Chapter5 銀の〈騎士〉は喚装される

Chapter5 ①


あれから二日が過ぎた。

その間のことは思い返すだけで、今でも気が滅入ってくる。


昼食の席で仲違いをしてからは、僕らはひと言も口を聞かなかった。

僕のふりをしているときをのぞけば、カルネは何事かを考えてはひどく不安そうに首を振るばかり。僕はその後ろにいるだけで、本当の幽霊になった気分だった。



そして日付は四月の末日。

〈春の夜戦〉に続く〈陸士〉の演習が始まる。



「〈侵攻側〉のみなさんは地形図を持ちましたね。三人組みでの行動になりますから、今のうちに班組みを済ませておいてくださいね」

普段どおりの微笑み顔で、ヒルデ講師が集まった生徒に指示を出していく。


ここは〈学校〉の演習区域の一つ、手つかずの森が広がる小高い山のふもとだ。

集合場所となった広い河原には丸い石がゴロゴロ転がっている。


〈森林と山岳行軍演習〉では原則、生徒は三人一組の班を作って行動する。

遭難を避けるためにチームワークが要求され、それが軍隊行動の訓練に繋がるからだ。


気心の知れた仲間同士で行動班が決まっていくなかで、僕のまわりに寄ってくる生徒は一人もいない。

ニカは不在だ。〈魔導師学科〉は演習が免除されている。

生徒ではないアデルやシンディは参加できない。


状況は日増しに悪化し続けていた。

被害者は重傷で証言できないし、他の誰も僕の無実を証明はできない。ただ噂だけが広がって、次々と僕のまわりから人が離れていく。


もちろん自主的に班を組めなくても演習には参加できる。

だが、見も知らぬ相手と組むのには不安がある。

チームワーク云々の話じゃない。噂を真に受けた生徒に何をされるか知れないからだ。

深い山の中に取り残されでもしたら、事はもう冗談では済まない。


なんとか顔見知りと組みたい。僕が歯がゆさにため息をついたところで、カルネは心ここにあらずの体で地面を見つめるだけだ。

話しかけてもおそらく答えはないだろう。


そして気づけば、僕も彼女と同じようにうつむいていた。


そこへ横から、だしぬけに野太い声がかかる。

ようエイ、たしか――レイだったか?」

ひどく東訛りの強いロマヌス言葉。


カルネが気だるげに顔を上げた先、河原の石に片足をかけて気負いなく立っていたのは、体つきのガッシリとした長身の男子生徒。

黒い縮れ毛といかつい顔、そして赤く日焼けした肌を、僕はどこかで見た気がする。


その生徒はカルネのぼうっとした顔を見て、なぜかガハハッと大きく笑った。

「そんなハトが豆鉄砲な顔をしてくれるな、お前とは初対面じゃない。

 俺はバルトロメオ・ビアンキ、〈歩兵学科〉の四学位クラスだ。

 バルトロと呼んでくれ」


「呼びにくいならバートでいいからね」

小柄で身軽そうな女生徒が、まるでリスを思わせる動きでひょいと飛び出し、栗色の短髪を揺らして笑う。

男子生徒の背後に隠れていたのだろうか。


「クラウ…………北方の愛称は嫌いだと言ってるだろうが」

バルトロと名乗った男子生徒は、呆れた顔でその女生徒の頭を小突いた。


「いたっ! もう、そっちこそ名字で呼ばないでよ。

 名前はイザベレの方、クラウシンハは名字だって」


「ああ、あのときの……夜の森の」

名前を巡るじゃれ合いに、カルネが二人に思い当たったのか何かを口走った。

少し遅れて、僕もまた気がつく。

この二人は〈春の夜戦〉のとき僕を捕らえた〈防御側〉の二人だ。あのときも確かに、この女生徒はバルトロをバートと呼んでいた。


「ふうん、明るいところで見るとホントにちっちゃくてかーわいい……

 あらごめんなさい、バカにしたわけじゃないのよ。

 アタシのことはザビィって呼んでね、〈歩兵〉の二学位クラスなの」


とまどうカルネに構うことなく、ザビィと名乗った女生徒は彼女を上から下まで眺めると、その両手を取って屈託のない笑顔を向けた。


そんなザビィを邪魔っけに横にどけながら、バルトロがカルネに話を切り出す。


「お前、組む奴いなくて参ってただろう。

 俺らは知り合いが風邪にやられてな、数が足りないんだが、よかったら組まんか?

