第90話 自転車泥棒
古いイタリア映画に『自転車泥棒』いう作品がある。自転車を盗まれた男が探し歩くが見つからず、困ったあげく自分も自転車泥棒になってしまうという話だった。
七十五年間、まっとうに生きてきた、このわしが今日初めて犯罪に手を染める。
理由はお気に入りの自転車をパクられたせいじゃ!
わしの自転車は黄色と黒のタイガースカラー、ハンドルにミラーを付けて後ろもよく見えるし、ペットボトルホルダーや傘入れを装備、後ろの荷台には“ 町内パトロール中 ”のノボリを立てて走っている。
世界に一台しかない、自分ナイズされたパーフェクト自転車だった。
公園のトイレで用を足して出てきたら、わしの自転車がなくなっていた。周辺を探し回ったが見つからん。うっかり鍵をかけ忘れたが、ちょっと目を放した隙に盗まれるなんて……。
チクショウ! 自転車泥棒ゆるさん! 怒りで血圧が上がりそうじゃった。目には目を、歯には歯を! 盗まれた自転車の仕返しに、盗み返してやろうとわしは決めた。
そして郊外にあるショッピングセンターの駐輪場へやってきた。
ここは大型スーパーを中心にたくさんの店舗がひしめき合って、週末には買い物客で賑わっている。息子の車で連れてきてもらったことがあるが、広い駐車場は満車で空車を探すのが大変じゃった、一時間も駐車場をグルグル回ってやっと停められた。
徒歩や自転車ならすぐに買い物ができるというのに、車とは不便なもんだ。だから、わしは自転車のエコロジーと利便性が好きなんじゃ。
新しい自転車を買いたいが、息子の嫁が「お
町内を走り回るのがストレス解消法のわしにとって、自転車を奪われたら、翼をもがれたも同じ! だから、わしは自転車泥棒になってやる。
もし警察に捕まっても「覚えていません」「知りません」「ここはどこ?」と認知症のふりして誤魔化すまで。七十五歳以上後期高齢者のわしには責任能力がない、そのため介護保険料払っとるんじゃからのう。
年寄りをなめんなっ! ボケても悪知恵は働くぞ。
駐輪場には色とりどり自転車が並ぶ、さて、この中からどれを盗むか?
まず鍵がかかっていないもの、登録番号が付いていないものにターゲットが絞られる。わしは一台一台チェックしていく、鍵のかかっていない自転車は結構あるぞ。
おっ、この新品の自転車どうじゃあ? 新しい買ったばかりのを盗まれるのは気の毒じゃのう。。次のは、後ろにベビーシートが付いてる、小さな子どもを連れた母親に迷惑かけられん。この平凡な自転車にするか、しかし田中史郎と名前が書いてある、それを盗むと田中という人に罪悪感があるし……。
おおー、この自転車は古くてボロボロだし、盗んでも恨まれんじゃろう……だが、ここまで使い込んだ自転車なら、かなり愛着があるかもしれん……盗まれたら悲しむだろうなぁ~わしみたいに。
いざ盗むとなると……いろいろ悩んで決められない。
ふと駐輪場を見回すと、小さな男の子が一台一台自転車を見て歩いている。もしや、自転車泥棒か? わしのようなジジイはいいが、子どもはいかん! 絶対にいかん!
「なにをやっとる?」
思わず声をかけてしまった。
男の子はこっちを見てキョトンとしていた。青白い顔のぼんやりした子どもだ。
「僕、自分の自転車を探してる。新品の青い自転車だよ」
「坊やも盗まれたのかい?」
「ううん。ここで買った日、自転車に乗って帰ったら、途中でトラックとぶつかってポーンと飛ばされたんだ」
「飛ばされたじゃと?」
「そのあとはなにも覚えていない。ずっと自分の自転車を探してる」
男の子はそう話すとまた探し始めた。
わしも男の子が自転車を探すのを手伝ってあげた。青い子ども用の自転車か、どれどれ……おお、これなんかどうじゃろ?
「おーい、この自転車じゃないか」
呼びかけたら、さっきまで側にいた男の子が煙のように消えていなかった。オカシイなぁーと思いつつ、その日は自転車泥棒を止めて家へ帰った。
わしの自転車が玄関の前に置いてあった。息子の嫁に訊いたら、近所の子どもがイタズラして乗り回したけど、さっき返しにきたという。
「てっきり盗まれたかと思ったわい」
「そんなヘンな自転車だれも盗みませんよ」と笑いよった。
「わしの自転車バカにするなっ!」
「三丁目の交差点で、自転車の男の子がトラックに撥ね飛ばされる死亡事故があったのよ。心配だから、自転車は止めてくださいね」と、やけに優しい声でいいよった。
翌日、事故のことが気になって図書館で新聞記事を調べたら、駐輪場で会った男の子の写真が載っていた。まさか、わしは幽霊をみたのか? 新品の自転車が諦められずあの子は幽霊になって彷徨っているのだろうか?
こんなことを家族に話したら、きっとボケたといわれるわい。
自転車泥棒なんて、恥かしいことをしようとした自分に猛反省! わしは三丁目の交差点を渡る子どもたちを見守るボランティアをすることにした。
七十五年間、まっとうに生きてきた、このわしが、子どもの交通事故をなくすために頑張るのだ!
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