第47話 帰郷

 翌朝、けしからんベッドのおかげで少し遅めに起きた四人は、フマトとガダレクに礼を言って、レムリスへと歩き始めた。

 トゥール森林地帯はいつも通りで、うっかり飛び出してきたコボルド三体以外は怪物にも出くわさなかった。


 そして昼を越え、陽の光が少し傾いた頃、森の向こうに石造りの城壁が見えてきた。


「見えてきたぞ……レムリスだ」

 ジャシードは、無性に胸が高鳴るのを感じた。故郷に帰ってきたからなのか、それとも家族に会えるのが楽しみなのか、新しい家族を紹介するのが楽しみなのか、彼には分からなかった。



「おーい、ジャシード!」

 フォリスがジャシードを見つけて、大きく手を振りながら大声を上げた。今日は城壁の上で見張りをしていたらしく、片手には望遠鏡が握られている。


「フォリスおじさん!」

 ジャシードは手を振って応えた。それを確認すると、フォリスは城壁から門の方へと向かってきた。


「元気そうで何よりだ。体つきも立派になって、ますます戦士らしくなったな」

 フォリスはジャシードの肩に手を当て、下から上まで視線を走らせる。


「ありがとう。フォリスおじさんも、元気そうで良かった」

「君のおかげで、元気に過ごしているよ。さあ、家に行くといい。みんな待っている。私は仕事が終わったら向かうよ」

 フォリスは三人の仲間たちに敬礼をして、持ち場へと戻っていった。


 レムリスは四年前と殆ど変化なく、平和に暮らしている様子が感じられる。

 ジャシードたちは、近所の人々に挨拶されながら、自宅へと向かった。


「ジャッシュ!」

「うわっ……」

 ひときわ大きな声が聞こえたかと思うと、走り込んできた人物に、ものすごい勢いで抱きつかれた。三人の仲間から、おお、と言う感嘆の声が漏れる。

 フワリと香る少し甘い匂い、少し波打つ肩まである茶色い髪……すぐにその人物が誰なのか、ジャシードには分かった。


「マーシャ、ただいま」

 ジャシードは、マーシャの両肩に手をやって、優しく離してやった。潤んだ青い目は、まっすぐジャシードを見つめていた。


 マーシャも成長し、可憐な少女になっていた。

 ジャシードより少し低い身長の少女は、魔法使いっぽい真新しいとんがり帽子を被り、薄い水色のローブを着ている。腰に結んである少し太めの紐が、腰の辺りをきゅっと締めていて実に可愛らしい。


