そうして猫のことを話しカフェに置かれている猫の図鑑を眺めれば、二時間などあっという間だ。といってもカラオケボックスのように時間だと声が掛かるわけでもなく、どちらともなく時計を見上げて帰宅の頃合と悟る。

 ちなみに、コモモはずっと志摩君の膝の上で眠り続け、そっと両手で持ち上げられクッションの上に移動されてようやく目を覚ました。といっても目を覚ましたものの志摩君に「またな」と頭を撫でられると心地よさそうに瞳を閉じ、そのまま再び夢の中へと戻ってしまったのだが。


「ずっと俺に付き合ってもらって、悪かったな。他の猫のところに行きたかったろ」

「志摩君こそ、下の階に行ってないけど良かったの?」

「ちょっと気になってたけど、さすがにあれはどかせないだろ」


 笑いながら話す志摩君に、思わず私も笑んで頷く。

 彼の膝の上でグッスリと眠るコモモは普段よりも小さく可愛らしく見え、それを無理に動かすことなんて出来るわけがない。二階は次の来た時に見るよ、そう志摩君が笑う。

 そんな会話を交わしつつ二人でカウンターへと向かい、会計を済ませ……、

「スタンプが溜まりましたね」

 と店員さんが棚からアルバムを取り出すのを見て、はたと思い出した。


 そうだ、志摩君と話していて忘れていた……!


「なんだそれ、写真?」

「スタンプが溜まると猫のプロフィールカードが貰えるんだよ」


 どの子にしようかとアルバムを捲りながら選ぶ。

 普段はツンと澄ましているアメリアがぬいぐるみを抱えてウトウトしている姿も可愛いし、パディがひっくり返っている姿も可愛い。猫とは元気いっぱいな姿も寝ている姿も食べている姿も、全てが愛らしいのだ。

 そんな猫がさすがプロと言えるアングルと美しさで撮られており、どれも甲乙つけがたい。一度頭から捲って最後のページから戻って再び……と迷っていると、志摩君が苦笑しながら別のアルバムに手を伸ばした。

 そちらは店員さんが撮った普通のアルバムだ。もっとも、そちらも可愛い事に変わりはないのだが。


「ごめんね志摩君、すぐに決めるから。あ、なんだったら先に」

「いいよ、ごゆっくり」


 先に帰っても良いよ、と言いかけた私の言葉に志摩君の言葉が被さる。

 猫のアルバムを眺めたままクスクスと笑う彼の表情に他意はなさそうだが、それでも私の胸は高鳴ってしまった。


 志摩君は一緒に帰ろうと考えている。

 そのために私を待ってくれている……。


 そんなことを考えればなんだか恥ずかしく、赤くなりそうな頬を隠すために俯く様にアルバムに視線を落とした。

 志摩君は別に”私だから”待っているわけじゃない。アルバムという時間を潰せるものがあって、特に待っていても差し支えないからだ。ただ単に友人を待ったに過ぎない……いや、会話をしたのが小学校以来の私なんて友人とは言えないのかもしれないけれど。

 それでも志摩君が律儀に待っていてくれることが嬉しくて、彼に気付かれないように小さく笑みを零しつつページ捲り、一枚の写真に手を止めた。




「ごめんね、待たせちゃったね」

「お、ついに決まったのか」


 二冊目のアルバムを眺めていた志摩君が顔を上げ、悪戯気に笑う。

 そうして二人でお店を出て駅へと向かうのだが、話すのはもちろん猫のことだ。コモモのためにずっと椅子に座っていた志摩君は二階に行っておらず、猫カフェの猫の半分程度しか見ていない。他にどんな子が居るのか、猫同士の関係、猫の誕生日に開催されるイベント……そんなことを話していれば元より近い駅が直ぐに見えていた。

 聞けば志摩君はここからバスで帰るという。対して私は電車、つまりここでお別れだ。

 もう少し話をしていたいのに、なんて、そんなことを少し思ってしまった。


 もちろん言いだせるわけがない。だけど明日学校で会っても志摩君はサッカー部のエースで人気者、私はきっと臆して声を掛けられなくなってしまうだろう。

 猫の話も楽しかったけれど、明日に繋げられる話をすればよかったかな……と、ほんの少しだが後悔が胸に沸く。

 そんな私に気付かず、志摩君が腕時計を見る。きっとバスの時間があるのだろう。それがまたタイムリミットを感じさせ、慌てて鞄の中から封筒を取り出した。

 猫のイラストが描かれた可愛らしい封筒。スタンプで押された店名の横にもちょこんと猫のシルエットがある。封をするのも猫のシール。まさに猫まみれだ。


「志摩君、これあげる」

「ん?」


 はい、と差し出せば志摩君が不思議そうにこちらを見る。

 それでも封筒を受け取り中を見て……「コモモ」と、先程まで膝に乗っていた猫の名を呼んだ。


「可愛い。……じゃなくて、これさっき言ってたカードだろ。せっかくスタンプ貯めたのに、良いのか?」

「良いよ。私また通って貯めるから」


 そう告げれば、志摩君がカードと私を交互に見る。

 コモモがピンクのクッションに寝転がってリボンを体に巻きつけている可愛らしい写真だ。マンチカン特有の短い手足とポテンとした体の魅力が写真いっぱいから溢れている。

 裏面にはコモモの誕生日やプロフィール、マンチカンについてのちょっとした豆知識が書かれており、それがきちんとラミネート加工されている猫好きには堪らない至高の一品と言えるだろう。

