鐘が鳴って、大人になって、

ロセ

my sweet home

 私の兄さんはよく泣いている。泣いているのと聞くと、きまって泣いていないと言うけどぽろぽろ涙はこぼしている。

 小さい頃からずっとそう。

 泣き虫なのに私の前だと強がって泣いていないの一点張り。いいのに、泣いていたって。

 働き者だったお父さんが死んでしまって、私は兄さんと一緒に施設に入った。私たちと同じ境遇の子がたくさんいて、まあにぎやかだった。施設で働く大人の人たちは優しかったけど、お父さんがずっとくれた優しさとはまた違っていた。

 しこりみたいな違和感は心の中で芽をはやして、ある日私は兄さんに駄々をこねた。

 おうちにかえりたい。お父さんとまた暮らしたい。

 兄さんは私の言葉に顔を俯かせてしばらく黙っていた。今思えば、私は兄さん自身から無理の一言を言われるのを待っていたような気がする。いつもはむずかしい顔をしてだめだと言う兄さんなのに、その日の兄さんは私の駄々をわかったよとすんなり聞いてくれた。

 小学校の帰り道、私たちは私たち以外の誰にも言わず懐かしい家を探した。

 兄さんに手を引いてもらって、歩道の車がこない方を私が歩いて車が来る方を兄さんが歩く。排気ガスの匂いがひどくて、くらくらした。小学校から帰る似た年頃の子供たちが公園で遊ぶ声。制服を着た人たちが買い食いをしつつも友達と談笑している。大人たちはせかせかと歩き、携帯向こうにいる誰かと小難しい話にふけっている。ふと私は兄さんの顔を覗いた。とても怖い顔だった。この人は本当に兄さんだろうかと私は不安になって、私の手をぎゅっと握るその人に呼びかけた。

「お兄ちゃん」

 私はその時、時が止まったような気がした。兄さんは呆けた顔から泣き顔を浮かべた。ぽろぽろと涙を流しながら、兄さんは言う。「帰りたいのに、家がどこにあるのかわからないよ」泣きじゃくる兄さんに私は訳も分からず、ごめんねと謝った。

 その後、私は立場を逆転させて兄さんの手を引き、施設に帰った。

 心配していたのよ。どこに行っていたの。時間をだいぶ過ぎて帰って来た私たちに施設の人たちは口々にそう言い、しくしくと泣く兄さんを見て何があったのかと尋ねたけども私は何も答えなかった。

 肝心の兄さんは泣いているばかりだし、こういうことを施設の人は何度か経験しているのか。どこかに行く時はきちんと言ってねと口を酸っぱくして言うだけで終わった。施設の人が中へと入っていくと、兄さんが真っ赤に腫れた目で私を見た。

「ごめんな、」

「なんでお兄ちゃんが謝るの?」

 兄さんはぼそぼそと喋る。

「だって、家、連れて行ってやれなかった」

 そしてまた兄の目に涙の膜を張り始めた。私は手に力を入れて兄さんに言う。「いいよ、お兄ちゃんがいるから」兄さんは悲しそうな顔で、もう一度ごめんなと謝った。さすがにその時ばかりは、泣いているのとは聞けなかった。

 兄さんと私はお父さんが死んだ日からずっと迷子だった。帰りたくてもパンくずは落としていないし、落としていたとしても雀や鳩に食べられちゃうんだろうから。

 でもね、兄さん。私、あの日歩いた道を歩けるの。だってね、あの道には今も兄さんの涙が落ちているから。だけど私たちがあの道を歩くことはないと思うの。私にも兄さんにも帰る家が出来たんだもの。

 けど、けどね。もし泣きたいときがあったら言ってね。喜んで、迷子になってあの道を歩くから。だから泣かないで、兄さん。まだ式も始まっていないわ。

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鐘が鳴って、大人になって、 ロセ @rose_kawata

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