第107話 幻想痛

真夜中に足の痛みで目が覚めた。

左足の膝から下にえぐるような痛みを覚え、泣きながら今夜も目覚める。

その痛みは私を責め続けているのだ。

あの日からずっと――。


深夜の高速道路、ハンドルを握る私、永遠に続く暗い道、一瞬の睡魔、ふっと意識が飛んだ。

気づいた時、中央分離帯のブロックが目前に迫っていた。

慌ててハンドルを切ったが間に合わない。

全身に激しい衝撃を受けた。後のことは何も覚えていない。

何日経ったか分からないまま、病院のベッドで意識を取り戻した私に医者が告げた。

一命は取り留めたが、左足が車体に挟まれて圧し潰されていたため、膝から下を切断したと――。

そして同乗者は死んだと聞かされた。


同乗者、それは私の婚約者だった人。

あの日、地方にある彼の実家に婚約の挨拶に行くために二人で出掛けていった。

新幹線で行けば良かったものを、彼の車で遠距離ドライブのつもりだった。

ドライブインで食事をした後、彼が眠いと言い出したので、私が運転を替ることになった。

助手席で気持ち良さそうに眠る彼を見ているとこっちまで眠くなってくる。

話し相手もいないし、ラジオを聴いたり、眠気覚ましのガムを噛んだりしたが、やはり睡魔が襲ってくる。

――そして、あの事故を起こした。


あの時、無理をせずにどこかで仮眠すれが良かったと悔やまれてならない。

だが、今さら後悔したって始まらない。

何もかも砕け飛んでしまった。

幸せな結婚も、二人の未来も、婚約者の命も――。

おそらく寝ている間に即死だったろう。

彼のライフは電源プラグを引き抜かれたように突然ゲームオーバー。

春には結婚して、海外勤務が決まっていたというのに……なんの前置きもなく終了してしまった。

それも全部私のせいだ。

あの一瞬の睡魔が、私から全てを奪い去っていった。


婚約者がきれいだと言った、左足の膝から下が今はもう無い。

赤いペディキュアも塗れないなんて……。

今、実感できるのはこの左足の痛みだけ。

自責の念がこの痛みそのものなのだ。

悲劇とは幸福の絶頂のとき、突然襲ってくる悪夢のようなもの。

現実を受け入れられないまま、奈落の底へ落ちていく――。



ああ、ずっと眠っていたい。

目覚めることのない、永遠の夜があればいい。

なのに、誰かが私の名前を呼ぶ。


お願い、呼びかけないで!


                       *


「紗代! 紗代! 紗代!」


ベッドに横たわる女に、必死で呼びかける男がいる。

「事故から二年も経つのに、どうして君は目覚めてくれないんだ」

眠る女を先端医療で生かし続けている。

「患者は意識が戻らなくても、眼球を左右に動いているし、時々手足をビクッと動かしたりしています」

傍らの医師がそう説明する。

「僕は左足を無くしても義足をつけて、ちゃんと社会復帰できた。なのに彼女は目覚めないまま……生と死の間を今も彷徨っています」

「脳死状態ではないのに、なぜ意識が戻らないの不思議です」

医療機器と白いベッド、その部屋で医師は首を捻る。

「彼女を諦めない。何年でも目覚めるのを待ち続けます」

男はただ祈り続けている。

「おそらく長い夢をみているのでしょうか?」

スリーピングビューティ、身体にはなく、ただ眠り続ける婚約者。



「紗代! 紗代! 紗代!」



お願い、呼びかけないで!


彼のいない世界では目覚めたくない……。

ずっと、ずっと、ずーっと永遠に、私は眠っていたい。

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