楽しい人生とは研究に専念できる環境かもしれない

神無月やよい

楽しい人生とは研究に専念できる環境かもしれない

 人間は何かしら楽しむものを持っている。

例えば、旅行が好きな人。家でゴロゴロする者。

生け花や茶道・舞踏などのお稽古を熱心に学ぶ者や、水墨画や骨董品こっとうひんを集める事に、生きがいを見出す者など実にさまざまだ。

また、それ以外には、商いや株取引などで、お金を増やす事に余念がない人間もいれば、手柄を立てて出世する事を目的として、熱心に働く者もいる。

その他、千差万別限りなく人間が行う活動は、現代社会の人々がおのおの、その心を楽しもうとする働きであり、あるいは人間の楽しみではなく、こころざしとも言えるかもしれない。

(講演に参加した慶応義塾)学生諸君にも、必ず何かしら楽しむ趣味や、目指している夢があるだろう。

このような演説会の場にて、君らと出会い、テーマを語り合う事は、とても面白い事だ。

今回は、自分が若い頃から現在に至るまで、かつて一日も忘れず、ついには今日に至るまで、自分の思い通りにならなかった。とても楽しく想像したモノについて語ろうと思う。

今をさかのぼる事、およそ四十年前。自分は※1儒学生だった。

※補足情報1: 儒学とは、中国の思想を研究する学問です。

日本には飛鳥時代頃に伝わってきました。


 二十代の頃、初めて西洋学問を学びたいと思い、まず手始めに物理学を学ぶ事にした。

しかし、これを良し。と喜ぶのは、とても難しかった。

どこかの学校に入学して、極めようとする熱意は十分だったが、当時の江戸時代後期は、敵味方が入り混じったカオスな治安状態だったので、なかなか許されるものではなかった。

特に自分の家は貧乏で、その日食べるご飯を買うお金の工面に忙しく、学問に専念できなかった。

また、開国以来の世の移り変わりを見れば、おのずから口を硬く閉ざしているしかなかった。

その間は、本をたくさん書いて、時が過ぎるのをただひたすら待っていた。

されども、物理学の事は、ずっと自分の心の中から離れずにいた。

いよいよ面白くなり、一人の時は宇宙を創造した全能神の秘密を探るように考えていた。

ただ、これは暴いてはいけない気もするが、人間は探求したがる宿命サガを持っているから仕方ない。

蒸気や電気の力は、地球誕生の時より存在していたが、人間は暗く愚かで長い間、これを知らずにいた。

最近、ようやくその手かがりを探し始められた。

今後、さらに人間の知恵が進化するに従い、いよいよ神の力と思われるモノの本質を知る事が出来るかもしれない。

その時、知らなかった頃に思いをはせれば、ただ人間は愚かだったと悟るのみである。

また、同時にこれは学会の暗黒時代到来ともいうべき事態かもしれない。

このときにあたり、一心不乱に物理を探求して、天地創造の秘密を解明するのは、人類にはとてもつもなく素晴らしい喜びである。

それは王侯貴族が、富や名誉を羨む必要性をまったく感じないと言えば分かってもらえるだろう。

言うなれば、神が天上界から我々、人間の生活を見るようなものなのかもしれない。

実に低俗な様子をあわれむと同時に、我が家の空想をたくましくする。

例えば、動植物それぞれの性質や、地球の仕組み。

また、その天体との関係、科学の働きは果たしてそのいずれまで到達するのだろうか?

宇宙勢力の原則は、果たして既に決まりきっているのかどうか?

細かく考えれば、考えるほど疑問は際限なく湧き出てくる。

見渡す限り、あたかも天地創造の秘密に囲まれて、ただ人間の知恵の浅はかさを嘆くのみだが、いよいよ科学が進歩してその真理に達し、

かつて底止めする所を知らずも、またこれ人生の約束なれば、勇気を奮い立たせて見識の区域を広め、あたかも創造主とその境界線を争うのは、これぞ学者の本領だと深く信じて疑わないであろう。

