい」
「了解です」
カカシ騎士の中身を始末するバルトロを路地に残して、アデルとシンディ、そしてレイのコートを羽織ったニカは馬をとばして西の大通りへと向かう。
途中で中央広場を横切った時に、そこに掲げられた大時計に目を飛ばしたシンディがつぶやいた。
「もうすぐ正午ですね。レイ様とカルネさんは無事でしょうか」
「ああ、きっと大丈夫だ!」
何の根拠もなかったが、心配してもなにも始まらない。アデルは割り切って答える。
ここはすでに戦場なのだ。余計な心配をしている者から死んでいく。戦の最中に心が乱れたら、それは油断と死を招く。
それがアデルが〈平定戦争〉を通じて学んだことだ。
「今は少しでも長く時間を稼ぐぞ。西の通りならこっちから向かえば……」
アデルは人気が無くなった狭い路地で、急に馬の向きを変えた。
西通りは両脇に商店が集中する列柱廊になっている。身を隠す場所が多く、押されているとはいえ精鋭の〈学校〉守備隊、少しは持ちこたえているだろう。
なら自分たちは迂回して、兵士たちの背後から合流すればいい。
しかしそれは間違った判断であった。
西の通りに出た瞬間、アデルは自分たちが敵の正面に躍り出たことを悟る。
「兵隊ども下がりすぎだ!」
悪態をつく間もなく、兵士とカカシ騎士たちの双方から矢が、片方は杭だが、雨のように降り注ぐ。
「ちょ、ちょっとですの」
「つかまってニカ様!」
興奮した馬に半分振り落とされるようにしてニカが地面を転がり、馬を捨てたシンディがそれを拾って柱の陰に引っ張り込む。
アデルも馬を捨てて別の柱に隠れるが、結果的に三人は通りの左右に分断されてしまった。
「くそっ! 思ったより押されていたのか」
「きゃっ!」
柱から顔を出したシンディの眼前を鉄杭が飛び、その先で
「さっきの手は使えんな。いったん引こうにも敵が近すぎる」
柱から動けば杭のいい的になるだろう。
確認したかぎりでは敵は三騎、三人一緒に飛び出しても各個に狙われるし、もちろん囮で先行しても命が足りるとは思えない。
「万事休す……か。
レイ、お前は大丈夫だよな?」
アデルは苦い気持ちで演習林がある西の空を見る。
時間稼ぎもここまでか、とアデルがため息を吐いた直後。
急に、音が全てを支配した。
例えるなら間近に落ちた雷か、空気すら砕け散るようなバリバリという音が轟き、アデルの見ていた空に黒い雲が一筋立ち上がった。
「なっ……」
衝撃に言葉を失うアデル。
柱一本挟んだ通りでは盛んに飛び交っていた矢がピタリと止む。
兵士はおろかカカシ騎士までもが弓を下ろして、西の空に突如噴き上がった雲を見あげた。
好機と見てアデルに合流したシンディとニカも、立ち上がる雲を見て息をのむ。
「アデル様ご無事でよかった……あれは、火山でしょうか?」
「この辺で火山なんて知らないですの。それにあれは近いですの」
アデルの頭を最悪の予想がかすめる。
もしやこちらの動きが読まれていたのか……
とその時、雲の頂上で何かが光った。
青空を背景に、白とも青とも言えぬ瞬きが一瞬だけ。
黒雲の先端が何かに吹き散らされるように霧散する。何かが動いた。
それは降ってきた。
空の高みからアデルたちのいる所めがけて、銀の輝きをまとった何かが高速で飛来する。それは通りに叩き付けられる寸前、猫のように身をひねって軽やかに着地すると、二本の足ですらりと立ち上がる。
「これは
足音すら立てず、風を従えて石畳に降り立ったそれは、アデルの知っているいかなる建物よりも巨大だった。
完全な人型でありながら、どこか人とはちがう銀の巨人。
その背丈は丘の上から見た黒いデカブツをしのぎ、城壁すらも楽にまたぎ越せるだろう。
しかしその姿のなんと優美なことか。
滑らかな白銀の鎧は青の模様に縁取られ、手には巨大な
総身はしなやかで細くどこか女性的だ。
「騎士、なのか」「むしろ女神様では」
「これが、カルネ様の言っていた〈ヴンダーヴァッシェ〉ですの?」
三人の誰へともないつぶやきに、しかし降り立った白銀の巨人は顔を向ける。
その目が細まるのを見たアデルは、笑っているのだと直感的に理解した。その眼差しを知っていたからだ。
「レイ、なのか? お前レイなんだな」
アデルの問いかけに答える代わりに、白銀の騎士はカカシ騎士たちへと一歩を踏み出した。
相対するのは、同じ騎士でも大きさが違いすぎる存在。
降り立つ時には足音一つ無かったというのに、銀騎士の足は万雷の響きを立てて石畳を打ち、人を、街を、そして敵を震え上がらせる。
一瞬遅れてカカシ騎士たちが反応する。彼らは巨人めがけて鉄の杭を射掛けるが、銀と青の鎧には傷一つつけられない。火花すらなく杭は弾かれる。
ようやく黒い鉄騎士たちは正しい行動に出た。巨人に背を向け、我先にと逃げ出しにかかる。が、すでに手遅れだった。
まだ間合いのはるか外にであるにも関わらず、巨人がランスで鉄騎士たちの背中を狙う。
突然、青玉の糸で織られた巨人のマントが跳ね上がり、その下から銀に光る嵐が荒れ狂った。その暴風の後押しを受け、巨人はランスを構えたまま地面を滑り出す。そして姿勢を変えないまま繰り出された一撃が、カカシたちを三体まとめて一気に打ち据えた。
巨人を人の大きさとするなら、それは玩具の人形を打つのと同じ。
カカシ騎士たちはひとたまりもなく吹き飛ばされ、めいめいに建物にめり込んで動かなくなる。
わずか十秒あまり、たったそれだけで状況はあっけなく好転した。
天から降り立ち、一瞬にして悪魔のような敵を駆逐した巨人に対し、一人、また一人と兵士たちから拍手が上がる。
巨人がふり返ると、兵士たちはさすがに一瞬静まりかえる。
しかし敵意のない事を示すように巨人がランスを地面に伏せると、今度こそ大歓声が上がり、口々に英雄や神の名を唱えた喝采が湧き上がった。
アデルとシンディ、そしてニカは呆然と巨人の前に歩み出た。
「レイ!」
アデルの言葉は確信であった。
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