「おかえり、ジャッシュ」

 マーシャは、精いっぱいの笑顔を作ったが、溢れ出る涙はどうしようもなかった。


「ジャッシュ……いつの間にこんな可愛い子を……」

「ジャシード、お前、お前、お前! けしからん……実にけしからん!」

 ガンドは驚きの余り言葉を紡げなくなっていたし、バラルは羨ましさの余り怒っている。


「し、紹介するよ。彼女はマーシャ。僕の幼馴染みで、同じ家に住んでる。……こちらは、バラルさん、ガンド、スネイルだよ」

「バラルさんは、一度会ったわね」

 マーシャは涙を拭いながら言った。


「ん? いや……んん? ああ、あの時ジャシードといた、あの娘か! ならば……」

 バラルは両手を広げてみせた。


「何やってんの、おっちゃん」

「抱きついてきても良いのだぞ!」

 バラルは主張したが、当然、何もなかった。代わりにスネイルが抱きついてやったほど、惨めな瞬間だった。


「お、お前じゃあない!」

「いでっ」

 バラルはスネイルを振り払い、杖で頭をコツンとやった。


「世の不平等を感じざるを得ん……くっ」

 バラルは涙を拭う仕草をした。


「アニキの幼馴染みなら、おいらのアネキだね」

「えっ?」

 マーシャはキョトンとしている。


「あ、ああ、マーシャ。スネイルは孤児院の出でね。僕と兄弟になることにしたんだ」

「そうなの? ふふ、なんか、ジャッシュっぽくていいね! よろしく、スネイル」

「よろしく、アネキ」


「あなた、ひと目で分かったの?」

 スネイルと握手をしながらマーシャは囁き、スネイルは黙って頷いた。それを見てマーシャはにっこり、微笑んだ。



 五人はジャシードの家に辿り着いた。ジャシードがドアを開けると、ただいまを言う前に、ピックがアァと鳴きながら飛んできた。


「わあ、ピック。まだここにいたんだ。ただいま!」

 ジャシードは、肩に止まって耳を甘噛みするピックを撫でつけながら言った。


「おう、ジャッシュ。よく帰ってきたな」

「おかえり、ジャッシュ! まあ、大きくなったわね!」

 セグムとソルンが出迎えて、順番に抱き合った。家の中は椅子が増えていて、迎える準備は万端のようだった。

 さすがは母さん、分かってくれている、とジャシードは感心し感謝した。


「お仲間の皆さんも、どうぞ。お好きなところに座ってくださいね。荷物や武具は、一旦そちらの角に置いてくださいな。紅茶を入れるわ」

 ソルンはてきぱきと案内すると、キッチンに引っ込んで、クッキーやドーナツを皿に盛って出てきた。

 ソルンが出してきた紅茶は、注ぐ前から上等な物だと分かるほど、素晴らしい香りだった。


「どうだった、オンテミオンのところは」

 セグムが尋ねた。


「すごく勉強になったし、本当にたくさんのことを覚えたよ。それに、良い武具を作ってもらったんだ。仲間にも恵まれたし、言うことないよ」

「そうか、そうか。あの時、判断を渋らなくて良かった」

「そうだ、紹介させてよ……。こっちが父のセグム、母のソルンね。こちら、魔法使いの人がバラルさん。僕を背負って空を飛んで行った人だよ。今ドーナツにかぶり付いてるのがガンド、治癒魔法が得意なんだ。それから……彼はスネイル。ネクテイルの孤児院から来て、家族がいないから、僕と兄弟になることにしたんだ。だから弟だよ。よろしくね」

「なんてこったい、弟だとよ! こいつ、とんでもねえな! わあははは!」

 セグムは大笑いしている。


「勝手に……弟になったけど……、い、いいのかな……」

 スネイルはボソッと言った。


「良いも悪いも、良いよな、ソルン?」

「ジャッシュが連れてきたんだから、文句ないわ。ようこそ我が家へ、スネイル」

 セグムとソルンは、一瞬にしてスネイルを受け入れた。


「え…………う、うぐ……うう……うわあああああ」

 スネイルは、ジャシードにすがりついて大声を上げて泣き出してしまった。


 少し驚いたものの、泣き出したスネイルの背中を優しく叩きながら、ジャシードは理解した。この旅の途中……いやもっと前、弟になると宣言したあの日から、スネイルは不安を抱えて過ごしてきたことを。


 家族だ家族だと口では言っても、受け入れていたのはジャシードだけ。スネイルは世の中の厳しさも知っていただけに、ここで断られることも想像していたし、その心の準備もしていた。

 しかしいざ蓋を開けてみれば、こんなにもあっさりと、全く他人の、今さっき初めて会ったばかりの人間を受け入れてくれるとは思っていなかった。


 スネイルは心の底から安心して泣いてしまった。家族ができたのは夢ではなかった。一瞬にして湧き上がった実感は、少年の心を激しく揺さぶった。


「ジャッシュは、もう良いお兄さんなのね。何でも先を越されちゃう」

 マーシャは二人を見ながら、あたたかい微笑みを見せた。


「良いアニキになれよ、ジャッシュ」

 セグムは真剣な眼差しを向けてきて、ジャシードは微笑みながら頷いて返した。


「カァ!」

 ピックはいよいよ、ジャシードの髪を引っ張り始めた。


「いてて、わかったよ、わかった。トウモロコシをあげたいけど、今は……ちょっと待ってよ」

 スネイルはまだ落ち着きそうにない。ジャシードは兄として手が離せなかった。


「私が持ってくるわ」

 マーシャが席を立ってトウモロコシを取りに行き、ジャシードがピックにトウモロコシを与え始めた。


「ねえ、ジャッシュ。私、もう結構魔法が使えるようになったのよ」

 マーシャは、ジャシードにクッキーを渡しながら言った。


「四年前も使えたじゃないか」

「もっとよ、もっと。びっくりするわよ」

「楽しみだなあ。マーシャの魔法かあ」

「あとね、あとね。明日、一緒に行って欲しいところがあるの」

「どこ?」

「お楽しみ! いいよね?」

「ああ、うん、いいけど、どこだろうな」

「ふふーん」

 マーシャは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。何か企んでいるようだが、ジャシードは敢えて聞かないことにした。


