第2話 かつてない襲撃

「えい!」

 マーシャが勢いよく腕を前に伸ばすと、指先に蝋燭のつき始め程度の小さな小さな炎が生まれて、即座に消えた。


「あら、かわいい」

 ソルンはマーシャの指先に起こった出来事を見て微笑んだ。


「うまくいかないなぁ」

 マーシャはしょんぼりして呟いた。ソルンはマーシャを励まそうと言葉をかけたが、マーシャはジャシードの注文通り、どーんと派手に爆発するような魔法を所望していた。


 到達したい場所の高さが見えないため、それがいかほどの背伸びなのか、マーシャは掴みあぐねていた。


「そのうち上手く行くわ。それに、今は街の中だから、ドーンってなったら危ないわよ。魔法は生命力を使ってやるものだから、小さいうちは難しいわ」


 直接的な戦闘は疲労を伴う。魔法もそれと同じように、肉体が持っている生命力を消耗して、超自然的な現象を発現させる。

 小さい子供にはあまり生命力が無い事が多く、派手な魔法を使うのは難しい。


 マーシャにとって悲劇的なのは、同い年なのに出来のいい憧れの存在がいてしまうことだ。彼を見ていると、自分が上手く行かないことがとてももどかしく、辛いのだ。


 確かにジャシードは、もう何年も特訓に特訓を重ねてきている。何もしてこなかったマーシャが、同じようにできないのは当たり前だ。それでも、彼の役に立ちたいという思いが、マーシャの心を焦らせていた。


「毎日、練習、したら、上手く、なるよ!」

 ジャシードは素振りを続けながら声を張り上げた。


「ジャッシュはお父さんに怒られても、泣きながら練習してたものね」

 ソルンはマーシャの頭越しに遠くを見つめた。ソルンはそれほど厳しくすることには反対だったが、訓練される側の本人が厳しくされることを望んだ結果、今がある。


「うん。結構辛かったよ。疲れたって言っても、父さんはそこから十回! って。で、十回やったのに、あと五回! って言うんだ」


 マーシャは息を呑んでソルンの顔を見たが、ソルンは私はそんなに厳しくしないと宣言した。

 魔法をに関して言えば、激しい特訓をしたからと言って必ず上手に扱えるかというと、そうでもない。コツを掴むことが重要だ。


 例えば斧で薪を割る動作でも、力任せに振ればいいわけではない。無駄な力を抜き、最小限のチカラで割ってこそ綺麗に割れるのだ。

 どんな物事にでも『脱力の境地』のようなものが存在するように、魔法にもそれがある。


 つまり同じ魔法でも、コツを身につけているのと、そうで無いのとでは、必要な生命力が異なってくるのだ。

 それを、セグムは特訓で自ら見つけさせようとしているし、ソルンは別のやり方でマーシャにコツを掴んで欲しいと考えている。



「ぼくも母さんに教われば良かったかな」

 ジャシードは、ソルンがマーシャへの厳しくしない宣言を聞いて言った。


「おあいにくさま。私が得意な刃物は料理の包丁だけよ」

「ざーん、ねん!」

 言葉に合わせて素振りをするジャシードの額に汗が光った。


 その時、彼らの近くをその時間は非番であるはずの衛兵達が、鎧をガシャガシャと鳴らしながら走り抜けていった。恐らく、怪物の襲撃だろうと思われた。


 ジャシードは、その様子を見て初めて素振りの手を止めて、走って行く衛兵達の背中を眺めた。


「非番の人達が駆けていくなんて、少し数が多いかも知れないわね」

 今日はセグムやフォリスも当番だ。非番の衛兵が参戦することは滅多にないため、ソルンは心配になって街の門の方角へ顔を向けた。


「ちょっと見に行ってもいい?」

 ジャシードは大規模な戦闘を見たことがなかった。机上での戦術訓練はしているものの、実際どう戦うのか興味があった。

 怪物が多いならば、それに応じた戦い方があるはずだ。そしてそれは見てみないとわからない。


 しかし、ソルンは即座にダメだと言った。うっかり怪物に襲われては、守ろうにも守ることができないからだ。

 ジャシードは襲われたら撃退する、と息巻いている。しかし実戦はそう甘いものでもないし、その前にどんな怪物がいるのかさえ、ここにいる三人は知らないのだ。


「ジャッシュ。あなたは少し自分より年上に勝てるからって、思い上がってはいけないわ」

「父さんが心配じゃないの?」

「心配に決まっているでしょう。でも邪魔することになるからダメよ。戦術の勉強をしているなら、守りながら戦うのは、ただ攻めればいいのと違って負担が増すことぐらい、もう分かっているでしょう」


