第3話 燃え上がる炎

 二人はなるべく音を立てないように、城壁から姿が見えないように屈んで、もう少し門の方へと近づいていった。

 次第に大きくなっていく金属音、それに混じって衛兵達の雄叫びと怪物たちの叫び声。そして魔法の炸裂音も聞こえてくる。

 戦いが始まって、かれこれ一時間が経過しようとしているが、一向に戦いが終わる気配がない。


「ここならよく見えるぞ」

 ジャシードが城壁から戦場となっている門の下を眺めた。彼の視界にちょうどセグムが入った。セグムはブタのような醜い顔つきの、汚らしい鎧を着けて大型の斧を持った怪物と戦っていた。

 ブタのようなやつは、他に似たようなブタ顔の中で一際大きく、セグムよりも背が高い。他のブタ顔は鎧を着けていないのに、そいつは鎧を着けていた。どこからどう見ても、他のブタ顔よりも強そうだ。


「あれはオーク?」

 ジャシードの背中に隠れるように戦場を見たマーシャが囁いた。

「ああ、そうだ。あれはオークだね。名前が思い出せなかった」

 ジャシードはポリポリと頬を掻いた。


「何かあれ、強そうだよ」

 マーシャは顔を引っ込めた。

「父さんならやっつけるよ。あんなやつ」

 そう言いつつも、ジャシードも不安だった。


「オークロードまで出てきたぞ!」

 セグムは、森の奥から巨大な斧を担いで出てくる怪物を見て叫んだ。


 オークロードというのは、オークの集団を率いている、少し知能が高く大きめなオークに対する呼称だ。

 この辺りでは滅多に見ることが無い、森からあぶれて出てくるような怪物とは違う、格が上の怪物だ。

 オークロードは、オークだけでなく、ゴブリンやコボルド、そして巨大なトロールや、更に巨大で顔が二つあるエティンを従えていることがある。

 もっとも、今回の襲撃にはエティンの姿は無いようだが、この集団のリーダーはあのオークロードであろう。


 そのオークロードが雄叫びを上げると、集団全体がこれまでよりも激しく攻撃を開始した。


「くそ、ちゃんとやらないと飯抜きだとでも言われたか?」

 セグムは激しくなった攻撃を受け流し、自分の攻撃を命中させつつ言った。セグムの攻撃で腱を切られたコボルドは、ヒィヒィと怯えた声を上げて後退し始めた。


「逃がさないわよ!」

 コボルドの背中にソルンが放った電撃が襲いかかり、コボルドは弓なりに身体をしならせながら黒焦げになって倒れた。

「さすが」

 セグムは後方にいるソルンを眺めた。コボルドは逃がしてしまうと仲間を連れて帰ってくることがあるため、一匹も逃さないようにしなければならない。


「セグム、前を見ろ!」

 セグムの方へ向かって、オークロードが突撃しているのを確認し、フォリスは叫んだ。


「なに……うおっ!」

 フォリスの叫び声を聞いて振り返ったセグムは、斧を振りかぶっているオークロードを視界に捉えた。

 セグムはすんでの所で斧を躱すと、お返しとばかりに斧を握っていたオークロードの左腕に剣を振り下ろした。が、剣は鎧を切り裂いただけで、オークロードに浅い傷を負わせただけであった。


「こりゃあ、立派な鎧だこと!」

 セグムは飛び退いて少し距離を取った。

「手が空いた者から、オークロードに攻撃を集中!」

 フォリスはコボルドを二匹、ハルバードを振り回して倒すと、周囲に声を掛けた。


「あ、危なかった……」

 ジャシードはセグムの戦いを見ているだけで、大汗をかいていた。

 目の前で自分の父親が斧で真っ二つにされそうになったのだから、仕方が無い。むしろ声を上げずに我慢しただけでも十分凄いと言える。

 一息ついて、城壁の影にへなへなと力なくずり落ちて座り込んだ。


「やっぱり帰ろうよ……怖いよ……」

 マーシャはジャシードがへたり込む姿を見て、より心配が大きくなった。

「いやだ。この戦いは覚えておかなきゃいけない」

 ジャシードは再び下半身に力を込めて、城壁の間から観戦し始めた。


 一人、また一人と、自分の周囲にいた怪物を倒した衛兵達が、オークロードを取り囲み始めた。


「よし、もう少しだな」

 次から次へと出てきていた怪物たちの勢いが弱まるのを見て取ったセグムは、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 目の前のオークロードは、複数人の攻撃を受けて鎧がボロボロになり、直接受けた傷が開いて緑色の体液で染まっていた。


