第48話 おまじない

 すっきりと晴れ渡る空に、鳥の群れが舞っていた。怪物の多いイレンディアで、街の外を生き抜くことができるのは、鳥と矮小な食べ物にならない生物だけだ。

 鳥たちはレムリス辺りに朝入ってくる、北からの冷たい風をその羽根に受けながら、今日の餌場を探して飛んでいく。


「ジャッシュ、起きて!」

 ジャシードは、そんなステキな早朝、マーシャに揺り起こされた。


「んあ……もう行くの」

 眠気眼を擦りながら、ジャシードは起き上がった。衛兵を経験してからと言うもの、どんな時間でも何とか起きられるようになった。


「時間がかかるもの」

「うん、分かった」

 ジャシードはさっと着替えて武具を取り、リビングへと向かうと、既にソルンが二人のために朝食を用意してくれていた。マーシャは既にパンにかじりついている。


「おはよう、ジャッシュ。昨日はありがとう」

 ソルンが和やかに息子を迎えた。ソルンはいつも、こう言う時に抜かりない。しっかりと予定に間に合うように、準備が整えられている。ジャシードも、おはようといただきますを言って、早速食べ始めた。

 ソルンが礼を言ったのは、ジャシードがドゴールで稼いできた金を半分、家に入れたからだ。

 ソルンは最初に断ったが、ジャシードはどうやっても退かないので受け取ることにした。ソルンはそれが半分だと聞いて驚いていた。


 食事が終わると、ジャシードは鎧を着て、マーシャは薄い水色のローブを纏い、行ってきますを言って家を出た。


「行ってらっしゃい、……デート。ふふっ」

 ソルンは二人が離れてから、そっと呟いた。



 二人は、レムリスの東門から街の外へ出た。マーシャはキョロキョロしていて、少し緊張気味のようだ。それもそのはず、マーシャが街の外へ出て行くのは今日が初めてだからだ。

 もちろん、初めての冒険をジャシードと二人で行く、を大切に取っておいたからに他ならない。


「どれくらいかかるかなあ」

「多分、一時間くらいじゃないかな」

「怪物、くるかなあ」

「来たら僕が倒すよ」

「私も戦うもん」

「そっか。無理のないようにね」

 マーシャは、ジャシードがリラックスしているのを見て、色々な意味で騒ぐ自分の心を落ち着けた。さすがにワイバーンを倒した人間は、纏っている空気感すら違う。

 ジャシードが醸し出している雰囲気は、マーシャにとっても十分、頼りになる存在だった。小さな頃から憧れの存在、頑張り屋のジャシードと一緒にいられることを、マーシャは言い得ない喜びの中に幸せとして捉えていた。


