第92話 王都潜入前夜
ワタル達一行は、トーイ軍の馬車と一緒に王都サモンナイトへ向かっている。
王都に向かうこの街道は「慟哭の森」に近いこともあって、魔物の出現の多い筈の場所である。
しかし、王都に連なる主要な街道だという事もあり、良く整備されていて馬車が走りやすく往来が多い。
従って、森の北側の街道に比べると魔物の出現率は高くない。
そして、比較的強い魔物は森の深い所に住んでおり、街道に出て来る魔物はランクの低いゴブリンやコボルトばかりである。
更に、ワタル達の馬車の御者台ではコモドが睨みを効かせており、馬車の中にはヒマルの気配もあるので、この一行を襲う魔物は殆どいなくなっていた。
旅路は驚くほど順調であった。
予定よりも早く王都の近くの獣人村に着きそうである。
王都の周りには獣人だけで暮らしている貧しい村が幾つも存在している。
王都の中では奴隷以外の獣人の姿は殆ど見られず、半獣人は多少いるものの極端に数は少ない。
人族純血主義による獣人差別の総本山だからである。
イベ宰相のお膝元で獣人がウロウロしているなど許されないのが現状だ。
しかし、それは表向きの顔で、実際は獣人の力が必要な事も多くあり、裏に回れば獣人がいない訳ではないのだ。
殆どの獣人が奴隷化されてはいるが、そうでない者も多少は存在する。
主にそうした者達が今回のクーデターの協力者となって、トーイ軍を王都の中へ導いてくれる手筈になっている。
そして、見た目は人族だが獣人の血が入っている者の多くも協力者になっている。
これらの者は、敵となる人族と区別がつかない為、戦闘になった場合は表に出て来ない様にして貰う計画だ。
これはグルトが立て準備している計画だが、ワタル達は、そんなに上手くは行かないのではないか、と考えていた。
言い出したのはルレインである。
「グルトには言えないけど、獣人の結束ってそんなに固いのかしら。人族の側と同じ様に寝返る奴もいると思うのよね」
ワタル達とトーイ達は馬車が別なので、遠慮なく話が出来るのは好都合だ。
「確かにね。トーイやグルトは獣人の絆を信じたいでしょうけど過信は禁物だわ。弱味を握られたり、人質を取られたり、獣人が敵側に付く可能性はいくらでもあるわね」
と、ラナリアが付け加える。
「潜入した王城に罠が張ってあるかも知れないわね」
「成る程なぁ。じゃあ、俺達は敵の罠かも知れない事を前提として行動しよう。まあ、いつもの出たとこ勝負だけどね」
と、ワタルが返すと
「罠などという小細工は叩き潰すが常道」
「つまらん事をする人族は、妾が街ごと灰塵にしてくれるのじゃ」
と、従者達が派手な事を言っている。
本当にやりそうで怖い。
また、実際に出来てしまうであろう事が恐ろしい。
ワタルは従者の2人に、必要以上に王都の者を殺さない様に入念に説得したのであった。
さて、一行は途中の町や村で更に人員を増やしつつ、王都サモンナイトに程近い獣人の村に到着した。
マザの村と呼ばれている小さな村である。
獣人ばかり50人程が暮らしている。
村は一応柵で囲われているが、本当に囲っているだけの粗末な出来栄えである。
弱い魔物や獣ならば、僅かに足止めにはなるだろうが、実質的には防御の役には立っていないだろう。
柵の内側には質素なあばら家が点々と建てられている。
ワタルは召喚された時のチルシュの貧民街の家を思い出していた。
あの時のラナリア達の家よりも更にオンボロであるが……
人族の住む村に比べて、あまりにも貧しい印象である。
近くに王都を囲う巨大な壁が見えるだけに、その差がますます浮き彫りになっている。
この付近にはこうした獣人の住む小さな村が幾つも存在している。
どの村も似た様な環境である。
王都の周りにこの様な村が多いのには理由がある。
安全だからである。
大きな都市の近くには魔物が少ないし、無法な奴隷商人による獣人狩りも無い。
王都の周りでは警備隊や騎士が見回りを行っており、さすがに獣人の子供を攫って奴隷として売り払おうとする盗賊は出て来ないからだ。
しかし、この安全性もイベ宰相の天下になってからは、獣人総奴隷制の導入が囁かれるようになり怪しくなって来た。
