第2話 少年少女と幻のジャングル
「ね、アフリカゾウの絵を描いて」
「…何、その言い方。星の王子さまごっこ?」
「もう、そんな細かい突っ込み、いったい何人の人がわかるだろうね?」
芹沢花帆は、頬を膨らませた。その仕草は、高校2年生のそれとは思えないくらいに彼女の顔を幼く見せた。
「いいよ別に、わかってもらえなくても。それよりも、もう次の催促?ついこの前に君に頼まれたカクレクマノミの絵、取り掛かってすらいないんだけど」
真一の目の前のキャンバスには、雪の中に佇むタンチョウの絵が描かれている途中だった。
「いいの!この前図鑑で見てね、どうしても一緒に歩いてみたくなっちゃったの。いいよ、カクレクマノミの終わったあとで。でも、資料はもう用意してあります」
花帆はいかにも「私って仕事早いでしょ」というような表情で、真一のキャンバスの横にアフリカゾウの剥製の写真を張り付けた。
その隣に既に貼ってあるタンチョウとカクレクマノミの写真のほかにも、ザトウクジラ、グリーンイグアナ、アオスジアゲハにフンボルトペンギン。キャンバスの周りはまるで絶滅動物を集めた幻のジャングルだ。
「…もういっそ、君を描いてあげようか。この写真に囲まれたキャンバスの真ん中に、さ。そうしたらきっと好きなだけ、動物の夢が見られるんじゃない?」
「もう、わかってないなあ」
花帆は大きくため息をついた。
「私は、この動物たちと一緒に過ごしてみたいの。でもそれはもう叶わないから、せめて夢の中で、アフリカゾウと一緒にサバンナを歩きたいの。剥製の写真じゃダメなんだよ、坂部君が、この子たちが本当に生きているみたいに描いてくれないと。剥製なんかの弱いイメージじゃ、夢なんて見らんないよ」
真一が、放課後に一人で美術室に籠っていることを、花帆は去年から知っていた。動物が大好きな花帆は、お気に入りの動物の剥製写真を持ってきては星の王子さまよろしく真一に頼んでくる。「ねぇ、羊の絵を描いて」
「…わかった。でも、いつまでにできると約束はできないよ」
「かーーーほーーーー!」
廊下から花帆を呼ぶ声が轟いてくる。
「あ、唯だ。ありがと坂部君、いつになってもいいから、よろしくね」
そういうと、花帆はカバンを担いで軽やかに駆けていった。真一の周りには、幻のジャングルと真っ白な雪原が残された。
画面の中の一匹の鳥と、真一は向かい合う。
「…帰ろ」
遥か昔、まだこの町に高校がいくつかあって、真一の通う県立第一高等学校、通称「一高」が、周囲の進学校と入試倍率や進学率を競っていた頃。高校生には「部活」という制度があって、やりたい者は放課後の時間を自由に使って絵が描けたんだそうだ。
部活の成績によっていい大学へ行けたりしたらしいけど、今の真一にはその感覚が全然わからない。真一がタンチョウの絵を描き上げたとして、トーキョーの美大は真一を入れてくれたのだろうか。
少子化の進んだ結果、大学進学が一般的な就職にむしろ不利に働く今、高校へ通う者だってよほど優秀か金持ちの子息か変人か、とにかく人数が少ない。高校自体も県内に二つしかないのだが、進学率を考えたらそれで十分なのだ。
子どもの数が少なく、それに比例するように人の住める土地が減ってきている今、学校での学びの意味を問い直す人間は少なくない。
二つの高校のうち、優秀な方の学校の優秀なクラスに通う真一は、絵が得意であるから高い学費を払わずに済んでいる。ただでさえ優秀な若者の集まってくる一高では、団栗の背比べ状態でわずかに他より抜きんでるような学力を持つ生徒より、想像力や身体能力の高い生徒を欲する場合がある。その狭い枠に運よく真一も潜り込んだのだ。
祖父に教わった剣道と幼いころから勝手に描いていた絵は、今のところ真一の人生を守ってくれている。
あるいは、壊滅したのがトーキョーではなくY県の方であったなら、高校の数も「部活」とやらの運命も、少しは変わっていたのかもしれないが。
「美術の特待生」も、卒業したら全く役に立たない肩書である。高校を出たら兄と同じ研究所への就職を希望している真一にとって、自分の絵を必要としてくれているのは、今は花帆だけだった。
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