重なる刹那の先に
マサキチ
1章 生き身は死に身
1章 1話
のっけからグチばかりになるけどすんません。
先週、五年付き合っていた二つ年下の彼女にフラれた。
「いつかは結婚するかなあって思っていたけど、三十過ぎたらどうでもよくなっちゃった。会社のプロジェクトはすごく面白いしあたし、しばらく気ままに生きたいんだよね」
さっぱりしていて、それでいて細やかな気遣いができる性格が気に入っていたし、互いに縛らない関係は居心地の良い相手だった。
だからそんな別れの言葉を食らうなんて晴天の霹靂で。俺はさぞかし間抜け面をさらしていただろう。
更に、泣きっ面に蜂とはまさにこのことで。
折からの不況で会社から減給を言い渡されたのは昨日の話。
自分で会社を立ち上げるような能力も実績もないし、文句など言える立場でないのはわかっているけれど、小さなデザイン事務所に所属していること自体に限界があるのかもしれない、なんて考える自分にかなり落ち込んだ。
コンペに出してみたところで、堅実を望むクライアントは大概、認知度の低いところにはなかなか目を向けてはくれないし、でかくて有名な会社に軒並み仕事をさらわれるのがほとんどという、切実な問題も山積みで。
どんな世界でも、奇をてらったものだって一般にウケるからこそ需要があるってわかってはいるけどさ。
名前だけは知っている、けれど正直心も動かないデザイナーのデザイン…あれ、時間単位ン十万なんだろう…ってなもんが世間でもてはやされるのを、何の感慨もなく眺めては社長にケツを叩かれる日々。
「世界観やコンセプトは悪くないのに、お前のデザインにはアピールするアグレッシブさが足りないんだよ」
とかなんとか、言われたい放題だ。
俺には趣味と言えば、絵を描くことくらいしかない。
けれど、どこがどう悪いのかもわからないんじゃ、社会不適合者と言われているような気分にもなるってもんだろ?
せめて酒にでも紛らわせられたら良いのに、今みたいにビール一杯で家までの道のりが雲の上を歩いているようじゃあ、逃げにも使えないからつまんないよな。
「普通は下の子の方が要領いいって言うのにあんたときたら…。
商社に勤める四つ上の兄の広道は、二十代後半に俺と同い年の幼馴染、
兄貴の結婚式の日に、これからはあんたがうちの支えになってね、なんて言ってたのはどこ吹く風で、独り身の俺に対するお袋の小言は日増しに強くなる。
広道と大樹。現実なら、切り開かれて作られる〝道〟よりものびのび育つ〝樹〟の方が大概はでかいだろうに、もがいてももがいても何も摑めていない俺と兄貴とでは大違いだ。
嫁の陶子は週に三日のパートタイム主婦。なのにボーナス時や正月など、折々で親父やお袋に小遣いまで渡しているような兄貴におれが敵うところなんて、これっぽっちも見いだせない。盛大な溜息も思わず
けどまあ、なんだかんだ文句を言ってみたところで、俺はうちの家族が好きだった。いずれそれなりに親孝行をしていけたらな…と思っている。
絵を描くのは本当に好きだ。
それはいつでも変わらないし、アナログだけではなく、デジタルだって、思いを映す形が違うというだけで、表現することは嫌いじゃない。
…でも。
時々、好きなだけでは意味がないのだと、自分自身の在り方に打ちのめされる。
好きなことで生きていくのは難しい。
普通に暮らして絵を描ければ構わないと思っていたって、金にならなきゃ世間からは何の評価もされないし、実際問題食えなければその好きなことすらできないのが現実だ。
俺にはこれしかないのに、それしかないものですら凡庸なら一体どうすればいいんだろう。
やっぱりそろそろ、現状含めての将来を考えなきゃいけないんだよな…。
諦めが悪いと言われればそれまでだけど、絵をやめることは選択肢にない。
ただ…このままの薄給で親の老後を見られるとも思えないのが、現実と折り合いがつけられずにいつも重い気持ちになる。
数メートル置きに街灯が頼りなく
ふと背後から迫る光に目を上げたとき、少し先の車道を横切る白っぽい塊が目に入った。
「なんだ、あれ…」
状況を把握した瞬間、驚きに頭が真っ白になる。
なんでこんなところに赤ん坊がいるんだよ!?
