第55話:宣誓/殺し合いの

 大声で叫んで、その言葉を言い放ち、しばしの沈黙が流れた。

 あっ、あっ、やべぇ。めっちゃ恥ずかしい。思わず目を瞑ってしまう。ソフィアの表情が怖い。

 今更ながら大々的にすっげー事を言ってしまった気がする。お前を守るって、いつまで? いつまでも? え、ちょっと数分前の自分。応えてよ。


「……クス」

「えっ?」


 ふと、耳に少女がほくそ笑むような声が聞こえた気がした。恐る恐る指の間から覗いてみると、そこには見た事のない表情の彼女がそこにいた。

 いつも冷静で、鋭利な刃という印象を受ける彼女が、今はどこぞの花のように優しく笑っている。なんて――なんて綺麗な笑顔なんだろう。


「クスクス……瞬、優しいんだね」

「……男としては当然の事を言ったまでだ」


 親父に女の子は守れと言われているし、何より俺の本心だ。

 そんな俺の何がおかしいのか、ソフィアはしばらく微笑んでいた。あー……いい。今だけは、マルクへの憤りが治まってくれる。今だけは彼女の笑顔を目に焼き付けておきたい。

 遠見やアイには抱いた事のない感情だ。しかもその感情が何なのか、自分でも明確に解ってしまう。


「私、ね。最初はマルクと同じで、あなたの事、あまり好きじゃなかったの」

「……バカだからか?」

「うん。なんで勝てないと解っているのに戦いに挑もうとするんだろうって。マルク以上に凶暴な人なんだろうって思っていたの――あの時までは」

「あの時って?」

「あなたがアイに声をかけたの。この人は強いから、お前も戦えって――あなたは、自分だけのために戦っていなかった」


 それは、確か四月の事。アイが俺との戦いで落ち込んだ時の話だ。俺はアイにもう一度元気になってほしいから、確実に格が上の先生に決闘を申し込んだんだ。

 無謀である事は知っていた。でも、アイもギアスーツ乗りなら決闘を見たら元気になると信じて闘ったんだ。結果は惨敗だったけど、それでもアイは元気を取り戻してくれた。

 そう言えば……あの日だっけか、ソフィアとマルクと出会ったのも。


「ん? じゃあ、ソフィアと出会う日の前にも俺を知ってたのか?」

「うん。アリーナで決闘をしていたから。目星をつけるために」


 なるほど。何かしらの目的があってマルクがこの島にいるのだから、目的の邪魔になる相手を注意深く見ていたのだろう。だから、俺がアイに引き分けた――結果的に負けたあの戦いを知っている。

 ……なんだろう、情けないなぁ。


「私はたぶん、そこで興味を持ったんだと思う。アリーナからの帰り道、ふと足が止まったの。あなた達がいた。マルクが私を急かそうとする中、私は思わずあなた達を見つめていた」