 もちろん無理にとは言わん」

「いいでしょ? アタシら捕った捕られたの仲だしさ」


周囲の生徒たちが遠巻きに鼻白むのを気にせず、大小二人の歩兵学科コンビはカルネに班組みの誘いをかけてきた。


「噂は、聞いてるよね?」

カルネは困ったように地面に目を戻し、ポツリとつぶやいた。


その途端、普段はニカが占めているカルネの真横を電撃占領したザビィは、おもむろに彼女に抱きつき頭にスリスリと頬ずりする。

「んー! 声出したら特上カワイイヒール シャッティヒっ!」


えっと、その。

このザビィって娘、恥とか外聞とか臆面とか、いろんなものが根こそぎ壊滅している気がする。

だってほら、カルネがカルネに見えるのって僕だけだし、年若い娘が仮にも成人した男性にベッタリ引っ付くってどうなの?


このままでは話が進まないと見たか、困った相方をバルトロがバリッと片手で引きはがし、カルネをのぞき込むと噂? と笑った。

「ははっ、俺たちは気にしてないさ。どうせ何かの間違いなんだろう?」

「君がそんなコトするはず無いって、そのウワサ聞いたときはバートと二人で声出して笑っちゃったよ」

「まったくだ、鼻歌歌いながら夜道を散歩する奴が、人を半殺しにできるわけがないってな」


夜戦で僕を知っていた二人には、僕が暴行犯人だという実感はまるで湧かなかったらしい。鼻歌うんぬんはともかくだけど、僕は彼らに無害な人物だと思わているみたいだ。


「で、どうだ。俺らと組むか?」

「組もう、そうしよ、そう決まった、アタシがそう決めた。だからもうちょっとスリスリしていい?」


とうとう荷物袋を放り投げ、ザビィは全部で四本しかない手足をタコのごとく使ってカルネに絡みつく。

そんな相棒の醜態に芯まで呆れ返った様子で、バルトロが眉間に深い谷を作って天を仰ぐ。


端から見ている分には二人に悪意は感じられない。というか脳天気にもほどがあるだろうに。

ともかく、僕は二人と組んでもいいと思えてきた。でも全てはカルネ次第だ。


そのカルネを見れば、なんとその顔には、ここ数日なかった笑顔が小さく浮かんでいた。

彼女はやんわりとザビィをかわすと、くるりと二人に向き直って小さくうなずいた。

「うん、よかったら……よろしく」


「よっしゃ! お姉ちゃん張り切っちゃうからね!」

「いや、お前の方が年下のはずだぞ。レイ、お前は確か十七だよな?」

「うぞっ!?」


喜び勇んだのもつかの間、ザビィは一転してカルネの顔を凝視する。

さらにその頬をプニプニと押したり引いたりしていたが、それでも自分が年下だとは納得いかないのか、しきりに首を傾げてはうなっている。


それを見て、僕はなぜだか急に胸が詰まるのを感じる。

小さいとか可愛いとか言われるのは嫌いだ。嫌いなのだが、この時だけはそれが無性に嬉しかった。例えそれが僕の顔でなくても、むしろカルネの顔だったからこそだ。


「話が決まったところでもう時間だ。野郎どもラガッツィおっぱじめようかパッスイアーモ

バルトロはなおもガッチリと絡みあったカルネとザビィを片手で掴み、彼女たちを引きずりながら山へ向けて歩き出した。

周りの生徒たちも号令に荷物を持ち上げ、鬱蒼とした森へと踏み入っていく。


僕の生涯忘れ得ぬ一日は、こうしてにぎやかな始まりを迎えたのだった。



 ***



森の行軍はとにかく敵よりも地図との戦いになる。


見通しのいい林ならともかく、ろくな手入れもない深い森に道などない。

配られた地形図と日の傾き、そして周囲の様子を頼りに自分の手で道を切り開くのだ。


地図を読む術は講義で教わるが、それを生かせるかどうかは生徒自身にかかっている。

ちなみに僕は文字が苦手で、図に入った細かい注釈にはいつも苦労させられる。

つど読まなくてもいいように、ほとんど全ての記号と意味を暗記しているくらいだ。


そして目の前の二人はというと……


「これは、まさか一つ上の崖に出てしまったか? クラウ、何か見えるか?」

「木の茂りがすごくって、なんにも見えないよバート」


木の幹をスルスルと下りてきたザビィが、木の葉を振り落としながら舌を出す。

「うぇ、葉っぱ食べちゃった……地形図じゃこの一つ上が頂だっけ?」