「なんだ、ジャシードは幸せそうでいいな、え? このお……。なあ、ガンドよ」

 バラルは、ジャシードとマーシャの間に流れる空気が美味くない様子だ。


「ソルンさん、このドーナツ、本当に美味しいです」

「あら、ありがとう。もっと食べても良いのよ」

 ソルンはガンドに更なるドーナツを進めた。


「バラルさんよ、あんた空飛んでたよな。あれを覚えるのにどれくらい掛かったんだ?」

 ガンドにまで無視され、かわいそうな大魔法使いに、セグムが言った。


「ん? うむ。風の魔法だな……そうだな、だいたい五年ほどだったか……。風を起こす場所の調整は、なかなか難しいものがあった」

「そこのマーシャは、風の魔法に興味津々なんだ」

 セグムは、マーシャの方へ顎を向けた。


「ほほう……わしに弟子入りする気はないか?」

「え、と……考えておきます」

 マーシャは身の危険を察知して、即答を避けた。風の魔法は魅力的だが、何となく、そこはかとなく、失うものが大きいような気がした。


「ただいま。いやはや、賑わっているね」

 フォリスが役目を終えて帰ってきた。


「お疲れ。ああ、こんな我が家、レムリスに住んで初めてだ」

 セグムが両腕を広げて言った。


「フォリスおじさん、僕の仲間を紹介するよ」

 ジャシードは、ようやく落ち着いたスネイルを含め、フォリスに三人を紹介した。


「みなさん、よろしく……しかし、さすがに寝る場所は無いな」

 フォリスは肩を竦めて言った。


「なあに、そこまで寄生しようなどとは思っておらんから、安心せい。何だかんだ、わしらは稼いでおるからな」

「稼いでる? ジャッシュも?」

 バラルの言葉に反応して、マーシャが尋ねた。


「そうだね、怪物の持っているものとか、肉とか、牙とか、爪とか……そんな物を持って帰って、売ったりしてたよ」

「へえ、自活までしているとはな。てっきりオンテミオンのスネをかじっているのかと思った」

 セグムは感心して言った。


「一番大きかったのは、ワイバーンだな」

「わ、ワイバーン!?」

 バラルの言葉に、セグムとフォリスが驚きを隠さずに言った。


「うむ。そこの三人と、オンテミオンと、わしの五人で倒した。色々、良い値で売れたぞ」

「もっとかわいい怪物を相手にしていると思っていたが……よもやワイバーンとはな。オーガやトロール百体よりも価値ある実績だ」

 セグムは、本気で驚いている様子だ。


「そういうわけだから、レムリスにいる間は宿に泊まる。ガンドにスネイル、それで良かろう?」

「スネイルは、ジャッシュと家族なんだから、ここで……」

「おいら、宿屋たのしみだな! けしからんベッド、あるかな!」

 ガンドが言い切る前に、スネイルは言葉を被せた。


「なあに、けしからんベッドって?」

 マーシャが首を傾げたので、スネイルはトゥール砦の話を聞かせてやった。


「それは、けしからん!」

 マーシャも、ふかふかベッドの話を聞いて、興味津々の様子だ。


「だから、今日も、けしからん! かも知れない」

「いやあ、レムリスの宿はそんなに凄くないぞ」

 スネイルの期待は今、セグムによって打ち砕かれた。


「いいの、おいらは宿に決めた」

 しかしそれでも、スネイルは決定を覆すことはなかった。彼には何か、信念を感じさせるものがあった。


「じゃあ、そろそろ食事にしましょ」

「やった!」

 ソルンの言葉に、ガンドが即反応した。


「え、まだ食べられるの……?」

「おやつは食べたよ」

「底なしだなあ」

 ジャシードは、ガンドの膨れた腹をまじまじと見つめてしまった。


 その夜は、本当に賑やかな食事になった。家族が一人増えたジャシード、大好きなジャシードが帰ってきてご機嫌のマーシャ、家族として受け入れられたスネイル、食べまくりのガンド、久しぶりの酒に酔ったバラルとセグムとフォリス。そして料理の振る舞い甲斐のある面々が揃って、普段にはない忙しさを楽しむソルン。それぞれがとても充実した食事の時間を過ごすことができた。


「じゃあ、ガンド。バラルさんをよろしくね」

「任せといて」

「わしぁ、自分で……いけるわい……。どうせ……肩を貸すなら……美女でたのむ」


 バラルは飲み過ぎて殆ど潰れていたため、ガンドが宿まで肩を貸す事になった。


「スネイルもおやすみ」

「おやすみ、アニキ、アネキ」

 スネイルはそう言うと、ジャシードにでは無い方角に向けてウィンクし、ふらふらと歩くガンドの後を小走りに追いかけていった。


「スネイルはいい子ね」

 ソルンは小さい後ろ姿を見送りながら呟いた。


「そうだね。最初はひねくれてて、みんな見放してたんだけどね。それじゃいけないと思ってさ」

「さすが、私の息子ね」

 ソルンはジャシードの頭をポンポン叩いた。ジャシードは何だか気恥ずかしいような、とても懐かしいような、そんな気持ちになった。


「スネイルって、気が利くいい子よね」

「あ、マーシャも分かった? 小さい頃から周囲の機嫌を気にしていたから、色々気づくようになったみたいだよ」

「うん、すぐに分かったわ。それに何だか、私と同じ匂いを感じるのよね。なんだろう」

「同じ匂い?」

「なんか、心意気? わたしもよく分かんないわ」

「ふうん……良く分かんないや」

「ジャッシュには分かんないかも」

「何それ」

「いいの! そうだ、明日のことを話しましょ」

 ガンドとスネイルとバラルが宿屋に行く道を曲がるのを見届け、ジャシードたちも家に入った。

 家の中には、すっかり酔いつぶれたセグムが、椅子にだらしない格好で寝ている。フォリスはさすがにベッドに行ったようだが、セグムをどうにかする気力は無かったようだ。


「うちの大きいのは、僕がやらなきゃね」

 ジャシードはセグムの腕を取って、無理矢理寝室へと引っ張っていった。


 マーシャは、そんなジャシードの成長した後ろ姿に、優しい視線を送っている。マーシャの顔を離れたところで見ていたソルンは、散らかり放題のテーブルを片付けながら、昔の自分を思い出すのだった。

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