 ジャシードは母親にそこまで言われて渋々引き下がった。再び素振りを始めたが、その視線は街の門の方に固定されていた。


 街の門の方から、武器がかち合う音が聞こえてきた。いつもより数が多い。魔法が炸裂する音も、いつもより激しく思えた。



「なんでこんなに大量に来ているんだ!」

 セグムは二体のコボルドと一体のゴブリンを一人で相手しながら大声を張り上げた。


「誰がその答えを持っていると言うんだ。誰も分かるわけがない」

 フォリスは巨大なトロールが振り下ろす大棍棒を躱しながら答えた。


 他の衛兵達も、一人につき数体の怪物を相手に奮闘していた。


 衛兵達は十分に鍛えられているし、装備もかなりよいものを揃えているため、この辺りの怪物たちに引けを取ることは基本的にはないが、数が多いのは厳しい。


 そう言う意味で、現段階ではやや劣勢にあった。必要なのは、頭数だ。


 そこへ、応援要請を受けて、非番だった衛兵達が続々と街の門へと走り込んできた。早速、セグムに取り付いていたコボルドが一体、加勢した衛兵の魔法で吹き飛ばされた。


「一気に蹴散らすぞ!」

 加勢した衛兵がフォリスに取り付こうとしていたコボルドを槍で串刺しにした。


「油断するな、倒してもどんどん増援が来る」

 フォリスはトロールの腕をハルバードで叩き切った。


 確かにその日は変だった。普段は森などから溢れた怪物たちが街に押し寄せてくることはある。しかし今日は森から街へ、次から次へと怪物が押し寄せてきていた。


「キリがないな、くそっ」

 ゴブリンに止めを刺したそばから、オークが迫ってくるのを見てセグムは悪態をついた。


 その瞬間、森の方から飛んできた魔法がセグムの右手に炸裂した。魔法は鉄の鎧の隙間から入り込んでセグムの右手を直接燃え上がらせた。


 セグムは熱と痛みに悶えて声を上げたが、その手に握られている武器を取り落とすことはなく、オークの脇腹に一撃を食らわせた。

 オークは脇腹を裂かれて緑色の体液を流しながら、醜い顔を一段と歪ませた。


 セグムの右手に仲間の衛兵から放たれた魔法が到達すると、セグムの右手は魔法の水で冷やされ、火の魔法は打ち消された。

 更に間髪入れない治癒魔法で手当が為され、火傷が徐々に塞がっていった。


「怪物の中に魔法を扱う奴がいる、魔法に気をつけろ!」

 セグムは治癒魔法を使った仲間に礼を言うと、今度は声を張り上げて仲間全体に警告した。


 襲撃は時折あるが、レムリスへの襲撃で、魔法を行使する怪物に襲われたことはなかった。少なくとも、八年間、衛兵を務めているセグムにはその記憶がなかった。



「まだ終わらないのかな……」

 今日の目標回数、素振りをこなしたジャシードは、父親に指示されていた短剣の研磨作業をしながら、顔を街の門の方へ向けた。


「ちゃんと剣を見てないと、手を切るわよ」

 ソルンがジャシードの視線が短剣から離れたのを見て注意した。


 ジャシードは、外の戦闘が気になって仕方が無くなっていた。好奇心と知への渇望に満たされていた。


「ソルン!」

 急に家のドアがバタンと開き、衛兵が飛び込んできた。

「ちょっと、びっくりするじゃないの!」

 ソルンは不満そうに衛兵を睨み付けた。


「申し訳ない。ソルン、助力が欲しい。戦いから引退したのは分かっているが、今日の襲撃はいつもと違うんだ。頼む」

 家に飛び込んできた衛兵は、深々と頭を下げた。


「……分かったわ。すぐ行くって伝えて」

 衛兵の言葉に、ソルンは自分の心に引っかかっていた『何か異常事態が発生したのかも知れない』という思いが裏付けられた格好になり、協力しなければいけないという気分になったようだ。