 だがオークロードも然る者、攻撃を受けながら斧を大振りに振り回して、衛兵達を自分の周囲から離れさせ、雄叫びを上げた。


「また増援が来るかも知れない。警戒を!」

 フォリスの声が響いた。


 しかし、オークロードが激しく傷ついているのにも関わらず、森の方からは物音一つしなかった。それは、増援は来ないと物語っていた。


「仲間に見捨てられたな」

 セグムはオークロードの鎧が落ちて丸見えになった、だらしない腹部を狙って剣を振るおうとしていた。



 ジャシードに、はっとした感覚があった。強い胸騒ぎ。襲ってくる違和感……何かがおかしい。何かが迫ってきている。

 戦いの音に紛れて、集中していないところに向かって、何かが迫ってきている。

 それは苦し紛れではあるが、狙い澄ました一撃、何とか敵の一人ぐらいは倒したい、と言う極めて強い執念のようなもの。それが迫っているのを感じた。

 だが、辺りを見回しても誰もいない。それでも渦巻く執念はそこに感じられる……わからない……わからない……。これは一体何だ……。



「おらよ!」

 セグムは素早く剣を振り、オークロードの腹部に致命傷となる一撃を叩き込んだ。

 オークロードはバックリと割れた腹から、緑色を迸らせながら、セグムに向かって倒れてきた。

「おっと、オークと抱き合う趣味はないぞ」

 セグムはそれをひょいっと躱し、オークロードは砂煙を上げながら地面に倒れた。



 ジャシードの背中に寒気が走った。終わっていない。まだ、終わっていない……。いる、そこに、何かが……いる!


「父さん! 後ろだ! 後ろに何かがいる!」

 ジャシードは遂に立ち上がって叫んでしまった。しかし勢い余ってバランスを崩してしまい、城壁の下にあった深い茂みに落ちてしまった。


 バキバキと茂みの木々が折れる音がして、ジャシードは深い茂みに埋もれてしまった。茂みの高さがなかったら、それだけでは済まなかっただろう。


「ジャッシュ、何をやって……」

 ジャシードの行動を注意しようとしたセグムは、空間の揺らめきのようなものを見た。その揺らめきは、真っ直ぐにジャシードに向かって走り込んでいく。


 徐々にその姿が顕わになる……暗殺に長けたゴブリンの姿が……。これをジャシードは察知していたのだ……。


「こいつ!!」

 セグムは咄嗟に動き出すも、ジャシードまでの距離は遠く、既に最高速度に加速しているゴブリンに追いつきそうにはなかった。


「うちの子に……!」

 事態を見ていたソルンも雷撃の魔法を使おうとしたが、こちらも距離が離れすぎていて、魔法の到達が間に合いそうになかった。


 その場に居た全ての人々に、まるで時間が増幅されたかのように、ゆっくりと時間が流れていった。

 ゴブリンは茂みに落ちた小さな子供に肉迫し、先ほどまでセグムを狙っていた短剣を振りかざした。


 ジャシードは必死に藻掻いていたが、硬い木々の茂みに埋もれて身動きが取れず、ゴブリンが振りかざした短剣の切っ先を眺めることしかできなかった。

 せめてもう少し自由が利けば、こんなやつの攻撃ぐらい、避けられるのに……。ゆっくりと過ぎていく時間の中で、ジャシードはそんな事を考えていた。


「ジャッシュ!」

 城壁の上から顔を出したマーシャは、状況を見て叫んだ。


(助けなきゃ……助けなきゃ……魔法……で!)

 マーシャは咄嗟に両手をゴブリンに向けると、身体の奥底が激しく熱くなるのを感じた。


 ゴブリンの足元に突如小さな地割れが出現し、その地割れから凄まじい炎が噴出した。ゴブリンはほんの一瞬で燃え上がる紅蓮の炎に包まれた。


 炎は数メートルの高さにまで上がった。それは一瞬で、まさに一瞬でゴブリンの身体は炭化させた。

 ゴブリンは短剣を振りかぶったままの姿で、ぶすぶすと煙を上げながら茂みの傍らに倒れ込んだ。

 それはまるで立てていた木の棒が地面に転がる様と似ていた。


「な、なにぃ……!?」

 ゴブリンが業火に包まれていく様を、セグムは唖然として眺めた。

「えっ……マーシャ! いけない!」

 ソルンはマーシャが今やったことを見て、城壁に走り出していた。


 マーシャは薄れ行く意識の中で、何か良く分からないがジャシードを助けられた、という満足感に浸りながら、城壁の上の床へ不格好に崩れ落ちた。床が冷たくて、気持ちいい……。