路側がガードレールに区切られただけの道を、まだ伝い歩きすらできないような幼い子どもが、はいはいで無邪気に渡っていた。
振り返れば車は数十メートル先に迫り、速度を落としていないことを見ても、運転手はまったく赤ん坊の存在に気づいていないようだ。
辺りに身内らしき姿は見えない。
俺は反射的に駆け出した。
ガードレールの切れ目をすり抜けて道路に躍り出る。赤ん坊に腕を伸ばし、抱え上げた時には、ハイビームにした車が目の前に迫っていた。
運転席に座る男の目が、驚きに見開かれるのがはっきりとわかった。
こんな時なのに、何かで読んだ『スローモーションのように感じる』瞬間は本当にあるんだな、なんてどうでもいいことを考えていた気がする。
動かなければ。頭ではそう思うのに、足は根が生えたように反応せず、あらゆる動きが駒落としのように感じられた。
はっきり言って普段の俺は勇気なんて言葉とはからっきし縁もなく、アクション映画の真似事みたいな行動ができるタイプではない。
「もう少し自分を出してもいいんじゃないかなぁ」
別れた彼女にも散々言われていたが、こうという思いはあっても、その意思さえうまく人に伝える自信がなく、言葉を飲み込む方がむしろ多い、いわゆるへたれでダメな人間だと自分でもわかっている。
兄貴や友人の子どもだって普通にかわいいと思うくらいで、それほど好きでもない。けれどあの時はどうしてか、助けたいとそれしか頭になかった。
もつれる足を引きずって、道路脇の側溝に向けて転がり込んだのまでは覚えている。
直後、何かへと体をしたたかにぶつけた感覚があり、そこで俺は意識を失った。
固く、ごろごろとしたものが顔に当たるのを感じて目を覚ました。
どうやらしばらくの間、気を失っていたらしい。
ゆっくりと瞬きを繰り返せば、角の磨り減った砂利が一面に広がる広大な場所に顔を横に向けた姿勢で倒れていた。
砂利の痕がついた頬をさすりながら俺は立ち上がる。
事故に遭ったはずが着ていた服も破れていなければ、体のどこにも痛みがないのは幸いだったけれど。
「どこだよ、ここ…」
周囲は見渡す限り石ころだらけで、それ以外何一つ動くものは見当たらない。
まさか、死んだと思われて始末に困った運転手の手で、どこかの山奥に運ばれたわけでもないだろうが…鞄や財布は勿論、ポケットに入れていた携帯さえない。
嫌な想像がむくむくと頭を擡げてきて、俺は恐怖のあまり闇雲に走り出した。
「おーい、誰かいませんか」
目印もない場所で方角なんて考える余地もなく、ひたすら前へと駆けていたつもりだったのだけれど。
延々と連なる三百六十度、石ころだらけの世界。
どれほど進んでも目に入るものはまったく変わらなかった。
変化も目印もない、平らかなる視界。しまいには自分が本当に移動しているのかすらわからなくなり、俺は走りまわることを諦めて立ち止まった。
途方に暮れて天を仰いでみても、どんよりと靄がかかったような空には月や星さえも見えない。それなのに、どこまでも続く砂利の原だけがはっきりと映る。
「どうしろっていうんだよ…」
カラリ。
音がした地面に目を向ければ、積み上げられた石の山がそこかしこに点在していた。
白々とした小山を見るうちに、たと気づき、どこかで見たことがあるこの光景を必死に思い出そうと試みる。
実際の映像ではもっと明るかったが、テレビの特集などで見たことがある恐山や、どこかの国のケルンとかいうやつに似ていた。
もしやここは賽の河原というやつで、全然自覚はないけれど俺は死んだのかもしれない。
とりあえず手のひらを握ったり開いたりしてみるが、力をこめれば爪が肉に食い込む感触もあるし、まったく実感は湧かなかった。
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