「有り難い。頼んだぞ」

 衛兵は門の方へと走っていった。


「ちょっと準備して行ってくるから、大人しく待っているのよ」

 ソルンはそう言って寝室の方へと走っていったかと思ったのも束の間、立派なローブを身につけ、輝く杖を持って出てきた。


「着替えるの早いね」

「戦うためのローブを着ただけよ。そのままだと汚れるからね……。もう一度言うけど、大人しく待っているのよ!」

 ソルンは息子の鼻先に、人差し指を押しつけた。


「わ、分かってるよ……」

「じゃあ何て言われたか言ってみて」

「ローブを着ただけよ」

「そこじゃなくて!」

「大人しく待っているのよ!」

 ジャシードは精一杯、母親の真似をして言ってみた。


「よし! じゃ、行ってくるわ」

 ソルンはジャシードの頭をポンポン叩いてから、走って家を出て行った。


「じゃあ……」

 ジャシードが何かを話そうとした瞬間、家の扉が再びバタンと開いた。

「マーシャ、ジャッシュがバカしないように見張ってて。よろしくね!」

 ソルンがドアから顔を出した。

「う、うん」

 マーシャは勢いに押されつつも了解の返事をした。


「何で分かったんだろう」

 ジャシードは、母親の後ろ姿が曲がり角を曲がるまで見守った後、家に引っ込みつつ言った。

「だって顔に書いてあるもん」

 マーシャは、分からない方がおかしい、と思っていた。


「え……ホント? ほかに何て書いてある?」

「止めたって無駄、って書いてある」

「マーシャって、凄いね……」

「えへへ……」

 マーシャは、ジャシードに褒められると弱いようだ。


「さて、じゃあ、行こうかな!」

 ジャシードは今研いでいた短剣を頭上に掲げた。短剣は、家の窓から差し込んでいる光に反射してキラリと光った。


「怒られるよ」

 マーシャは弱々しく言った。


「マーシャは留守番を頼むよ」

 短剣を鞘に収めつつ、ジャシードは言った。


「えっ、一人にしないで」

「でも、行かないんでしょ?」

「だって、怖い」

「無理には連れて行かないよ。だから留守番を……」

「えぇぇ……」


 マーシャは少し考えた後口を開いた。

「行く、行くけど……本当に見るだけ、ね?」


「分かってるって」

「剣を持ってるのに?」

「これは、何というか、気分だよ。気分」

「うーん……」

 二人は何故か周囲を窺いながら、こっそりそろりと家を後にした。


 二人が感じた街の空気は、これまで味わった事のない、慌ただしいものだった。レムリスに暮らしていれば誰でも感じる緊急事態。今それがすぐ近くで発生している。


 二人はその空気を、そして街の外から聞こえてくる金属のかち合う音を耳に、肌に感じながら、街を囲っている城壁の階段へと向かった。


 ジャシードは、街の門を眺められる比較的遠い階段を目指した。彼も怪物たちと戦ったことはないが故に、嫌が応にも慎重になるというものだ。

 しかしそれでも、見た事のない実戦を見る事のできる絶好のチャンスに、不安に勝る好奇心があった。

 急な対応の為か階段に見張りはおらず、二人は城壁の上に上る事に成功した。


「立ったまま移動しちゃダメだよ」

 ジャシードが警告すると、マーシャは黙ってコクリと頷いた。心なしかマーシャの足が震えている気がした。


 二人は屈んだまま、城壁の傍まで移動した。戦いの音がより大きく耳に入ってくるようになった。音だけではない、空気が震えるような感覚さえ覚える。


 ジャシードは、城壁の凹んでいる部分から、そっと顔を出した。少し門から遠かったらしく、あと少しのところで戦いの様子を見ることができなかった。


「もう少し門に近づこう」

 ジャシードは小声で言って、前に進もうとした。

「ダメよ。見つかっちゃうよ」

 マーシャは声にならない声で言うと、ジャシードの服を掴んだ。

「ここじゃ見えないからさ」

 ジャシードは制止を振り切り、そろりそろりと門へ向かって前進した。


「ちょっと、置いて……いかないで!」

 マーシャは、いよいよ本気で震えてきた足を無理矢理動かし、ジャシードの背中を追いかけた。

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