ことに我々、日本国民の性質を見るに、新しい西洋文明を知ったのは、ごく最近であるが知識の教育練度は、千百年以上も続く遺伝のものである。

新しい世界のことわりを理解するには、苦しい思いをするだけならず、ただ単に西洋を学ぶ段階は既に去った。

今は学問道場と一致団結して、今後は我々、学者が活動する場を大学に限定して、後輩の指導に当たっている。

本当に日本国のとても心が躍る楽しいニュースだが、ただとても残念なのはその学者をもってしても、学業ただひとつに専念出来ない時が多い事だ。

なぜなら、どんな学者でも、その身体は※2ユウガオで出来ている訳ではないからだ。

私たち人間は、衣類や食べ物を調達せねばならない。

※補足情報2:

原題では匏瓜(パオグア? 調べましたが、正確な発音は分かりませんでした)と表されています。

それはひょうたんのような形をしたウリです。

中東アジアや日本の縄文時代では、これを二つに割り、中身をたべたあとに乾燥させ、お皿として使っていたようです。

詳しい参照元:跡見学園女子大学、農産譜より(http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch4-vegitables/hyotan.htm)


 しかるに生きていく方法を考えるのは、人生でもっとも煩わしい事であり、学者の活動を妨げる以外の何物でもないから本当に腹が立つ!

一人静かに座って、無限宇宙のそれより、原子レベルの小ささにいたるまで、その真理をとても深く考え、働きを察して、たちまち理解したかと思えば、またすぐ見失ってしまう。

ぼんやりとして、一心不乱にまるで耳や目、鼻・口という人体の穴という穴がその活動を忘れるほど、研究に没頭している最中に突然、家計のやりくりを聞かされ、毎月の給料をもっと多くもらってこい!

などと叫ばれると、研究を一時中断せざるえない。

話が終わり、また元の研究作業に戻った時は、再び同じようなテンションで研究に没頭するのはとても難しい。

強いて例えるならば、ぐっすり眠っているところに、いきなり冷たい水を顔面にぶっかけられたようなものだ。

ごく普通の一般人には、さほど重要な事に感じられないかもしれないが、学者になってはじめてこの苦痛を思い知る事になる。

現在の実際において、政治家に哲学者はおらず、新聞記者に物理学の専門家は少ない。

学者が開業医師になるのはまれであり、説法をするお坊さんは道徳知識に優れているが、それは決して偶然ではない。

されば今、この学ぶ環境の妨害を除いて、熱心に学ぼうとするには、

学者に衣食を提供して、生活の保障をするのがひとつの方法である。

この方法を実現させるにはどうしたらよいか? ひたすら考えていた。

その答えのひとつが「研究に専念出来る施設や、教育機関を設立する法案を作ってもらうよう政府に頼む」しかない。


 ただ、今の政府は勉強しようともせず、しかも議員報酬でお高いブランド品を買い、豪華な食べ物を自由きままにむさぼり食った生活を送っている。

挙句の果てには、名誉や目先の利益を求める人物達とやたら交流している。

あまつさえ目に余る行いがある。それは私欲目当ての人物からだまされて、催促を受ける事だ。

学問を研究する者にとって、それは無益以外の何物でもない。

仮に想像してみると、世間の思いつきでもって、私に寄付して下さる者もいる。

ただこれは善意なので、あくまで使い道は公共のために限定すべきであり、間違っても私が勝手に家計の足しにしてはいけない。

近く実利益を期待している出資者もいるかもしれないが、胸のうちでは本来の目的とはまったく違うものであろう。


 私が今このような話をした本当の目的は、ここ(慶応義塾)に研究所を設けて、おおよそ五、六名から十名ほど学者を選び、生活に一生、困らない手段を授けて、学問以外の事を考える必要のない環境を整え、かつその学問の研究具合や、方法も本人の思うがままに任せて、横から口をいれず、その成績に対して、人や日本にとって有益なものかどうか? すら問わず 

むしろ今の世にいう実利益に還元されるものかものを選んで、その研究内容の本質を極めれば、達成する事も可能だろう。

逆に全く無駄なものを研究してしまう可能性もまたあるだろう。

研究内容次第では、担当者が一生かけても完成せず、やむなく次世代以降に渡って引き続き行っていくモノもあるだろう。

あるいはその人が病気の時に休職するのはもちろん、元気でも気分によっては研究がはかどらず、やむなく一時的に中止することもありえる。

一生懸命、研究するか?