「マーシャ!」

 フォリスも娘の名前を叫んで、城壁の上へと走っていった。娘に何か、尋常で無い事が起こっているのが手に取るように分かった。


「お前、何をしているんだ。何故ここにいる!」

 セグムは茂みを剣で切って、ジャシードを引っ張り上げた。


「ご、ごめんなさい……」

 茂みの木々で擦り傷だらけのジャシードは、セグムの目が激しい怒りに染まっているのに気がつき、小さくなって謝った。


 息子を憤怒とともに睨め付けていたセグムだったが、しばらくして深呼吸すると、力強く握っていた拳を開いて、ジャシードの頭をポンポンと叩いた。


「だが、お前とマーシャのおかげで命拾いした。ありがとう。それでも、勝手に来るのはダメだ。分かったな」

 セグムはジャシードの顔を覗き込んで、強く言った。


「わかった……勝手なことをしてごめんなさい……」

 少年はしょんぼりとして俯いた。


 ソルンは城壁の階段を全力で駆け上った。

 灰色の階段の上の方、城壁の床に、まるで積み木が崩れた後のような状態でマーシャが倒れていた。

 ソルンはマーシャを抱きかかえて名前を呼んだが、返答はなかった。マーシャは顔面蒼白で息はか細く、今にも死んでしまいそうだった。


「ソルン、マーシャは!」

 フォリスが凄い勢いで階段を駆け上がってきて、ソルンに抱えられているマーシャの傍へとしゃがみ込んだ。


「フォリス、ごめんなさい……私がちゃんと教えなかったばかりに」

 ソルンは、今手の中にある消えかけの命を見ながら、今にも泣き出しそうになりながら言った。


「あの魔法は……マーシャのものだったのか……」

 フォリスは、マーシャが自分の生命力を越えた魔法を偶然にも行使してしまったことを知った。

 フォリスはマーシャがそんな事ができるとは、あるいは出来るようになるとは夢にも思っていなかった。


 敢えてマーシャには戦いを教えてこなかった。フォリスはマーシャが街の中で安全に守られながら、亡き妻カレンのような女性に成長してくれたら、そう考えていたのだ。


「とにかく、治療院へ運ぶ」

 フォリスはマーシャを抱き上げ、街の中心部にある治療院へと走った。



 ソルンは、セグムとジャシードを治療院に呼び寄せ、現状を説明した。


「マーシャは今、危険な状態だわ」

 ソルンはジャシードが見たこともない大真面目な顔で、それなのに今にも泣き出しそうな顔で言った。


「あの魔法は、マーシャがやったのか……」

 セグムは信じられないという表情だ。子供が使う魔法にしては、威力が半端ではなかったからだ。大人でもあれほどの威力を出すには、かなりの修練が必要だ。


「魔法を覚えたいと言い出して……。私が中途半端に教えてしまったせいだわ……まさかあんなのを急に使うなんて……」

 ソルンはこれ以上無いほどの責任を感じていた。落ち着いているように見せているが、とても落ち着いてはいられない気分だった。

 我が子のように可愛がっていたマーシャが、自分のミスで命を失うかも知れない状態になってしまっていると考えた。


「マーシャはどうなっちゃったの? マーシャは死んじゃうの?」

 ジャシードは涙目で聞いた。いつも元気なマーシャ。ちょっと自信が無いマーシャ。いつもジャシードの傍にいたマーシャは今、声を掛けてくることも、微笑みを浮かべることもなく、青い顔をして粗末な治療院のベッドに横たわっている。


「ジャッシュ、あなたを助けるために、マーシャは生命力の限界よりも遥かに強い魔法を使ってしまったのよ……。魔法は生命力を使って、普段あり得ない事を起こすもの。マーシャはまだ、小さな火を出すだけで精一杯だった。それなのに、どうやってかあんなに強力な魔法を使ってしまって……。まだ生きているのが不思議なぐらいよ」


「ぼくが戦いを見に行くって言ったから……マーシャがそんな目に……ぼくがマーシャを……」

 ジャシードは我慢できなくなり、大粒の涙を流し始めた。


「ジャシード、きみはマーシャを無理矢理連れて行ったのかい?」

 フォリスはジャシードを真っ直ぐに見ながら尋ねた。


「僕は一人で行くって言ったんだ……マーシャは怖がっていたから、留守番だって言ったんだ……。でも、ぼくが行くって言わなければ、マーシャも行かなくて済んだのに……ぼくが悪いんだ……」

 ジャシードはぼろぼろと泣きながら言った。


「……そうか……。それなら、きみを責めることはすまい……ソルン、きみもだ……。マーシャは、自分の意思で魔法を覚えようと決めてソルンに教えを請うたし、自分の意思できみに付いていくことを決めたし、自分の意思で魔法を使った。その結果はこの通り惨憺たるものだったが、セグムを、きみを救った我が娘を、私は誇りに思う。今はマーシャの回復を祈ってくれ」


 セグムも、ソルンも、ジャシードも、何も言えなかった。

 ただただ、弱っていくマーシャを見つめることしかできなかった。

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