「そのはずだがどうも地面の傾きが緩いな。木の背も高すぎる」


「つまり?」

「おそらく迷った」

「ウソでしょぉ」

へたり込むザビィと地形図を手に冷や汗をかくバルトロ。


ご覧のとおり、この二人は揃って地図オンチもいいところだ。

文字の読めないザビィと距離感が大ざっぱすぎるバルトロ。この二人に地図読みを任せるのは、すすんで道に迷いに行くのと同じかもしれない。


「あーんもぅ、だから沢沿いに迂回しようって言ったのよ! リーガットがいないと地図なんて読めないんだからぁ」

「奴は寝込んでるんだ無茶言うなクラウ。それに沢沿いだと夕暮れまでに丘向こうへは着けん」

「今のままだって絶望的よぉ。それにクラウは名字って言ってるでしょバート!」

「いいかげんにバルトロだと言っている!」


「あの……ちょっといい?」

言い争う二人のわきから、今まで静かに周囲を観察していたカルネがおずおずと首を挟んだ。


「どうした?」

「……地形図逆さま」

「うぬっ?」


バルトロを挟んで反対からのぞき込んだ僕も、すぐに彼の間違いに気づいた。

地形図の持ち方の基本となる、南北を定める天地方向がまるっと逆だ。

ついでに思い返せば、バルトロはときどき地図を回して持っていたがこれもよくない。方位は固定しておかないと自分の位置を見失う原因になる。


『レイ君』

『わっ……ビックリした』


気づけば、カルネが僕の目を見ていた。

彼女は済まなさそうに小さく頭を下げると、僕に地形図の一部を示す。

『地図の記号がわからない、教えて』


『これ?……この三角印はガレ場。崖下とかの、崩れた石が積み重なった場所だよ。

 ほら、さっき通ったでしょ? 精霊たちが騒いでた場所だ。

 こっちの丸は泉水、水が湧いてるところ』


『……ありがと』

僕に小さく頭を下げると、カルネは途方に暮れる二人にそっと触れて声をかける。

「僕が地図を見るよ……

 ここのガレ場はさっき通った場所と似てるし、水音が聞こえてるからきっとこの泉水だろう。

だから僕らはここ、か、もしくはこっちにいるはずだ」


「……おぉ、なるほど」

「スルドい! レイくん頭いいんだぁ」


「ううん、そんなんじゃないよ。

 さ、右へ登ろう。このどっちにいても、右に行けばこの崖にぶつかるはずだ」


感心しきりの歩兵コンビを引っ張って、カルネは静かにヤブをかき分けはじめる。


進む三人の背中を見ながら、僕はカルネの事を考える。

彼女が僕に声をかけたという事。少しは落ちついたのだろうか。それとも、単に困ってたのか。僕は後から彼女の顔を覗こうとしたが、揺れる銀髪がそれを拒んでいた。



 ***



そして太陽が真上に来ようとする頃、ついに事態は始まりを告げる。


最初に立ち止まったのはカルネだ。

頭上に低くかかった木の枝を掴んだまま、彼女は「おかしい」とつぶやいて考え込んだ。


それに気づいた歩兵コンビはヤブ漕ぎをやめて、ささっと彼女に寄る。

「どうしたの?」

「迷ったか?」


「いや、今の場所も方向もわかってる。

 でも……ここはさっき通った場所。いつの間にか逆戻り?

 ……いや違うな、ずっと方向は一定だった」

その場に固まって独り言をつぶやくカルネに、ザビィとバルトロが顔を見合わせる。


そこに黒い影が横切ったのを僕は見逃さなかった。

『今のは、たしか……』

チラッと見えたそれは断じて虫や鳥ではない。


僕は急いで周囲の梢を目で追った。枝葉に腰かけた木の精霊。風に乗って遊ぶ風の精霊。次々に目を投げていき、ついに目当てのものを視界に捉える。

それは枝に並んだ精霊の一団に紛れて、ニタニタ笑いでこちらを見下ろしていた。


『カルネッ! この近くに魔導師がいる!』

僕は思わず叫んでいた。


『……えっ?』

虚を突かれた表情でふり返るカルネに、僕は目のない顔をした黒の、それも汚いまだら黒のハエの羽を生やした精霊を指差す。


『あれは〈黒の精霊〉、またの名を〈人の精霊〉ともいう、自然にはほとんどいない精霊なんだ! 人が呪術や幻術を使うときに姿を現す、僕らみんな、誰かに幻を見せられて――』