 二人は、朝靄が掛かっている草原を北へ歩いて行く。目を覚ます程度に冷たい北風が少し吹いているから、間もなく朝靄も風に飛ばされて、奇麗な海が見えるだろう。


「ちょっと待って。怪物がいるかも知れない」

 ジャシードは歩みを止めた。時折感じることのできる、怪物の気配。それを感じたときは、まず疑うことを鉄則としていた。


「いる?」

 マーシャの言葉に、ジャシードは無言で頷いた。マーシャを引っ張り、姿勢を低くする。


「オークが三体いる。このまま気づかれなければやり過ごしても良いけど、街に行きそうならここで倒す」

 ジャシードがそう言うのを聞いて、マーシャは生唾を飲んだ。気軽に出てきたが、やはり街の外は安全ではない。


 オークを観察していると、やはり街の方へと進み始めた。怪物たちは、衛兵にいくら始末されようとも、どこからともなく現れる。


「ここで倒すことにした。もしできれば魔法で援護して。でも僕が叫ぶまではダメだよ」

「う、うん。分かった!」

 マーシャは杖を少し強く握りしめた。


 ジャシードは、マーシャの心の準備を見て、オークに向かって敢えて目立つように走り始めた。

  走りながら背中のファングを抜き放つジャシードは、どこからどう見ても立派な戦士だ。


 ジャシードはオークの前に到達するや否や、ウォークライを使って自分に注意を向けさせた。

 マーシャは戦闘開始の合図を受け、心を落ち着けて魔法を練り始めた。


 ジャシードは最初にオークの斧を躱し、更に振り下ろされる棍棒を躱し、棍棒を持つ手をファングで切り上げて、手ごと切り落とした。


「ジャッシュ! 五つ数えたら離れて!」

 マーシャはジャシードに見せたい魔法を放った。それは小さな光の塊だ。小さな光の塊は、一直線にジャシードが腕を切り離したオークへと飛んでいく……そして、着弾。


「三……四……五!」

 ジャシードは地面を蹴って距離を取った。


 光の塊はドガンと音を立てながら爆発した。手を切り離したオークと、近くにいた一体が細かい部品になっていく。


「凄い!」

 ジャシードは、残りの一体に走り込んで、残りの一体を下段から斜めに切り裂き、返す剣で横一文字に深く切り裂いた。


 マーシャは、幼い頃の約束通り『ドーン』の魔法を手に入れていた。それは火系統の爆発魔法だ。


「やるじゃないか、さすがはマーシャだ!」

「えへへ。頑張ったもんね」

 マーシャは、なんとも言えない幸せな気分に浸っていた。遂に『ジャッシュを助ける人に、なる!』と言う小さな頃の目標が、達成できるようになったのだ。


「疲れとかは無い?」

「平気よ、大したことないわ」

「そっか」

 ジャシードは安心して微笑んだ。


 二人は北へ進路を取り、草原を進んでいった。東側には海が迫り、海の匂いが漂ってきた。目標地点は、この先にある高台、クオール岬だ。

 クオール岬は、怪物たちが台頭する前に造られた建造物がある……らしい。マーシャはそれを確かめに行きたいと言っていた。レムリスの人々は、殆ど知らないクオール岬の建造物。興味をそそられるものではあるが、マーシャが何故それを見たいのかは分からない。


「こっちだね」

 ジャシードは、東へと延びていく坂を指さした。そこは幅十メートルほど。海へ行くに従って、少しずつ狭くなっているようだ。二人はその坂の方向へと歩を進めた。


 坂を上るに従って、海風が少しずつ強くなってくるのを感じる。

 前を歩くマーシャの波打つ髪が、風を受けて前に後ろに動いている。それを時折、片手で梳いて整える。風にはためく薄水色のローブが……。


 ジャシードははたと、マーシャの姿ばかり見ている自分に気がついた。しかし昔からそうだったような気がして、ほんの少し、自分を鼻で笑ってそれ以上考えるのをやめた。


「みてみて、ジャッシュ!」

 マーシャが振り返りながら、クオール岬の先端を指さした。そこには、石でできた台の上に、大きな三角錐の形をした物が立っていた。

 三角錐は十センチ角の縁のみで、中に人が何人か入れるほどの空間があった。素材は石で、遙か昔はきっと表面がつるつるだったのだろうな、と想像させる表面だ。


「結構大きいね、これ」

 ジャシードは自然とその空間へと足を運ぶが、特に何もない空間だ。


「何のためにあるんだろうな……」

 ジャシードは独り言を言いながら、石に触れたりしていた。


「ねえ、ジャッシュ」

「ん? うわっ!」

 ジャシードは振り向きざまにマーシャに抱きつかれ、びっくりしてよろけた。


「ど、どうしたの」

「ううん。何となくよ」

 マーシャは悪戯っぽい笑顔を見せ、さっと離れて岬の先端へと歩いて行った。

 その背中を目で追うジャシードは、びっくりしたのも相まって、心臓がどきどき言うのが分かった。


「目標、達成!」

 マーシャは囁くように言って、両手を広げ、海を眺めた。吹き抜ける風が気持ちいい。


 実はマーシャは、この場所に関する噂を聞いていた。それは一年ほど前のことだ。

 マーシャがいつものように、レムリス南側の広場で魔法の練習に励んでいると、近くで話し込んでいた大人の女性たちが、こんな話を始めたのだ——


「ねえねえ、知ってる? レムリスの北側にクオール岬というところがあって、そこに行って好きな人に抱きつくと、二人は結ばれるらしいわよ!」

「でも街の外なんて危なくて行けないじゃない? 抱きつけても怪物に食べられちゃったら意味ないじゃないの」

「だから価値があるんでしょ? そこら辺で抱きついたって、ダメよ」

「あたしには無理ねえ……まずそこまで行けないわ」

「衛兵の誰かに連れて行って貰うとか」

「そんな付き添い、衛兵も嫌でしょう? 護衛したあげく、目の前で男女が抱き合うのを見るのよ」

「ま、それもそうね。行ってみたいなあ。クオール岬。好きな人と」

「まずは好きな人が最初ね」

「そうね……。はあ、誰かいないかなあ」


——と言うわけで、それを聞いたマーシャは、ジャシードが帰ってきたら、無理矢理にでもここに連れてきて抱きついてしまおう、と画策していたのであった。


 実にくだらないことだが、マーシャはちょっと自信が無い子だけに、少しでもその可能性を向上させるためなら、何でもやってやろうと思っていた。今日それが達成され、感慨もひとしおだ。


