第19話 曖昧な別れ

あの人の答えを

受け取ってしまったからには、

この寒空の下、

これ以上逃れられない現実を

冬の青空に解き放つことなく

独りで抱え込んでいた。




あの人の家から送ってもらう車内は

いつもと何ら変わらないはずなのに、

運転席と助手席を隔てるシフトレバーが

今夜は少しだけ遠慮していた。



あの人はこの夜を背景に、

「本当は彼氏いるのかすごく聞きたかったよ。

 ちゃんと女性として見てますよ」

この期に及んで呟くんだ。



あの人と積み上げてきた歳月は

気づけばこんなにも私を占有しているのに、

その一方で、

彼氏との永い歳月もまた、

何事も無かったかのように

途切れることなく今ここに流れている。



恋は時としてこんなにも残酷なんだ・・・




すっかり夜も遅くなり、

彼氏の待つ部屋へ

いつも通り戻った私を

彼氏は心配そうに迎え入れる。


仕事帰りを装って

こんな風に夜遅く帰宅するのは

一体何度目になるんだろう。



彼氏が温めていてくれたこの部屋と

作っておいてくれた温かい夕食が

冬の寒さに痛いほど溶け込んで、

この夜の出来事など言い出せる訳もなかった。




別れを切り出そうとはしながらも

やっぱり言い出せない毎日の連続で

時間だけがイタズラに過ぎるんだ。


すでに十分すぎるくらい残酷なくせに、

あの人への告白の返事を

まだ返していない私だったから、

曖昧さで誤魔化しながら

この沈黙を正当化しようとしていた。




彼氏への別れを切り出した日は

朝から部屋のカーテンを開けることもせず、

生ぬるい温もりが残るベッドには

枕が二つ並んでいた。




別れという一瞬の痛みを越えてしまえば、

安易な私は

あの人の胸に一点の曇りなく

飛び込んでいくのだろう。




泣きたいのは私じゃないのに、

彼氏の流す大粒の涙を抑制するかのように

この涙は止まらないんだ。


唐突の別れという

唯一の選択肢だけを彼氏に突きつけていた。


何度理由を聞かれたって

納得させる理由なんて何一つ無かった。



だって、

彼氏のことが嫌いになった訳じゃなく、

むしろこれでもまだ無神経にも大好きなんだ。



消えてしまいたいと呟く彼氏の横で、

精一杯の懺悔の証しなのか、

重荷から解き放たれた安堵の印なのか、

理由も分からず流れ続ける

この涙を止めることが出来ないのは

どうしてだろう。




そんな私は

彼氏の心が私から離れるはずもないことを

分かっているくせに、

それを知りながら天秤にかけていたんだ。



私の勝手な選択を尊重してくれた。

それでも変わらず愛していると呟いた。

ずっと私を待っていると言ってくれた。


そんな彼氏に、

私は世界で一番残酷な笑顔で、


「これからも変わらずに仲良くはしよう。

今は新しい恋だから夢中になってるけど、

やっぱり間違ってたって気づいたら、

戻って来てもいい?」


こんな言葉は

彼氏への気休めや同情なんかじゃなくって、

ただ身勝手に臆病なだけだった。


これから確実に始まっていく

あの人と私の未知なる恋が

上手くいく保障なんてどこにもなかったから、

ただ戻れる居場所が欲しかっただけなんだ。


その証拠に、

あの人に夢中になって以来

疎かになっていた彼氏へのメールを、

今まで以上に毎日一生懸命送ってしまうんだ。




私に注がれる愛は

こんなにも寛大で温かいのに、

私が溺れた恋は

どうしてこんなにも身勝手で冷淡なんだろう。


こんな冷淡さをあの人だけには見せたくない。




あの人との曖昧な関係の終焉は

彼氏との曖昧な関係の始まりに過ぎないくせに、

私の心は清みきったように晴れて、

あの人の気持ちに

精一杯答えようとしていた。

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