必死に説明する僕の言葉が終わらぬうちに、茂みのどこかからギリッと微かなうなりが届く。

弓の弦を目一杯引いた時にこぼれる音、高く張りつめた弓弦鳴ゆづるなきだ。


「伏せろッ!」

瞬間カルネが叫び、他の二人が反射的に伏せる。


一瞬前まで三人の頭のあった場所を、風を切って何かが貫いた。

うち一つが後ろの木に当たって太い幹を半ばまで割り砕く。


驚き見れば、それは矢というにはかなり無理がある代物だった。太い鉄棒の先端に長い刃が付き、見た目だけなら杭か投げ槍に近い。


「ァ、攻城弓アルバレスト!?」

同じものを見たバルトロが舌を巻くが、その間にもさらなる弓弦鳴きが聞こえてくる。


「二人ともこっちに!」

「ひゃぁっ!」「うぉぉぉぉっ!?」

二人の手を掴むが早いか、カルネは悲鳴を上げる両者を強引に引っ張ると、手近にあった倒木の裏へと走った。

直後に風を切って鉄矢が飛んでくるが、辛くも外れて歩兵コンビの足をかすめただけに終わる。


「これも演習か!?」

「んなわけないでしょ演習で命取られちゃたまんないわよ!」

倒木の裏で無理に引っ張られた肩をさするバルトロと、その発言に涙目で抗議するザビィ。


カルネだけは冷静に倒木の向こうをうかがっている。


「にしてもレイくんってば、すっごい馬鹿力ね」

「大した事じゃない。それより――」

ザビィの驚きに淡々と応じるカルネの声を、続いて飛んできた矢がさえぎった。


乾いた音を立てて、矢は倒木にかなりの所までめり込む。

わずかに貫通した刃先がザビィとバルトロを驚かせた。

「もう死んじゃうよ!」「これは長く持たんぞ!」


「ボクを狙ってる?

 いや、目撃者を残すつもりはなさそう……だけど狙いがボクなら!」


何を思ったのかカルネはやおら立ち上がり、倒木から離れた所にある太い木まで走りだした。

それを追うように正面から鉄矢が襲いかかるが、彼女は横っ飛びで軽々とそれをかわし、見事に大木の裏に隠れおおせる。

一連の動きのあまり速さに、またしても僕は付いていくのがやっとだった。


「やっぱりだ!

 二人とも今のうちに後ろへ、そのまましゃがんで崖下まで下がれ! あいつらの狙いはボクだけだ。君たちなら逃げ切れる!」


「バカを言うな! 何が起きてるか知らんがお前を置いて逃げられるか!」

「そうよ! 君を囮になんてひゃぁっ!?」

倒木の陰から声を張り上げた二人を、次の射撃が狙ってきた。

合計六本の鉄杭もどきに撃たれた倒木は、馬の胴ほどもあった太さがいまや半分にまでなっている。

次の攻撃で間違いなく貫通するだろう。


今度は・・・奴らに目撃者を|残す気はないぞ、そこで死にたいか!?

 それに君たちが下で助けを呼んでくれないと、ボクだって助からない!」

カルネの必死の声に歩兵コンビが顔を見合わせる。


「……わかった、しばらく辛抱しててくれ」

バルトロが短く答え、慣れた動きで身を伏せたまま後ろへ下がっていく。そのとなりで泣きべそをかいたザビィも、カルネの微笑みに後押しされて相棒に続く。


正面からは死角となる崖下に二人が消えたのを確かめ、カルネは断続的に飛んでくる矢に歯を剥いた。


「パカパカ撃ちすぎなんだよ! レイ君、どこから撃ってるか教えて」


突然声をかけられ少し慌てたが、僕はすぐに幹から顔を出して矢の来る方向を見定める。

『正面方向、30ヤード(28メートル)先の茂みの中。射手の数はわからないけど、飛んでくる矢は一度に三発』


こんな時ばかりは幽霊も悪くない。敵に気づかれずに観察できるので好都合といってもいい。


野バラだろうかトゲの目立つ茂みの奥から、矢がいやに正確な狙いを付けて飛び出すのがハッキリと見える。

『たぶんこの前の相手だろうけど、ここからじゃ見えないよ』


「だったらツラを拝んでやるまでさ。

 レイ君、次の矢が来たら飛び出す。キミはまっすぐ茂みに向かって。間違ってもボクの後を追わないでよ」


『今なんて――』


再び放たれた矢が、バシリと深く大木に刺さった。


「いくよ!」

直後、カルネが弾かれたように飛び出す。


一瞬だけ出遅れた僕は、その動きを見てすぐに彼女の言葉の意味を悟った。

カルネは狭い範囲をジグザグに走り、木の幹へ飛び、地面を転がり、まさに縦横無尽ところ狭しと動き続ける。

これについて行くのは確かに間違いという他ない。

しかし一方では、彼女は着実に茂みとの距離を縮めていた。

僕がまっすぐ突っ込めば二人の間隔は開かずに済む。そんなギリギリの距離を保ってくれているのだ。


『ありがとう!』

それに気づいた時、僕は走りながら彼女に感謝を投げた。

木から木へと飛び移るカルネは、それに言葉ではなく歯を見せた笑いで応えた。


30ヤードの距離はぐんぐんと狭まり、残すところあと10フィート(3メートル)も無い。


「先に行け!」

カルネの言葉に、僕は背丈の二倍ほどある野バラの群生に頭から突っ込んだ。

絡みあった枝をすり抜け、僕はまったく抵抗なくその奥に到達する。


黒衣の騎士を、僕は再び目の当たりにする。ただしそれは一人ではなかった。

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