「マーシャは、本当に冒険者になるつもり?」

 ジャシードは、三角錐の台座に座りながら訊いた。


「なるわ。見たでしょ、魔法の練習の成果!」

 マーシャは振り返り、ジャシードを指差しながらそう言うと、ジャシードの隣に座った。


「見た。凄かったよ……。本当に驚いた。けど、冒険者って、本当に命にかかわることになる事もある」

「分かってるわ」

 マーシャは海が反射する光をぼんやり眺めながら、少しぶっきらぼうに言った。


「ワイバーンは、五人でも楽に倒せたわけじゃなかった。僕もたくさん怪我をしたし、その都度、ガンドに治して貰ってた。みんなが必死になって戦って、やっと勝てたんだ」

「私はワイバーンって、見たことないけど、強敵だったのよね」

 マーシャがジャシードの横顔を見ながら言うと、ジャシードは横目でマーシャをチラリと見て続けた。

「それに、ワイバーンの話には続きがあってさ。倒して直後、目に見えない怪物に、バラルさんもオンテミオンさんも狙われたんだ。何とか助けたし、何とか撃退したけれど、父さんみたいに刺されてたかも知れない。そんな事も起こるかも知れないんだよ」

 ジャシードの顔つきは、いつの間にか真剣になっていた。それはマーシャの意思を再確認しようとしていたからだ。


「私ね……ジャッシュを助ける人になりたいって、書いたんだ」

「ん? 八歳のとき?」

「そう。八歳のとき」

「あはは、そうなんだ。ありがとう。もうさっき助けられたよ」

「もっと助けたいと思ってるの。ずっと魔法の練習をしたのも、私の思いが変わらないから」

 マーシャがそう言うと、ジャシードはじっとマーシャの顔を見つめ、そして頷いた。


「……うん、分かった。僕はマーシャを連れて行くよ」

「ホント!? やった!」

 マーシャは立ち上がって両手を上げた。


「まだみんなに相談していないんだけど、まずはレムリスから大人の証を受け取って、そしたらエルウィンに行ってみようと思う」

「エルウィン! 一番大きい街! みんなの憧れの街よ!」

 マーシャは興奮しながら言った。憧れの街、レムリスの民は殆ど辿り着くことも、見ることも叶わない街だ。


「僕はみんながもっと、安全に暮らせる世界を作りたいんだ。だからまずは、色々な街を見ておきたい。そこに暮らしている人々を見てみたい。そうしないと、そう言う人たちがどんな世界を望んでいるのか、わからないから」

「安全に暮らせる世界……ね。凄い目標だね。ジャッシュって、昔から目標が突き抜けてるわ。遣り甲斐ありそうだけど」

「やれるかどうかも、まだ分からないけど……何とかしたいと思ってる。マーシャ、僕に付いていくと言うことは、そう言う事だよ」

「もちろん、協力する。まずは、お昼の食事からね」

 マーシャはそう言って、荷物から自分でこしらえたサンドイッチ入りの袋を取り出した。


「うん、ちょうどお腹が空いてきたところだよ」

「でしょ? じゃ、手を出して」

「うん? はい」

「もっと前よ」

 ジャシードが手を前にグイと出すと、マーシャは魔法で水の泡を作り出して、ジャシードの手を包み込んだ。

 そして水を流すと、いつかバラルがやっていた温かい風を作り出して、ジャシードの手を乾かした。

 マーシャも同じように手を洗い、温かい風を起こして乾かした。


「思っていた以上に使いこなしてるね、マーシャ」

「まだ風の魔法は、風を少し起こすことしかできないけどね」

「風の魔法を使いこなす人は少ないらしいから、今のができるだけでも凄いよ」

「ふふ。ありがとうジャッシュ。ではどうぞ」

「ありがとう」

 マーシャはサンドイッチを手渡すと、二人で並んで、海を見ながら食べ始めた。


 まさにマーシャにとって、至福のひと時であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る