トーイ達のクーデターは、これらの村にとっても希望の光となっているのだ。
トーイ軍はこれらの獣人の村に分散して隠れる事になっている。
小さな村に100人以上の獣人兵士が集まれば、嫌が応にも目立ってしまうからだ。
精鋭部隊が王城に潜入するまでは、目立つ訳には行かないのだ。
ワタル達とグルト達の精鋭部隊が泊まる事になるマザの村は、王都の正門の裏側にある村である。
街道から近い所にある王都の正門からは、一番遠くにある村である。
村からは王都を囲う高くて大きな壁が見える。
しかし、その壁には出入り出来る門らしき物は見当たらない。
小さな出入り口らしき扉があるだけである。
その扉は頑丈そうな鉄製で、人ひとりが通れる位の大きさである。
あまり使われる事の無い通用門なのだろう。
今回の作戦では、この扉から王都に潜入する予定である。
扉の外には誰もいないのだが、中には衛士が見張っているだろう。
扉を派手に壊して開ける訳にはいかないのだが、この門番がこちら側の協力者なのだそうである。
門番は協力者だけでは無いのだろうが、そこは上手くやってくれるそうである。
同じ様に、王城に侵入する時も内部からの手引きがあるらしい。
この作戦では、敵の中の協力者は非常に高いリスクを背負っているし、作戦成功の可否を握っていると言ってもいいだろう。
攻める立場のワタル達よりもよっぽど危険な立場にいる。
それでも協力するという事は、それだけ今回のクーデターの成功を強く願っているに違いない。
さて、ワタル達一行はマザの村で一晩休んだ後、その夜に王都に侵入する。
闇に紛れて王都内の王城近くの協力者の家に潜伏。
そのまま一日程過ごし、王城の周りと、王都の外の撹乱役の仲間達とタイミングを合わせて王城に侵入する予定である。
さて、マザの村では貧しいながらも心尽しのおもてなしを受ける。
今回のクーデターに獣人達の未来がかかっているのだ。
作戦に参加しない村人も、できる限りの力になりたいと思っている様だ。
トーイに労いの言葉をかけられて、感激して泣いている年寄りもいる。
獣人達の未来の象徴がトーイなのだ。
トーイが王位継承者になってイベ宰相が失墜すれば、確かにこの国の獣人の立場は好転するだろう。
ワタル達から見れば、トーイは可愛らしい仔犬の半獣人だが、その肩に乗っている責任は重大である。
そして、責任の重大さで言えば、トーイよりも寧ろグルトの方が上である。
「大丈夫?」
食事の時にルレインが声をかけている。
グルトがあまり食事を摂らないからだ。
「ありがとう。大丈夫だ……はは」
王都や王城の内部の協力者からの情報を一手に引き受けて、行動のタイミングや方法を考えて、作戦成功の為の重要なキーを全て管理しているのはグルトである。
宿屋の支配人をしていた姿からは想像も出来ないほど優秀な男である。
出たとこ勝負のワタル達と違って綿密な計画を立てている。
それだけ心労も極まっているのだろう。
そして、いよいよ明晩は王都に侵入するのだ。
緊張していないワタル達の方がどうかしているのだ。
グルトという男は、トーイの父であるカサナム王子のお付きの従者であった。
頭脳明晰で腕の立つグルトはカサナム王子に気に入られ、側仕えを許されていた。
半獣人が王子の側近を務める事については周りからの反発もあったのだが、グルトの才覚と人柄を知る者には嫉妬の念も湧かなかった。
それだけ優秀だったのである。
そしてトーイが生まれ、グルトは誠心誠意お世話をしていた。
同じ犬の半獣人だ、という意識も強かったかも知れない。
トーイは幼い頃から可愛らしく、周りを惹きつける魅力に溢れていた。
ギャザレム王も孫の誕生を喜び、人族、獣人族の垣根を越えて、トーイを可愛がっていた。
しかし、事態は急変する。
ギャザレム王の健康状態が怪しくなり、正常な判断が難しくなったのだ。
原因は不明であり、老齢によるものとされているが定かでは無い。
ギャザレム王を生前退位させて、カサナム王子を即位させる事になりそうだったのだが、この時、イベ宰相が猛反対をした。