 そこに先生が声をかけたんだ。だからマルクとソフィアは俺達と関わりを持つようになった。

 そうか、ソフィアはその時から自分の意志で俺達と関わろうとしていたんだ。マルクを巻き込んで、お前は選んだんだ。


「……私、ね。あなたの事が――」


 ――瞬間、幾つもの破砕音が聞こえた。それはガラスが割れる音で、同時に月光が反射して夜風を招く。

 ソフィアの声が途切れ、続く言葉は初めて聞いた、ヒッ、という弱々しい悲鳴。彼女が咄嗟に向いたその方向へ、俺も首を向ける。

 居やがった――マルクが。ガラスの破片の上に、ゆらりと立ち上がる。その表情は月光のせいで見えない。見えるのは、横目で頭を抱えているソフィアだ。


「悪いなぁ……本当に悪いやつだよ、お前」

「ヒッ……こない、来ないでッ!!」

「おいっ!」


 まるで屍のように、ガラスを踏み潰しながらソフィアへ近づく。尋常じゃないほどにソフィアが乱れるのを黙って見ているわけにはいかない。

 忘れていた全身の痛みを思い出しながらも、俺は咄嗟にマルクを止めようと勢いよくマルクへ跳びかかる――


「うっせーんだよッ」


 が、マルクが振り被った右拳をもろに受けて押し返されてしまう。意識は――跳んでいない。まだハッキリとマルクを捉えられる。

 だが、身体の方が悲鳴をあげていた。ただでさえ動くのが辛い身体が、更なる痛みを覚えたのだから、意識が前に行けと訴えているのに、少しも動こうとしない。


「主人の娯楽を止めようとしやがって。そういう奴隷には死よりも辛い刑罰を与えてやらんとなぁ」

「やめて……やめてやめてやめてやめてェッ!!」

「くっそ……待てよ、マルクッ」


 嫌がるソフィアの右腕を強く握りしめて、悪態を吐く俺に嫌な笑みを浮かべてくる。計器の光がマルクの表情を浮かび上がらせるが、それは確かに狂っていた。

 狂喜。その言葉が相応しい。碧眼の目は大きく見開かれて、口角は唇が震えるぐらいに吊り上がっている。なんたる邪悪な顔だろう。あれが、いつも知的であった男のするか表情か。


「お前も。お前を殺す事も簡単だが、もっと相応しい刑罰がある。お前が最も精神がぐちゃぐちゃになるさいっこうのッ!」


 一人、ハイになっているマルクが恐ろしく見えた。あれは完全に暴走している。俺が幼少期によくあった、カッとなって頭が真っ白になって暴れまわる……それよりも厄介な、自分自身の暴走を理解し、しかし止まろうとしない――本当の暴走だ。


「……三度目の正直。日本の言葉にこんな情けない言葉がある。だがそれを、はお前を殺す事に使ってやる」

「殺す、だと?」

「あぁ。三度目の正直だ。一度目は手加減の中の手加減。二度目は俺による私刑。そして三度目は……本当の意味での死刑だ」


 マルクが指で首を裂くジェスチャーをする。あいつは本気だ。本気で俺を殺すつもりでいる。


「徹底的に殺してやるよ。お前の大好きなギアスーツでなッ!!」


 そう言いのけると、ソフィアを引きずって入ってきた窓から出ようと動き始める。ソフィアが叫ぶが、誰も止められやしない。彼女の脚が何度もガラスの破片で傷ついていく。

 身体が動かない。止めるために立ち上がる事も難しい。クソ。クソッ、クソッ、クソッ――


「――助けて、瞬」


 守ると誓った少女が俺の名を呼んだ。膝から血を流して、右腕の痛みに悲鳴を上げながら――確かに俺の名前を呼んだ。


「待てよ、マルク」


 口から洩れた言葉は無力からくる悪態でも自嘲でもなく、ただ大事な子を泣かせる敵を退き止める冷たい言葉だった。怒りのあまりに、一周して頭がシンとする。

 俺のその言葉を聞いて足を止めたマルクはこちらを振り向く。向こうが宣言したのだ。ならば、答えなければならない。


「やってやるよ――今度こそ、てめぇをぶっ倒すッ!!」


 俺の宣誓にマルクは感極まったように更に口角を歪めた。その言葉を待っていたと言わんばかりの最悪な笑顔だ。こいつも――俺と同じ、いや俺以上の戦闘狂だ。


「あー――いいぜ。予定変更だ。そうだな……三日後。武藏島にある灯台。そこで殺り合おう。逃げんなよ」


 そう言い放つと、ソフィアごと窓から飛び降りた。身体が動かない以上、安否は解らないが、変な音が聞こえていないのだから、たぶん上手く着地したのだろう。

 ソフィアを攫われて、約束も守れなくて、俺は力なく呟くしかない。


「くそ……」


 唯一出せた悪態は、どこか虚しく、すぐに夜闇に溶けた。

 その後、異常を察知した先生達が到着し、俺は彼らに事情を話す。キノナリ先生もヒューマ先生も二人して悔しそうな表情を浮かべていたけれど、そんなのはどうだってよかった。

 今あるのは、マルクを打倒してソフィアを救い出す事だ。約束は破れてしまった。彼女を守る事はできなかった。でも、救い出す事は、助け出す事はできるはずなのだから。

 残された期間は三日。俺は、必ず奴の元へ向かわなければならない。

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