 そんなカードを眺めていた志摩君がはたと顔を上げ、徐に鞄から携帯電話を取り出した。


「七瀬、アドレス教えてくれよ」

「私の?」

「あぁ、それで……もし七瀬が良ければ、また一緒に行ってくれないか?」


 窺うように話す志摩君の言葉に思わずドキリとしてしまう。

 もちろんそれが特別な意味合いなど少しも無く、たんに男の子が一人で猫カフェに行くことへの気まずさからきているのは分かる。現に「まだ恥ずかしいの?」と熱をもつ頬を誤魔化すように尋ねれば「俺達が居た二時間で、俺以外の男の客は居たか?」と返されてしまった。

 確かに、入店してからお店を出るまで猫カフェに居た男性客は志摩君一人だけだった。幾度も通っている私は男性の一人客も何度も見ているが、それでも男女比は明らかだ。

 それを考えれば「一度店に入ったから次からは一人で大丈夫」なんて事にはならないのだろう。むしろ女性しか居ないと知り、彼の中で猫カフェの敷居が高くなってしまったかもしれない。


 それでも、志摩君はまた来たいと思ったのだ。

 私と一緒に……。


「い、良いよ。行く時に連絡するね」

「部活があるからそんなに頻繁にはいけないけど、休みが合った時は頼むな」


 よろしく、と志摩君が苦笑をしつつ携帯電話を差し出す。

 応えるように私も携帯電話を取り出し、互いの連絡先を交換しあった。

 画面に映った彼の名前が妙に気恥ずかしい。


「あ、あと出来れば俺が猫カフェに通うこと誰にも言わないでほしいんだけど……」

「秘密なの?」

「なんか格好悪いだろ」


 どこかバツの悪そうな口調に「男の子は大変だね」と労われば、志摩君が照れ隠しなのか目元を隠すように帽子を引っ張って頷いた。その頬がほんの少し赤くなっているのがなんだか可愛い。

 私よりずっと身長が高くて、身体つきもしっかりしていて、皆が恰好いいと褒める彼を可愛いなんて不思議な感覚だ。きっと友人達に言っても「そんなまさか」と笑うだろう。

 そもそも、サッカー部のエースで人気者の志摩君が一人でこっそり猫カフェに来ていた――それも最初は臆して入れなかった――なんて、言ったってきっと誰も信じてくれない。


 ……私だけが知ってる志摩君。


 そう考えるとくすぐったい気分になる。だがそんな気分も、私達の横を走り抜けたバスが一瞬にして掻き消してしまった。

 志摩君が乗るバスらしく「やべっ」と慌てだす。バス停に人は少なく、停車するとはいえ直ぐに発車してしまうだろう。


「じゃあな七瀬、気を付けて帰れよ」

「う、うん」

「今日ありがとうな。あと、これも」


 コモモのカードに視線をやり、志摩君がお礼と共に「手帳に入れる」と笑った。

 そうして最後に「また明日な」と告げてバスへと駆けていく。あっという間のその出来事に私はただボンヤリと彼を見送り、ポツリと「また明日ね」と返した。



 志摩君と別れてみると途端に先程までのことが夢のように思え、電車に乗り込んで携帯電話の電話帳を確認してみる。

 ……彼の名前がある。

 当たり前と言えば当たり前だけど、ちゃんとある。


「夢じゃなかった」


 思わずポツリと呟いて、メッセージの受信を知らせる振動とそこに表示される名前に携帯電話を落としそうになった。



 改まった今日のお礼と、そして家では猫は飼っていないのかという質問。それが受信したメッセージの内容、もちろん贈り主は志摩君だ。

 それに対して家ではとある動物を飼っているから猫は飼えないと返信で答えれば、驚いたと言いたげな文面が返ってきた。


「変わってるって思われちゃったかな。でも『お兄ちゃんが飼ってる』って打ったから大丈夫だよね……」


 そんな心配をしつつ帰り道を歩き、玄関の扉を開ければ美味しそうな夕食の香りとお母さんの声が出迎えてくれた。


「どこ行ってたの?」

「猫カフェ」

「よく行くわねぇ」


 そんな何度も繰り返した会話を交わす。

 もちろん「今日は志摩君と一緒だった」なんて言えるわけがなく、そもそも言う必要も無い。だというのに胸の内に今日のことを話したいというもどかしさが溢れ、うっかり彼の名前を口にしてしまう前にと慌てて階段を登って自室へと向かった。

 二階の一番奥、そこが私の部屋だ。この家の中で一番狭い部屋だが、一人部屋を与えられているのだから文句は言うまい。

 そんな部屋の扉を開けて中に入ると鞄を机に置き……ふと部屋の一角にあるベッドに、正確に言うならそこで眠る生物に視線をやった。


 志摩君の膝の上に招かれてコロンと丸くなって眠るふかふかのコモモとは真逆、勝手にひとのベッドでデロンと伸びて眠るゴワゴワの……イグアナ。


「お兄ちゃん! パブロがまた私のベッドで寝てる!」


 デロンと伸びて眠るパブロを持ち上げれば、ふかふかとは程遠い硬い感触が手に伝った。


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