ギャザレムの王位をそのままに、自分が摂政として国政を執り行う、と主張したのだ。
長年ギャザレム王に仕えて、実質的に国政を執り行って来たイベ宰相は、自身の派閥に属する貴族達の信頼も厚く、これに逆らえる者はいなかった。
唯一、カサナム王子が強権を発動する事が出来る立場にあったのだが、このタイミングで事件が起きる。
カサナム王子の妻であり、トーイの母親でもあるミルティ妃の死亡と、トーイの呪いによる獣人化である。
何者かの謀略としか考えられなかったが、この時の犯人として証拠が揃っていたのは、カサナム王子であった。
カサナム王子は捕らえられ、王城の何処かに幽閉されてしまう。
ここまで王族に対して大胆な方法が取れる者は限られている。
どう考えても、得をしているのはイベ宰相である。
しかし、イベ宰相は完璧に外堀を埋めており、彼をどうにかできる者は王城には存在しなかった。
グルトは必死にカサナム王子の無実を主張したが、彼に表立って同調出来る有力者はいなかった。
このままでは獣人の姿となったトーイの身に危険が及ぶと判断したグルトは、彼を連れて何とか王都を脱出したのである。
身分を隠し、ゴウライの街まで流れ着いたグルトとトーイは、復権のチャンスを伺いつつゴウライで宿屋を営んでいたのである。
この積年の思いを、いよいよ明日の夜に実行に移す訳である。
グルトにとって数年振りの王都である。
疲れた身体であっても、気持ちが昂って落ち着かないのであった。
「食べなくてはいけない、と分かっているんだけどなぁ」
少しやつれた様に見える顔を力無くルレインに向けるグルト。
トーイも心配そうにしている。
その時、グルトの頭上で小さな光がクルクルと回り出し、その光の細かい粒子がグルトの頭上に降りかかった。
その光の粒子は、グルトの頭や肩に吸い込まれて行く。
そして、グルトの身体の輪郭が少しだけ光って、直ぐに消えた。
「あれ、身体が軽くなったぞ。ん、何だかお腹も空いて来た……」
驚いているグルトのテーブルの向かい側でラナリアが微笑んでいる。
「特別サービスよ」
ラナリアの回復魔法である。
怪我の治療では無く、杖にストックしてある魔力を少し分け与えたのである。
無詠唱で突然行われた高度な回復魔法に、周りの兵士や村人達が唖然としている。
虐げられ続けている獣人の村で、美しい人族の女性が、王都でも滅多に見る事が出来ない高度な回復魔法を獣人に対して使うなど信じられないのである。
「これからが正念場よ。頑張ってね、指揮官さん」
ラナリアの言葉を理解したグルトは深く頭を下げる。
「ありがとう……心配をかけて済まない……」
「僕からもお礼を……ありがとう、ラナリア」
トーイからも礼を言われたラナリアは、ニッコリと微笑みを返す事で返事をした。
「無詠唱の回復魔法など初めて見たぞ」
「いや、それよりも人族が貴重な魔力を獣人に使うなどという事が信じられん」
村人や兵士が次々と驚きを口にしている。
ラナリアは大した事をしたつもりは無いのだが、かなりのインパクトがあった様だ。
「我主のパーティーは些事には拘らんのだ」
「妾が憑かれた闇を払った魔法使いぞ。これくらい朝飯前じゃ」
何故か従者の2人が誇らし気である。
実はこの時はまだ、村人の中には人族であるワタル達に不信感を持っている者もいたのだ。
この作戦の重要なポジションを人族の冒険者に任せる事に抵抗があったのだ。
いくらトーイの恩人だと紹介されても、実際に呪いの解除を見た訳では無いのだから、これまで人族にされてきた仕打ちを考えれば仕方の無い事だったろう。
しかし、グルトに対するルレインの自然な気遣いや、ラナリアの回復魔法を目にして、村人のワタル達に対する不信感が吹き飛んだのである。
元々獣人は単純な考え方の種族である。
1つの出来事を目の当たりにしただけで、考え方がコロリと変わる事は珍しく無い。
ラナリアの回復魔法は、その魔法の効果以上に作戦に対してのファインプレーになった様である。
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