もしくはサボるかは、すべてその人次第である。

もっとゲスな事を言ってしまえば、学者を好き放題に甘やかしている状態とも言えるし、国家が飼い殺している状態とも取れるだろう。


 こんな風に、すべてに対して管理不届きすると、とても効果を実感する事は出来ないだろう。

そう感じる者が多いだろうが、元々、学者という人種は、学ぶ事を楽しみにしており、それは酒好きの人にお酒をもてなすようなものだから、自発的にこれを制限する事は出来ないだろう。

いわゆる野放しとは、自主性を促す方便である。

むしろ、世間に存在している「口だけやたら達者な人間」を取り締まらない状態こそ、まことに学問や思想の成長を妨げる害虫と言えるだろう。

おおよそ、このぐらいの趣向にしたのならば、日本の学者もはじめて良くその基本的な性質を示すだろう。

つらく苦しい思いをしつつ、全身全霊でもって研究に励めば、ついに天地創造の秘密を発見して、世界中の物理学に驚きのニュースを聞かせることもあるかもしれない。

試しに実際にいくらかかるのか?

その費用を計算してみよう。

十名の学者に一年間※3二千四百万円を支給すると、合計二億四千万円である。

※補足情報3:計算は千二百円×二万円×十ヶ月です。なお、どうも夏や冬など含め、年間で二ヶ月ほど休暇があり、その間は無支給だったかもしれません。


 この種の学者は世間との交流も少なく、身だしなみや部屋が散らかっていようが全然、気にしない。

世間とも独立していて他を顧みない状態は、まるであたかも仙人のような暮らしだ。

だから、年間二千四百万円の支給でも十分と言える。

その他に一人あたり、およそ四百から六百万円の生命保険を毎年かけ、学者の家族が安心して暮らせるよう手配する必要もある。

トータルで学者にかかる金額は、およそ三億円として、あまった際は研究費用に活用すればよいだろう。

かかる費用を言い出せばきりがない。

仮にまず、本格的な研究費を※4七億円とすれば、生活費・保険の掛け金と合わせて考えると、毎年十億円程度かかる計算だ。

※補足情報4:計算は三万五千円×二万円です。


 まあこのように軽く計算してみても、選んだ十名の学者の中には、病気や事故で亡くなる者もいれば、飽きて途中で辞めていく者もいるだろう。

もしくは、非常によくない事だが、給料だけもらって遊びほうける者も出てくるだろう。

十名全員がそれぞれ足並みそろえて、ひとつの内容を研究するのは、人間が感情を持っている以上、絶対に無理な注文である。

せいぜい五名から三名ぐらいが、確固たる信念でもって熱心に研究してくれれば上々と言えるだろう。

頭脳がズバ抜けて優れているたった一人の学者が、全世界を動かした例もある。

学問に期待する所は、ただどこまでも奥深く、追求してもしきれない無限の可能性にある。


 以上の話は、自分が若かった時より考えていた事であるが、誰かに話すのは無意味だと理解していた。

だからこそ、心許せる親友以外には、絶対に話した事がない。

しかし、人生どのようになるかは神のみぞ知る事なので、万が一、自分でもかなえられない出来事が起こりえるかもしれないから、人知れずこの話を書き残す事も考えた。

だが、結局のところ、ボケ老人のたわごとであり、とうてい一生かなうわけがない。と思い直し、あえて書き残さなかった。

けれど、今(講演に)参加している学生諸君は、まだ若い。

生きていく中で、たくさんのつらい事や、うれしい事、楽しい事に出会うのは、神が決めた確定事項である。

中には、莫大ばくだいな遺産を相続したり、宝くじが当たって大金持ちになり、服や食事に困る事がない生活を送る学生もいるだろう。

そうなった時は、別の人生を楽しみに求めるのが、悲しいかな。人間と言う生き物だ。

特に異性とえっちな事を沢山して経験豊富になろうとする者もいるだろう。

今回の企画を聞いて、この話を思い出したので、何か面白い話が出来そうだと思い、話してみた次第である。

もしも、私が生きている間に天地創造の秘密を明かしたニュースを聞けば、とても喜ぶだけでなく、たとえ私が死んだ後でも、墓の前で報告してくれれば、あの世から大絶賛の声を送り、親友の美学に感激の余り涙を流すだろうから、あとは若い諸君らに任せる事で、今回の講演を締めくくりたいと思う。


初出:「時事新報」時事新報社  〔十一月十四日〕

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