幸福銀行
雨なのに傘がない。雨宿りする場所もない。濡れて帰ろうと思ったら、足が滑って、尾骶骨を強打した。尻は泥だらけだ。だいたい、こんな山の頂上まで連れてきて、別れの言葉を告げるなんてどういうこと? 自分はアルピニストだからちょろいものだろうけど、登山初心者の私は青息吐息で上りついて、さあ、結婚の話だと思ったら正反対。そして、自分一人さっさと下山してしまった。なんてやつ。
それにしても私の人生不幸の連続だ。両親は離婚。一緒に住んだ父親には虐待を受け、小学校から大学までイジメ。さらに就職活動は全滅。アルバイトで生計を立てているがどこでも誹謗中傷の雨あられ。自殺まで考えて、橋のたもとで呆然としていたところに声をかけてきたのがやつだった。処女を捧げ、少ない小遣いでなんでも買い与えたのに「別に好きな
「下田暁子さまですね」
といかにもサラリーマンといった格好の男が傘をさして立っていた。靴は革靴だ。よくもこんな山奥まで来たものだと感心していると、
「いつも当銀行をご利用いただきありがとうございます」
男は喋り出した。
「私、銀行なんて利用してないわ。何かの間違いじゃないの?」
「いえ、下田さまにはたいへんご贔屓にしてもらっています」
「でも、本当に私は銀行に預金もしていなければ、給与も手取りで……」
そう私が言うのを遮って、
「私どもはそういった銀行とは違います」
と男は言った。そして、
「私どもの銀行は幸福を預金していただき、利子としてさらなる幸福を差し上げる機関でございます。下田さまは幼少時からたくさんの幸福を預金していただき、この度満期となりましたので、それをご報告に参りました」
と続けた。
「幸福を預金? 今まで私が不幸だったのは幸福を預金してたからなの?」
「はい、その通りです」
その瞬間、私は男をぶん殴った。人の弱みに付け込んで、くだらない冗談を言ってくるなんて。頭にきちゃう。
さて、変なことは忘れて下山しよう。私は登山道を下山しているつもりだった。それがいつしか細くなり、やがて獣道になった。つまりは迷子になった。
「何が幸福の満期よ!」
私は叫んだ。すると、
「どうしました?」
と一人の男性が声をかけてきた。すごい、イケメンだった。私は一瞬で恋に落ちた。やっぱり本当に幸福の満期だったのだ。
あれから二十年。幸せな結婚生活を送っている。子供にも恵まれた。彼は大企業の社長のおぼっちゃまで、次期社長であった。何て私は幸福なんでしょうと思っているとチャイムがなった。「はあい」と私がドアを開けると男が立っていた。そしてこう言った。
「こんにちは。わたくし不幸銀行のものですが」
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